PvP+N   作:皇帝ペンギン
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第12話

 如何に栄華を極めようと、富や権力を欲しいままにしようとも決して克服できないものがある。誰もに等しく流れ、また抗うことができぬもの――時間、そして寿命である。

 時の権力者たちが不老不死を求めて大枚を叩いたり、眉唾な伝承に縋ったりするのも詮方なきこと。

 

 盛者必衰。

 

 ワールドチャンピオンたちの半数は人間だった。そして残り半数は亜人であり、異形種である。亜人は大抵人間よりも長い寿命を持つし、異形種なんて設定上寿命が存在しない。

 老いさばらえていく自身の容姿や肉体に対し、転移当初と全く変わりない異形種のギルメンやNPCたち。彼らの心境は如何程だろうか。想像に難くない。

 ただ老いを防ぎたいのであれば昇天の羽や死者の書、堕落の種子といった種族変更アイテムを使えばいいだけだ。だが絶妙な調整(バランス)の上に成り立つ職業レベル配分が崩れてしまう。もしランダムにレベルが置き換わるのだとしたら、仮にワールドチャンピオンのレベルが失われたとしたら。目も当てられない。

 転移初期と異なり、彼らの精神性は大きく変貌を遂げていた。人間と亜人は違いに差別し、蔑み合い、また異形種は人間を憎悪した。自身が嫌悪する存在に誰が成りたがるだろうか。

 

 一触即発な冷戦状態の中、ついにワールドチャンピオンを二分する決定的な事件が起こる。

 醜く肥え太り、年老いた一人の男がかつての友を頼り彼の領地を訪れた。流れ星の指輪(シューティングスター)を使い、若返らせてほしいと。必死で懇願する男に対し、亜人のギルメンはせせら嗤った。誰がお前なんかに貴重なものを使うか、と吐き捨てる。その言葉に逆上した男は衝動的に剣を振るう。

 後は語るに及ばず。両者の争いは二国間の戦争にまで発展し、やがては八欲王を二分した。即ち、人間派と亜人、異形種派に。唯一の例外はリーダーだった。彼はどちらの派閥にも属さず、エリュエンティウで一人静観を決め込んだ。

 

 たったひとつの指輪を求めて国同士が血で血を洗う戦いを繰り広げる。指輪所有者に対し、丁度隣接する領土を保有する人のワールドチャンピオンたちが三人がかりで包囲。数多の犠牲を払いこれを略奪。

 

 後は平等に若返りを願うだけだ。

 

 しかしいざ願いを叶える段となり、それぞれの胸中に欲望が渦巻いた。「皆を平等に若返らせると効力が減るのではないか」「残り一画は誰の手に?」「飛び地とはいえ、何故戦闘に参加しなかったあいつまで効力を得るのか」「金銭的、人的援助は惜しまなかった。私にも権利はあるはずだ」一度燻り始めた火種は我欲を糧に激しく燃え上がる。

 一瞬の隙をつき、一人が自分だけの若さを願ってしまう。憤怒と怨嗟が噴き出し、若い姿を取り戻した男の頭を背後からかち割った。最後の一画を巡り三つ巴に刃が躍る。

 彼らが争っている間に指輪を奪われた男が他の異形種のギルメンや大軍を引き連れ、ここに進軍。

 

 加害者は誰で、被害者は誰か。敵味方が容易く入れ替わり、昨日背を任せ戦った戦友と明日は殺しあう始末。裏切り、騙し討ち、誅殺、謀殺の応酬。小さな火種は民草の血肉を喰らい、やがては世界を燃やし尽くす。この争いで人間、亜人や異形種問わず死者数は十万を優に超えた。

 

「皆もう喧嘩はやめようよー、ね?」

 

 比較的穏健派だった女が停戦を提案。ワールドチャンピオンたちは疲弊しきっていた。リーダーとたっち・みーを除き、ほぼ全員がレベルダウンを経験する程に。誰もが荒廃した国に住みたいはずがなかった。女の仲裁の元、一同は数十年振りに天空城に会する。

 

「場は提供してやろう、だが我は微塵も興味がない」

 

