直前の記事で、感謝と祈りを伝えた
HANS・HARUさんの
最後の記事の1つ前の4月22日だったかな
の記事を、
丁度、4月になって、5ch掲示板の
私への誹謗中傷を初めて検索してみて、
私への誹謗中傷に特化した専用スレッドまで
立てられての誹謗中傷の実態に気付き、
弁護士を依頼し、体調不良の中、吐き気を
催しながら確認作業をし終わった頃
だったかな、
に読んで、1キリスト教徒としては
深く感銘しながらも、
己の未熟さというか、
私はブログに嘘や見栄はなく、
ありのままの心を綴っているので
(他者への配慮等から書かないことは
あるけれど…)
以下のようにしか書けませんでした。
「
私は、30歳頃に仕事で大きな挫折をした時
聖書の神、聖霊を感じました。
以来、信仰を持つクリスチャンです。
でも、神(=愛)を忘れずに
日々を生きるのは、難しい、、。
なかなか、全部に感謝はできない私、、。
欺かれ、陥れられた相手、
傲慢な相手(誹謗中傷者)を
愛すること、感謝することは、
出来ないなぁ、、。
「全部に」に、
頭を殴られた気分ではあるのだけど、
愛を感じ会える人々と繋がって
生きていければ、いいかなぁ、
後は神に任せて、、。
」
神に任せてと思いつつ、言いつつ、
5月末ですっきりしかけたところを、
もっと被害が拡がっていたことに気付き
(気付かされ)、
結局、その後も最近まで、5ch掲示板の
書き込み者への呼掛け、対話も試み続けて
自分の心がもう限界を超えて折れた感…。
6月に、聞きに行けずに残念に思っていた
尊敬する医師(診ていただいたことがある
訳じゃないですが…)の講演の内容を
今日になって、初めて読みました。
まさに、今の私にタイムリーに響く、
心打たれる内容でした。
ヨハネによる福音書10章11-15節
「・・・
羊飼いでなく自分の羊を持たない雇い人は
狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして
逃げる。・・・彼は雇い人で、羊のことを
心にかけていないからである。
わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、
羊も私を知っている。
それは、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる」
と、所属教会の礼拝説教のお話
「羊をよく知る人、特に羊の面倒を毎日する
羊飼いは、羊の他の面も理解している。
羊は、よく迷い、惑わされることがある。
悪さをする羊もいる。」
を引用され、
「
自分が良き羊飼いであったか自問自答し
今、はっきり言うことができる。
私は、良き羊飼いであろうと努力した。
私は、自分の命を駆けて羊を守る覚悟を
持って仕事に臨んできた。
」
「
「ともに生きる」という言葉は、
キリスト教の「愛する」との考えから
出てくる言葉でもある。・・・
そのなかで最も重要なことは
「許す」
ということだと思う。
」
一言もない、
「良い羊飼いであろうと努力した」と
言い切れる(そして仰る通りなのだと思う)、
本当に凄いなぁ、と思います。
医療者の方々はどう感じていらっしゃるか
分かりませんし、
直接、診ていただいたことはないけれど、
私が、医師と医療を切り分けて考え、
医師不振、病院不振、医師不振に
陥らなかったのは、
先生と、先生の心が根付いた全ての羊?たち
のおかげでした。
ありがとうございました。
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全てを「許す」ことの難しさに
長年、苦しんでいる私…。
「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく」
が、本当に難しいのです、諸々…。
(乳癌のことじゃなくて申し訳ないですが
逆に、病気関連は、先生方のおかげで
心は穏やかです…)