太陽が死に絶えた暗黒の世界。かつてトブの大森林を支配していた
ナザリック地下大墳墓第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ。
デミウルゴスがあらかじめ
マーレは何気なく足元に視線を送る。頭が潰れひしゃげたトマトのような死体が転がっていた。到底似合わない奇妙な服を着ている。この死体の生前の趣味だろうか。どうでも良いことを考えつつ、やがて興味を失った彼は顔を上げ、ぽつりと呟いた。
「パ、パンドラさん何処へ行っちゃったんだろうね」
「さあね。あたしあのテンションちょっと苦手かなあ」
「お、お姉ちゃん駄目だよお……そんなこと言っちゃあ。だってパンドラさんは」
「あ、そっか。ごめん、今のなし。聞かなかったことにして」
慌てたマーレにアウラが苦笑しながら訂正する。
イグ何とかという冒険者たちを始末した後、一行は
その後、パンドラズ・アクターは「ではお坊っちゃんにお嬢様方、私はこれにて失礼」と言い残し何処かへ消えてしまった。どうやら主より密命を与えられているらしい。密命の内容が彼にしか明かされていないという事実に嫉妬心が湧き上がる。だがパンドラズ・アクターは唯一アインズに創造されたシモベだ。やはり創造主と被創造物との関係は特別なのかもしれない。
「――あ」
「これって……」
その時、二人の長く尖った耳がピクンと跳ねた。全身の毛が粟立つような感覚。圧倒的な力の波動、それも同時にふたつも。片方は間違いなく彼らの主人、アインズのものだろう。ではもう一つは? 何となくどこか懐かしい気がした。
気配の方を振り返る。夜の闇を眩く照らす白い閃光、より黒く塗り潰す真なる闇。おぞましいアンデッドの呻き声。どうやら戦闘が始まったようだ。戦いの余波で周囲の草木が揺れている。数キロ先のはずなのに、目と鼻の先で繰り広げられてるように錯覚してしまう。これが高レベル同士の闘いなのか。
「お、お姉ちゃん」
「わかってる。シャルティア〜! いつまで遊んでるの? あたし達もう行くからねー!」
狼型の魔獣、フェンリルのフェンに跨りマーレに手を差し伸べる。弟を引っ張り上げながらアウラは叫んだ。
「ちょっと待ってくんなまし! あれがまだ……うぅ、わた――わらわの装備ぃ」
シャルティアは死体の持ち物をごそごそと漁っていた。無論、奪われた装備品を回収しているのである。しかしマーレの魔法で一度にプチっとミンチにされてしまったものや魔獣が食べ散らかした肉片から探し出す必要があり、探索は難航していた。
「後は回収班に任せようよ! ほら早く、行くよ!」
「痛っ! ちょっと、髪を引っ張らないでって……ああ、もう! わかったでありんすよう」
「お姉ちゃんそんな乱暴しちゃ……」
三人は魔獣に跨り主人の元へと急いだ。彼らが去った後、蜘蛛の巣のような盛り上がった地表に腕や足が突き出していた。まるで墓標のように。既に肉塊と思われていたそのうちのひとつ、一本の右腕がわずかに動いたのを誰一人気づくことはなかった。
・
「お止め下さいませ! アインズ様!」
「たっち・みー様もどうか!」
「アインズ様! たっち・みー様!」
青ざめた守護者たちが悲鳴を上げる。NPCの嘆きなど創造主には届かない。
万一に備え事前に〈
まずは〈下位アンデッド創造〉で二十体の低級アンデッドを創造、たっち・みーへ突撃させる。無論、彼に傷一つつけることは叶わぬだろう。承知の上だ、あれらは肉壁。数秒でいい、わずかな時間があれば充分。
たっち・みーになすすべなく斬り伏せられるゾンビ達を視界の端に、アインズは貯めに貯めた余剰経験値を解き放つ。足元に二つの漆黒の魔法陣が展開した。
「〈アンデッドの副官〉」