 そう言い残し、リーダーは何処かに消えた。無言を貫き直立不動なたっち・みー以外、七人のワールドチャンピオンが豪奢な長テーブルについた。メイドたちが緊張した面持ちでティーカップやポットを並べていく。会合は概ね和やかな空気で進んだ。

 

「だからねー、ラブ&ピースって大事だと思うのー。あ、お茶とお菓子のお代わりお願ーい」

「畏まりました」

 

 平和を自分なりに訴える女の元に新たな紅茶とスコーンが用意される。目を輝かせながらクロテッドクリームとジャムをたっぷり塗り、美味しそうに頬張る。見ているだけで胸焼けしそうだ。げんなりする男たちを他所に、女は角砂糖をたくさん投入したカップを啜り、

 

「――!? ゲホッゲホッ」

 

 落とす。茶器が砕け中身が飛び散った。女は盛大に咳き込んでいる。

 

「おいおい、何やってんだよ」

「慌てるからだぜ」

 

 男たちの軽口がピタリと止む。女は目から血の涙を流し、口から血色の泡を吹いていた。鼻と耳からも同色の液体が流れ出る。その症状に皆心当たりがあった。

 

 ブラッド・オブ・ヨルムンガンド――ユグドラシル最悪の致死性を誇る猛毒だ。茶器か砂糖か、それとも菓子か。あるいはジャムやクリームかもしれない。何れにせよ、彼女に毒が盛られたのだ。彼らに絶対服従のNPCやメイドたちがこんな大それたことできるわけもない。同じ席に着いた誰かが下手人なのは明白だ。

 

「このクソどもがぁああああ!!? あたしがせっかくここまでお膳立てしてやったのに!! ハメやがったなああ!!」

「いやいや、知らねえよ!?」

「俺じゃない!」

「俺も違う!」

 

 激昂する女に男たちは口々に否定する。身の潔白が証明できるはずもなかった。苛立ちが限界を超えた女は、ついに禁断の命令(オーダー)を下す。

 

「たっち!! ()()()()を皆殺しにしなさい!!」

「馬鹿!! そんなこと言ったら――」

「すぐに取り消――」

 

 閃光が走る。女の両隣に座す男たちの首が転がり落ちた。彼らの所持するアイテムが大量にドロップする。声を上げる間もなく、女の腹からグレートソードの先端が飛び出した。たっち・みーに背後から突き刺されたのだ。旗袍(チャイナドレス)が赤に染まる。

 

「なん、で……あたしまで」

「わかんねえのかよ! 自分がどれだけ馬鹿なこと言ったか!?」

「畜生、死んでたまるかよ!」

 

 八欲王(こいつら)を皆殺しにせよ。たっち・みーはそう判断したようだ。忠実に命令に従い、自動機械(オートマタ)は何の感慨もなく八欲王を屠っていく。彼らも全身鎧(フルプレート)を身に纏い応戦するが以前とは状況が違う。年老いて弱体化した上レベルダウンした彼らに対し、世界の敵(ワールド・エネミー)と化しただひたすら敵を殺し剣を研ぎ済ませ続けてきたたっち・みー。結果は火を見るより明らかだった。

 各々思惑はあれど和平のために催されたはずの会合は、巡りくる因果という名の下、彼らの血で染め上げられた。

 

 

 ・

 

 

「――やはり貴様か、たっち・みー」

 

 開かれた大扉の向こうにその姿を認めたリーダーは満足げに口元を釣り上げる。たっち・みーは返り血で赤に染まる全身鎧(フルプレート)を鳴らしながら歩を進めた。互いの間合いぎりぎりまで近づき、(きっさき)を向ける。その瞳には理性が宿っていた。

 

「久方振りに自我を取り戻した気分はどうだ?」

「貴方は……」

 

 有り体に言って最悪の気分だった。洗脳されたとはいえ、友をこの手で殺め。人を亜人を、異形種を問わずただ殺し尽くし、世界中に不和と戦火とをばら撒いた。この身は最早正義にあらず。むしろ対極に位置する存在であろう。

 鎧だけではない。この両手はあまりにも多くの血に塗れていた。人生を何度やり直そうと、生涯を贖罪に捧げようとも決して償いきれぬ。呪いにも等しい十字架を背負わされたのだ。

