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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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王都-10


 1人の男がラナーの前に姿を見せた。後ろにクライムを引き連れて。

 金髪を完全にオールバックで固め、切れ長の碧眼は冷たい光を放っていた。顔色は光に当たっていない人間特有の不健康な白。長身痩躯と相まって蛇のような感じのする男だ。

 年齢は40代になってないのだろうが、不健康な白さがやけに歳を取っているようにみせた。


 身嗜みは完璧としか言う言葉が無い。何か特別な獣――恐らくはモンスターに属するもの――の毛で作られたのだろう金糸の入ったダブレット。前ボタンや衿周りの装飾は非常に凝っており、光の反射する様を考えるならボタンには小粒の宝石が埋め込まれているのだろう。

 細い立て衿が首を取り巻き、ヒラヒラの純白のシュミーズが首を包み隠している。謁見にも使える最高級の服を、見事に着こなしている様は、まさに王国の6大貴族の1人に相応しい姿だった。


 男は室内に入ると、非常に品良く頭を下げる。


「お呼びになられたと、ラナー殿下」

「はい。良く来てくれました、レェブン侯。頭を上げてください」


 イスに座ったまま、ラナーは答える。

 顔を上げたレェブン候の顔には薄い笑いが貼り付けたようにあった。それはどちらかといえば陰湿なものではあるのだが、何故かこの男には非常に似合っており、薄気味悪いという以上の印象を与えない。


「どうぞ、こちらに」

「はい」


 レェブン候は室内に入り、ラナーの元まで近寄る。


「しかしこのような遅い時間に一体何事でしょうか? 殿下がお呼びともなればいつ如何なる時でも馳せ参じる気持ちではありますが」

「ありがとうございます。王国最高の知者たるレェブン侯にそう言ってもらえ、これ以上の安堵できる返事はありません」

「滅相もございません。それに王国最高の知者は私ではなく、私の前にいらっしゃる方です」


 2人は互いに慎み深く笑いあう。そしてラナーの視線が動く。


「クライム。あなたは隣の部屋に」

「畏まりました。ラナー様」


 部屋の入り口脇で不動の姿勢をとっていたクライムは、1つ頭を下げると部屋の外へと出て行く。隣の部屋、控えの間に移動したのだ。


「さて、レェブン候。どうぞ、おかけください」

「これは恐縮です」


 レェブン候はラナーに指差されたイスに腰を下ろす。ラナーはグラスに水を注ぎ、レェブン候に差し出す。


「どうぞ?」

「これはお手自らとは」


 レェブン候はそれを取ると口に含む。


「クッツの果実水ですね。非常に美味です」

「それは良かったです。これよりはツィルの果実水の方がお好きかとも思ったのですが」

「いえいえ。ツィルの果実水はこの年だと、少々甘みが強く感じて、どうも口に中に残ってしまうんです。その点、クッツの果実水の酸味はちょうど良いですね」

「そうですか。では次回もクッツの果実水をご用意しておきますね」

「それはありがとうございます。ですが、次回は私のほうから何かご用意しましょう」

「それはレェブン候に悪いですわ。こちらがお呼びしたんですから」

「いえいえ。殿下のような美しい方への贈り物をしてそれを受け取ってもらえるというのは、男にとっても嬉しいものです」


 そして一拍の空白の時間が開いた。レェブン候は細い目でラナーを観察し、ラナーはどこから話せばよいのかと考えて。

 そして最初に口火を切ったのは、当然ラナーである。


「……あなたの知恵をお借りしたいのです」


 単刀直入だ。駆け引きが殆ど無い言葉に、レェブン候の少しばかり切れ長の目が開き、驚きの色を湛える。しかしながらすぐさま平静を取り戻し、その色は隠された。


「私に知恵ですか……殿下に分からぬ問題があったとは……。それに答えられる自信がありませんな」

「大丈夫だと思います。宮廷のそういうことにはレェブン候の右に出るものはいないと思っておりますので」

「……ほう」


 微かに驚きの声をレェブン候は上げる。


 ラナーという人物は人間関係の上手いやり取りが非常に苦手な人間だというのが、レェブン候の知っていることだ。そして権力闘争においてもラナーは係わったことがほとんど無い。