どす黒い闇が魔法陣から噴き出す。闇のなかにアインズの種族である
「殺せ! あの紛い物を!!」
『畏まりました、我が召還主よ』
怨嗟の声を轟かせ、
「〈中位アンデッド作成〉」
「――はぁ!?」
アインズの口を思わず素っ頓狂な声が飛び出した。あろうことかたっちは風車の如く廻り回る鎌を紙一重で躱し、その峰に飛び乗ったのだ。重力を感じさせぬ軽やかさで優雅さすらある。
彼の反撃はこれで終わりではない。鎌の木柄を飛び石に軽やかに跳躍。グレートソードが白銀の輝きを宿す。
「
次の瞬間、光の矢となったたっちは一直線に
「ぐうっ……おのれ……」
曲がりなりにもアインズが経験値を大量消費して生み出したアンデッド達だ。この程度で終わるはずがない。
「今だ、やれ!」
「はっ、〈
即座に主人の意を汲む。負属性の大爆発が
「ほとんど効いていない……だと」
〈
高速で思考を巡らせていてふと気づく。心のどこかがあれは紛い物ではなく本物のたっち・みーだと訴えかけてくるのだ。その心の名は鈴木悟――もう残り粕でしかない人間だった頃の記憶の残滓。
(黙れ、黙れ黙れ!! あれがたっちさんであるならば、どうして……どうして俺の手を振り払ったりするんだ)
アインズは戦闘中だということを忘れ、顔貌を掌で覆いよろめいた。それは時間にして僅か数秒ほど。だが戦いの最中では命取りだった。
「……やはり斬撃や刺突では効果が薄い。ならば――」
「っ――!?」
たっち・みーは次なる行動に移っていた。驚くべきことに、なんとたっちは
「まずい! 〈
援護射撃を放とうとするがもう遅い。致命的な失態だった。投擲石と化した
「も、申し……わけ……」
「主さ……ま……」
はたして、アインズの切り札のひとつであった〝アンデッドの副官〟は、ほとんどその役目を果たせずに消滅してしまった。
「馬鹿……な……」
アインズの口から息が漏れる。レベル九十、その上アインズの特殊技術で強化したあの二体がものの数分で滅ぼされるなんて。ワールドチャンピオンであることを加味しても明らかに異常な強さだ。ユグドラシル時代を遥かに超越している。
これが数百年プレイヤーや現地人と渡り合ってきた本物の強者たる所以か。実践経験の差が如実に現れていた。アインズは圧倒的強者としてこの地にナザリックと供に転移し、
圧倒的強者の前にはアインズですら奪われるしかない、その全てを。それがかつてのギルドメンバーとは何たる皮肉か。認めざるを得ない。彼は正真正銘、本物のたっち・みーだ。
「〈
アインズが吼える。仮にそうだとしても、ただ座して敗北を待つわけにはいかなかった。この身は既に自分ひとりだけのものではなく。
迫りくる次元を切り裂く三重の刃に一切臆した様子なく、たっちはアインズへと距離を一気に詰めた。アインズの振るった腕と指の角度をつぶさに観察し、たっちはその全てをことごとく躱していく。その冗談のような挙動にアインズは叫びそうになるのを必死に堪えた。
(よし、かかった……)
たっちがある一点を踏みしめた瞬間、序盤に仕込んでおいた罠が発動する。そう、〈
「〈
三重の地雷の衝撃波が相乗効果でたっちに大ダメージを与える――はずだった。
「うっそだろ、おい!!」
思わず鈴木悟としての本音が出てしまう。なんとたっち・みーは三重の<
「貴方が私の手札を知り尽くしているように――」
たっちの姿が掻き消える。
「
『オオオオァァァアアアア!!』
「――私も貴方の行動パターンは読めるんですよ、モモンガさん! いきますよ、〈
「ぐっ……」
(ここで使うか、ワールドチャンピオンの超弩級最終
アインズの使う第十階位魔法〈
「なっ――」
一呼吸、絶妙な間が置かれた。たっちは
(……この、正義とか散々綺麗ごと言っておいて騙まし討ちかよ!?)
