そんなもので構築された官僚システムやらが古今の中国だろうが日本だろうが腐敗していくのだ。
何だかんだ試験が公平公正だろうが、独裁者の使いになったりするのだから素晴らしいものでもないだろう。
そんなこんなでリベラル批判をしたい人たちは試験の差別性をまぁ冷笑的に述べている。
いつも見る流れである。
容姿の差別というのは良くないけど、個人の選択の自由を尊重すると仕方がないという流れになる。
もう、学力と容姿の差別というのを気にするのは自分がそのカードを持っていないからだ。
容姿がよくて高偏差値大学に行った高校時代の同級生は上手く立ち回り、日本が大変なことになれば海外に高飛びでもするのだろうかとか毎日想像して虚しくなる。
医師の大変さだとか言う言説を見ても、なんだかんだ自分などに比べると上手に海外に逃げたりとかもしやすいのではないかと感じてしまうものだ。
自分は容姿がよくなりたいし、関関立の底辺学部というものを学歴ロンダしたい。
カードを良くしたいのだ。
親の小金はある。
学歴ロンダのための留学などを考えるが、恐らく似たようなことを考える人がたくさんいて学力や知能の格差で苦しむのだろう。
また、美容整形もしたいが持病も服用薬もある。健康・法的リスクを考えなければならない。
やり方を模索しているが、厳しいのだろうか。