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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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王都-7


 王都の大通りをクライムは歩く。人ごみに混じると、外見的な特徴では、さほど目を引くところが無いクライムは、完全に溶け込んでしまう。

 街中に出るに当たって、流石に白のプレートメイルは目立つということのため、脱いでいる。特殊な錬金術アイテムを使えば鎧の色を変えられるとはいえ、流石にそこまでして着用しようとは思わない。大体、街中を歩くのにフルプレートメイルで武装してというのは行き過ぎだろう。

 そんなクライムは装備を軽いものとしている。そのため多少目を引くものといえば、服の下のチェインシャツと腰に下げた単なるロングソードぐらいか。

 これぐらいの武装なら通りを歩く人間でも、時折見かけるもの。歩いている人ごみが割れたりするほどの重武装ではない。


 現在のクライムの格好は正しい反面、間違ってもいる。

 兵士であるなら兵士らしい格好があるし、ラナー直下の兵士としての行動なら与えられた純白のフルプレートメイルを着るべきだろう。勿論、クライムにも言い分はある。今回は兵士としての仕事でもないし、ラナーより与えられた大切なフルプレートメイルをラナーを守るという任務の以外に使いたくないという考えだ。そして何より、目立ち過ぎたくないというちょっとばかりの羞恥心もあった。

 ただ、そんな風に考えるのもクライムが兵士であり、冒険者では無いからだ。


 冒険者であれば目立つ格好をするというのは、さほど変な行為ではない。無論、隠密行動を取る必要があるときなどの例外は除いてだ。冒険者にとって目立つ格好というのは、ある意味自分達の宣伝に繋がる。そのため奇抜な格好を取ることで、強い印象を残し、噂を高めていくことで名を売って行くという者もいる。

 これを恥ずかしい行為だと思うような冒険者は、逆に愚かと判断されるだろう。しかし例外というものはどこにでもいるもので、クライムが今から会いに行く『蒼の薔薇』の一行ほどのレベルであれば、その必要なんかはまるで無い。

 彼らクラスになれば、歩いた後がそのまま噂の対象であり、敬服の道が出来るからだ。


 やがて道の横手に1つの冒険者の宿が見えてきた。敷地全体を使って建物を建てるのでは無く、宿屋である建物、馬小屋、そして剣を振るえるだろう庭というふうに、広い敷地を贅沢に使った宿屋だ。

 宿屋部分も外からも分かるぐらい綺麗な建物であり、部屋だろう場所の窓には透き通ったガラスがはめ込まれていた。


 最高級の宿屋であり、腕に自信があり、かなり高額の滞在費を払える冒険者が集まる場所だ。

 クライムはその宿屋の扉を開ける。

 1階部分を使った広い酒場兼食堂には、その広さからすると少なすぎる冒険者達がいた。つまりはそれだけ上位の冒険者というものは少ないものなのだ。

 店で上がっていたわずかなざわめきが一瞬だけ収まり、店に入ってきた人間に対する好奇の目が集まる。クライムはそんな視線を一身に浴びながらも、意に介さず、見渡す。

 屈強な冒険者ばかりだ、その場にいる殆どの冒険者がクライムを倒すことが出来るだろう。その中でもクライムを瞬時に倒せる者もちらほら見える。

 だが、彼が探す人物はそんなレベルではない。

 即座に店のある一点で視線が止まった。当たり前だ。あれほどの存在を見落とすわけがない。


 クライムの視線の向かった先――そこは店の一番奥。天井から吊り下げられた明かりの外れ。若干薄暗くなった辺り。そこにある丸テーブルに座った2人の人物へ。


 1人は小さい。漆黒のローブで全身をすっぽりと覆っている。

 長い漆黒の髪が流れ、わずかな明かりを綺麗に反射している。顔は見えない。それは光の加減ではなく、額の部分に朱の宝石を埋め込んだ、異様な仮面でその顔を完全に覆い隠しているためだ。目の部分にわずかな亀裂が入っているだけで、その奥にあるだろう瞳の色さえ確認できない。


 そしてもう1人。

 先の人物が小さいなら、こちらは圧倒的なまでに大きい。巨石――そんな言葉が脳裏に浮かんでしまうほど。全身はある意味太い。これは脂肪が付いているという意味ではない。

 丸太を思わせる太い腕。頭を支えるための太い首は、やせぎすの女性の両太ももを合わせたぐらいはあるのではないか。そんな首の上に載った頭は四角い。力を入れるためにしっかりと噛み締める顎は横に広がり、周囲の様子を伺うための瞳は肉食獣のようだった。金色の髪は短く刈り上げられており、機能性のみを重視している。

