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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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王都-4


 翌日。

 誰かが扉を叩く音を聞きつけ、セバスは玄関に向かう。そして扉についた覗き戸の蓋を持ち上げた。

 覗き戸から見えたのは恰幅の良い男とその左右の後ろに控える王国の兵士だ。

 恰幅の良い男はそこそこ身奇麗であり、仕立ての良い服を着ている。胸からは銅色に輝く重そうな紋章をぶら下げている。血色の良い顔にもたっぷりとした肉がつき、食べている物のせいか脂ぎった光沢が浮かんでいた。

 そしてもう1人――異質な男がいた。

 顔色は悪いというより、光にまるで当たっていないような青白い肌。目つきは鋭く、痩せこけた頬に相まって猛禽類のようだった。着ている黒い服はだぶつき、中に隠しているだろうものを感じさせない。

 セバスの第六感を刺激するのは男から漂うのは血と怨念。


 ――暗殺者か?


 セバスはそう思い、この一行の正体や目的がいまいち判断できなかった。そのため当たり前の質問をおこなう。


「……どちら様でしょうか?」

「私はブルム・ヘーウィッシュという役人なんだがね」


 先頭に立つ、太った男が多少トーンの外れた甲高い声で、自らの名前――ブルムと告げる。

 役人が何故? 暗殺者ではないのか? セバスがそう困惑している間にブルムは続けた。


「王国には知っていると思うが人身売買を禁止する法律がある。……ラナー王女が先頭に立って立案し、押し通したやつなのだがね。今回はその法律をこの館の人間が違反をしているのではないかという話が飛び込んできてね。確認のために来させてもらったのだよ」


 そして入れてもらえるかね。という言葉でブルムは話を終わらせる。セバスは困惑し、それと同時に厄介ごとが飛び込んできたことを強く認識する。

 主人が留守である等の断り文句は色々と浮かぶが、実際におこなった場合、非常に厄介ごととなりうる可能性がある。

 ただ、問題はブルムが本当に役人であるかどうかの保証がないということだ。

 王国の役人はブルムも下げている紋章を持ち歩くが、だからといって本当に役人であるという保障にはなりえない。もしかすると――大罪になるが――偽造している可能性だって無いわけではないのだから。

 とはいっても人間を数人、館の中に入れて何が問題だというのか。セバスであれば問題なく解決できるだろう。


 そんな風にセバスが考えている間に生まれた沈黙をどのように受け止めたのか、ブルムは再び口を開く。


「まずは申し訳ないが、この館の主人に合わせてもらうかね? 無論、いないというのならば仕方が無いが、調査に来た我々が帰ることは余り喜ばしいことにはならないと思うのだがね」


 まるで申し訳なく思ってない顔でブルムは笑う。その裏にあるのは権力という力を駆使するぞという、恐喝じみたものだ。


「その前に後ろの男性は?」

「ん? 彼はサキュロントという名の人物でね。今回の件を我々に持ち込んだ店の代表のようなものだよ」

「サキュロントです。お初にお目にかかります」


 薄く笑う暗殺者のようなサキュロント。

 セバスはその笑みを見て、敗北を直感した。その笑みに浮かんだものは罠に掛かった獲物を嘲笑する残忍な狩人のもの。完全に根回しをされた上でこの場に来たとしか考えられない。そう考えるとブルムも恐らくは本当の役人である可能性が高い。この場で偽役人を連れてきて、罪を誘発するような行為は避けるはずだから。

 ならばここで断った場合の対応も既に出来ているはず。であるなら少しでも相手の腹を見た方が良い。

 セバスはそう判断する。


「……畏まりました。お嬢様にお伝えしてきます。少々この場でお待ちください」

「ええ、待ってますとも。待ってますとも」

「ただ、早急にお願いするよ。我々もそんなに暇ではないのだからね」


 サキュロントが哂い、ブルムは肩をすくめる。


「畏まりました。では」


 セバスは覗き窓の蓋を落とし、ソリュシャンに会いに踵を返す。だが、その前にツアレに奥で隠れているように言わないといけないだろう――。



 部屋に案内され、ソリュシャンの顔を見た2人に浮かんだのは驚愕の一言に尽きる。連れてきた兵士は扉の外で待っているため、部屋に入ったのは2人だけだ。

 これほどの美人がいるとは思ってもいなかったという顔だ。徐々にブルムの表情はだらしなく緩み、その視線は顔と胸の間を行ったり来たりする。目には肉欲のようなものが浮かび、唾を数度飲み込む。

