PvP+N   作:皇帝ペンギン
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第11話

 たっち・みーが去ってから早半年。当時のスルシャーナの驚愕と落胆はそれはもう凄まじいものがあった。今ではNPCを誰一人近寄らせようとせず、一人執務室に篭っている。人間とも一切の交流を絶ち、誰とも関わろうとしない。それほどまでに気心の知れた友を失った衝撃は大きく、スルシャーナの精神を苛んでいた。

 

「たっち・みー様……貴方がいなくなってから、この国は火が消えたようです」

 

 ルシャナは今日もたっち・みーが去った方角に祈りを捧げる。旅の安全と、それから彼が無事に帰ってくることを願って。すっかり日課になってしまった所作を終えた少女は、哨戒任務に移ろうとして〈伝言(メッセージ)〉を受け取った。

 誰だろう、とルシャナは首を傾げる。他のNPCたちとの定時連絡の時間ではないし、何かしら緊急事態でも起きたのか。疑問に思いながら耳を傾ける。

 

『――こんにちは、ルシャナさん。私です』

「たた、たっち・みー様!?」

 

 思わず上擦った声が出る。それはルシャナが一日千秋の思いで待ち続けた相手だった。

 

『お久しぶりです、お元気でしたか?』

「は、はい、とっても! たっち・みー様は今何方にいらっしゃるのですか?」

 

 本当は気落ちしていたが、彼の声を聞いて全部吹き飛んだ。〈伝言(メッセージ)〉が通じる距離なのだからそう遠くないのだろうか。

 

『今はもう南の国境近くですかね』

「っ! 私、迎えに行きますね!!」

 

 その答えにたっち・みーの返事も聞かず少女は走り出す。ここ半年で一番の朗報だった。彼さえ帰ってくればスルシャーナも元に戻るに違いない。きっと全てが好転するだろう。ルシャナは鼻歌でも口ずさみたい気分で一杯になる。目的地まで全速力で走り続けた。

 

 

 ・

 

 

「たっち・みー様!」

 

 それから一時間もしないうちに待ち合わせの場所に辿り着く。果たして、待ち人が所在なさげに佇んでいた。ルシャナに気づいた白い全身鎧(フルプレート)が手を振る。

 

「お帰りなさい!」

「ただいま帰りました、ルシャナさん――おっと」

 

 感激のあまりルシャナはたっち・みーに飛びついた。たっち・みーが抱き止め、あの日のように頭を撫でる。

 

「たっち・みー様! 私、話したいことがたくさんあるんです! あの約束だって、まだまだ諦めてませんからね!」

「約束……ですか。そうですね、もちろんですよ」

「…………?」

 

 曖昧な笑みを浮かべるたっち・みーにルシャナは違和感を覚えた。何かが、おかしい。外見も声も、匂いすら寸分違わずたっち・みーなのに。鎌首をもたげた猜疑心が自然と言葉となって表れる。

 

「たっち・みー様、別れ際に私があげた()()()、まだ持ってらっしゃいますか?」

「……髪飾り、ですか? すみません、砂漠を横断する間に紛失してしまいました」

「っ!? そう、ですか――」

「がっ……!?」

 

 瞬間、ルシャナが懐から取り出した短剣がたっち・みーの兜のスリットを貫いていた。抜いた剣先には一切血が付着していない。そのまま高低差を利用し顎に膝蹴り、たたらを踏んで入る間に地に組み伏せる。胸当て(チェスト・プレート)を足蹴にし、思い切り弓を引き絞った。

 

「私はたっち・みー様に髪飾りなんて渡していない! 偽物め、何が目的だ!」

「くっ……」

 

 たっち・みーの振りをした()()はドッペルゲンガーだった。正体を現す。目も口もない球体に三つの穴が空いただけの顔が晒しだされた。

 

「ふふ、なかなかに鋭い。ですがもう私は充分に任務を果たしました。今頃は……」

 

 ルシャナの顔から血の気が引いていく。放たれた矢で絶命するドッペルゲンガーは満足げな表情を浮かべていた。すぐさま踵を返し駆け出す。〈伝言(メッセージ)〉を起動した。

