盲亀浮木
なんと美しい部屋だろうか。
おそらくこの部屋を目にした者は皆、中に踏み入ることを忘れてその場に立ち尽くすに違いない。
そう思わせるこの部屋を絢爛たらしめているのは計り知れぬ価値を持つであろう宝物たちだ。
淡い虹色の光を放つ魔獣の牙を丸々一本使った精緻な彫刻。
杢目調の模様が絶えず流れるように動き神秘的なオーラを放つ壺。
切っ先から柄頭に至るまで余すところなく宝石で装飾が施された宝剣。
他にもどのようにして作られたのか想像もつかない美術品がいくつも置かれている。
またそれら全てを違和感なく纏め上げる部屋の内装も素晴らしいと言う外ない。
(一体この地にはどれほどの財宝があるのか考えるのも馬鹿らしくなるな……。何度訪れても底が知れん)
バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=二クスは一人この部屋――――ナザリック地下大墳墓第九階層の応接室――――に設けられた椅子に座っていた。
この応接室は人間が数十人入ってもなお余りある程の余裕があるのだが、家具といえば一基のテーブルとそれを挟んで向かい合うように二脚の椅子があるばかりである。
片方の椅子に着座したジルクニフは自分の向かいに座る予定になっている人物を待っている。先ほど話したメイド曰く、本来は相手の方が先に入室する筈だったのだが所用で少し遅れることになったらしい。
扉の方でずっと立っている一人のメイドのことが少し気になりだした頃、ようやくその人物が部屋に入ってきた。
かつてよく見ていた頃より明らかに血色も良く足取りにも自信か希望のようなものが滲み出ている。身に纏うのは強力な魔化が施されていると思しき漆黒のローブ。以前着ていた衣服とは段違いに価値のありそうなものだ。
その老人はジルクニフの向かいの椅子の横に立つと一礼した。
「遅れて申し訳ありません陛下。フールーダ・パラダイン、ここに参上しました」
「あぁ、かけてくれ」
帝国の臣下の中でジルクニフが最も信頼していた者にして真っ先に裏切った男、元バハルス帝国主席宮廷魔術師フールーダ・パラダイン。
(このような形で再会することになろうとはな……)
話は二週間ほど前に遡る。
魔導国への訪問から月日は流れ新しい体制にジルクニフも徐々に慣れてきたころである。減った仕事もさらに効率よくこなせるようになり昼には仕事がほぼ終わる程になった。そしてそれを見計らったかのようにかの国から一通の書状がジルクニフのもとに届いたのだ。
宗主国と属国という間柄であっても王から王へ送られた書状なので例によって儀礼的な文言も多いのだが、かいつまんで説明するとこうである。
「そちらも少し落ち着いただろうし、ナザリックに来て久々にフールーダに会ってみないか?昔のよしみもあるだろう」
何ともふざけた内容である。己が目的の為にジルクニフと帝国の両方を切り捨てた裏切り者と会わないかと言うのだ。その書状を読んだ時など怒りそのままに破り捨ててやろうかと思ったぐらいである。
しかし冷静になって考えると情報収集という面では悪いことではない。最近フールーダが魔導国で新たな役職に就いたという話も聞く。どのみち今となっては両者とも魔導国に属している身内のようなもの。
恨みや怒りというものは確かにある。だがジルクニフが知る限りでもフールーダという人物が魔導国側につくというのは魔導王の力を知ったのなら仕方のないことだったかもしれない。
遺恨はあるので以前のような関係には戻れないだろうが、バハルス帝国そのものが魔導国の属国になった今ならお互い話しやすくもなる。
(仮に嫌だと思っても断る権利など無いしな……)
と渋々魔導王の提案に従ったのだ。
しかし実際にこうやってフールーダと会うと思っていたより親近感が湧いた自分にジルクニフは驚いた。
悍ましきアンデッドよりはマシだからか長い間世話になっていたからか。ハッキリとした理由は分からないが想定以上に会話は弾んだのだ。
まぁ、裏切ったことを何とも思っていない様子なのが少し癪に障るが。
「────────して、爺よ。最近なにやら魔導王陛下から役職を頂いたというのは本当か?」
「ええ、その通りでございます。恐れ多くも魔導技術開発局の局長という大任を任されました。しかしこの偉大なる墳墓には神々の知識が山のように眠っておりそれを紐解くので精いっぱいでして……。加えてドワーフ達のルーンという技術もまた興味をそそられるものでこれが─────」
フールーダが恍惚の表情を浮かべ自分の世界に囚われたようだったので慌てて引き止めようとする。
「───も、もうよいそれぐらいにしてくれ。……しかし爺の様子を見るに天職のようだな」
「誠にその通りでございます。開発局で作られた技術は帝国へ還元されることもありましょう。しかしせめて後100年早く魔導王陛下にお会いする事が出来れば……」
帝国のことも多少は気にしているということをアピールしようしているのかもしれないが、フールーダの態度から実際は帝国など歯牙にもかけてないのが見てとれる。
フールーダがこういう人物であることは分かっていたが、ジルクニフの胸中にあるのは怒りというより寂しさに近いものだった。自分に歯向かう者たちを悉く叩き潰してきた鮮血帝だからこそ最も信頼していた者の裏切りが心に爪痕を残していたのだろう。
ジルクニフはメイドの用意した果実水の入ったグラスを手に取りその細緻な装飾を眺めながらフールーダに語りかける。
「まぁ、そのような仮定を考えたところで今が変わるわけではあるまい。今後はなかなかこうやって話す機会も少ないだろう。……息災でな」
そう言って目線を戻すとフールーダは目を少し丸くしていた。そしてその後かつてよく見た優しさを感じさせる笑顔を見せる。
「陛下もお変わりになられましたな。以前の陛下ならその目に怒りを宿して私を問い詰められたでしょう」
「そうかもしれん。しかし諦めがついたというかな。魔導王陛下の力を知ればこうなるのも仕方がないというものだ」
「確かにその通りでございますな。いと深きあのお方の力を知ればその御前に平伏するほかないものです」
長い顎髭をさすりながらうんうんと頷いているフールーダに少しイラっとしたジルクニフだが、やはり魔導王さえいなければと今でも時々思う。
もちろん口には出せないことだ。
以前に帝城の廊下でそのような事をぽろっと口にした時に壁と天井から言い知れぬ殺気を感じて慌てて虚空に向かって取り繕う羽目になったのは記憶に新しい。
その後しばらく他愛のない話をしていると、フールーダがそろそろ仕事があると言いだしたので彼の退出の申し出をジルクニフは受け入れた。
憂鬱なことに今回のナザリック訪問はこれで終わりではない。当然ここの主であるアインズ・ウール・ゴウンにもう一度挨拶をしなければならないのだ。
それに加え、フールーダとの面会が終わったら話があると言われたのが気になって仕方がない。
(出来れば無理難題は勘弁して頂きたいものだな……)
フールーダが退室してしばらくするとメイドから魔導王陛下の準備が終わったので案内する、と言われた。
緊張からか額に汗が滲み出たが半ば諦めの気持ちでジルクニフは立ち上がりメイドの後を追うように応接室を出た。
ちなみに今回のジルクニフとフールーダの会合がアインズ・ウール・ゴウンの完全な善意により設けられたものだということは言うまでもない。
盲亀浮木(もうきふぼく)・・・めったに出会えないことのたとえ
以降の投稿は雲外蒼天ジルクニフの章で管理する予定です。
黒フールーダ……