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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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王都-12


 ゆっくりと応接室の扉が開いていく。しっかりと油が差されている扉は引っかかることなく開いていくはずなのに、いまはやけに遅く、内外の圧力差があるような遅さで動いていく。それはセバスの心中を察知したような動きだった。

 本当にセバスの心中を察知してくれるのならば、扉には開かないで欲しいところなのだが、現実ではそのようなことは決して起こるはずが無い。扉は完全に開かれ、そこからセバスの視界に入る応接室は、何時もと変わらない光景だ。

 しかしながら何時もと違い、部屋の中には強大な存在が3人。

 1人は白銀の武人。そして1人は悪魔。そして最後は――


「遅くなりまして申し訳ありません」


 入り口のところでセバスは拝礼にも似た、深いお辞儀を応接室の机の向こうで座る存在に向ける。ナザリックのランドステュワードというほぼ最高の地位に位置するセバスが頭を垂れる人物は、現在は1人しかない。

 そこに座るのは当然、セバスの主人。

 絶対なる存在たる『至高の41人』が内、1人。


 ――アインズ・ウール・ゴウン。


 ナザリックの支配者にして、この世界における極大級の戦闘能力を持つ存在である。

 その空虚な眼窟には、ぼんやりとした赤い光が灯っている。それがセバスの全身を上から下まで眺めるように動くのが、頭を下げたままの姿勢を保つセバスには感じられた。

 それからアインズは、面倒げなそぶりでオーバーに手を振った。


「よい。気にするな、セバス。これは連絡無しに来た私のミスだ。それより、そのような所で頭を下げていてもしょうがなかろう? 早く部屋に入って来い」

「はっ」


 頭を下げたままのセバスにかけられた声に反応し、頭を上げる。それからゆっくりと1歩踏み出した。

 そしてゾクリと背筋を振るわせる。

 異常なほど巧妙に隠されてはいるが、セバスの鋭敏な感覚は殺意と敵意を感じ取ったのだ。

 セバスの視線がゆっくりと動く。

 動いた先、コキュートスもデミウルゴスも武装はしてないし、セバスに注意を払っているようには見えない。ただ、それはあくまでも常人の視点からだ。

 セバスは十分に知覚している。

 まずコキュートスは己の武器を抜いた時、一息の呼吸でセバスを切り飛ばせる距離を維持している。セバスが動くのに合わせて、微妙に動くほど。

 そしてアインズの傍に立つデミウルゴスは、何かの非常事態にはアインズの盾となるのに最適な場所を維持している。両者とも最大の警戒をセバスに向けているのだ。

 これは決して味方にするべき態度ではない。

 何ゆえにそのような態度を向けられるのか。それが理解できるセバスは、バクンバクンと激しく脈打つ心臓の音が、この場にいる皆に聞こえているのではと思うほどの重圧を感じていた。


「そこで止まった方が良いと思うがね」


 デミウルゴスの涼しげな声がセバスの足を止める。

 アインズとの距離は今だあるが、さほどでもない。こんなものかなと思う程度だ。しかしそれは、普段のアインズであればもっと近寄れといったであろう差。アインズがそれに対して何も言わないということが、距離以上の広がりを感じさせ、セバスの背中に重くのしかかる。


 ちなみにソリュシャンはセバスと共に部屋に入ったものの、扉直ぐ脇で待機という形である。


「さて――」骨の指でどうやっているのかは不明だが、パチリとアインズは指を鳴らす。「まずはセバスに問おう。何故、私がここの場に来たのか、理由を説明する必要があるか?」


 ぞわっとしたものがセバスの背中を走った。

 セバスは背中が汗でびっしょりと濡れるのを感じながら、僅かに視線を下げつつ、重い口を開く。


「……いえ、必要はございません」

「そうか? ならばお前の口から聞きたいものだな、セバス。お前からの報告は受けていないが、この数日中、何か可愛いらしいペットを拾ったそうじゃないか?」

「はっ」

「さて、まずは聞かせてもらおう。何で私に報告をしなかった?」

「はっ……」


 セバスは微かに肩を震わせながら、じっと床を見据える。なんと言えば良いのか。なんと言えば最悪の自体に発展しないで済むのか。そればかりを考えてだ。

 セバスが何も言わずに、黙っているのをアインズは眺めながら、ゆっくりとイスにもたれかかる。ギシィという音がやけに大きく部屋に広がった。


「どうした、セバス? 汗を酷くかいているようだな。ハンカチを持っていないなら貸してやるぞ?」


 アインズはオーバーなアクションで、何処からか純白のハンカチを取り出す。人差し指と中指で挟んだハンカチを、セバスのほうに無造作に放った。机を乗り越えて投じられたハンカチは途中で広がり、ファサッという擬音が正しいような動きで床に落ちた。

 アインズはそのハンカチを指差す。


「拾って使え」

「はっ」


 セバスは1歩だけアインズの元に近寄ると、落ちたハンカチを拾い上げる。それからセバスは逡巡する。


「……別にそのハンカチにお前の可愛いペットの血がついているとかそういうことは無いぞ? 単に汗が見苦しかっただけだ」

「はっ……お見苦しいものをお見せして、申し訳ありませんでした」


 セバスはハンカチを広げると、自らの額に浮かんだ冷や汗を拭う。


「では聞かせてもらおうか。何故報告しなかった? ……私の命令を無視した理由を聞きたいのだ。このアインズ・ウール・ゴウンの言葉はお前を縛るには相応しくなかったのか?」


 その言葉が室内の空気を大きく揺らす。

 セバスは慌て、必死に言葉を発した。


「滅相もございません。じつはあの程度のことはアインズ様にご報告するまでもないと、私が勝手に考えたためです」

「…………」


 室内に沈黙が落ちる。しかしセバスの全身には突き刺さるように殺気が3つ。デミウルゴス、コキュートス、そしてソリュシャンのものである。もしアインズが命令違反だと決定すれば、即座に3者の攻撃がセバスに襲い掛かるだろう。