 では今の発言『宮廷のそういうこと』というのは一体何を指しての言葉か。

 もし権力闘争等の暗い話であった場合、一体どこからその情報を入手しているのか。

 クライムという線はほぼ消える。それは自らの兵士の中でも選りすぐりの者に時折監視させているためだ。どこかの貴族が擦り寄ったという話は聞かない。

 では『蒼の薔薇』の一行か。それもまた消えるだろう。リーダーのラキュースは親しいだろうが、あまり貴族社会に関係を持とうとしないタイプだ。深い部分まで知っているはずが無い。


 では2つの派閥を彷徨ったために蝙蝠と呼ばれるようになったからだろうか? 蝙蝠だから自分の方に飛んでくるかもという考えか?

 そこまでをレェブン候は考え、のんびりと微笑む。情報が少ない中、予測を立てすぎると変な方向に行ってしまうのは自明の理。もう少し情報を集めてからでも構わないだろうと判断して。


「とりあえずはどのようなことお聞きしたのでしょか?」

「王派閥の影の支配者、というより王派閥を影で纏めている方としてイズエルク伯をどうにかすることは出来ませんか?」

「……は?!」


 爆弾が突如目の前に投じられた、そんな顔をレェブン候はした。もしこの場にいれば誰もが驚くだろう。レェブン候という人物は、通常それほど大きく表情を変えないのだから。

 ラナーは更に説明が必要なのかと、レェブン候の驚きを完全に無視して、のんびりと話を続ける。


「……いえ、本来であれば王派閥、他の2人の大貴族のどちらかに話を聞くべきかもしれませんが、ブルムラシュー候は帝国に情報を流してますよね? そうなると……」

「少し待っていただきたい!」


 細い目を大きく見開き、レェブン候は僅かに掠れた声を上げる。


「ブルムラシュー候が……」

「ご存知でしょ? だからブルムラシュー候の元には、重要な情報は多く集まらないようにされてるんじゃないんですか?」

「…………!」


 レェブン候は絶句し、ラナーを見つめる。

 ラナーは先ほどと全然変わらない穏やかな表情で、違ったかしらとか呟いている。


「あ、なたは……」


 殿下という言葉を忘れるほど、レェブン候は驚愕していた。

 ラナーの言っていることは間違っていない。6大貴族の1人で、王派閥の大貴族ブルムラシュー候が王国を裏切っているのはレェブン候のみが知る事実である。そしてそんな彼を潰せないのは、彼を処分してしまうと派閥間の均衡が崩れてしまうためだ。

 そのためレェブン候が必死になって貴族派閥に知られないよう上手く誤魔化しつつ、帝国に重要な情報が流れないようにしているのだ。そう今までは完璧に行ってこれたはずだ。

 ではこの場所から全くでないラナーという人物はどうやって情報を得たのか。自らの作った情報封鎖が緩んでいるのか。


「どうやってそこまで……」

「少しは話を聞けば分かりますよ? メイド達とも時折話をしますし」


 メイドの話なんか、どれほどの信憑性があるというのか。確かにここで働くメイドはどこかの貴族の娘であろう。そして家を気に入られようと話をするというのは充分考えられる。しかしそうやってラナーに流される情報のどれほどが真実か。しかし、それだって……。

 ありえないという思いがレェブン候の心中を支配する。

 しかしながら、ラナーの言っていることは――メイドとかの話等からの推測は――事実なのだろうとレェブン候の優秀な頭脳は納得もする。

 目の前の女性は無数のゴミから、綺麗な部分だけを選りすぐって、宝石の嵌ったネックレスを自作したのだと。

 故に――


「――ばけものか」


 ラナーという女性に相応しい評価が小さく漏れ出た。

 充分に聞こえているだろうに、ラナーは微笑むだけで無礼を嗜めるようなことはしない。レェブン候は先ほどまでの自らの考えを破棄する。

 これは対等に相手をするに相応しい相手だと。そして過去の記憶は真実だったと。


「――畏まりました。襟懐を開かせていただきます。ただ、その前に本当のラナー殿下とお話をしたいのですが?」

「本当というのは?」


 不思議そうに、そしてある意味無邪気そうにラナーは聞き返す。


「昔ある少女を見たことがあります。私の理解できないような高度な洞察から、計り知れない価値のある言葉を述べていた少女です。無論、私がその言葉に価値があると思ったのはかなり後のことですが」静まり返った室内にレェブン候の独白が響く「……ただ、私は当時はその少女の瞳を見て、価値が無いなと思ったのを覚えています」