 それに対してサキュロントの表情は逆に徐々に引き締まっていく。警戒すべきかどちらか。分かりきっていた答えを得ると、セバスは2人に、ソリュシャンの対面のソファーに座るよう促した。

 座っていたソリュシャンと、座ったブルムとサキュロントの両者は、互いの名を交換しあう。


「それで一体何かあったんですか?」


 ブルムがわざとらしい咳払いをすると


「ある店から報告があってね。ある人物が自らの店の従業員を連れ出したと。その際には不当な金銭を別の従業員に渡したと聞いてね。先も聞いたのだが、法律では金銭での人身の売買を禁ずるのだが……まるでそれに違反しているようではないかね?」

「そうですか」


 ソリュシャンのつまらなそうな物の言い方に2人は目を白黒させる。今この場から犯罪者が出ると脅しをかけているのにもかかわらず、そんな態度を取るとは思ってもいなかったのだ。


「面倒なことはセバスに任せてます。セバス、後をよろしく」

「良いのかね? 今、君が犯罪者になるかもしれないのだよ」

「まぁ、怖いですわ。ではセバス、私が犯罪者になりそうだったら知らせに来なさい」


 では御機嫌ようというとソリュシャンは満面の笑顔を見せ、立ち上がる。部屋を出て行く彼女に誰も声をかけない。美女の笑みがどれだけ力を持っているかを示した良い例だ。

 パタンと扉が閉まる音がする前、外にいた兵士がソリュシャンの美貌に驚いたのか、驚愕の声が聞こえた。


「――ではお嬢様にかわり私がお話を聞かせていただこうと思います」


 セバスは微笑みながら、2人の前に腰を下ろす。その笑顔を見て不思議なことにブルムは鼻白んだようだった。しかしそれを庇うようにサキュロントが口を挟む。


「そうですね。ではセバスさんに聞いてもらいましょうか。ヘーウィッシュ様が玄関でおっしゃっていたように、うちの従業員が行方不明になってね。ある男を締め上げたら金を貰って渡したというじゃないか。これは王国では違法となっている人身売買だと気づいてね。うちの店で働く人間がそんなことをしているとは思いたくも無かったんだが、仕方く訴えでたというわけなんですよ」

「そのとおり。人身売買なんていう犯罪はラナー様がおっしゃったとおり許されるものではない。だからこそ、自らの店で働いていたものがそんなことをしてしまったと訴えでるサキュロント君は非常に偉いとしか言えないな!」

「ありがとうございます、ヘーウィッシュ様」


 なんだこの茶番は。セバスはそう思いながら頭を働かせる。目の前の2人がグルなのは確実だ。そしてかなり準備しているだろう以上、敗北は確定した事項だろう。だが、どうすれば多少は有利に話を持っていけるか。

 セバスの勝利条件はなんなのだろうか。


 そこまで考え、セバスは眉を顰めようとするのを、必死に抑える。

 ナザリックのランドステュワードたるセバスの勝利条件はこれ以上騒ぎが大きくならないように、静かに問題を解決することだ。決してツアレを守ることではない。


 だが――。


「まず聞きたいのは、金を貰ったというその男の偽証という可能性があるかと思われますが、その男は今どこに?」

「彼は人身売買の容疑で捕縛され、留置所だよ。そして彼の話を聞き、詳しく調べた結果――」

「――男からうちの従業員を買った人物が、あなたセバスさんだろうという調査結果が出たんだよ」


 セバスは白を切るべきか。嘘をつくべきか。はたまたはちゃんとした反論すべきかを迷う。

 館にいないといったらどうか。死んでしまったといったらどうか。無数の考えが生まれるが、向こうも簡単に引く気はないだろう。


「しかしどうやって私と判断されたんでしょう。証拠となるものは?」


 それはセバスをして不明だった。自らの名前や正体になるものを残してないあの場に残していない以上、証拠となるものは一切無いはずだ。それなのにどうやってこの場所まで調べたというのか。外出中はいつでも尾行等が無いか警戒してたつもりだ。セバスに感じ取られず尾行が出来る者がこの都市にいるとは思えない。