 服によって隔されている胸板はこれ見よがしに盛り上がっている。鍛えに鍛えきった胸筋が即座にイメージされた。はっきり言えば女としての胸ではもはや無い。


 A+冒険者パーティー――蒼の薔薇。

 女性のみで構成された有名な冒険者パーティーの一員である内の2名。

 魔法使い――イビルアイ、戦士――ガガーラン。その2人だ。


 クライムはそちらに向かって歩き出す。入ってきた時から注意は払っていたのだろうが、自分達に向かって歩き出したため、確認が取れたのだろう。目的の人物が1つ頷くと、ハスキーな大声を上げた。


「よう、童貞」


 店の人間から一斉に視線がクライムに集まる。しかし、揶揄の声は上がらない。それどころか、即座に興味がなくなったように視線が離れていく。一握りの哀れみにも似たものを交えて。

 周囲にいる冒険者達のさっぱりとした対応は、ガガーランという人物へのお客さんに、なんらかの態度を取るのは勇気ではなく蛮勇だとこの場にいる全ての者が知っているからだ。そう。Aクラス、Bクラスの冒険者であってもだ。

 ある意味恥ずかしい呼ばれ方をしながらも、クライム自身、平然としたもの態度で歩き続ける。

 ガガーランがクライムのことをそう呼ぶが、どれだけ言っても変わることをしない。ならばもはや諦めるのが最も有効な手なのだから。


「お久しぶりです、ガガーラン様――さん。それにイビルアイ様」


 イビルアイ、ガガーランの元まで到着すると、ぺこりと頭を下げる。


「おう、久しぶりだな。なんだ? 俺に抱かれたくて来たのか?」


 イスに座りなと顎でしゃくりながらも、ニヤニヤとその四角い顔に肉食獣の笑みを浮かべ、ガガーランはクライムに尋ねる。クライムは無表情に横に振る。

 これもガガーランのいつもの挨拶といえば挨拶だ。しかしながら別に冗談というわけでもない。もしクライムが冗談でもそうだと答えれば、即座にガガーランに二階の個室に連れ込まれるだろう。

 初物食いが好きと公言して止まない、ガガーランはそういう人物でもある

 そんなガガーランに対し、イビルアイは正面を向いたまま、一切顔を動かしていない。仮面の下で視線だけ向けてきているのかもしれないが、クライム程度ではイビルアイほどの人物の視線まではつかめない。


「いえ、違います。アインドラ様に頼まれまして」

「ん? リーダーに?」

「はい。伝言です。本日はラナー様の元に泊まるとのことです」

「おいよ。それで?」

「いえ、それだけです」

「ふーん、それっぽちのためにご苦労なことだな?」


 ご苦労様という笑いをその太い顔に浮かべたガガーランにまだ言うべきことがあると、クライムは思い出す。


「今日、ガゼフ様に剣の修行に付き合ってもらうという幸運に恵まれたのですが、教えていただいた自信を持って放てる一撃――大上段からの一撃でしたが、ガゼフ様に褒められました」

「おう、あれか!」この宿屋の庭で軽く修行をつけてやった剣を思い出し、ガガーランは破顔する。「ふーん、やるじゃねぇか。でもよ……」

「はい、満足することなく、より鍛錬に励みたいと思います」

「それもそうだけどな。その技は破られると思って次に繋げる技もそろそろ作っておけよ」


 返答をせず、自らの言った言葉の真意を理解しようとしているクライムに、ガガーランは笑う。それほど深く考える必要は無いのだが、と。


「本当は無数の手からその場その場に適した、剣を振るうのが正解なんだ。でもよ、おめぇにはそれができねぇ」暗に才能が無いからとガガーランは言う「だから3連続ぐらいは自分で自信を持てる剣を作れ。相手が攻撃に転じれないような3連撃だ」

