「断捨離」カテゴリで、「引き寄せの法則」についても触れさせていただきます。
私はある時期、「引き寄せの法則」にハマったことがありました。
「引き寄せの法則」について深く没入し、私なりの考え方を得ることができました。
このブログのテーマの一つに「断捨離」がありますが、実は「断捨離」と「引き寄せの法則」、密接な関係があるです。
今日は、そのことについてお話しさせてください。
「引き寄せの法則」について考えているうちに、「断捨離」とはただ単に物を捨ててことではないと気づきました。
もちろん、私にとって物を捨てることは大事です、将来、旅に出なければならないから。
でも、断捨離すべきなのは、物だけではありません。
旅に出るためにも、物以外の物を断捨離する必要があるのです。
断捨離と旅はつながっていて、引き寄せの法則ともつなげるためには、物ではない何かを捨てなければならないと、最近しきりと考えるのです。
「引き寄せの法則」と「断捨離」の深くて密接な関係について。
実は「断捨離」と「引き寄せの法則」は深い関係にあります。
自分は磁石です。磁力を生むのは波動です。
良い波動を自分自身が発しないかぎり、磁石で幸運を引き寄せられないわけです。
余計なものを捨て切れていないと(断捨離できていないと)、運気が上がらないとはよくいわれること。
断捨離が不充分だと良い波動を悪い波動が邪魔をしてしまい、良いことを引き寄せる磁力が強くならないからなのですね。
では、何を断捨離すれば、運気が上がり、幸運を引き寄せられるのでしょうか?
読まない本や使わない食器を断捨離することも、引き寄せの磁力と無関係ではありません。
しかし実は、物の断捨離よりも、心の断捨離こそ、引き寄せの磁力を高めることに効果があるのです。
では、心の中にある何を断捨離すれば、良い波動を生み出し、幸運を引き寄せられるのかのでしょうか。
エゴイズム(強欲)を断捨離できますか?
それは、エゴイズム(利己主義)だと私は思っています。「強欲」と呼んでもかまいません。
自分だけ得をすれば良い、自分だけ幸せになれば良いという、自分の利益だけをを望んでいたら、運気は下がり、幸運は逃げてゆきます。
その意味では、心の断捨離で、まっ先にしなければいけないのが、エゴイズムの断捨離だと言えるのではないでしょうか。
オヤッっと、思っていませんか。
「人生は思った通りにになるというのが引き寄せの法則だろう、ならば、自分の利益を願って、何が悪い?」と首を傾げている人も少なくないかもしれません。
強く願望すれば、何でもかなうわけではないのですね。
そこが「引き寄せの法則」の難しいところ。
思わなければ実現はしませんが、思えば何でも現実化するわけではありません。
以下のように考えていただくと、誤解しなくて済むと思います。
自分は磁石です。磁力は波動が生みます。良い波動を出さなければ、幸運は引き寄せられません。
だから、運気を上げるには、まずは自分の心を整え、良い波動を出すことに集中するべきなのです。
で、問題になるのが「エゴイズム(利己主義)」。
自分の利益や幸福のことばかりを考えていると、心が乱れ、良い波動が出ません。むしろ、悪い波動を生み出してしまいます。
そうなれば、運気は下がり、不幸を招き入れることになるのです。
いかがでしょうか?
自分の利益ばかりをひたすら追求してきた実業家や政治家が、突然失脚するのは、心が邪気を出し、不幸を引き寄せてしまうから。
人を踏み台としか考えないで自分が成り上がることだけを考えている人間は、病気になったり、人に裏切ら得たり、災厄に巻き込まれたりします。
それは、引き寄せの法則が、悪い方向に働いてしまったからにほかなりません。
そのことから、自分の願いをかなえる、なりたい自分になるためには、自分の利益ばかりを追求するという「利益誘導」に走ってはいけないことがわかるのです。
良い波動は「調和のエネルギー」。調和には2種類ある。
視点を変えて、お話ししましょう。
幸運を引き寄せる良い波動は、調和のエネルギーなのです。
調和のエネルギーのことを私は「交響エネルギー」とも呼んでいます。
自然、社会、他人などと調和しないと人はなかなか幸せにはなりえません。
お金だけをたくさん集め、美貌の人と結婚できても、自分の生き方が社会と折り合っていなければ、悪い波動を出し続け、結果として不幸になってしまうでしょう。
また、この「調和」は、自分の外部との調和だけでなく、自分自身(本当の自分)との調和をも意味します。
「外なる世界との調和」「内なる世界と調和」と呼ぶとわかりやすいでしょうか。
リアル社会で生活している現実の自分とは別に、もう1人の自分がいると考えてください。
それを私はわかりやすくするために「本当の自分」「なりたい自分」と呼ぶことにしています。
例えば、「お金持ちになりたい」と願う人は多いですよね。
でも、こう考えてみてください。
現実の自分はそうなりたいと願っていても、「本当の自分」は実はお金だけを望んでいるわけではなく、お金持ちになって、そのお金を活用して他のことを成し得たいと願っているかもしれません。
ですから、「人生は思ったとおりになる」ことはあるのですが、その場合、「本当の自分」が歓ぶことを願うべきだと言えます。
つまり、「本当の自分」「なりたい自分」の願いは、利己主義とは別次元の純粋な思いであるのです。
エゴイズムの断捨離が困難だからこそ、人は旅に出るのかも。
かといって、利己主義を克服する(断捨離する)のは容易ではありませんよね。
偉そうなことを語っていますが、私だってそんなに立派な人間ではなし、煩悩のかたまりみたいな愚か者ですよ。
古くから、哲学や文学や宗教などが「エゴイズム」をテーマにして、今もなお明確な答えが出ていないわけですから。
夏目漱石も小説「こころ」などで、人間のエゴイズムを追求。「則天去私」という意味深な言葉を遺しましたよね。
「エゴイズムの断捨離」など、私のような凡人の手に負えるテーマではないとも言えるでしょう。
でも、自分の中の「強欲」という猛獣とどのように向き合ってゆくか、自分は猛獣使いになれるのか。
それについて考えてみることで得られるものは大きいと思うのです。
私が旅に出たいとさかんに願うのは、ひょっとすると、外なる世界と内なる世界の調和を目指しているのかもしれません。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」を読んでいると、以下のように思う時があります。
芭蕉は生涯をかけて、「外なる世界と内なる世界の調和」を希求し、俳句という小宇宙でそれを具現化しようとしていたのではなか、と思う時があるのです。
俳句をつくるかつくらないかは別にして、旅とは日常では得られない、神的な調和を目指す行為なのかもしれませんね。