「スクロールですよ」


 サキュロントの答えを聞き、セバスの頭に最初に浮かんだのは疑問だ。それから直ぐに理解する。

 ――魔術師ギルドで買ったスクロール。

 あれは確かに通常の巻物とは違った、しっかりとした作りとなっている。外見を知っている人間であれば、持っていたスクロールが魔術師ギルドで購入したものだというのは理解できただろう。あとはそこからどんな人間なのかを調べる等、足で稼げばある程度は調べが付くだろう。

 特にセバスのような執事の格好をした人間がスクロールを持っていれば目立つだろうし。


 ただ、それでもツアレがここにいるということの証明にはならない。たまたまよく似た別人という可能性だってあるはずだ。

しかしもしこの中を調べられたら厄介なこととなる。そう、こんな広い館にツアレを含めてもたった3人で生活しているということを。

 観念し、その部分は認めるしかないだろう。セバスはそう判断する。


「……私は確かに彼女を連れ出しました。それは事実です。ですがそのときの彼女は肉体的にも非常に酷い傷を負っており、命の危険に晒されていたからこそ、そういう手段を使うしかなかったのです」

「つまりは金銭で彼女の身柄を引き取ったという事実を認めるのかね」

「その前にその男性と話させてはもらえませんか?」

「それは残念だが出来ないな。口裏を合わせるられては困るからな」

「その際は――」


 ――横で話を聞かれても構いません。そういいかけセバスは口を閉ざす。

 結局これはできレースだ。普通の手段ではその男の所まで届かないだろうし、届いたとしても有利に持っていける可能性は低い。つまりこの線から攻撃することは時間の無駄ということだ。


「……その前に彼女の全身にあれほどの酷い傷をつけるような仕事。それが行われていることを認める方が国として不味いのでは――」

「うちの仕事は結構厳しいものでしてね。怪我を負うのは仕方が無いことなんですよ。ほら鉱山とかでも色々あるでしょ。それと同じですよ」

「……あれはそういう怪我では無いと思うのですがね」

「ハハハ。接客業ですが、お客さんの中には色々な人がいますからね。こっちもなるたけ怪我をさせないようにしてるんですが。まぁセバスさんの話は理解できました。次回からは少しは――そう少しは注意しますよ」

「少しですか?」

「まぁそうですね。それ以上は金が掛かってしまいますし、色々とね」


 サキュロントは唇の端のみを吊り上げるような哂いを浮かべる。それに対してセバスも微笑を浮かべた。


「――そこまでだ」セバスの反論を途中で遮るとブルムはふぅとため息を1つ付く。それは愚か者を相手にした人間がしそうなものだ。そしてブルムは己の考えをセバスに説明する。「私の仕事は奴隷として売買されてないかの確認であって、その従業員の身の安全等の確認は別のものがすべき仕事だ。今回の件に関しては関係が無いとしか言えないね」

「……ではそういったことを専門に行っている役人の方を教えてはくれないでしょうか?」

「……ふむ、教えてあげたいのは山々だが、色々と難しい面があってね。残念だが他人の仕事にまで首を突っ込む人間は嫌われるのでね」

「……ではそれまで待っていただきたい」


 ニヤニヤとブルムは笑う。その言葉を待っていたといわんばかりの態度で。

 そして同じようにサキュロントも哂った。


「……全く、待ちたいのは山々なんだが、相手の店から既に書面として提出されている以上、強制的にでも君たちの身柄を押さえ、早急にでも調査しなくてはならないのだよ。我々としても」


 つまりは時間もないということ。


「今のまま、状況証拠的には君が犯罪を犯したということは確実だが、サキュロント君は寛大な処置で済ませてもかまわないと言っているんだよ。勿論、示談における慰謝料の発生はあるがね。それに人身売買に関する犯罪が起こりそうだということで書面を起こしてしまった。それの破棄にもお金が多少掛かるんだよ」

「それは一体どのような」

「それはですね。まずはうちの従業員を返して欲しいんですよね」


 予測された答えにセバスは内心で頷く。そしてそれだけではないだろといわんばかり態度で、一度頭を振った。


「それと従業員を連れ出された期間、本来であれば稼げたであろう金銭的出費を穴埋めして欲しいんですよ」

「なるほど。その金額とは?」

「金貨で……そうですね」サキュロントは室内をぐるっと見渡し、「300枚」

「……非常に高額ですが、どのような内訳なんですか? 1日辺りどの程度で、どういう科目からなっているんですか?」

「ま、待ってくれたまえ」ブルムが話を遮るように口を挟む。「それで終わりではないだろ、サキュロント君」

「おっとそうでした。それに被害届けを出してしまった以上、内輪で片をつけたとしても、破棄費用がかかるんでしたね」

「そうだとも。サキュロント君、忘れてしまっては困るよ」


 ニヤニヤと笑うブルム。


「……たが」

「ん?」

「いえ何でもないです」


 セバスは呟き、微笑む。


「えっと、申し訳ありませんね、ヘーウィッシュ様」サキュロントはブルムに頭を下げると「書面の破棄には慰謝料の1/3が妥当とされてますので金貨100枚。合計として400枚ですかね」