「はい」

「まぁ、モンスター相手とかになるとそういう奴は通じねぇ。でも人間相手なら通じるはずだ」

「はい」

「パターンって奴は覚えられると終わりだが、初見の奴なら結構効果的だからな。押して押して押しまくれるの作れよ」

「分かりました」


 クライムは大きく頷く。

 今朝、ガゼフという人物にあそこまで攻め込めたのはあの1回だけだった。それ以外は即座に見切られ、反撃を受けるだけだった。


 ではそれで、自信を喪失した? 否。

 ではそれで、絶望した? 否。

 逆だ。

 逆なのである。

 凡人が王国――いや周辺国家最強の戦士にあれだけ迫ることが出来たのだ。本気を出していなかったというのは当然あるだろう。しかし、あれは明かりのまるで無い、漆黒の道を進むクライムを充分に励ましてくれたのだ。

 お前の努力は完全には無駄ではないと。


 それを思い出せばガガーランの言いたいことは分かる。

 その連続攻撃がうまく作れる自信は無いが、それでも生み出して見せるという熱い思いが心の底から湧き上がっていた。次にガゼフと戦うときには、もう少し本気を出してもらえるような強さを手にしておくと。


「……そーいや、イビルアイにも何か頼んでいたよな。魔法の修行を付けてくれだっけか?」

「はい」


 ちらりとクライムはイビルアイに視線を送る。その時は嘲笑を受けて、終わりになった話だ。何も変わってない状況下で同じ話をしたとしても、同じ結果しか残らないだろう。

 しかし――


「小僧」


 聞き取りづらい声がした。

 仮面を被っているためにしては、非常に不可思議な声だ。例え仮面を被っていようと、それほどの厚さではない以上、声ぐらいはある程度分かるはず。しかし、イビルアイの声は女だろうという以上、年齢や感情といったものを読み取らせない。年寄りのようでもあり、少女のようでもある。そして感情の無い平坦な声として聞こえるのだ。

 イビルアイが付けている仮面が、恐らくは魔法のものなのだろうと予測は立つ。しかしながらそこまでして何故声を隠すのか。それはクライムの知らないことだ。


「お前に才は無い。別の努力をしろ」


 用事はそれだけだと言わんばかりの、切り捨てるような発言。

 それはクライムも承知のことだ。

 クライムに魔法の才能は無い。いや、魔法の才能だけではない。

 どれだけ剣を振るって、血が滲み、豆が潰れて手が硬くなっても、望む領域には到達できなかった。才能ある人間であれば容易く越えられるだろう壁。それすらもクライムでは踏破不可能な絶壁なのだ。

 ただ、そうだからといってその壁を越える努力を怠ることは出来ない。才能が無い以上、努力してほんの1歩でも進めると信じておこなっていくしかないのだから。


「ですが、13英雄の伝説では……」


 13英雄のリーダー、彼こそ単なる凡人だったという伝説だ。皆よりも弱く、だが、傷つきながら剣を振るい続け、誰よりも強くなったという英雄。

 それに対してイビルアイは口ごもる。まるでそんな伝説が真実であるかのように。

 しかし、イビルアイは否定の言葉を紡いだ。


「後天性才能なんか嘘みたいなものだ。才能を持つ者は最初っから保有している。……才能とは開花する前の蕾であり、誰もが持つものだというものがいる……。フン、私からするとそれは願望でしかない。劣った者が己を慰めるための言葉だ。かの13英雄のリーダーもそうだろう。持っていながら開花してなかっただけだ。それはお前とは違う。努力してそれなんだからな。……そう。才能は歴然として存在する。持つ者と持たざる者は存在するのだ。だから……諦めろとは言わんが、それでも分を知れ」


 イビルアイの厳しい台詞に一瞬だけ沈黙が降りる。そしてその沈黙を破ったのもやはりイビルアイだ。


「ガゼフ・ストロノーフ……奴こそ良い例だ。ああいう奴こそ才能を持つ人間というのだ。クライム……お前はああいう奴を目指しているのだろうが、努力して届く差なのか?」


 クライムに言葉は無い。今日の訓練で届く距離ではないのを実感したからだ。


「まぁ、ガゼフは例えとして悪いかも知れなんがな。……あれに匹敵する剣の才能の持ち主は、かの13英雄にしか私は知らん。そこのガガーランもかなりの腕を持つがガゼフには勝てんしな」

