2018-08-05

人生カードゲームに例えられる

人生というのはカードゲームに例えられるものだ。

各々がカードを生まれながらにして持っていて、それでどうにかするしかないと。

カードは人それぞれ違っていて良いというが、国家資本社会などによってルールは大抵ガチガチに決められているものだ。

最近大学入試話題関係している。

試験差別するのは全然OKというのが皆のコンセンサスになっている。

まり学力というカードが当然のように必要になるのだ。

試験という差別性は当然のように受け入れられる。

普段差別に反対する人ですらだというように振る舞うものだ。

そして、社会的に差別してはならないといいながら結局どうにもならない容姿というものもある。

この二つのカード 容姿学力自分には欠けている。

これはポーカーでいう役なし、通称ブタのようなものだろう。

IQ88で関関立の底辺学部しか進学できなかった自分はどうすればよいのか。

いつもわからないでいるものだ。

これかれも差別されるのだろうか。

留学をして学歴ロンダをしたいと思ったり、美容整形ニキビ跡だらけで汚らしい顔を良くしたいとか思うが何をしたらいいのかと。

持病があって服用薬がある。整形も健康リスクや法的リスクを考えなければならない。

留学だって知能が足りないからどうなるのか。

ただカードを良くしたい。いつもそう考えている。

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