 たっちの酷い形相に全てを解す王は邪悪な笑みを浮かべた。たっちは確信する。この男が彼女に毒を仕込んだのだ。否、おそらく誰がジョーカーを引こうと然したる問題ではないのだ。彼にとっては。

 

「貴方は、何故こんなことを!」

 

 たとえ力による支配と言えど、世界は八欲王の手で一応の安寧を見せていた。もし彼がその強権を発動してさえいたら。

 例えば流れ星の指輪(シューティングスター)を押収し、その効果を平等に分け与えていたならば。先の対話の席につき、主導権を握り和平へ邁進したならば。未来は全く違っていたはずなのだ。

 全てを掌握できる立場にいながら、この男は何もしない。事態が転げ落ちる様を滅びに任せ、黙って静観していた。それどころかギルメンに毒を盛り、彼らを疑心暗鬼に陥らせ対立を悪戯に煽った。

 結果、国は割れ、盤石だった支配体制は崩れ堕ちた。そしてギルメンすら平然と切り捨てたのだ。たっち・みーには理解出来なかった。

 術者を殺そうとも世界級(ワールド)アイテムの効果はそう簡単に解けることはない。八欲王を皆殺しにしろ(オーダー)と相待った苛立ちが彼をいっそう声高に糾弾する。

 

「何故……か。では問おう、たっち・みーよ。貴様は砂で出来た城を、未来永劫保存するのか?」

 

 リーダーは眼前にいるたっちではなく、何処か遠くを見つめるように問い掛けた。

 

「何を……」

「何処の馬の骨とも分からぬ輩に壊されるくらいなら、自らの手で壊そうとせぬか? 我はな……飽いたのだ」

「飽きた……だと」

 

 予想だにせぬ言葉にたっちの表情が驚愕に染まる。

 

「貴様を引き入れたのは最大の失策だった。この世界は……つまらぬ」

 

 王は語る。如何に贅を凝らし欲に溺れようが十余年も経てば飽きがくる。世界の隅々まで探索し、未知が既知に変わる度に希望が失望へと変わっていく。

 

「せめて貴様の古巣(アインズ・ウール・ゴウン)かトリニティでもいたならば……」

 

 強者と呼べるのは竜王(ドラゴン・ロード)くらいで、彼の相手に相応しき真の強者など見つからなかった。この世界の何処にも。

 

「であれば同胞しかおるまい。だが……」

 

 真紅の双眸が怒りに見開かれる。

 

「あるものは色欲に耽り、あるものは暴食に溺れ。またあるものは黄金に取り憑かれ、剣の振り方すら忘れた。全盛期には程遠い醜体を晒すものばかり!」

 

 男が激情と共に王座から立ち上がる。

 

「斯様な愚物など最早不要」

「それは……!?」

 

 その左手には古ぼけた一冊の本が握られていた。背表紙に銘は無く。右手のギルド武器に勝るとも劣らない力を感じさせた。そして腰には黄金のバックル。あの禍々しい輝きには覚えがあった。たっち・みーを世界の敵と変貌せしめた呪いのアイテム。

 

「待ち侘びたぞ、この時を」

「くっ……」

 

 狙いを看破したたっちが斬りかかるが遅きに失す。圧倒的な白が全てを塗り潰した。不自然な程白い全身鎧(フルプレート)に鳴子が散りばめられた黄金の装甲。黒に染まった瞳が愉悦に歪む。

 

「さあ、我を愉しませてくれ」

 

 ユグドラシルではありえない光景。二体の世界の敵(ワールド・エネミー)が激突した。

 

 

 ・

 

 

「何がどうなっているのだ!?」

「悲鳴が止んだぞ……まさか」

「たとえ処罰を受けても良い! 私は城に入るぞ!」

 

 城門前、三十人のNPCの怒号が飛び交っていた。王により彼らは唯の一人も例外なく、一切の立ち入りを禁じられている。

 もしも禁を破った場合、待つのは確実なる死。だが命からがら逃げ出したメイドたちの証言を聞く限り、状況は予断を許さなかった。覚悟を決めた都市守護者たちが扉に手をかけた瞬間、

 

「なっ……!?」

「これは……」

 