ユグドラシルとは違う、実践における命のやり取り、戦闘経験の差。アインズにも本当はわかっていた。騙される方が悪いのだと。ぷにっと萌えの〝誰でも楽々PK術〟にもそう記されていた。だがこぼれたミルクはもう戻らない。
「〈心臓――〉」
「――遅い!」
白銀の一撃が横一閃にアインズを両断しようとして、
「はぁああああ!!」
漆黒の
「アルベド、下がれ! これは私と彼との問題だ!」
「いいえ! 下がるわけにはまいりません!! 愛する殿方が傷つけられるのを黙って見過ごせる女がいるでしょうか!?」
アルベドの声は震えていた。泣いているのだ。きっと、自分とたっち・みーとの戦いに心身を痛めて。言うべき言葉が見当たらないアインズの視界をさらに二つの背が塞いだ。
デミウルゴスとコキュートスだ。二人はたっち・みーからアインズを守る形で、アルベドの両隣に並んだ。デミウルゴスの眼からはとめどなく涙が溢れており、コキュートスも緊張した面持ちで顎を鳴らしていた。声が枯れ果てる程叫んだが、創造主たちには届かなかった。ではどうすればよいか? 二人は跪き頭を垂れた。
「どうか、どうかたっち・みー様! 矛を収めくださいませ」
「御二方ノ間ニハ何カシラノ誤解ガアルヨウニ思イマス」
「アインズ様は我々を唯一お見捨てにならなかった慈悲深い御方なのです」
二人にセバスが続いた。意を決したようにたっち・みーの足元で臣下の礼をとる。この争いで一番心を痛めていたのはおそらく彼だろう。涙でぐちゃぐちゃになった顔を地面に擦り付け必死に懇願する。
「まさか、私が引退した後も……ずっと」
「……」
たっち・みーの息を呑む気配にアインズは沈黙で返した。ギルドメンバーが
「そうですか。ナザリックは未だ健在なのですね……」
「はい、アインズ様が我々の手を借りようとせず、おひとりでずっとナザリック維持に必要な外貨を稼いでらっしゃいました」
ナザリックに思いを馳せているのだろうか、兜越しではあるがたっちは目を細め感慨深そうにしていた。守護者たちの必死の思いが伝わったのだろうか。アインズが口を開こうとして、
「――では貴方たちを始末した後、そちらにも攻め込む必要がありますね」
かすかな希望は下手な絶望よりもよほどたちが悪い。アインズをはじめ守護者たちは奈落の底へと叩き落とされた。
「なん……で……」
「たっち・みー様……今、何と」
硬直するアインズたちを他所に、たっち・みーは涼しげに繰り返す。
「聞こえなかったのですか? この後ナザリックへ攻め込むと言ったのですよ。そうですね、第八階層は流石に手こずりそうですが、私には――これがありますから」
たっちは左腕のガントレットを外してみせた。人差し指に見慣れた指輪がはまっている。ギルドの証――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンだ。転移が禁じられているナザリック地下大墳墓において、所有者の好きな階層、好きな場所に転移できるという比類なき性能を誇る。
「今モモンガさんがお持ちなのは
「たっちさん!!」
「たっち・みー様! 何故そのようなことをおっしゃるのですか!?」
たっち・みーの発言をかき消そうと怒号があがる。それ以上、聞きたくないと。耳を塞ぎたい気持ちで一杯だった。もし自分が気に入らないのなら喜んで首を差し出しますから。どうか、どうか。守護者たちはほとんど土下座に近かった。発言を撤回していただけるなら何でもするから、と。その言葉を聞いたたっちはしばし考える仕草をし、
「では
凍りつく守護者たちを他所に、たっち・みーはセバスに向き直る。
「貴方はたしか……私が創ったNPCですよね?」
「はい、その通りでございます! 貴方様が創造してくださったセバス! セバス・チャンめにございます」
なんとか考えを改めてもらおうとセバスは言葉をつくすがたっちはセバスの言葉を遮り、告げる。
「ではセバス、貴方に創造主として命令しますが、よろしいですか?」
「はっ」
もしここで自害せよと言われたら喜んで自身の頭を拳で打ち抜くだろう。もしアインズを裏切って
しかしたっち・みーの命は予想とは違っていた。
「