 死ぬこと自体はセバスは恐ろしくは無い。ナザリックのために死ぬのは最大の喜びだ。しかしながら裏切り者として処分されるというのは、何よりも激しい恐怖。

 至高の41人に創造された存在が、裏切り者として処分されるなぞ、恥辱の極み以外の何物でもないのだから。

 再びセバスの額に汗が噴出すだけの時間がかかり、アインズが口を開く。


「……つまりはセバスの愚かな判断だった……というわけだな?」

「はっ。その通りでございます、アインズ様。私の愚かな失態をお許しください」

「……ふむ。……理解した」


 頭を垂れ、謝罪したセバスの元に、感情を一切感じさせないアインズの声が届く。処分という判断を即座に決定しなかったため、僅かながら室内の空気が元に戻る。

 殺意にレベルがあるとするなら、数段階は戻ったようなそんな変わり方だ。

 だが、セバスに安堵の息は無い。なぜならその前にアインズがセバスの心臓を跳ね上がらせる一言を口にしたからだ。


「ソリュシャン。そのセバスのペットを連れて来い」

「畏まりました」


 ソリュシャンが動き、静かに扉が閉められる。セバスの鋭い知覚能力は扉の向こうでソリュシャンがゆっくりと離れていくのを感じ取った。

 ごくりとセバスの喉が唾を飲み込む。

 この場にはアインズ、コキュートス、デミウルゴスの3名がいる。異形の姿を取る3者だ。それも姿を幻術を隠すことをしていない素のままで。つまり、それは正体をツアレに見せるということ。

 それは見られて構わないのか、見られたところでどうにかするからなのか。


 やがて遠くの方からこの部屋に向かってくる、乱れのない気配と動揺し乱れた気配の2つをセバスは感じ取る。


 ――どうするか。

 セバスの視線が動き、中空を見つめる。

 彼女がここに来たのなら、セバスは決定しなくてはならない。しかしながら答えはたったの1つしかない。視線はセバスを観察し続けるデミウルゴス、そしてアインズへと動く。

 そして最後に力なく床へと落ちた。


 扉がノックされ、そして開かれる。姿を見せたのは2人の女性。

 ソリュシャンとツアレだ。


「つれてまいりました」


 ツアレが入り口で小さく息を呑むのが、背中を見せたままのセバスにも聞こえる。悪魔を具現した姿を取るデミウルゴスを見て驚愕したのか。白銀の巨大な昆虫であるコキュートスを見て戦慄したのか。死を象った存在たるアインズを見て畏怖したのか。はたまたはその全てか。

 守護者の2者の不快感はツアレを前に強くなる。ある意味、セバスの罪の形こそツアレという女性なのだから。向けられた敵意にツアレが顔色を悪いものとする。

 この世界における絶対者である守護者、それも2名からの敵意は、脆弱なあらゆる存在を根源から怯えさせる。ツアレという女性が泣き出さないのもある意味奇跡のようなものである。

 セバスは振り返らないが、その背中に視線が向けられているのが充分に感じ取れる。それはツアレのものであり、彼女の勇気の源泉はセバスという人物がそこにいるということなのだ。


「デミウルゴス、コキュートス。止めろ」


 アインズからの静かな声が響き、室内の空気が変化する。いや、ツアレに向けられていた敵意がかき消されたというべきだろう。守護者2名を嗜めたアインズは、ゆっくりと左手をツアレに向けて差し出す。それから手のひらを天井に向けると、ゆっくりと手まねをした。


「入りたまえ。セバスの拾ったペットたる人間。――ツアレ」


 その言葉に支配されるように、ツアレは1歩、2歩と震える足を動かし室内へと入る。


「逃げないとは勇気がある。それともソリュシャンに言われたか? お前次第でセバスの運命が決まるとでも?」


 カタカタと震えるツアレはそれには何も答えない。セバスは自らの背中に向けられた視線がより強くなるのを感じる。それは言葉以上に雄弁にものを語る。

 室内に入り、セバスの横にツアレは並ぶ。コキュートスがツアレの背後に控えるように立った。

 びくりとツアレの体が恐怖で動き、セバスの服の裾が掴まれる。ふと、セバスはあの路地で掴まれたことを思い出す。それと同時に、もっと賢く振舞えばこのようなことにはならなかったという後悔の念を。

 ツアレに対し、デミウルゴスは冷たく見据え――。


『ひざ――』


 ――ぱちりと指を鳴らす音がした。そして口を開きつつあったデミウルゴスは、指を鳴らした自らの主人の意志を即座に理解し、それ以上の言葉を発することをやめる。


「――よい。よいのだ、デミウルゴス。私を前に逃げない勇気を称え、ナザリックの支配者たる私の前での無礼を許そう」

「申し訳ありませんでした」


 デミウルゴスの謝罪にアインズが鷹揚に頷いた。


「ああ」ギシリと背もたれに寄りかかられたイスが音を立てる。「まずは名乗るとしよう。私の名前はアインズ・ウール・ゴウン。そこにいるセバスの支配者だ」


 その通りだ。

 アインズ・ウール・ゴウン――至高の41人は、セバスを支配する方々。

 その言葉にセバスはぶるりと背筋を振るわせる。絶対なる主人にそういってもらえるというのは、生み出された存在からすれば最大の歓喜を引き起こす。

 ただ、どうしてか。思ったよりも歓喜の度合いが少なく、背筋を震わせる程度だったというのが疑問か。

 セバスがそんな思いを浮かべている間にも会話は続く。


「あ、……わ、わたし……」

「よい、ツアレ。お前のことはある程度知っている。そしてそれ以上の興味は私には無い。お前はそこで黙って待っているがいい。お前を呼んだ理由は後で分かる」

「はっ……はい」

「さて……」アインズの空虚な眼窟に浮かぶ赤い光が動く。「……セバス。私は聞きたいのだ。お前には目立たないように行動しろといったはずだな?」

「はっ」

「にもかかわらず、下らない女のために厄介ごとを招いた。――違うか」

「間違っていません」


 下らないと言うところでツアレの体ピクリと動くが、セバスは反応せずに答える。


「それは……私の命令を無視した行為だと思わないか?」

「はっ。私の浅慮がアインズ様の不快を招いたことを深く反省し、このようなことが二度と起こらないよう、充分な注意を重ね――」

「――よい」

「はっ?」

「よいと言った」アインズが姿勢を変え、再びギシィとイスが音を立てる。「失態は誰にでもあることだ。セバス、お前のつまらない失態を私は許そう」

「――アインズ様、感謝いたします」

「しかし、だ。失態は償わなければならない。――殺せ」


 部屋の空気が張り詰め、そして数度温度が下がったようだった。いや、違う。そう感じたのはセバス1人だ。他の2人の守護者、ソリュシャン、そしてアインズは平然としたままなのだから。

 ゾワリとしたものがセバスの背中を走る。何を殺せというのか。そんなことは尋ねるまでも無く理解できるから。

 やはりという思いと、あって欲しくないという思いが、重いものとなってセバスの口を鈍らせた。


「……なんと……おっしゃいましたか……」

「ふむ……その失態の元を消去し、セバスのミスは無かったことにしようというのだ。まさか失態の元がそのままでは、他の者に示しがつかんだろ? お前はナザリックのランドステュワード、上に立つべき存在だ。それがミスをそのままにしていてはな……」