 天空城が揺れた。大地と隔絶している浮遊都市が、だ。声を上げる間もなくさらなる衝撃が彼らを襲う。堅牢なはずの城壁が割れ、強大な尖塔が地響きを立てて崩れ落ちた。その隙間を縫うように赤と白、二つの光が光条を煌めかせ躍り出す。

 二対の光は天空に二重螺旋を描きながら舞い上がった。時折独楽のように打つかってはまた離れを繰り返している。

 

「ふはははははははは!! 愉しい、愉しいなぁああたっち・みー!!」

「くっ…………」

 

 剣と拳とが打つかり合い、弾け合う。行き場をなくしたエネルギーが衝撃波となりエリュエンティウへと降り注ぐ。選ばれし民、天空城に住まう人々は狂気の悲鳴を上げ逃げ惑う。地上への〈転移門(ゲート)〉は大混乱、大渋滞だった。神々の争いの前に人間など無力。戦いの余波に恐れおののき、恐怖に駆られた何人かはその高さすら忘れ、天空より飛び降りた。

 

「王よ!? 何故このような……」

「どうかお止めください!!」

 

 NPCたちが口々に静止する。中には果敢にも渦中に飛び込むものもいた。しかし割って入った守護者たちは王のその手で八つ裂きにされ、やがて皆恐怖と共に沈黙した。

 

 

 世界の敵と化した男は拳を、脚をただ本能の赴くままに振るう。そこに技など存在せず、防御など一切考慮せず。互いの骨肉を削り合い、流れる血潮すら心地良いと言わんばかりに。

 両者は互角の死闘を繰り広げた。拮抗した天秤はどちらに傾くこともなく。やがて日が落ち、昇り、また落ちる頃。

 

 ついに均衡が崩れる。

 

 たっち・みーのグレートソードが拳の圧力に耐えきれず砕け散った。両者真逆の反応を示す。刹那、迫りくる右脚にたっちは反射的に両腕を交差した。

 

「がっ……」

 

 鈍い轟音と共に王の踵落としが決まる。彼を眼下の城へ落とした。一際高い塔を薙ぎ倒してなおその勢いは止まらない。鐘楼が断末魔の響きを打ち鳴らした。

 

「うぐ……ぐ……」

 

 全身を鈍い痛みが苛む。途切れそうな意識が自分が落ちてきたであろう天井の穴を見上げた。夕闇と共に白い悪魔が迫り来る。気づけばそこは大広間、他の八欲王を処断した場所だった。辺りに数え切れない武具やマジックアイテムが散乱している。

 

「もっとだ! もっともっと我を愉しませよ!」

 

 暴虐の嵐が咆哮をあげ突貫した。ぎりぎりまで引き付け〈飛行(フライ)〉で超低空飛行。たっち・みーは床擦れ擦れを平行に飛んだ。王の拳が地を割り、あまりの衝撃に床が放射状に陥没した。

 

「はっ、逃がすとでも?」

 

 獣じみた動きだった。床から壁と稲妻のような三次元的な動きをみせ、王はたっちに肉迫する。武器を失った時点で勝敗は決していたのだ。無駄な足掻きをみせる聖騎士の背にその拳が振るわれ、

 

「ぐぬっ……! それはあやつの」

 

 鍔のない柄だけの剣――正確には杖である――から光刃が伸び、王の甲冑を貫く。左の肩に血の大輪が咲いた。この場には他のワールドチャンピオンの武具が散らばっていたのだ。それこそ今の王に届きうる唯一の武器。

 

「……良い、実に良い。そう来なくてはな! 次元(ワールド)――」

「――断切(ブレイク)

 

 次元を斬り裂く拳圧と斬撃が相殺される。面付き兜(クローズドヘルム)越しの顔が凶悪に歪んだ。たっち・みーは光剣を握り締め白き闇へと斬りかかった。

 

 

 ・

 

「――後一歩、足りぬか」

「…………」

 

 やがて雌雄は決す。男の手はたっち・みーの胸装甲(チェスト・プレート)を貫き、皮膚を穿ち。滴る血に塗れながらその鼓動に指先を触れていた。対してたっち・みーの光剣、そして黒い大剣はその両の刃でもって男の心の臓を貫いていた。

