2018-08-06

不幸自慢です。なんとでもどうぞ。

結婚当初は、結婚増田みたいに、うれしい!たのしい!だいすき!の状態だった。

でも本当に一瞬で終わった。

結婚してすぐ義父が病気で死んだ。あまりの悲しみに義母おかしくなった。大事大事な一人息子である彼は私のいる新居に帰らなくなった。ずーっと義母のいる義実家にいた。

私も義父を看取り、亡くなったあと1ヶ月くらいは義実家で過ごしたが、耐えられなくて新居に逃げた。

時間が経って、彼は平日ちょくちょく新居に帰るようになり、1年経ってようやく平日は帰るようになったけど、休みの日はほとんど義母と過ごしていた。たまには2人で過ごしたい、と懇願したが、彼には私が見えていないようだった。義母に悪いから、と2人で出掛けるのは渋る。仕方がないので3人で過ごした。

2年経ってもこの関係は終わらなかった。異常だと感じたので、仕事理由にして新幹線で2時間距離場所に逃げた。「仕事で別居」というと、みんな「理解ある旦那さんですね」と言う。うん、私が見えてないだけなんですけどね、と聞くたびに思った。私は月1で帰ることにしていたが、彼は出張のついででしか私の元には来なかった。

3年経って、ようやく、彼は電話で「寂しい」と言った。この間のことだ。もう許そう、いや離婚しよう、と揺れた3年だった。

誰かが側にいることは本当に幸せなことだ。義母も、パートナーを失くして悲しみの底だっただろう。息子である彼も同じ。だからこそ彼らは支え合っていた。私はなぜか彼の不在に耐えられなかった。いるのにいない、死んでいないのに、生きているのに、2人で過ごせないだけで駄々をこねた阿呆である

3年の間、彼は彼自身を守るためか、性格がキツくなった。なんでわかってくれないんだ、という想いだっただろう。私の寂しいは人の死と比するほどの理由じゃない。生きているのに、目の前にいるのに寂しいとのたまったのだから、私の方が病気だったのではないかと思う。

まりにも辛くて、これは彼のことが幼稚に好きだから独占したいから起きるのだ、そうかこの気持ちを手放そう、と決意した。その瞬間から、もう恋はしていない。家族としての愛情はあるが、うれしいたのしいだいすき、は消えた。義父母みたいに、いつまでも恋人同士のような夫婦でいたかったが、自ら手放したので仕方がない。彼の「寂しい」は、手放したあとだったので、何にも嬉しくなかった。

夫婦多幸感はこうして消える。

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