 セバスは息を吐く。そして再び吸う。

 強敵を前にして決して乱れることの無いセバスの息が、弱者が強者を前にしたように乱れているのだ。


「セバス。お前は至高のか――41人に従う犬か? はたまたは己の意志を正しきとする者か?」

「それ――」

「――答えの必要は無い。結果でそれを私に見せろ」


 セバスは眼を閉じ、そして開く。

 迷いは一瞬。いや、一瞬という長い時間を迷う。それはコキュートスやデミウルゴス、ソリュシャンが敵意をみせるほど充分な時間。それだけの時間を得て、セバスは結論を出す。


 セバスはナザリックのランドステュワード。


 それ以外の何者――でも無い。

 自らの愚かな逡巡がこの結果を生み出したのだ。もしもっと前に許可を仰いでいれば、このような結末は待っていなかっただろう。

 全て己の所為である。


 セバスの瞳は硬質の光を帯び、鋼の輝きを灯す。そして自らの横に並んだ、ツアレへと向きを変える。ツアレの掴んだ指が離れる。ツアレはセバスの顔を見、そしてセバスの決定を理解した。

 微笑み、ツアレは目を閉じた。

 顔に浮かんでいる表情は絶望でも、恐怖でもない。今から起こることを受け入れ、認める。そういった殉教者のごとき表情だ。

 それを前にしてセバスの動きに動揺はない。もはやセバスの心は深くに沈められている。そこにいるのはナザリックに忠誠を尽くす、1人のシモベの姿だ。


 ならば、主人からの絶対の命令に従わない理由が無い。謝罪も当然無く、あるのは主人からの命令を只こなすのみ。


 セバスの拳は硬く握り締められ、唯一の慈悲たる瞬殺の速度を持ってツアレの頭部めざし走る。


 そして――




 ――拳は硬質のものに受け止められる。


「――何を?」

「――っ」

「…………」


 セバスの不快げな声が向かった先は、ツアレの頭部を消し去るために放たれた拳を受け止めた存在――コキュートスへだ。コキュートスの腕の一本がツアレの後ろから突き出され、セバスの拳を正面から受け止めたのだ。

 アインズの命令ゆえに行った一撃をどうして止めるというのか。これはコキュートスの叛意を示す行為なのか。

 しかしながらセバスの中に生まれた疑問は即座に解消されることとなる。


「セバス下がれ」


 苛立ちを覚えながらも2撃目を繰り出そうとしていたセバスはアインズの言葉を聞き、その拳に込められていた力を抜く。コキュートスに対する叱咤ではなく、セバスを抑止する言葉。つまりはコキュートスがセバスの攻撃を受け止めたのは、元々そういうことだったということだ。

 出来レースである。ようはセバスの意志の確認こそが狙いだったのだ。


 覚悟をしていたとしても精神的な負担は大きい。命の危険が去ったことによって、緊張感が抜けたツアレはなみだ目で体を震わせる。見ればガクガクとツアレの足が乱れ、倒れそうになっているが、セバスは支えるようなことはしない。

 いや、今更何をしろというのか。

 ツアレが怯えている中、まるでそんな人間がいないかのようにアインズとコキュートスは会話を始める。


「コキュートス。今のは確実にその女を死に至らしめる攻撃だったか?」

「間違イゴザイマセン。即死ノ一撃デス」

「ならばこれをもって、セバスの忠誠に偽り無しと私は判断する。ご苦労だった、セバス」

「はっ」


 硬い表情でセバスは頭を下げる。


「――デミウルゴス」

「はい」

「異論はあるか?」

「ございません」

「コキュートス」

「ゴザイマセン」

「よし。ならば次の話に移るとしよう」


 ぱちりとアインズが指を鳴らせる。それから立ち上がり、手を一閃させる。


「既にこの館に来る前から決定していたことだが、セバスたちの働きによって、充分な情報は集まったと判断している。したがってセバスの無罪は確定した以上、ここに長くとどまる理由ももはや無い。これよりこの屋敷は引き払い、ナザリックに撤退するものとする。セバス、その女はお前が好きにしろ。お前の忠義を確かめた以上、どのようにしようとも私から言うことは無い――と言いたいところなのだが……ナザリックのことを好き勝手話されるのは厄介だと思わないか、デミウルゴス」

「その通りかと思います」

「どうすべきか?」

「……一応は確認を取るべきかと」

「そうだな。……セバス、ツアレの処分はもう少し待て。殺害ということは無いと思われるが、絶対ではないと知れ」


 そう言いながら、困惑気にアインズは頭を傾げる。ツアレの処分がどうなるか不明だという態度だ。

 ナザリックの最高責任者であるアインズが、即座に判断しかねる問題なのかとセバスは驚きを隠しきれない。


「アインズ様。私のミスでこの館を――王都から撤退をするのでしょうか?」

「……そうでもあるし、そうではないとも言える。先も述べたように、この辺りで得るべき情報は粗方得たと判断してだ。これ以上ここに潜っていることをメリットはあまり無い。撤退した方が安全だろうという計算からだ」


 セバスはごくりと唾を飲み込む。このような行為はおこがましいが、それでも撤退するというのならすべきたった1つのことだ。


「ではおこがましい願いを1つあるのですが――」


 アインズは手を上げ、セバスの言葉を切る。


「――聞くことは出来ない。聞いたとしても即答しかねるのでな。予定よりも時間が大幅にオーバーしている。ナザリックに待機させていたアウラやシャルティアが勝手な行動を取るという心配がある。ひとまず私はナザリックに戻り、詳しい説明を行うつもりだ。お前の願いはその後だな」

「――畏まりました」

「《グレーター・テレポーテーション/上位転移》」


 セバスの返事を聞くのが早いか、魔法が発動し、アインズの姿は瞬時に掻き消える。転移の魔法でナザリックに帰還したのだろう。それを見送ったデミウルゴスが、ソリュシャンの方を向いた。