 

「そんな……!?」

 

 聞けば他のNPCたちも未確認なモンスターと北、西、東の各国境沿いで交戦中とのこと。逆に応援を要請されてしまう始末だ。敵は用意周到にNPCを分断している。狙いなんてひとつしか考えられない。

 

「スルシャーナ様……!」

 

 主の身が案じられる。一秒でも早くスルシャーナの元へ。こんな時、あの方がいてくれたら……未だ消息不明の聖騎士が脳裏を過ぎる。額に滲む珠のような汗を拭いもせず、ルシャナは全速力で草原を駆け抜けた。

 そんな少女をあざ笑うかのように雫が鼻先を濡らす。ふと視線を上げると黒雲が広がっていた。やがて小さな雫は大粒の雨となり雷を伴い大地に振り注いだ。

 

 

 ・

 

 無数の雫が窓を叩き雨音を生み出しては消えていく。此方の気分はお構いなしのその無遠慮な自然の恵みが、今は非常に煩わしかった。呼吸を必要としないはずのスルシャーナは深く嘆息する。この半年間、一度として気が晴れることはなかった。

 精神沈静される身であるが、少なくとも以前は多少笑えたし、楽しいと感じることもあったはずだ。

 原因は多々考えられる。いつ来るともわからぬアンデッドの狂気に苛まれる日々、NPCたちとの不和。そして何より、

 

「たっち、さん……」

 

 スルシャーナは部屋の隅に置かれた真新しい全身鎧(フルプレート)へ視線を送る。百年の歳月と、それから各地で繰り広げられた戦闘によりたっち・みーの鎧はボロボロだった。

 彼に新しいものを贈ろうとした折に半年前のあの事件だ。結局渡しそびれてしまった。スルシャーナはまたひとつ重い息を吐く。何となく窓辺を眺めて、

 

「っ!?」

 

 息を呑んだ。薄暗い視界の中、雨に打たれるがままになっているあの傷だらけの全身鎧(フルプレート)は。転げ落ちるようにして階段を駆け下り、急いで扉を開け放つ。

 

「たっちさん!」

 

 ずぶ濡れのその姿は紛れもなくたっち・みーだった。この半年間、どれ程再会を待ち望んでいたことか。スルシャーナは急いで駆け寄った。

 

「たっちさん……僕、ずっと貴方に謝りたくて――」

 

 まずは謝罪を。それから自分と、あの少年を助けてくれてことへの感謝を告げなければ。そして誠心誠意言葉を尽くしてまた彼に戻ってきてもらうのだ。また、あの楽しくも懐かしい日々を。この手に――

 

「――え?」

 

 視界が揺らぐ。遅れて腰部に激痛が走り、何かが地に落ちる音。気が付けばたっち・みーを見上げる形になっていた。濡れた地に足を取られてしまったのだろうか。彼の前で無様を晒してしまった。恥ずかしさと共に起き上がろうとして、

 

「え……あ、あれ」

 

 ()()()()()()()()。正確には直立した自身の腰から下が背後に見えた。スルシャーナは困惑とも恐れともつかぬ表情で顔を上げる。雷鳴が轟いた。

 

「…………」

 

 一瞬、雷光に映し出されたるは白刃。無言で立ち尽くすたっち・みー。降りしきる雨が兜を伝い、それはまるで涙のようであった。

 

「たっち……さん……どうし、て」

 

 刃が翻る。スルシャーナの意識が断ち切られた。

 

 

 ・

 

 

「はっはーー!! 高レベルの雑魚最高ー!」

「いい狩場じゃねえか」

「無限湧きじゃないのが残念だわ」

「経験値は俺に寄越せよな」

 

 そして繰り広げられる一方的なPvP、またの名を異形種狩り。奇しくもその光景はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長がかつて受けた恥辱を想起させた。だがあの時とは違い、たっち・みーはワールドチャンピオンたちの蛮行を静観していた。決して手出しすることはない。否、できない。

 スルシャーナの仲間が死に絶えた今、彼のリスポーン地点を知っているのはスルシャーナ本人とそのNPCたち、それからたっち・みーだけだった。彼からリスポーン地点を聞き出したワールドチャンピオンたちは、レベリングを兼ねて今後の障害になりそうなスルシャーナを排除しにきたのだ。