「……無茶言うなよ。ガゼフのおっさんはありゃ人間というか英雄に片足突っ込みそうな存在だぜ?」

「フン。お前も巷では英雄と言われる女……疑問詞が付くが……だろうが」


 一瞬だけ言葉を濁したイビルアイにガガーランは笑って答える。


「おいおい、イビルアイ。俺は思うんだがな、英雄って奴は人間の領域を超えた存在――桁外れの才能を持った化け物じゃねぇのか?」

「……否定はせん」

「俺は人間だよ。英雄に足を踏み込むことの出来ないな」

「……それでもお前は才能を持つタイプの人間。クライムのような才能を持たない人間とは違う。クライム、お前がするべきことは星に手を伸ばし走り続けることではない」


 自分に才能が無いというのはクライムが重々承知していることだ。だが、ここまで才能が無いと連呼されるとがっくり来るのも事実だ。しかし、だからといってクライムに今の行き方を変える意志はない。


 ――この身は、王女のために。その思いのために――。


 まるで表情の変わらない、無表情の中に殉教者のような何かを感じ取ったイビルアイは仮面の後ろから舌打ちを飛ばす。


「……これだけ言っても止めないのだろうな」

「はい」

「愚かだな。実に愚かだ」ブンブンと頭を振り、理解できんと言う。「適わぬ願いを持って進むものは、確実に身を滅ぼすぞ? 己の分を弁えろというのだ」

「……理解しています」

「即答とはな。それに理解しているが弁える気はないということか。愚かという言葉を通り越したところにいる男だ」

「なんでぇ、イビルアイ。クライムが心配だから苛めていたのかよ」


 ガガーランの言葉にイビルアイががっくりと肩を落とす。それからガガーランに向き直ると、胸倉を掴むように手袋をした手を伸ばし、怒鳴る。


「脳筋。少し黙れ!」

「でもそういうことだろう?」


 胸倉を捕まれてなお、平然としているガガーランの言葉を受け、イビルアイがぐっと詰まった。それから席に身を沈めると、話題を変えるように、クライムに矛先を変える。


「ならばまずは知識を増やすんだな。魔法の知識を増やせば相手が何をしてこようとしているのか理解できるだろう。そうすればより的確な行動も取れるだろう」

「無数にある魔法を全部覚えたり知ったりするのは酷じゃねぇか?」

「そんなことは無い。魔法使いが重点的に使ってくる魔法というのはさほど多くは無い。その辺りから覚えていけばいいんだ」


 その程度出来ないなら諦めろと、吐き捨てるようにイビルアイは呟く。


「それにせいぜい3位階まで覚えればとりあえずは問題が無いだろうしな」

「それで思うんだけどよぉ。帝国の主席魔法使いが6位階まで使えるとか言うけど、10位階までの魔法もかなり知られているんだろ? 何でなんだ?」

「ふむ……」


 まるで教師が生徒に教えるかのような気配を漂わせつつ、イビルアイはローブの下で何かを行う。すると周囲の音の聞こえ方が遠くなったような気がクライムはした。なんというか、テーブル周囲が薄い膜に覆われたような感じなのだ。


「慌てるな。つまらん魔法を発動させただけだ」


 魔法使いではないクライムにとって、魔法を発動させるということがどれほど警戒しての行為なのかは分からない。ただ、そうまでしなくてはならない重要な話として、ガガーランの質問に答えるつもりなのだという思いが、クライムの姿勢を正す。


「かつての神話――物語とされるものの1つに8欲王といわれる存在がいる。神とも言われ、その絶大なる力でこの世界を支配したとも言われるものたちだ」


 8欲王の物語はクライムだって知っている。御伽噺としての人気は非常に無いため聞かれることは殆ど無いが、ある程度の知識ある人間なら知っている物語だ。


 要約してしまうと500年前、8欲王という存在が現れた。空よりも高い身長を持つとも、ドラゴンのようだとも言われる8欲王は瞬く間に国を滅ぼし、圧倒的な力を背景に世界を支配していく。だが、彼らは欲深く、互いのものを欲して争いあい、最後は皆死んでしまったという物語だ。

 人気が無いのも当然の物語だが、この話が本当に御伽噺かどうかに関しては、意見の分かれるところだ。クライム自身からすればかなり誇張された物語だと思っている。ただ、それでも冒険者の中では、実在した存在――力も現代のどんなものよりも持った――だと思っている者がちらほらいる。