「その人間を別室に連れていきなさい」

「はい、デミウルゴス様」

「いえ、私が連れて行きます。問題は何も無い。そうですよね、デミウルゴス?」

「……そうだね。セバスの言うとおりだ」デミウルゴスは微笑を浮かべ、扉へと手を向ける。「どうぞ?」

「付いてきなさい」

「……はい」


 かすれるような声でツアレは答えるとセバスに続いて歩き出す。

 扉が閉まり、廊下を2人分の足音が響く。互いに言葉無く、歩き、ツアレの部屋の扉が見えてくる。さほど長くない距離だが、それ以上に時間の経過が長く2人には感じられた。

 扉の前まで来て、ようやく決心がついたようにポツリとセバスが呟く。


「謝罪する気はありません」


 背後からセバスの後を続いて歩いてくるツアレの体がピクリと小さく跳ねるのが、セバスは感じ取れた。


「ただ、あなたが殺されかかったのは私のミスです。もしもっと別の手段を取っていれば、このような結果にはならなかったでしょう」

「……セバス様」

「このようなことは2度と無いように心がけたいとは思いますが、無いとは言い切れません。そして私はアインズ様――そして至高の41人の忠実な僕。もしもう1度、同じようなことがあったら、同じような態度を取るでしょう。……ですからあなたは人の世界で幸せになりなさい。そうなるようにお願いしてみるつもりです。……記憶の操作をアインズ様は行えるはず、悪い記憶は全て消して、そして生きなさい」

「……セバス様のことは?」

「……私の記憶も消してもらいましょう。覚えておいても良い事は無いでしょうから」

「良い事ってなんですか?」


 ツアレの言葉に含まれた強い意志。それを感じ、セバスは振り返る。

 セバスを迎撃したのは涙目ではあるが、強く睨むような目をした女性である。セバスは僅かに動揺し、説得の言葉を考える。


 ナザリックは非常に素晴らしい場所であり、まさに神の祝福を受けた場所である。しかし、それは至高の41人によって創造されたセバスやその他の者たち、そしてナザリック大地下墳墓のシモベだから思えることだ。

 才能も、能力もないつまらない人間にとってあの地が救いになるのかどうかは完全に不明だ。そしてあの地ではツアレの命の価値は低く見られるだろう。弱き人間という異質な存在にそれが耐えられるだろうか。

 人の幸せは人の世界にある。セバスはそう考える。


「……ナザリックではあなたの命は大した価値を見出してはもらえないでしょう。それはあなたが今まで居た所と何の代わりがあるというのですか? 人の世で幸せになりなさい」

「私は今、幸せです」


 はっきりと言い切るツアレに、セバスは哀れみを感じた。


「……地獄でちょっとした出来事を幸せと感じ取っているようですが、あなたがいるところは地獄です。地獄の幸せなんか、人間の世界の幸せに比べれば大したものではないでしょう」


 最悪を見ているからこそ、多少良くなった悪い場所でも幸せだと感じてるにしか過ぎない。セバスはそう判断したのだ。

 しかしながらツアレはそんなセバスの考えを笑う。


「……私はここが地獄なんて思えません。おなか一杯食事はでき、ひどいことはされない。……私は小さい村に生まれ、育ちました。そこの生活だって厳しいものでした」


 ツアレの目が一瞬だけ遠くを見るように動く。そして直ぐに元に戻り、セバスを正面から見据えた。


「おなかをキュウキュウ減らしながら畑を耕し、実った食べ物は殆ど領主に持っていかれる。自分の口に入るものなんか、ほとんど残らないんですよ。そしてそれだけ働いたって領主とかの貴族からすると、私達なんておもちゃみたいなものです。悲鳴を上げたって笑いながら犯すんですから。笑ってるんですよ。わたしはあの――」

「――分かりました」


 引きつったような笑いを浮かべるツアレを引き寄せ、セバスは胸の中にすっぽりと収める。震える肩を優しく抱いた。今まで耐えてきた糸が切れたように、泣き出したツアレの涙が服にしみこんでいくのをセバスは感じ取る。


 彼女の見てきた、生きてきた世界が全てであるはずがない。ただ、それでもツアレにとっての人の世界とはそういうものだったということだ。

 セバスはじっと考える。

 何が最も良いのか。そして答えは1つしかないことを確認する。


「……コキュートスの配下にリザードマンが入ったという話を聞きました。それと同じように私の配下に入ったということにすればなんとかなるかもしれません」

「それじゃ――」


 セバスの胸に抱かれたまま、ツアレは顔を上げる。


「ツアレ。ナザリックにあなたを連れて行ってよいか、アインズ様にお尋ねします」

「ありがとうございます。それにセバス様が私を拾われた時に報告されていたら、私はボロボロの状態で処分されたかもしれないんですよね」

「アインズ様は寛大なお方。そのようなことは無いと信じてます」

「ですが、絶対ではない」


 セバスは何も言わない。自らの主人への忠誠心と哀れな女性。2人を天秤にかけ、可能性を避けたのは事実だ。

 セバスはツアレの肩に回していた腕から力を抜くが、ツアレは離れようとはしない。ぎゅっとセバスの服を掴んだまま、濡れた瞳でセバスを見上げていた。

 その瞳に何かを期待しているような色がある。セバスはそう直感するが、それが何を期待しているかまではわからない。

 ただ、その前に確認すべきことがあるとセバスは思い出す。


「1つだけ、確認を。人の世界に未練は無いのですか? 帰りたいと思うところは無いのですか?」


 ナザリックに招かれたからといって、人間社会と永久的に関係を持てないということは無いだろう。別に監禁する目的で連れて行くのではないのだから。しかしながらそうなる可能性だって無いわけではない。


「……弟……に合いたいという気持ちは少しあります。でももう昔を思い出したくは無いという気持ちの方が強いので……」

「分かりました。では、あなたは部屋に入りなさい。私はアインズ様にもう一度お会いしてきます」

「はい――」


 ツアレはセバスの服を掴んでいた手を離し、その手を巻きつけるようにセバスの首に回す。ぎょっとしたのはセバスだ。モンクとして桁外れな力を持つセバスからしても、完璧なる動作だ、そんなことを考えてしまう動きだったためだ。いや、動揺したためにそんな馬鹿みたいなことを考えてしまったのだろう。

 表情には一切表さないものの、どうしようと混乱するセバスを無視し、ツアレはつま先立ちをする。

 そしてセバスとツアレの唇が重なる。

 優しく重なっていた時間はほんの一瞬だ。直ぐにツアレの唇は離れる。


「ちくちくしました」ツアレが体を離すと、自分の唇を両手で押さえる。「幸せなキスは初めてです」


 セバスは何もいえない。だが、ツアレはセバスの表情ににっこりと明るく笑う。


「では私はここで待ってます。よろしくお願いします、セバス様」

「あ、ああ……わ、分かりました、ちょっと待っていてください」




「どうしたのかな? 顔が赤いようだが?」

「何でもないとも、デミウルゴス」


 セバスが部屋に戻った時の第一声がそれである。顔が赤いといわれ、セバスは呼吸を深く静かなものへと変える。さきほどの動揺を表に出していては、主人を迎えうる従者として失格だと判断してだ。唇へと思わず動きそうになった手を押し留め、セバスは完璧なる従者に相応しい表情を作った。