 殺して、蘇生、殺して、蘇生。その繰り返し。初めは抵抗しようと試みたが、ひとりですら手におえぬワールドチャンピオン複数人相手だ。死霊系魔法詠唱者(マジック・キャスター)が敵う道理などなかった。

 

「ぐ……がっ……」

 

 もう何度殺されただろうか。幾度となく繰り返される暴虐の嵐は止むことなく、むしろその勢いを増していた。下卑た笑い声と共に振り下ろされる刃は容赦なくスルシャーナの体力を削っていき、また逃れえぬ死が訪れる。

 臨死体験にもいい加減慣れてしまったところだ。おそらくあの形容しがたい空間で意識を手放せば、もう二度と苦しむことはないのだろう。だがスルシャーナは頑なにその選択肢を選ぼうとはしなかった。

 それもひとえにたっち・みーのため。彼は明らかに正気を失っていた。何度呼びかけても一向に応じる気配がない。その様はユグドラシル時代の、特定の命令なしには動かない、或いは動けないNPCにもよく似ていた。何とか彼を正気に戻してあげたいが、このままでは。

 

「おら、もう少し気張れや骸骨!」

「張り合いがねえな」

「その方が楽でいいだろ」

 

 嘲け嗤いが頭上を飛び交い誰かのアイアンブーツが髑髏を踏みつける。呻き声をあげ苦悶の表情を浮かべるスルシャーナの眼窩が、あるアイテムを捉えた。

 

「お待ちなさい……」

「ん? 命乞いなら聞かねえぞ」

 

 息も絶え絶えに声を上げるスルシャーナにワールドチャンピオンの一人が無慈悲に吐き捨てる。無論、これまでに何度言を交わそうとしたことか。彼らが一切聴く耳を持たぬのは百も承知。ならば――

 

「……僕の所持していたアイテムに……流れ星の指輪(シューティングスター)が、あります……一つだけ」

『っ!』

 

 その言葉にワールドチャンピオンたちは目の色を変える。全員が前衛の戦士職な彼らにとって、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用できるアイテムは喉から手が出る程魅力的なものだった。

 突如として降って湧いたチャンスに男たちは血眼でスルシャーナのドロップしたアイテムを漁る。死した仲間たち全ての遺産を託されたスルシャーナのドロップ量は並大抵のものでなく、中々にして骨の折れる作業だった。

 

「おい、骨野郎! どこにあんだよ!」

「絶対俺が見つけてやるぜ」

「早い者勝ちだろ?」

 

 リーダー不在の今、見つけたアイテムは全て自分のものとなる。報告の義務などない。我欲に塗れた彼らは怒声あげながら発掘作業に没頭する。既に五十レベルを大きく下回るアンデッドなど何の脅威にもなりえない。後回しでいい、どうせ誰かが見張っているだろう。互いにそう判断したワールドチャンピオンたち。彼ら全員の注意が一瞬、スルシャーナから逸れた。

 

 この瞬間を待っていた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 スルシャーナが搔き消える。次の瞬間、彼の姿は物言わぬ聖騎士の前にあった。その手には流れ星の指輪(シューティング・スター)が。

 

「はあああ!? お前巫山戯んな――」

我願う(アイウイッシュ)!!」

 

 たっち・みーにかかっている状態異常を全て解除せよ――希望と共に放たれた光は蒼白の魔方陣を形成し、

 

「なっ……!?」

「…………」

 

 硝子の砕ける音を響かせ、何の効果ももたらさず消失した。スルシャーナを絶望が襲う。見誤った。超位魔法を上回る力、即ち世界級(ワールド)アイテムによる洗脳か。

 

「舐めた真似してくれんじゃねえか」

「うぐっ……」

 

 剣閃がスルシャーナの右腕を切り落とす。指輪ごと奪われてしまった。そのまま裏拳を叩き込まれ、レベル差も相待って骨の身は容易く吹っ飛ばされた。

 