「私は彼女を連れて来る時、金銭を支払っていますがそれも含めるのですか?」

「まさかだよ、君。いいかね。先方との示談が済んだ場合は君は奴隷を買わなかった。そういうこととなるわけだ。つまりそこで発生した金銭は無かったということになる。君がどこかで落としたということだね」


 金貨100枚を丸々落としたとしろというのか。まぁ、既に半分に分けて懐に収めているのだろう。そうセバスは判断し、事実セバスの知らないことだが、その予想は正しくもあった。


「……しかし、彼女の体はまだ完治してません。今連れ出せば再び再発する可能性があります。それにこれからの治療で彼女は死んでいるかもしれません。全て金銭で片を付けることは?」


 サキュロントの目が異様なきらめきを持つ。

 その変化を感じ取り、セバスは自らのミスを強く実感する。ツアレに執着しているのがばれたと認識したのだ。


「……金では片をつけるのは難しいですな。金ではなく、うちは従業員を取り戻したいのですから」


 その発言を受け、ブルムがどうしたんだという顔でサキュロントを見つめている。欲しいのは金なのに、なんで突然という顔だ。


「そうですな。死亡した場合は彼女に掛かった金銭を補填していただくのは当然のことですが、彼女の治療が終わるまでの間、おたくのお嬢さんを貸していただくというのはどうでしょうかね?」

「おお! それは確かにそうだ。穴を開けるならその分誰かを提示するのは当然だな!」


 セバスは微笑をなくし、無表情になる。

 サキュロントは本気で言っているのではないだろうが、こちらに隙があれば強行する気ではあるだろう。ツアレに執着したのがばれた所為で、厄介ごとが大きくなる可能性を目の前に突きつけられてしまった。


「……欲を掻きすぎるのは問題では?」

「馬鹿を言うな!」


 ブルムが顔を真っ赤にし、大声を出す。

 殺される前の豚のような叫びだ。そんなことを思いながら、セバスは何も言わずにブルムを見つめる。


「欲とは何だ! これはラナー王女の意志によってできた法律を守ろうという気持ちから出た行為だ! それを欲とは! 無礼にもほどがあるだろう!」

「まぁまぁ落ち着いてください。ヘーウィッシュ様」


 ブルムはサキュロントが口を挟むと即座に怒りを沈静化させる。その急な収まり方は、先の怒りが本気で無かったことを示唆している。

 酷い演技だ。セバスは心の中で呟いた。


「しかしだね、サキュロント君……」

「ヘーウィッシュ様、とりあえずはこちらの言うべきところは終わりました。明後日、その結果、どうされるか聞きに来たいと思います、よろしいですよねぇ、セバスさん」

「畏まりました」


 話が終わり、セバスは外にいた兵士を連れ、4人を玄関まで案内する。そして送り出し、最後に残ったサキュロントはセバスに笑いながら言葉を投げかけた。


「しかし妾下りの彼女には感謝しないとね。廃棄処分品がここまで金の卵を産んでくれるとは思いませんでしたよ」


 その言葉を最後に残し、扉がパタンと音を立てて閉まる。

 セバスは黙って扉をしばらく見つめる。セバスの表情には特別な感情は一切浮かんでいない。冷静な表情のままだ。しかしながらはっきりとした何かが浮かんでいた。

 それは怒りである。

 ――いや、怒りなんていう生易しい言葉でその感情を表現は出来ない。憤怒、激怒。そういった言葉の方が正しいだろう。


「ソリュシャン。出てきたらどうですか?」


 そのセバスの声に反応し、ぬるりという感じで影からにじみ出るようにソリュシャンが姿を見せる。ソリュシャンが収めているアサシン系のクラスの能力で影に溶け込んでいたのだ。