 それから2分後。空間がぐにゃりと歪む。

 そしてその歪みが元に戻ると、そこには1人の人物が立っていた。無論、アインズである。

 セバス、コキュートス、デミウルゴス、ソリュシャン。部屋にいた4人は一斉に跪き、頭を垂れる。


「出迎え、ご苦労」


 アインズはその手に持った、人の苦悶を浮かべるような黒い揺らめきが起こるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを振る。それから机の後ろに回るとイスに腰掛けた。


「立て」


 4人は一斉に立ち上がり、非常に機嫌のよさそうなアインズに視線を送った。


「さてさて。デミウルゴス、お前が心配性だというのはこれで立証されたな。私はセバスが裏切るなんてこれっぽちも思っていなかったぞ。お前たちは用心しすぎるのだ」

「申し訳ありませんでした。更には先ほども言わせていただきましたが、アインズ様のご判断に異を唱え、私の詰まらない意見を認めてくださってありがとうございました」

「かまわないとも。私だってミスをする。デミウルゴスがチェックをしてくれていると思えば、安心できるというものだ。それに私を心配してくれての発言に、何かをいうほど狭量ではないと思っているぞ」深々と頭を下げたデミウルゴスから視線を動かし「それで願いというのはなんだ、セバス」

「その前にアインズ様にお聞きしたいことが」少しばかり間を置き、アインズの表情をセバスは伺ってから言葉を続ける。「ツアレはどのようにしましょうか」


 少しばかりアインズは考え、それからどうしてセバスがそんなことを言っているのか、答えに行き着いたように頷く。


「えっと、あの女性を解放した場合、我々ナザリックの情報が漏れる、だったか?」


 デミウルゴスはアインズの視線を受け、頷いた。


「はい。どういたしますか?」

「なら時間をかけて記憶を弄ればいいだろう。ある神官の協力もあって、洗脳こそは無理だが、記憶の操作に関してはなかなか上手くなったと思うぞ」

「処分してしまう方が楽だと思いますが?」


 デミウルゴスの意見に、ソリュシャンが同意するように頭を縦に振った。アインズはそれを見て僅かに考え込んだ。2人も同じ意見だとすると……というところである。

 セバスは内心非常に慌てる。

 アインズが決定してしまったら、それを変更させるのは容易いことではないからだ。問題は許されたとはいえ、デミウルゴスやコキュートス、ソリュシャンのセバスに対する好感度は下がっているはず。もし下手に反対意見を口にしたら、確実に不快感をあたえるだろう。

 しかし、ここは発言すべきだ。

 セバスはデミウルゴスに反対する意見を述べようと口を開きかける。しかし、それを発することは無かった。というのもその前にアインズが口を開いたからだ。


「……よせ、デミウルゴス。なんの利益も無く殺害行為を行うのは余り好きではない。というより殺した場合、あとでの回収が不可能だからな。生きていれば何かに使える可能性があるしな」


 安堵の息をセバスは殺す。まだツアレの扱いが決定していないからだ。


「畏まりました。……では私が支配している牧場で働かせますか?」

「ああ、家畜を飼っているんだったな」


 デミウルゴスには似合わないなとアインズは笑う。それに対してデミウルゴスは品良く微笑み返した。そんな2人を、セバスは何も言わずに様子を伺う。

 主人が機嫌よく話している最中に、横から口を挟むことほど愚かなことは無いだろう。

 下手なことを言ってアインズの不快を買ってしまったら、ツアレの運命は碌なものにならないだろうという判断である。


「お前の牧場があるからこそ、スクロールの保有量を考えずに、ふんだんに使えるというもの。非常に素晴らしい働きだ。今後もよろしく頼む」

「ありがとうございます」

「ちなみにその家畜は潰して食料にしたりはしないのか? ナザリック内の食料事情も良くしないといけないからな」


 デミウルゴスの視線がアインズからそれ、どこか遠くを見るようなものへと変わる。それから視点がアインズへと戻ってきた。


「……肉質が悪く、食料としては不合格ラインかと。栄えあるナザリックで使用するには……」オススメできないとデミウルゴスは微笑んだ。「まぁ、死んだ家畜は潰して、他の家畜に食べさせておりますが。そのままだと食べないので、ミンチにしてですが」

「そうか……。なんとかタールだったか? タールということは山羊だよな? 山羊って肉を食べるのか?」

「雑食のようです」

「ふーん。そういうものなのか。まぁ、山羊のことなんか詳しくは知らないし、この世界の特有種かもしれないしな」


 アインズは小首をかしげ、とりあえずは納得する。


「しかしナザリックの指揮官たるデミウルゴスが、牧場経営とは非常に似合ってないな。もし面倒なことだったら、誰か回しても構わないぞ? お前にはそれ以外にやってもらわなくてはならない仕事があるのだからな」

「いえ、非常にやりがいのある仕事であり、アインズ様の下にスクロールの材料を持っていけることは喜びですから」

「そうかそうか」


 アインズは嬉しげに笑う。

 セバスは逆に内心眉を顰めた。同じナザリックで至高の方々に仕える身として、デミウルゴスの性格は熟知している。あのデミウルゴスが単なる牧場を経営するわけが無い。ならば肉を食べる山羊を飼育する牧場とは一体何か。

 それを考えた時、セバスの脳裏を鮮烈なものが走った。

 デミウルゴスが何を飼育しているのか予測がついたからだ。

 そんな場所にツアレを送り込むことが出来るだろうか。確かにツアレの身の安全はデミウルゴスは保証するだろう。しかし、彼女の精神までは保証しないだろう。


「しかし山羊も哀れなものだが、ナザリックのために働けるのだ。これ以上の幸せは無いだろうな。そうだな、デミウルゴス?」


 一瞬だけ、デミウルゴスはアインズを伺うような視線を送ってから、大きく頷く。


「まさにおっしゃるとおりです、アインズ様」

「では山羊のことはこれまでどおりデミウルゴスに任せるとしよう。山羊の生態とか知らない私よりはお前の方が上手く扱えるだろうからな」

「はい、アインズ様。……アインズ様は何もご存知無い、そういうことですね?」


 奇妙なデミウルゴスの言い方にアインズはわずかばかりに表情を動かすが、とりあえずは同意の印として大きく頷く。


「……まぁ、そういうことだ」

「畏まりました。山羊の管理は完璧にこなさせてもらいます」


 デミウルゴスの満面の笑顔。それは主人の暗黙の了解を得たという部下のものだ。

 一息ついた。

 口を挟むならばこのタイミングしかない。セバスはそう判断し、口を挟む。


「――アインズ様」

「どうした、セバス」

「ツアレですが、ナザリックで働かせようかと考えております」

「何……?」

「ツアレは食事を作ることが出来るという能力を保有しています。ナザリックでは料理が出来るのは現在、料理長と副料理長の2人のみ。今後のナザリックのことを考えると、もう少しは料理が出来る人間がいた方がよろしいかと考えます。さらに人間が働いているというテストケースを作ることも充分なメリットが考えられます。それに人間という劣った生き物でもナザリックでは働かせてもらえるというアピールは、非常に良い前例として使えるのではないでしょうか? 他にも――」