 彼らが根拠とするのは、遥か南方にある1つの都市だ。それは8欲王が大陸を支配した際、首都という名目で作られたとされる都市の存在だ。


 クライムが自らの考えに浸っている間にも、イビルアイの話は続く。


「8欲王は無数の持ち物を持っていたとされるのだが、その中、最も力を持つアイテムにネームレス・スペルブック……そんな名で呼ばれる魔法書が存在する。これが全ての答えだ」

「あん? つまりはその本に載っているということか?」

「そうだ。8欲王といわれる伝説の存在が残した想像を絶するマジックアイテムたる書物には、全ての魔法が記載されているとされているんだ。如何なる魔法の働きか、新たに生み出された魔法も自動的に書き込まれるという」


 8欲王の神話は知っていても、そんな書物の話はまるで聞いたことも無い。それがどれほどの希少性を持つか薄々と気付いたクライムは何も言わず、そのまま耳を傾ける。


「ガガーランの予測したとおり、それを元にしているからこそ、最高で6位階までしか使える人物がいないはずなのに、さらにその上位の魔法の存在を我々は知っているのだ。無論、ここまでのこと――ネームレス・スペルブックという存在までを知る人間はそうはいないがな」

「ああ……俺も知らなかったしな」


 そうそうとイビルアイは話を続ける。


「その書物には10位階までの魔法の記録があるんだが……実のところ全部で11位階まで記載されているらしいぞ。11位階の魔法はたった1つしか記載されてなかったみたいだがな。私もこの話は伝え聞いただけなので、本当に1つしか載ってないのか。はたまたはその他の11位階の魔法を見逃したのかまでは知らん」


 クライムの喉がごくりと鳴る。

 恐らくは今の話は知る人ぞ知るというレベルのものだ。下手すればそれだけで破格の情報料が発生しかねないほどの。冒険者という情報の大切さを知る者がこんな重要な話を只で漏らしていいのだろうか。そんな心配さえクライムには生まれてしまう。

 そんな不安にも似た感情を誤魔化すように、クライムはイビルアイに問いかけた。


「そのネームレス・スペルブックを求めたりはしないのですか?」


 それがどれほどの宝か漠然とだが理解できるからの、そして最強クラスの冒険者である彼女達なら届くだろう宝だと思っての質問だ。

 それに対してイビルアイは馬鹿をいうなといわんばかりに、鼻で笑う。


「ふん。それを見た奴の話では、強固な魔法の守りがあるため、正統な所有者以外は触れることすら出来ないという話だ。流石にそれほどのアイテムを欲するほど、私は愚かではない。8欲王のような愚かな死はゴメンだしな」

「13英雄の武器を持つことで知られる人物がリーダーを務めるパーティーですらそうなんですか?」

「……桁が違うそうだぞ、あれは。古今東西、全てのマジックアイテムを束ねたに等しい力を有しているとか」


 まぁ見た人間からの話なので、私は詳しくは知らないがな。そういって話を終えるイビルアイ。


「そんなわけで、魔法の勉強をしっかりと収めるんだな」

「分かりました」


 クライムの返事を聞き、イビルアイが珍しいことに少しだけ迷ったような素振りをしてから、口を開いた。


「力を欲してるからといって、人間をやめるような方法を取るのはよせよ」

「人間を辞めるですか……物語にあるような悪魔との融合とかですか?」

「それもあるし、アンデッド化や魔法生物化といったものもそうだな。特にアンデッド化が最も有名か」

「そんなこと普通の人間にはできませんよ」

「そうなんだがな。……アンデッドへと変化すると、心も歪む場合が多い。理想に燃え、それを適えるための手段であったはずが……肉体の変化に心が引っ張られおぞましいものへと変わるんだ」


 仮面の下の声がはっきりと分かる1つの感情に彩られた。それは憐憫である。

 誰かを思い出しながらのイビルアイの言葉には非常に重いものがあった。それをガガーランが眺め、やけに明るい声を出す。


「朝起きたらクライムがオーガになってたら、姫さんが驚愕すんだろうなぁ」


 そのガガーランの発言に、イビルアイは裏を意味をちゃんと受け取ったのだろう。再び感情の読めない声へと調子を戻す。


「……確かにそれも1つの手だな。変化系の魔法を使えば一時的な変化ですむ。はっきり言うがそれも1つの手だぞ。肉体能力の向上という意味では」

「それはちょっと勘弁して欲しいです」

「強くなるという意味では純粋に効果的だ。人間という生き物自体は、さほど能力的に高いわけではないからな。同じだけの才能を持つなら基礎となる肉体能力が高い方が有利だ」