「価値が……無いですか?」


 ラナーが静かに尋ねる。


「はい。世界に対し何とも思ってない。全てを軽蔑している人間がしそうな空虚な瞳をしていたものですから」


 室内の一変し、冷たくなった空気から身を守るようにレェブン候は肩をすくめた。


「ただ、それからしばらくして再びあったときの少女の瞳はまるで変わっていたのを覚えています。私はね、殿下。お聞きしたいのですよ、上手く誤魔化されているのか。それとも変わったのかを」


 両者の瞳はぶつかり合う。しかし火花を散らすようなことは無い。どちらかといえば2匹の蛇が絡みつくような陰湿な争いだ。

 そして突如、ラナーの瞳の奥がどろりと濁る。

 その瞳に宿る色の変化を目視し、レェブン侯は懐かしいものを見たと薄い笑いを浮かべる。


「やはりですな、ラナー殿下。その瞳、昔見たものにそっくりです。あれから演技をされていたわけですか」

「違うわ、レェブン候。演技をしていたわけではないわ。あなたが見た時の私は満たされたのよ」

「……殿下の兵士、クライム……君ですか?」

「そう、私のクライムのおかげだわ」

「ほう。あの少年に殿下を変えるほどのものがあったとは……。汚らしい子供にしか思えませんでしたが……ふむ、殿下にとっての彼とはどんな存在なのですかな?」

「クライムですか……?」


 すっとラナーの視線が中空をさ迷う。それはクライムという人物がどれほどの価値があるのか。それを表現するにはどんな言葉が妥当かを考えてだ。




 ラナー・ティエール・シャルドロン・ランツ・ヴァイセルフ。

 彼女という存在を一言で表現するなら『黄金』である。それはその輝かしいまでの美貌から来る言葉だ。しかしながら、そんな美貌すら霞む、1つの才能を持っているということを知る者は少ない。

 彼女が持つ才覚とは、内政の天才というべきものである。


 その才能はまさに神がもたらしたものとしかいえないようなものであった。閃きによって成り立っているようにも思われる彼女の考えは、無数の情報の欠片から、とてつもない洞察によって考察されたものなのだ。

 恐らくはこの大陸を見渡しても、彼女に匹敵する才能を持つ人物はいないだろう。

 唯一匹敵する存在といえば人間以外の存在である。ただ、それでも少ない。人という種を超える存在達であってすら、彼女に匹敵する存在は極少なのだ。

 ナザリックでは有効活用されてはいないとはいえ、悪魔的叡智の持ち主であり、軍略、内政、外政――国家作用すべてに関して極限までの才能を持つ、守護者統括であるデミウルゴスを持ってして、ほぼ五分といえばその桁の狂いっぷりが理解できるだろうか。

 人間は自らの視点で物事を考える。そういう意味では奇人や変人というレッテル張りこそ、彼女の天才さを表現するに、単なる一般人である凡人が下す評価としては正しいのかもしれない。 

 つまりはラナーはそれほどの天才なのだ。


 ただ、彼女には1つの欠点があった。それは人の考えが理解できないということだ。

 単純に彼女は自分が理解できることが、何故、即座に他の人間は理解できないか、それが分からなかったのだ。そして同じように彼女に匹敵するだけの才覚を持つ人間は無く、彼女の言葉の真意を掴み取れるものはいなかった。それは結果として彼女の発言は誰にも理解できないということに繋がる。