「――わかった、わかった、セバス」


 濁流のようにツアレの有効性をアピールするセバスに対し、アインズは手を上げてそれを止める。


「わかったぞ、セバス。お前の言うことは良くわかった。確かに料理を行える存在が少ないというのは考慮すべき点だと私も思っていた」

「しかし、アインズ様。彼女はナザリックに相応しい料理が作れるのでしょうか?」


 セバスは一瞬だけデミウルゴスを鋭く睨む。そんなセバスに対して、デミウルゴスは微笑をみせた。

 嫌な奴だ。

 セバスは口の中で言葉を殺す。

 アインズが許したといっても、デミウルゴスはセバスを許してはいない。だからこそ、ツアレの処分をセバスの望まない形に落とそうとしているに違いない。そうセバスは判断する。

 そして事実その考えは間違ってはいない。僅かに呆れた様にしているのはどちらかといえばセバスよりの思考回路をしているコキュートスだ。ちなみにソリュシャンはセバスも罰を受けるべきだろうと、デミウルゴスよりである。


「……そうだな。どうなんだ、セバス?」

「……ツアレが作れるのは家庭料理です。ナザリックに相応しいかといわれると……お答えするのが難しいかと」

「家庭料理ですか。ジャガイモを蒸したような食事をナザリックで出すことは無いと思いますが」


 その微笑に嘲笑を含んでデミウルゴスが言う。


「家庭料理が出来るということは、料理長に請えば他の料理もマスターできるということ。今ではなく将来を見ておくべきでしょう」

「それなら私の牧場で、料理を作るのに協力して欲しいものだね。ミンチを作るのも大変なんだよ?」

「私は――」


 騒がしい2者の会話。それをアインズは眺める。

 そして、その奥に浮かぶ光景を――。



 ◆



「で、今日は何処に行きますか?」

「炎の巨人を――」

「氷の魔竜を――」

「……ふぅ。ウルベルトさん、炎の巨人のボス、スルトのレアドロップを取りに行こうという話が前にあったのを覚えていないのですか?」

「たっちさんこそ覚えていませんね。魔竜狩りをやっていかないと特殊クラスへの転職条件が揃わない人がいるんですけど?」

「……それはそうですが、レアドロップだってやまいこさんの強化には必要なものなんですよ?」

「あ、ボクは別にいいけ……」

「原初の炎ですか? ならば原初の氷だって必要になるでしょ? なら先に魔竜狩りを」

「……課金して今ドロップ率が高くなってるんです。魔竜よりもスルトの方が標準ドロップ率低いんですから、先に片した方が良いと思ってです」

「だったら私が今度、課金しますよ?」

「……けど、ど、ど……」

「……サキュバスとかのエロ系モンスター狩りに深遠に潜るのは?」

「弟、黙れ」

「悪魔系なら7大罪の魔王討伐ぐらいしに行きたいね。結構色々と準備がいるとは思うけどさ」

「……たっちさん、我が侭言うべきじゃないと思います。今集まってるメンバーを見れば氷の魔竜を退治に行ったほうが効率が良いでしょ?」

「いや、我が侭言ってるの、ウルベルトさんですよ。だいたい私達は別に効率だけを考えてゲームをしてるわけじゃないんですから」

「魔法職最強と戦士職最強が喧嘩すんなよ……」

「あの2人は昔からああだから。私が声をかけられた時からあんな感じ」

「ピンクの肉棒に話しかけるなんて、たっちさんは偉大だよなぁ」

「……茶釜さんもペロロンチーノさんも武器構えるの止めようね? ギルマス特権使うよ?」

「7大罪の魔王ってどっかのギルドが攻略してなかった?」

「傲慢は退治されたらしい。ネットにアップされてた」

「7大罪全部倒したら、確実にワールドアイテム手に入りそうですよねー」

「ワールドアイテムといえば、無限エネルギーとかいうカロリックストーンをメインコアにした最強ゴーレムを作りましょうよ」

「ぬーぼーさん。それよりは武器の方に埋め込んだ方が良いと思いますけど?」

「個人的には鎧も悪くないと思いますけどね」

「まぁ、その辺は色々と考える必要がありますよね」

「ですねー、モモンガさん」

「カロリックストーンを何度も手に入れる方法は分かりましたけど、隠し7鉱山から取れる金属を大量に消費しますからねぇ」

「各ギルドがそれぞれを分割して管理している段階で、使ったら2度と手に入らないでしょうからね。仲良く順番にというわけには行かないでしょうしね。……『トリニティ』とかに情報売ってみたらどうです?」

「『2ch連合』にも売って、ぶつかり合わせるんですか? 流石はベルリバーさん、策士ですなぁ」

「『2ch連合』といったら、またアライアンスを組むことを計画してるみたいですよ?」

「え? そりゃなんで?」

「なんとかとかいうギルドが手に入れたワールドアイテムを強奪した所為で、向こうさんのギルドが方針を変換したためだそうですよ」

「あちゃー。でも前のように上位ギルドアライアンスは難しいでしょうね」

「――ならモモンガさんに決めてもらいますか?」

「それが良いでしょう。ギルド長どうします?」

「……え? ……え? ああ、そこで振りますか? ……全く。……ならいつもどおりあとくされ無しの多数決で決めましょうか」

「いつもどおり異存はありません」

「こっちもです」

「じゃあ、新金貨はウルベルトさん。旧金貨はたっちさんでやりましょうか。はーい、皆さん、金貨を手に持ってください。こあれから2人の説明が始まりますよー」



 ◆



「――イイ加減黙レ、アインズ様ノ前ダゾ」


 徐々に白熱し始めたセバスとデミウルゴス。その2者にコキュートスが水をかける。そんな2人を凝視しているアインズを対し、両者共に顔色を変える。感情を感じさせない視線だが、その強さは並ならぬもの。激しい叱咤が飛んでもおかしくは無いと、セバスもデミウルゴスも直感する。