「話は聞いていましたね」


 セバスの言葉は確認にしか過ぎない。そしてソリュシャンは当然と頷く。


「それでどうされるんですか、セバス様」


 そのソリュシャンの問いに即座にセバスは答えることが出来ない。そんなセバスにソリュシャンははっきりとした冷徹な視線を送った。


「……あの人間を渡して終わりにしますか?」

「それで問題が解決するとは思えません」

「…………」

「弱みを見せたら骨の髄までしゃぶろうとしてくるでしょう。そういう類の人間です、あれは。ツアレを渡して問題の解決には繋がるとは思えません」

「ではどうされるのですか?」

「分かりません。少し外を出歩きながら考えたいと思います」


 セバスは玄関の扉を押し開ける。そして日差しの中に消えていった。



 ソリュシャンは背を向け出て行くセバスの後ろ姿をじっと見る。それから左手を持ち上げ、開いた。

 こぽりと水面に何かが浮かび上がるように、手から突き出すように巻物が姿を現した。今まで体内で保管していたスクロールだ。本来であれば緊急事態の連絡用――現在ではデミウルゴスの働きによって低位スクロール作成の目処は立っているが、ソリュシャンが出発する頃はその目処が立っていなかったため、この《メッセージ/伝言》のスクロールは緊急用だったのだ――として渡されたものではあるが、これは使うべき事態であるとソリュシャンは判断したのだ。

 スクロールを広げ、中に込められた魔法を解放する。使用済みとなったスクロールは脆く砕け散り、灰となって床に降り落ちるころには完全に消失して消え去った。

 魔法の発動にあわせ、何か糸のようなものが相手と繋がるような感覚を覚え、ソリュシャンは声を上げた。


「アインズ様でいらっしゃいますか?」

『ソリュシャン――か? 一体、何事だ? お前の方から連絡をしてくるとは異常事態か?』

「はい」


 一瞬だけソリュシャンは言葉をきる。これはセバスに対する忠誠、自らの考え違い等を思ったために生まれた時間だ。

 だが何よりもアインズへの忠誠心は強く強固だ。

 そしてナザリック、そして何より至高の41人の利益を最大に考え行動すべきなのに、セバスの現状はそれを無視した行動だといえる。

 そのため主人の判断を仰ごうと口を開く。


「セバス様に裏切りの可能性があります」

『はぁ! ……うぇ?! マジでか?! ……うん、ゴホン。……冗談はよせ、ソリュシャン。証拠も無くそういう発言は許されるものではないが……あるのか?』

「はい。証拠というほどではありませんが――」






 セバスは歩く。目的なんか特別に定めてはいない。足の進むままにだ。

 やがて通りの1つ、そこに人だかりが出来ていた。

 そこから怒声とも笑い声ともいえないものと、何かに対する殴打音。人だかりからは死んでしまうとか、兵士を呼びに行った方がという声が聞こえてきた。

 人の所為で見えないが、殴打音やそういった話からすると何らかの暴力行為が行われているのは確実だ。


 セバスは面倒くさそうな顔をし、別に道を行こうかと考え、方向を変えようとする。

 ほんの一瞬の時間だけ迷い――歩を進める。


 足の向かう先は人だかりの中央である。


「失礼」


 その一言だけ残して、すり抜けるようにセバスは中に入り込んでいく。老人が異様とも断言しても良い動きで、目の前を滑るように摺り抜けていく姿は驚きと畏怖の対象だった。セバス以外も中に向かって進んでいる者がいるようで、通してくれという声も起こっているようだったが、セバスほど人ごみを器用にすり抜けることが出来てないようだった。

 セバスは背中に人ごみを構成する者たちからの無数の驚愕の声を浴びながら、人ごみを抜ける。

 そしてその中央。そこでセバスは何が起こっているのかを確認した。


 セバスが見た光景、それは余り身なりの良くない男達が複数で、ナニカを蹴りつけているものだった。

 セバスは無言で更に歩を進める。男に手を伸ばせば届く、そんな距離まで接近する。


「なんだ、爺!」


 その場にいた5人の男。そのうちの1人がセバスに気づき、誰何の声を上げた。


「少し騒がしいと思いまして」

「おめぇも痛い目を見てぇのか」


 ずいっと男達がセバスを取り囲むように動き出す。それによって今まで蹴られていた存在の正体が明かされた。男の子だろうか。ぐったりと横になり、口からか鼻からかは不明だが、血が流れている。