 

 互いに次元断切(ワールドブレイク)も次元断層も使い切り、他の特殊技術(スキル)や魔力もほぼ空だった。明暗を分けたのは世界の敵(ワールドエネミー)としての力の扱い、その在り方。たっち・みーが数十年かけて制御してきた破壊衝動に、男は全てを委ねていた。まるで自ら破滅へ突き進むように。ゆっくりと男の身体が崩れ落ち、仰向けに倒れ込んだ。

 

「はぁ……はぁ」

 

 紙一重の差だった。一歩間違えれば、自分がああなっていたかもしれない。たっち・みーは血反吐を吐きながら膝を折る。もう剣を振るう力は残されていなかった。

 

「喜べ……貴様は……見事復讐を果たしたのだ」

「…………」

 

 敗者の末路など決まっている。男の肉体が末端から灰となり消えていく。その様を黙したまま見守るたっち・みーの表情は優れない。

 確かに八欲王は亡き友スルシャーナの仇であり、一時期は憤怒に身を焦がしたものだ。しかし全てはもう過去のこと。過ぎ去りし日々は二度とは元に戻らない。怒りの炎は絶えて久しく、今更憎しみも湧かず。心に残るのは虚しさだけだった。

 

「……褒美を……くれてやろう」

「それは……!?」

 

 虚空に手を伸ばす王の手には斬るのに全く向いてない形状の剣が――八欲王のギルド武器が握られていた。彼なりの美学があったのであろう、如何に形勢が不利になっても彼は決して使おうとしなかった。

 

「死に逝くものには……最早必要あるまい」

「…………」

 

 ギルド武器――それは文字通りギルドの象徴。万一破壊されでもしたら拠点それ自体が崩壊し、ギルメンには敗者の烙印が刻まれてしまう。ユグドラシルにおいてはある意味世界級(ワールド)アイテムと同等以上に大切な代物だった。

 

「……貴様が次なる王として君臨するも、或いは一思いに破壊するのも良い……好きにしろ。この城全てが……貴様のものだ」

 

 剣を持つ彼の腕が崩れ落ちそうになり、思わず受け取ってしまう。たっち・みーが受け取るのを見届けると王は満足げに頷いた。

 

「……もし死後の世界とやらが存在したら……その時は……また、死合おうぞ」

 

 最後まで不遜な態度を貫き通し、八欲王のリーダーは灰燼と化し消えていった。彼の装備品が辺りに散らばる。

 

「――貴方と死合うのは、もう二度と御免ですよ」

 

 それを手向けの言葉に、たっち・みーは身体を引きずるようにしてその場を離れた。たとえ友の仇とて、死力を尽くした相手には取るべき礼がある。

 後に残されたのは彼が選びとらずにおいた大量のマジックアイテム。そして玉座には銘のない一冊の魔道書。

 

 かくして八欲王は滅び去った。後世の歴史家には我欲による仲間割れが原因と見なされている。唯一人、全てを知る堕ちた聖騎士は黙したまま語らず。真相は闇の中へ。

 

 

 ・

 

 神殿地下の隠し部屋――まるで霊廟のような荘厳な雰囲気を漂わせる空間に、数人の男たちがいた。部屋の中には強大な力を秘めし武具や数々のマジックアイテム。そして中央に一つの棺。

 

「考え直す気はございませんか?」

「我々には貴方様が必要で――」

 

「いえ、もう決めたことですから」

 

 なおも縋り付く神官長たちに丁寧に断りを入れ、たっち・みーは棺に自ら横たわった。安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)の上位互換アイテムだ。この棺により、彼は自身を生きたまま封印することが可能である。

 

「しかし……あれからもう五年、ですか。月日が経つのは早いものですな」

「貴方様が来てくださなかったら法国はとうに滅んでいましたよ」

 

 神官長たちの言葉にあの日の記憶が蘇る。

 