「アインズ様の前で、失礼しました!」

「愚かな行為をお見せして申し訳ありません!」


 慌てて、謝罪としての深いお辞儀をアインズに向けるデミウルゴスとセバス。しかしその反応は非常に不可解なものであった。


「――あははは!」


 室内に突然、笑い声が響く。非常に楽しげな明るいものだ。それの発生源はアインズ。

 ここまで機嫌よくアインズが笑い声を上げた記憶は無く、コキュートスもデミウルゴスもセバスもソリュシャンも、全員があまりに信じられない光景に目を白黒させる。


「構わないとも許す、許すぞ! そうだ! そうやって喧嘩をしないとな、あははは」


 何がアインズの琴線に触れたのかはさっぱり不明ではあるが、セバスはとりあえずは安堵の息を誰にも気付かれないように吐く。


「あはは……ちっ、楽しさも抑制されるか……」


 突如、糸が切れたように無表情へとアインズは戻る。しかしながら今だ僅かに機嫌がよさそうにしているのはセバスの見間違えではないだろう。自ら直ぐ横の机に立てかけた、ギルド長――至高の41人のまとめ役である印たるスタッフを指で撫でつつ、アインズは朗らかにセバスに話しかける。


「さてツアレだが、良いじゃないか、家庭料理。確かに料理人は必要だろうと私も思っていた。元々ツアレに関してはセバスに任せるつもりだったのだ。お前が良いと思うこと、ナザリックに損失を出さない程度であれば何をしても構わないとも。それにだ。例え、私は疑っていなかったとはいえ」疑っていなかったというところに非常にアクセントが置かれたものの言い方でアインズはセバスに告げる。「お前を疑ったものを止めなかったのは事実だ。まずは許せ」


 アインズは言い終わると、机にくっ付くぐらいに頭を下げる。


「め! 滅相もございません! 全て私の不徳のなすところ!」

「その通りです。疑ったのは私達のミス! アインズ様が謝罪する必要はありません!」

「その通りです! セバス様を最初に疑ったのは私! アインズ様は謝罪するのではなく、私を罰してください!」


 慌てて、詰め寄りかける部下達に手を挙げ、アインズは黙らせる。それから再び自らの考えを述べた。


「その侘びとしてツアレはセバスに任せる。さて、デミウルゴス。先も言ったようにナザリックに害をなさない範疇であれば、ツアレの安全を保証するようにお前の頭を使え」

「畏まりました。帰還後、即座にツアレの話をナザリック内に伝えます。個人で行動しても危険が無いようなまで」

「よし。以上でツアレの待遇は決まりだな、それで良いな、セバス?」

「はっ!」


 セバスは90度を超えそうな勢いで頭を下げた。アインズへの忠誠心をより強く、セバスは感謝の意を示したのだ。


「さて、と。あとセバスは私に何か願い事があるのだな?」


 セバスは一瞬だけ口ごもる。それはこれ以上強請るのは、失礼に値するからではないかという思いが頭を過ぎったためだ。


 アインズがセバスに対し謝罪をしたのは、あれはツアレの待遇を良いものとするために、ワザとやってくれたものではないかとセバスは考えている。

 現在のツアレはある意味アインズからの謝罪の印としての贈り物だ。その送り物に対して何かが起こった場合、それはアインズへの無礼にも繋がりかねない。したがって、ツアレの安全性や周辺は完全に保証されているのだ。

 それほど寛大さを見せてくれる自らの主人に、これ以上のことを言うのは、優しさにつけこんだ薄汚いことなのではないだろうか。


 そんなセバスの混乱をアインズは掴んだのか、朗らかに話しかける。


「構わないともセバス。言うだけなら只だ。ほら言ってみろ」


 その主人の言葉がセバスに勇気を与え、口を開かせる。


「はっ。あの女を助けた際、他にも幾人か囚われているという話でした。もしよければその人間達を助けたいと」

「セバス。それはあまりにも虫の良い願い。あなたのその甘い考えが問題を引き起こしたのでしょう? それを考えればそのような願いは決して口には出せないと思うのですが?」


 デミウルゴスが眉を顰めた。しかしながら――


「――ん? いいんじゃないか? 何か問題があるのか?」


 そんな気楽そうなアインズの言葉を受け、デミウルゴスの瞳孔が僅かに広がる。


「……いえ、アインズ様がよろしいというのであれば、私に反対の意見なぞございません」

「いや、反対の意見の有無ではなく、問題があるかという質問なのだが……。別にそいつらがナザリックを愚弄したわけでも、私を馬鹿にしたわけでもないのだろ? さらには苦しめることで我々に利益があるわけでもない。ならば助けても良いではないか」

「……しかし、強者がその背後にいる場合がございます。セバスは色々と調べたかもしれませんが、裏にもぐった強者まで調べがついたとは思えません」


 アインズは理解に至ったのか、ああと声を上げた。


「……そうか。いるか不明とはいえ、事を構えるのも問題か。大義名分があれば問題はないかと思ったのだが……早計だったな」


 アインズの考える基本的な行動方針では、まずはナザリックの維持が第一優先だ。次に来るのがほぼ同格だがナザリックの拡大と他のプレイヤーとの戦闘行為を避けるということ。ほぼ同格というようにナザリックの拡大が少しばかり上で設定されている。

 ナザリックの拡大に関係の無いような問題で、厄介ごとを被りたくはない。

 アインズはそう考え、セバスの意見を却下しようかと決める。そしてセバスへと視線を動かした時、セバスとデミウルゴスの2人を視界に入れたとき、考えは変わった。


「――助けることを許可しよう」


 ざわりと室内の空気が動く。先のアインズの発言は深く考えないで述べた言葉であり、今度のは考えた上での言葉である。両者の重みは圧倒的なまでに違う。

 ではアインズがその考えを決定する要因とは何か。その答えがこの場にいるセバス、デミウルゴス、コキュートス、そしてソリュシャン。誰の頭にも浮かばなかったからだ。

 主人がどのように判断したのか、それを言葉にされる前に察知するのが良き、かつ優秀な部下だ。それが出来なかったため動揺が空気を揺らがしたのだ。


 忠誠尽くすべき主人の考えを理解できず悔しいという思い、そして無能な自らを恥じる思い。

 そういったものを宿した部下たちを前に、アインズは無視するように己の考えを告げる。


「困っている人を助けるのは当たり前――だからな」


 まるで誰かが言った言葉をそのままなぞる様なアインズの発言に、その場にいた全員が目を白黒させる。あまりにも自らの主人が言うのは相応しくないような言葉に思えたからだ。