 天才が故の孤独といえば通りは良いかもしれない。


 もしここに彼女と同格の存在がいれば、彼女の天稟を悟れただろう。そうすればその結果は違ったはずだ。

 しかしながらそうはならなかった。

 結果としてあったのは幼い少女が理解不明なことを言うという、気持ち悪いまたは薄気味悪いという評判だった。ラナーは非常に可愛い少女でもあったため、嫌悪されることは少なく、愛はある程度与えられた。しかしながら自分の言ってる意味を誰も理解してくれないというのは、少女の精神育成に多大な負担をかけ、ゆっくりと時間をかけて少女は歪んでいった。

 いや歪みかけた。


 子犬がいなければそうなっただろう。


 それは本当に気まぐれだ。ある雨の日、少女は死にかけていた子犬を拾った。その日が無ければ、もしかするとここには1人の魔王が生まれたかもしれなかった。人の気持ちを理解できず、数字でしかものを見ることが出来ない、大多数の人間を満たす魔王が。


 拾われた子犬は、飼い主である彼女に1つの目を向けた。

 重い目だ。そう彼女は思った。

 無邪気に尊敬を向ける目。

 人の考えが理解できない彼女が、それでも重いと感じてしまうほどの、誰もが理解できるような考え――心の篭った目。


 人の考えが理解できない彼女にとって、その瞳は嫌悪であり、驚愕であり、愉悦であり、感動であり、そして――人間だった。


 そう、彼女は自分と同じ人間をそこに見出したのだ。無論、それは才能という意味ではない。劣る者に教師が熱心に教えるがごとき――そういった対応を彼女は子犬に対してのみ覚えたのだ。


 少女の拾った子犬は、やがて彼女の心の中で少年になり、そして男となった。

 子犬の時も、少年の時も、男となった時も、その瞳は彼女を眩しく純粋な瞳で射抜く。


 でも、それはもはや苦ではない。

 その瞳があったから、彼女は幾分か普通に人として他人と会話ができるのだ。酷く劣った生物を相手にできるのだ。




「クライム……そうですね。この糞ったれな王国なんかどうでも良いから、クライムと結ばれれば……うーん。ついでにクライムを鎖で繋いで、どこにも行かないように飼えればもっと幸せかもしれません」


 室内の空気が凍る。流石のレェブン候も驚愕の表情を浮かべた。

 王国で最も美しいといわれる女性の、子供っぽく甘い発言が当然のように飛び出ると思ったからだ。いや、本当のラナーが姿をみせたことを考えれば、そこまで甘ったるいものではないかもしれないが、それでもそっち系の話が出るかと思っていたのだ。

 今聞かされた言葉はレェブン候の想像からしてもあまりに突拍子もなさすぎる。そのためにフリーズしたのだ。しかしながら直ぐに再起動する。もしかしてこちらをからかっているのではないかと判断したためだ。


「飼えばよいではないですか。殿下のすることに……いや、難しいですな。協力者がいないと」

「そうですね。王女という外見を維持するとなるとそのようなことは難しいでしょう。……それに無理矢理にこちらを見てもらっても仕方が無いのです。あの目のまま、鎖で完全に縛り付けて、犬のように飼ってみたいと思うのです」


 他人の性癖を聞かされて喜ぶ人間はそうはいない。レェブン候はラナーという女性の心中に触れ、できれば数歩下がりたい気分だった。


「犬……飼うとか……つまりは愛していないということですか?」


 何を言ってるんだ、と馬鹿を見るような目でラナーはレェブン候を見つめる。


「愛してますよ? ただ、あの目が凄く好きなんです。犬のように纏わり付いてくる姿が好きなのです。この頃、なんか奇妙に聞き訳がよくなってしまって……つまらないんでしょうね」

「申し訳ありません、少々理解できない話でして」

「理解してもらいたいとは思いません。私が彼を好きだと、愛しているとわかってもらえればそれで良いのです」


 おかしい。

 レェブン候は頭を振りたい気持ちで一杯だった。

 凄い――王女が単なる兵士を愛しているという爆弾発言を、場合によっては国が揺らぐような話を聞いているはずなのに、それ以上のとてつもないことを聞かされている気がする。