 たっち・みーが帰還した際、スルシャーナの国はスレイン法国と、その名と姿を変えていた。

 八欲王亡き後、彼らが悪戯に召喚、もしくは所有していたモンスターたちはその枷を外れ、世界中を荒らし回っていた。トブの大森林の魔樹もその一つだ。

 法国も例に漏れず甚大な被害を被っていた。国の中核を為す六大神殿の内、五つが壊滅。残る一つの神殿に生存者が籠城、決死の抵抗を見せていた。

 ただ一人法国に残るルシャナは満身創痍、とっくに限界を超えていた。引き絞る弦が千切れ、魔の手に掛かろうという刹那。遅すぎた正義が今度こそ間に合った。

 

「たっち……みー……さ、ま?」

 

 赤い外套がはためき、白銀の鎧が軽やかに躍る。聖騎士は瞬く間にモンスターを一掃した。張り詰めていた糸が切れたのだろう、安心しきったように気を失うルシャナをたっち・みーは優しく抱き止めた。

 

「貴方は……一体」

「なんと……」

「彼女をお願いします」

 

 腕の中で眠る少女を神官長らに託し、ありったけの治癒薬(ポーション)の類を渡す。両手の光剣、大剣を構え直すとたっち・みーは残党狩りへ向かった。

 

「おお……おお……神よ」

「まさか、六大神のお一人が再臨されたのか」

 

 法国の民は涙を流し祈りを捧ぐ。神代の文字を背に人では歯が立たぬ異形の怪物を次々に屠っていくその姿は、まさに神の再来だった。

 

「これで終わりですね」

 

 国内の脅威を全て排した聖騎士は彼方に飛び立とうとする。神官長の一人が慌てて救世主を呼び止めた。貴方には感謝しかない、是非その名を教えてほしいと。その言葉に彼は悲しげに頭を振った。

 

「私には名乗る資格などありません……彼女のこと、よろしくお願いします」

 

 それだけを言い残し、救世主は虚空へと姿を消した。

 

 後に意識を取り戻したルシャナは何かを察したように()の者の名は知らぬという。代わりに背負う文字の意味だけを語った。

 

 それ即ち〝正義降臨〟――この言葉は長きに渡り語り継がれ、いつしか彼の救世主の名と同義とされた。

 

 それからのたっち・みーはただただ剣を振るい、戦いに明け暮れる。空に海に大地に……世界中に広がる八欲王の爪痕を断罪して回り、暴動や反乱を鎮圧した。必要とあらば人を、亜人を、異形種を問わず斬り伏せる。いつしか白銀の鎧は赤に、さらに無数の血を吸い黒へと至っていた。

 

 交渉材料(ギルド武器)を手に竜王(ドラゴン・ロード)が治める国へと出向いたこともある。大規模な侵攻作戦のため、その場に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が不在だったのは互いにとって幸運だった。

 結果エリュエンティウへの第二次侵攻作戦を凍結させ、互いに不可侵の密約を結べたのだ。

 

 こうして大陸末端の大部分が再び人の手に戻った頃、たっち・みーは気がついた。己の掌が血塗れなことを。その事に自身がさしたる疑念も抱いていないことに。

 丘陵地帯で折り重なるように果てた亜人たち。今さっき斬り捨てた骸をぼんやりと眺め、たっち・みーはかつて子供の首を絞めたスルシャーナの形相を思い起こしていた。

 

「……今の私は、さぞや醜いのでしょうね」

 

 たまたま手にした力を我が物顔で振るい、この世界の生きとし生けるものを気まぐれに救い、或いは滅ぼす。なんと傲慢なことか。

 もしも八欲王に匹敵――否、それ以上の〝悪〟が存在するとすれば、それはおそらく自分のことであろう。不必要な虐殺にまで手を染めようとした己を恥じた。たっち・みーは丘陵地帯や森林地帯での殲滅活動を中断し、法国へ帰還する。

 

 己の行く末を見据え、後始末をつけるために。

 

「私は……しばらくの間眠りにつこうと思います」

「――え?」

 

 無論その言葉が額面通りのはずがない。たっち・みーの帰還を歓喜でもって迎えたルシャナは虚を突かれた思いだった。創造主も友もなくし、唯一残った寄る辺がまた目の前から姿を消すというのだ。子供のように泣きじゃくるのも無理なかった。

 

「そんな!? 嫌、絶対に嫌です!! せっかく再開できたのに、またたっち・みー様と離れ離れなんて……」

「…………」

 