「無駄撃ちしてんじゃねえよ、馬鹿が」

「へっへー、俺のもんだ」

「いいなあ、一回俺に使わせろよ」

 

 指輪を手に気色ばむワールドチャンピオン。彼はふと何かを閃いたようだ。嫌らしい笑みを浮かべたっち・みーとスルシャーナを交互に見比べる。

 

「おい、たっち。こいつのとどめ譲ってやるよ」

 

 そして告げられるあまりにも残酷な死刑宣告。胡乱な表情で佇むたっち・みーの瞳に光が宿る。まるで自動機械(オートマタ)のように迅速に命令を遂行した。

 繰り返し振り下ろされるグレートソード。何度でも何度でも。

 

「ごめんな、さい……たっちさん」

 

 もう次はない。体が、感覚が、魂がそう訴えていた。自然と口をつくのは彼への懺悔。全ては自分の弱さが招いたことだ。

 諦念に身を委ねようとして、かつての友の言葉を思い出す。眼窩の灯が最後の輝きを宿した。そうだ、この意思を彼に。今は無理でも、いずれ誰かが彼の洗脳を解いてくれれば。

 

 スルシャーナは最後の力を振り絞った。

 

「どうか……人間たちを……この世界を――」

 

 言葉は最後まで紡げなかった。スルシャーナ諸共次元が断絶される。かくして最後の六大神は、後世に八欲王と呼ばれる存在たちによって葬られた。未来永劫、永遠に。

 

 

 ・

 

「……何、これ」

 

 主との繋がりが途絶える。絶えず感じていたスルシャーナの存在がどんどんか細くなり、唐突に消え失せてしまった。

 国の中央部に戻るまで数々の高レベルモンスターに襲われた。逃げ惑う民草を守り、何とかその全てを退けたルシャナの前には空っぽの政務室。他のNPCたちと合流し、もしやと思い向かったのは始まりの場所。そこには多数の武具防具、アイテムの数々が乱雑に散らばっていた。そして、

 

「スルシャーナ……様?」

 

 その中に無造作に転がる骸。鋭利な刃で切断されたであろう骸骨の、虚ろな眼窩には赤が灯っていなかった。

 

「スルシャーナ様! スルシャーナ様!?」

 

 NPCたちが悲鳴を上げ駆け寄る。残されていたどんな巻物(スクロール)を使っても、蘇生はおろか回復すらできなかった。骨の腕が力なく垂れ下がり、崩れ落ちていく。

 

「嫌ぁああああああ!!」

 

 あるものは発狂し、狂気と共に何処かへ走り去った。あるものは憤怒の形相で武器を振り回し飛んで行った。あるものは無言で〈転移〉し行方もしれなかった。こうしてルシャナは一人取り残される。スルシャーナの骸をその腕に抱いたまま。とめどなく溢れるのは涙か、それとも雨か。嗚咽を漏らす少女の前に、されど正義は降臨せず。少女の慟哭は降りしきる雨に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 ・

 

 

 神を失った世界が欲深き王たちの手に落ちるのは時間の問題だった。数多の竜王(ドラゴン・ロード)からなる大連合が組織され、これを討伐せんと挙兵したが遅きに失す。呪いにより世界の敵(ワールド・エネミー)と化したたっち・みーを中心に、ワールドチャンピオンたちが好き勝手に暴れまわるだけで勝敗は決した。

 次々に国が滅ぼされ、併合され、やがて世界のほぼ全てが八欲王のものとなる。何時の頃か浮遊都市は〝エリュエンティウ〟と呼ばれるようになり、世界の中心となっていた。ここにリーダーを王と仰ぐ世界統一国家が樹立した。他のワールドチャンピオンたちはそれぞれが各主要都市の領主となり、ハーレムを築き上げた。

 連日催される酒池肉林の宴、併合した国への圧政、他国民の奴隷化などやりたい放題だった。力、富、権力――各々が欲望のままに生を謳歌する。その支配体制は十年、二十年と長きに渡り続いた。

 永遠に続くかに思われた八欲王による支配は、やがて思わぬ形で綻び始める。

 

 きっかけは皮肉にも、一画欠けた流れ星の指輪(シューティングスター)だった。








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