 今までの行為、全てをひっくり返すような言葉だ。


 アインズという存在がどのような者か。

 各員少しづつの違いはあるものの、おおよそ共通の認識として、絶対者という言葉が上げられる。

 その他にはナザリックを作り出した至高の41人の1人であり、そのまとめ役。最後までこの地に残った、ナザリック大地下墳墓の住人全てが絶対の忠誠を捧げるべき相手。

 英知に富み、先を見通し、部下の失態を寛大な心で許し、働きに対して膨大な褒美を与えるだけの太っ腹なところを持つ。それに対してはナザリックの外に対しては冷酷で計算高く、利益を考えた上で行動する、そんな存在だと。


 そんな存在が、困っている人がいたら助けるのが当たり前だいう発言をするとは――まさにポカーンである。


 特に驚いたのはデミウルゴスだ。

 先の牧場での会話で、アインズは一体どういう生き物を飼っているかを理解したうえで、暗黙の了解を示したとデミウルゴスは判断したのだ。それがもしかしたら違うかもしれないというのだから。


 空気の変質はアインズにも伝わる。



 やばい。何かミスった。

 守護者やソリュシャンの呆気に取られたような表情を見て、アインズは自らの失態を悟る。

 昔を思い出し、そしてある人物が言った台詞。それを口にしたのだが、何が悪いのか不明だがミスったことは事実だ。これによってのカリスマ――支配力の低下をアインズは危惧する。


 確かにアインズは強い。一対一で戦えば、守護者が相手でも敗北はありえないだろう。

 ただ、それはゲームだった頃の話だ。実際の戦闘はそう上手くいくものではない。それは侵入者たちと魔法を封じて戦った時に良くわかった答えだ。圧倒的な肉体能力を持ち、レベル的な面で考えても強者であったアインズが、遥かに劣る冒険者4人に押されていたのだから。本気での戦い、命の奪い合いという経験値の不足しているアインズでは、もしかすると格下相手でも負ける可能性は充分にあるのだ。


 だからこそ、自分を守る強大な鎧であるナザリック大地下墳墓。そこへの支配力の低下というのはアインズにとっては恐ろしい状態なのだ。

 無論、所詮は単なる一般人であるアインズ自身としては、自らにカリスマなんか無いのは重々承知している。しかし、それでも今まで上手くやれてきていたような気がしているのだ。失うには惜しすぎる。

 そんな思いから、アインズは必死に思考を回転させ、偉そうな存在が言いそうな台詞を考える。


 ――これだ!


 アインズは浮かんだ考えを慌てないよう、偉そうに口にする。


「アインズ・ウール・ゴウンが、いるかどうか分からない強者に怯えるというのはこれ以上無い愚かな行為ではないか? ナザリックにおいて不敗を誇る我々が」


 その場にいる守護者たちの表情を伺いたくなる気持ちをぐっと堪えて、アインズはどうどうとしている演技を行う。もし心臓があれば、緊張感からバクバクと激しく鼓動を繰り返しただろう。



 デミウルゴスが、セバスが、コキュートスが、ソリュシャンが、僅かに目を見開く。先の言葉に比べると遥かに理解できたためだ。

 そして深い説得力がそこにはあった。

 アインズ・ウール・ゴウン。至高の41人によって作り出された最高の存在が、存在すら不確かなものに怯え、震えるのは愚かだ。確かに強者はいるのかもしれない。しかし、守護者が敗北を喫したのはたった1度。守護者クラス1500人という圧倒的多数で攻められた時のみだ。そしてその時も至高の存在によって撃退された。つまり守護者は敗北したが、至高の41人の支配するナザリックは不敗であるといっても良い。

 アインズ・ウール・ゴウンは強者だ。

 警戒は必要、だからといって影に怯える必要も無い。そして本当にいたとしても、下から出る必要だって無い。


「昔言ったように敵意を無理に買う必要は無いが、困っていたものを助けるという名目ならば、正義は我々の上にある。もし何か言ってきたならば、見せ付けてやろうじゃないか、我らの強大さを」

「つまりはもし強者が裏にいる可能性を考え、我々の強さを見せ付ける手段として、弱者救済の皮を被るということですね」

「ん? ……そういう……ことだな?」

「畏まりました」


 代表しデミウルゴスが口を開き、そして全員が一斉にアインズに頭を垂れる。


「ではこの都市1つを巻き込んだ、力の行使を――」

「よせ!」慌ててアインズはデミウルゴスを止める。「情報をわざわざ流す必要は無い。もし強者がいれば慌てて調べだすだろう。そうすれば逆に相手の情報も入手しやすくなるというものだ。我々は静かに行動するだけでよい」

「まさにおっしゃるとおりです。アインズ様の深謀遠慮には感服いたしました。流石は私達の支配者であられるお方。その英知、私の及ぶところではありません」


 デミウルゴスが満面の笑みを浮かべて、アインズに同意する。

 海底に身を潜めた魚を目視で発見することは困難だが、その魚が餌を求めて上まで浮上してくれば、視認も容易となる。


「流石ハアインズ様」

「困っている人を助けるのは当然だとか……そこまでお考えの言葉だとは思いませんでした」

「全くです」

「え? ……そ、そうか? う、うむ、そんなわけだ。な、納得したようだな? ではその辺はセバスに任せ、我々は撤退をしよう。とりあえずはこの館内を綺麗に掃除し、変な情報を残さないようにしないとな。そうだよな、デミウルゴス?」

「まさに」

「そういうわけだ、セバス」

「畏まりました」僅かばかり慌てたようなアインズに、セバスは深く頭を下げる。自らの願いを叶えてくれた主人に対する、深い感謝の気持ちを込めたものだ。「……ところで中にいる人間は皆殺しにすべきでしょうか?」

「ん? ん……別にそこまでする必要は無いだろう。こちらから率先して情報を流す必要は無いが、完全に流れないようにしても意味が無い。幾人かの命はあったほうが良いだろうな。臨機応変に任せる。ただ、ナザリックに来たいと要望する人間以外のものを連れては来るなよ?」


 誘拐ではなく、自由意志による行為だ。そんな建前を作るための狙いだろう。

 それに対してはセバスも理解できる。そのため即座に返答した。


「畏まりました」

「……しかし、やはりそういうところなんだから女だろうな?」

「だと思われます」

「……女、これ以上増やして価値あるのか? 個人的には肉体労働とかさせることを考えると男の方が嬉しいんだが……。女なんかがこれ以上増えることに必要性を感じないのだが……」


 そういわれてもセバスに言葉は無い。無論、アインズも実際返答が聞きたくて、セバスにこぼしたわけでは無い。直ぐにアインズの中で何らかの答えが出たのか、肩を竦めた。


「まぁ、良いか。では行動を開始しよう」


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