 それは当然だ。技量が同じなら肉体能力の高い方が有利なのだから。


「実際、かの英雄である13英雄は人間以外の種族が多かった。例えば旋風の斧を振るいし戦士はエアジャイアントの戦士長だし、祖たるエルフの特徴を持ったエルフ王家の者がいれば、我らのリーダーの持つ魔剣キリネイラムの元々の持ち主――4大暗黒剣の所持者であった暗黒騎士は悪魔との混血児だ」

「4大暗黒剣ですか……」


 子供が13英雄ごっこをするとなると、2、3番目の人気者となる暗黒騎士は4本の剣を持っていたとされる。それは邪剣・ヒューミリス、魔剣・キリネイラム、腐剣・コロクダバール、闇剣・月光喰い、である。13英雄という存在は御伽噺の領域の存在だが、暗黒騎士はその中で最も現実味に溢れた存在なのだが、それは4大暗黒剣の内の1本をもっている者が、王国最高の冒険者チームのリーダーであることに起因する。

 そしてその言葉にガガーランが反応した。


「無限の闇を凝縮し生み出された最強の暗黒剣、魔剣キリネイラムか……あのよぉ、全力で力を解放すると、1つの国を飲み込む漆黒のエネルギーが放射されるってマジなのか?」

「なんだそれは?」


 困惑したようにイビルアイ。


「うちのリーダーがこの前、1人の時に言ってたんだよ。パワーを全力で抑えるのは自らのような神に仕えし、女性で無いとうんぬんかんぬんって」

「そんな話は聞いたことが無いが……」不思議そうに首を傾げるイビルアイ「持ち主が言ってるのだから真実かもしれんな」

「なら暗黒の精神によって生まれた、闇のラキュースもマジもんなのか?」

「何?」

「いや、この前、1人でぶつくさ言っていてよぉ。なんか気付いてないみたいだからどうしたのかと盗み聞きしていたら、そんなこと言っていてな。油断すれば闇のラキュースが肉体を支配し、闇の魔剣の力を解放してやるとかやばいこと言ってんだよ」

「……可能性はないとは言えないな。一部の呪われたアイテムが所有者の精神を奪うというのはありえる話だ。……ラキュースが支配されたら厄介ごとではすまんぞ。それで……何を話していたのか尋ねたか?」

「ああ。直ぐに尋ねたさ。そしたら顔を真っ赤にして、心配するなって」

「ふむ。呪いを払うべき神官が、呪いのアイテムに支配されるなんて恥ずかしいだろうな」


 クライムは無表情ではいられなくなり、眉を顰める。

 今の話を聞く限り、ラキュースが邪悪なアイテムに支配されつつあるかもしれないということだ。先ほどまでいた場所のことを考えれば、焦燥感は強くなる。


「……ラナー様が危ない?」


 今すぐに飛び出そうとするクライムをイビルアイが抑える。


「慌てるな。今すぐどうにかなるという問題ではないだろう。例え闇の力に支配されそうになっても、我らのリーダーが知られないうちに支配されるはずが無い。私達に何も言わないということは恐らく支配しきれると踏んでいるからなのだろう。しかし……あの剣にそんな能力があったとは……私も知らなかったぞ?」


 イビルアイは自らの蓄えた叡智にわずかな自信の喪失を感じる。そして満足するのではなく、より知識を集めるべきかと兜の緒を締める。


「一応、念を入れてアズスさんに伝えておくか?」

「ライバルの手を借りなくてはならないというのは少々口惜しいが……姪のことだ、伝えておいた方がいいだろうな」

「うんじゃ、さっそく動いておくか?」

「うむ。ラキュースをいつでも支援できる準備は整えておくべきだ」


 ガガーランとイビルアイが立ち上がる。それにあわせてクライムも立ち上がった。


「わりぃな、クライム。色々とヤリあいたいんだけどよ、そんなことを言ってる余裕がなくなっちまったぜ」

「いえ、気にしないでください。ガガーラン様」


 ガガーランがじっとクライムを見つめ、疲れたような笑いを上げる。


「まぁいいか。うんじゃ、帰るんだろうからよ、うちのリーダー頼むわ。よろしくな、童貞」


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