「まぁ、性癖というのは……」

「性癖ではなく純粋な愛なのですが」


 訂正するようにレェブン候の意見を遮るラナーに、そんなわけないだろと突っ込みを入れたくなる気持ちをぐっと押さえ込む。

 常人であれば思わず突っ込んだであろう。それを耐えるのだから、流石は大貴族として権力闘争を掻い潜ってきた人物であった。


「まぁ、愛ですね……ええ。ただ、現在の段階ではクライム……殿と結ばれるのは――」

「難しいでしょうね。それは充分に理解してますよ。状況から考えると非常に困難だと。全部の権力が私の手の中に集中している状況であれば問題なく出来たでしょうけど、現在の王国の状況ではどのような手段を投じても不可能でしょうね」


 ラナーのどろりとした瞳に苛ついたものが浮かんだ。絶対にクライムの前では浮かべそうも無い、そんな表情も一緒に。


「殿下なら国を取れるでしょうに」

「無理ね。私はクライム以外の人間がなんで考えていることについて来れないのかが理解できないのです。つまりはクライム以外の人の気持ちが分からないんですよ」


 なるほどと、レェブン候は納得する。

 つまりはラナーを懐に収めるにはクライムと結ばせる協力をすれば良い。そうすれば強大な味方の誕生だ。

 レェブン候は今回呼ばれたことを感謝する。


「とりあえず、わが子と婚姻を結ぶというのはどうでしょう?」


 ピクリと額を悪い意味で動かしたラナーを差し止めるように、レェブン候は手を上げる。


「わが子と婚姻を結び、殿下はクライム君と子をなせばよい。わが子の跡継ぎは子供の最も愛した女性との間の子――私からは孫ですか、にすれば良い。そして申し訳ないが、殿下が母親というふうに偽装してもらう」

「なるほど。偽装結婚で血を入れるということですね」

「はい。そうすれば殿下は愛した男との間に子をなせ、わが家は偽装ですが王族の血を引き入れることが出来る。両者の得にはなっているかと思いますが?」

「非常に素晴らしい。王派閥の重鎮たるあなたが言えば、父も無下には出来ないでしょうし」


 素晴らしいのか。レェブン候は脱力を覚える。

 なんというか、ラナーという人物の評価を上げてよいのか、下げてよいのか見当がつかない。言えることは通常の女の子、女の子した姿は真っ赤な偽者ということだ。

 女が男の前で偽装することは良く知っている。いうなら化粧も上手い人間がやれば変装と同じ領域なのだから。


「ご子息は今お幾つでしたか?」

「5歳になりました」

「では可愛い――」

「そのとぉおりです!」


 細い目が大きく見開かれ、レェブン候が声を張り上げる。突如上がった大声にびくりとラナーが体を震わす。


「あ、……ゴホン。失礼しました」

「あ、いえ……」


 ラナーとレェブン候の2人は互いに顔を見合わせ、それから僅かにそらす。


「さて話が反れてしまったようですね」

「ですが、非常に実りのある脱線でしたが」


 それは両者ともそう思う感想だ。互いに大きなメリットのある話だ。レェブン候は王家の血を入れ、ラナーは愛する男と結ばれる。


「そうですね。ただ、レェブン候をお呼びしたのはある理由があってです」

「確か、イズエルク伯をどうにかすること……だとか?」

「はい。その通りです」


 ラナーはレェブン候にイズエルク伯の店の話を始める。それを黙って聞いていたレェブン候は大きく頷いた。そしてラナーより渡された紙に目を通し、再び大きく頷いた。


「理解いたしました。そう珍しい話ではありませんが……つまりは娼館を潰して、その中で囚われている人々を救いたいということですね」


 この娼館を潰したところで意味は殆ど無く、ある程度威圧をかけるだけにしか過ぎない。喉元を過ぎればこのような娼館はまたどこかの貴族が経営するだろう。それをいちいち潰していくつもりなのか。