 泣いて喚いて激しく抵抗するルシャナだが、彼の意志は固い。降りた沈黙が何よりも雄弁にそれを物語っていた。

 

「では……では私もご一緒します! それなら――」

「いえ、それはなりません」

「どうしてですか!!」

 

 ルシャナはほとんど悲鳴に近い叫びを上げた。

 

「貴方には私がいなくなった後のこの国を……人間達の行く末を見守ってほしいのです。私と、それから()の代わりに」

「……たっち・みー様……ずるい、です」

 

 その名を出されてしまっては。彼女に反論の余地は残されていなかった。

 

「私がこの五十余年……どんな思いで生きてきたか……知りもせず……勝手なことばかり」

「申し訳ありません」

「ッ――!! もう知りません!! たっち・みー様の嘘吐き、大っ嫌い!!」

 

 パァンと小気味良い音一つを残し、ルシャナは部屋を飛び出した。残されたたっち・みーは叩かれた頬に手を添え、謝罪の言葉を呟くことしかできなかった。

 

 ・

 

 それ以来たっち・みー封印の日まで一言も口を利くことなく。彼は徹底的に無視され続けていた。

 

「……無理もないですね」

 

(最後に一言交わしたかったのですが……)

 

 何となく思春期の娘が想起される。一向に姿を見せぬ少女に一抹の寂しさを感じながら、たっち・みーは神官たちに蓋を閉めるよう指示して、

 

「待って下さい!!」

「ルシャナさん……」

 

 隠し部屋にルシャナが駆け込んでくる。息を切らせた少女の手にはどこか懐かしい鎧があった。

 

「これを――スルシャーナ様からです」

「そう、ですか」

 

 懐かしいはずだ。今身に着けている八欲王の鎧とは似ても似つかない。この世界に来た際にスルシャーナがくれた全身鎧(フルプレート)に良く似た意匠が施されていた。亡きスルシャーナの自室から見つかったもので、彼女がずっと保管していたものらしい。

 

「申し訳ありませんが、しばらく二人にしてくれますか?」

「畏まりました」

 

 神官たちが退出する。たっち・みーは棺から出ると、黒に染まる鎧を脱ぎだした。ルシャナに手伝ってもらい、白亜の鎧を身に纏う。

 

「よくお似合いですよ。きっと……きっとスルシャーナ様も喜んで下さるでしょう」

「ありがとう、ございます」

 

 それきり互いに言葉が出てこなかった。言いたいことはたくさんあったはずなのに。結局口をついたのは単なる事務的な内容だった。

 

「私が目覚める頃、私が私自身でいられる保障はどこにもありません。ですから……」

「はい、心得ております」

 

 幾度も繰り返し議論されたたっち・みーと傾城傾国の使い道。次に目覚めるのは八欲王クラスの世界の、そして人類の危機が迫る時だ。たっち・みーは自身を後にやってくるかもしれないプレイヤーたちの抑止力として捉えていた。また、スルシャーナのように自我を失う兆候が見られたため、有事以外は自らを封印すると決めたのだ。それが最善の道と信じて。

 

 無常にも時は過ぎ、ついに別れの時が訪れた。

 

 神官たちの見守る中、たっち・みーが再び棺に横たわる。それを合図にルシャナがゆっくりと蓋を閉じていく。泣き腫らした赤い眼をまた潤ませながら。やがて棺が完全に閉じられた。

 

「おやすみなさいませ、たっち・みー様」

 

 透明な雫が一滴、少女の頬を伝い棺に落ちた。

 

 

 こうして六大神と八欲王に纏わる伝説は終わりを告げた。それからミノタウロスの〝口だけの賢者〟に代表される単独転移や、ネコさま大王国のようなギルド拠点ごと転移した様々なプレイヤーがこの世界を訪れることとなる。

 約百年周期で訪れる転移者たちは、多かれ少なかれ世界に影響を与えていった。十三英雄のリーダーなどはその最たる例であろう。

 

 六大神の治世から数えて六百年余りの月日が流れた頃、とある草原地帯に朽ち果てた墳墓が何の前触れもなく出現した。

 

 

 

 







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