 長く蹴られた所為でだろう。意識を喪失しており動いてはいないが、それでもセバスが傍から見た感じでは命はまだあるようだった。


 それからセバスは男達を眺める。周囲を取り囲む男達の体や口から漂う酒の匂い。そして運動とは別の意味で紅潮した顔。

 酔っているからこそ暴力を制御できていないのか。

 それを理解したセバスは無表情に尋ねる。


「何が原因かは分かりませんが、それぐらいで終わりにされてはどうでしょうか?」

「はぁ? こいつが持っていた食いもんで俺の服を汚したんだぞ、許せるかよ」


 男の1人が指差すところ。確かに僅かに何かが付着している。しかしながら、服といっても男達の服は皆薄汚れている。それを考えればさほど目立つ汚れではない。確かに服を汚されたことは不快だろう。しかしここまですることほどのことではない。そう思える程度の汚れだ。

 セバスは5人の若者の中で最も強く感じられる人物に視線を送った。守護者クラスからすれば人間にとっての働きアリと兵隊アリのような微妙な違いも、セバスならばなんとか感じ取ることが出来る。


「しかし……治安が悪い都市です」

「あ?」


 まるで遠くの何かを確認するようなセバスの発言に男の1人から不快気な声が漏れた。自分たちを無視していると思ったのだろう。


「……失せなさい」

「あ?」

「もう一度言います。失せなさい」

「てめぇ!」


 セバスが最も強いと判断した男は顔を真っ赤にし、握りこぶしを作り――そして崩れ落ちる。

 驚きがあちらこちらから起こる。そして残った4人の男達からも。


 セバスがしたことは簡単だ。ピンポイントで顎を高速で揺らしただけだ。ただ、その際視認すらできない速度で殴り飛ばすことは可能だった。だが、それでは他の者たちに恐怖を与えることは出来ない。だからこそ早いと思わせる程度の速度で殴ったのだが。


「まだやりますか?」


 静かに呟くセバス。

 その冷静さと異様さは男達の頭から酒気を抜くのは容易いことだった。そして仲間の1人、最も腕っ節が立つ男が容易く倒される。それは恐怖にもつながった。もはや人数が多いからという余裕は無い。


「あ、ああ。お、おれたちが悪かった」


 数歩後ろに下がりながら、男達は口々に詫びを入れる。セバスは侘びをいれる対象が違うだろうと思いながらも、口には出さない。

 男達が気を失った仲間を連れて逃げていく姿から視線を逸らし、セバスは少年の方に踏み出そうとする。しかし途中でその足をとめた。

 自分は何をしているのかと、頭の冷静な部分が語りかけてくる。今しなくてはならないのはツアレをどうするかである。そんな自分が他の厄介ごとを背負うことは無い。元々こうやって厄介ごとを背負ったからこそ、今こうなったのではないか。

 セバスは首を振ると、少年から目を逸らし、歩き出す。たまたま視線があった人物を指差した。


「……その子を神殿に。胸の骨が折れている場合もあります。それを注意して運ぶ際は、板に載せて余り揺らさないように」


 それだけ言うとセバスは歩き出す。人ごみを掻き分ける必要は無かった。セバスが歩くと一気に割れたのだから。




 セバスは再び歩き出し、そして気づく。

 その身を尾行する気配に。無論、たまたま同じ方向に歩いているだけの人物というものもいるだろう。しかし数度道を曲がりながらも、セバスの後ろを歩いてくる人物をどのように判断すればよいのか。


「さて……」


 セバスは迷う。この尾行しているものが一体何者なのかと。

 ツアレやソリュシャンではない。足音や歩幅は成人男性のもの。それも1人。

 セバスが思い出そうとしても尾行してくような成人男性に心当たりは無い。あるとすれば先ほどあった不快な男達か、ブルムとサキュロントの関係者辺りだろう。


「では捕まえますか」


 セバスは道を曲がり、薄暗い方、薄暗い方と歩き出す。それでも尾行は続く。


「……しかし本気で隠す気があるんでしょうかね?」


 足音は隠しているものではない。それだけの能力が無いのか、はたまたはもっと別の理由によるものか。セバスは頭を傾げ、それも確認すれば良いかと簡単に考える。そろそろ人の気配が無くなりかかった頃、そしてセバスが行動を開始しようとし始めた頃、しわがれた――それでいながらまだ若い男の声が後ろの尾行者から投じられた。


「――すみません」


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