 レェブン候はそんなことを思いながら、とりあえず今回はラナーの願いを叶えるよう行動することを決心する。

 自らの息子との婚姻に関して好意的に考えてもらっているのだから、もっとパイプを太いものとして、完全に味方に引き込みたいためだ。


「今回問題になるのは伯爵が王派閥ということでしょうか。王に忠誠を尽くしているのではなく、利益を考えての行為ではありますが」

「なら父からの命令で、権力を使えばその問題は解決するのではないのですか?」

「逆です。伯は権力的にはさほどですが、兵力的にはそこそこある人間です。幾つものコネクションを持ち、トータルとして発言力はそこそこ高い人物です。そんな人物を排斥しかねない行動は派閥にヒビを入れます。ですので権力という方面からその店を切り崩す行為は避けた方が良いでしょう」

「つまり?」


 ラナーは不思議そうに尋ねた。人の気持ちが分からないラナーからすると、自分の損失となるイズエルク伯から他の貴族が手を引かないメリットが不明なのだ。

 デメリットしかないではないかと言いたげな顔をしている。

 それを見てレェブン候は僅かに背筋を冷たいものが流れるのを感じた。


 ラナーは人間の気持ちが分からない。それはつまりはどれだけ友人としての関係を作ったと思っていても、彼女自身はなんとも思ってないということだ。つまりはどれだけ友好を深めたとしても、デメリットがメリットを上回ると判断した時点で切り捨てられる。

 信義や恩義、友情、愛情、貸し借り。そういったものは彼女には通用しない。

 ならばラナーという女性を上手く縛り付ける手段は1つ。


 クライムを懐に収めることだ。

 だが、ここで問題が出てくる。それはクライムを懐に収めようとすると、それは確実にラナーの知るところなり、下手すると厄介な敵を作ってしまうということ。

 そこまで考えたレェブン候は笑う。

 だが、しかし、そんな危険な爆弾だからこそ、懐に収める価値があるというもの。

 とりあえずはここではラナーに恩義を売るのではなく、クライムに恩義を売ったと考えるべきだろう。


「……何か邪悪な笑みを浮かべられていますね」

「そうでしたか? イズエルク伯の力を削いだ後の考えてしまったもので」

「そうですか」


 ラナーが無邪気に微笑む。黄金という言葉がまさに相応しい。そう思ってしまうほどの輝かしい微笑だ。

 ただ、今のレェブン候からしたら、何を考えているという疑ってしまうものなのだが。


「さて、権力を使って強制的に店との関係を切らせるのではなく、伯のほうを上手く誘導して切らせてみせましょう」

「可能なのですか?」

「勿論ですとも。彼には幾つか貸しもありますし、そしてある程度は友好があります。そして何より貴族派閥の人間に知られ、情報を奪いに行動しつつあるという話を流します。一応、そんな娼館が存在しているのは、法律の面からすれば危険ギリギリの行為です。ですので関与があるということを知られれば、下手すれば失脚にも繋がりかねません。そのように私が色々と吹き込んでしまえば、潰してくれたことを逆に感謝してくれるでしょうね」

「では関係が切れた後、店の方はどうされるんですか?」

「そちらは潰してしまいましょう。貴族派閥の人間に情報を持っていかれる前に掃討したという名目で」

「手段はどのようにですか? 候の兵士を動員して行うのですか?」

「いえ、冒険者を使います。兵士を集めて使っても良いですが、その場合はある程度の人数が必要になります。王都内で下手に兵士を大きく動かすと目立ちすぎますし。その結果、情報が大きくもれると考えられます。そうやって貴族派閥の人間に調査という名目で口を出されると厄介ですので」

「一騎当千の冒険者で、情報が漏れるのを少なくするわけですね」

「そうです。殿下には個人的に友好関係の深い冒険者たちがいましたね」


 頷くラナー。


「その彼らに、さらに私の子飼いの冒険者パーティーを動員します」

「それで順繰りに潰して回る?」

「いえ、短期に潰してしまわないと厄介です。もしかすると貴族派閥の者が兵士を動員して情報を奪おうと来るかもしれません。都市の治安維持とか名目立てされると引かざるを得なくなりますし」


 店の中に変な情報があった場合、非常に厄介な問題になる。そのため突撃し、即座にあらゆる資料を奪う必要がある。


「問題は時間が少なく、店が4つあるということです」

「蒼の薔薇のメンバーに2手に分かれてもらうとして、私の子飼いが1つ。どう考えても1つ手が足りません」

「仕方ないですから、それは諦めましょうか? それとも他の冒険者を雇いますか?」

「冒険者を雇うとなると、色々と面倒です。金ですべてこなしてくれるワーカーを雇いたいところですが、今回の件は出来る限り情報の漏洩を避けたい仕事。出来れば殿下の蒼の薔薇と、私の子飼いだけで終わりにしたいですね。……見捨てるべきでしょうし、見捨てるとしたら最後の最悪の店でしょうね。その店に重要な情報等があるとは思えません」


 そこで少しばかりラナーが考え込むような素振りを見せる。


「どうかいたしましたか?」

「クライムが……それを望まない……。でも危険……」


 その短い呟きだけで、ラナーが何を考えているかは充分理解できる。


「クライム君は皆を助けたいと思ってるのですか? 子供ですね」


 そして苦笑いをレェブン候は浮かべた。

 実際、最後に回された店で働かされている人間を助けられる可能性は低い。まず回復魔法をかける費用、次にかけたとしても回復させることの出来ない人間だっているだろう。それに助けた後、如何するのかという問題だって出てくる。

 それが分からず、只助けたいと思ってるだけだとしたら、子供としかいえないだろう。


「ですけど、だからこそのクライムなんですが」


 にっこりとラナーは笑う。そこで初めてレェブン候は、ラナーが美しい女性だと知ったように目を細めた。今、ラナーの浮かべた表情に嫌なものはなかった。純粋に惚れた男を自慢する女のものだったからだ。


「ではしょうがありません。クライム君には最後の店の近くにいてもらって、どこかの店を攻略し終わったメンバーと共に潜入してもらいましょう」

「他のメンバーと共に他の店の襲撃メンバーに入ってもらうのはどうですか?」

「それも悪くはありませんが、怪我を負う可能性もあります――」

「――それが良いですね。クライムには見張り番をやってもらって、襲撃を終えたメンバーと共に最後の店を襲ってもらいましょう」

「しかし……正直、何故、その娼館を潰そうというので? メリットがあまりにも無いことは理解されていると思うのですが?」


 不思議そうなレェブン候にラナーはそんなことかと笑う。


「クライムがそれを望んでいるからです」

「と言いますと?」

「クライムの思うラナーと言う女性像を演じていると言うだけですよ」

「……演技で捕まえると大変ですよ? 男とはそんなものじゃないと思いますが……」


 妻と子を持つ身としてのレェブン候の言葉には重みがあった。だが、ラナーにはそれは分からない。言葉どおりの意味でしか。


「そうですか? まぁ、完全に鎖で縛るまでの我慢ですし、別に全部が演技と言うわけでもないですから。単純にクライムが思ってることをやってあげたいと言う気持ちだけですから」

「それならよろしいのですが……」


 よろしいのか? そんな疑問を抱きつつ、あんまり納得はしていないが、愛の形は人それぞれだと無理矢理にレェブン候は納得する。


「では時間も無いことですし、早急に動きましょう。恐らくは王女の下に私が行ったということは既に情報として流れつつあるはずです。この機を逃せば監視が厳しくなることは確実ですので」

「レェブン候にはご迷惑をおかけします」

「何。我が子の――偽りの妻のためとあらば、この程度のご協力はなんでもないというもの。私は早急に冒険者を動かすのと同時に、伯爵の下に行こうと思っております」

「1時間後に行動開始ということ問題はないですか?」

「私の方は冒険者の予定も空いておりますし、問題はございません。ですが殿下の方は?」

「私の方も問題ありません。蒼の薔薇の予定は先ほど聞いておりますので」

「では動くとしましょう」

「そうしましょうか。隣の部屋にクライムと蒼の薔薇のリーダーのラキュースがいます。彼らにも説明をしてもらえますか」

「畏まりました、殿下」


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