侵入者-1
バハルス帝国、帝都アーウィンタール。
帝国国土のやや西方に位置するこの都市は、中央に鮮血帝との異名を持つ皇帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの居城たる皇城を置き、放射線状に大学院や帝国魔法学院、各種の行政機関等の重要なものが広がった、まさに帝国の心臓部ともなっている都市だ。
現在、帝都アーウィンタールはここ数年の大改革によって生じた活気と混乱によって、帝国の歴史の中でも最も発展を遂げている最中であった。新しいものがどんどんと取り入れられ、多くの物資や人材の流入がある。そしてその反面、古く淀んだものが破棄されていっていた。
そんなこれからの将来に対する希望的な光景に、ここで暮らす市民の顔も明るいものが多かった。
そんな帝国の力の結晶たるこの都市の驚くべき光景というのは幾つもあるが、その中の1つ。帝都に来た者の大半が驚くもの。それは――ほぼ全ての道路が石畳に覆われているということだ。
これは周辺国家でも類を見ないものだ。無論、帝国国内全ての都市が、そこまで行われているということは無い。ただ、それでも帝都を見れば帝国の潜在力が分かると、周辺国家の外交官が謳うだけのものはあった。
その中央道路。
放射線状に走る道路の中でも、街道からそのまま乗り入れており、帝都の主たる道路となっている道路の1つだ。
そこは道の真ん中を馬車や馬が通り、脇を人が歩く歩道となっている。それ自体は一般的な道路となんら変わらないが、帝国の主たる道路だけあってそこらの都市のものとは違う。
歩道がしっかりとした作りとなっているのだ。
道路と歩道の境界線にはちょっとした防護柵が立てられており、歩くものの安全を確保している。さらに段差をつけることでより安全を確保していた。
道路脇には夜になれば魔法の明かりを放つ街灯が一定間隔ごとに立てられていた。そしてある一定間隔で騎士が立ち、周辺の安全に目を配る。
これほど立派な道路は近隣諸国を見渡してもそうは無いだろう。それほどの道路である。
そんな道路脇の歩道を、歩く者の多くの中に、1人の男がいた。
身長は170中ほど。年齢は20になるぐらいだろうか。
金髪、碧眼、日に焼けた健康的な白い肌という帝国ではまるで珍しくない特徴の男だ。
美形ではない。だが、別に悪いという意味でもない。ただ、多くの人間がいればその中に埋没してしまいそうな、十人並みという容貌だ。
しかし、どこと無く人を引き付ける魅力を持っている。それは顔に薄く浮かぶ朗らかな笑顔からのようにも、自信に満ち溢れた堂々たる動きからのようにも思われた。
男は機敏に、だが、歩くものの邪魔にならない程度の速さで歩道を進む。
手足を振るたびに、シミ1つ無い綺麗で立派な服の下から聞こえるのは、鎖の擦り合う微かな音。鋭い者ならそれが薄いチェインシャツによるものだと察知しただろう。
さらに男は腰の左右には2本の剣を下げていた。長さとしてはショートソードよりも若干短め。長さにして刀身部分が60センチあるかないかぐらいだろう。握りの部分はナックルガードで完全に覆われている。鞘は凝った物ではないが、重厚感のある安くはなさそうなものだ。そして腰の後ろには殴打武器である、メイス。これは特別立派な作りではない。念のために持っているというのが分かるような一品だ。
そんな装備から、男が単なる戦士では無いのは、一目瞭然だ。
武器を1つ、2つ持つというのは、この世界であれば当たり前といえば当たり前の光景だ。道行く人間を見ていれば武装したものを見るのは珍しく無いとわかるだろう。だが、刺突、斬撃、殴打と3種類の攻撃方法を備えているものはそうそういない。
つまりはそういった可能性――様々な武器を使わなければいけないような状況、モンスターとの戦闘を考えた武装だということだ。
つまりは男の正体は冒険者というのが予測される答えの第一だ。
しかし、実のところ、彼は冒険者ではない。冒険者はどちらかと言えば守りの仕事。それに対し彼の仕事はもっとアグレッシブなものだ。
冒険者というものはギルドが仕事を請負、調査し、適格だと思われるランクの冒険者に振り分けられる。つまりは適当な仕事なのかどうか、最初の段階でギルドが調査しているのだ。そのため、危ない仕事――市民の安全を揺るがすような仕事や犯罪に係わるような仕事は破棄される。
要は麻薬に使われる植物の調達のような仕事は、ギルドが全力を挙げて阻止する方向に持っていくということだ。
さらにギルドは生態系のバランスを破壊するような仕事も破棄する。例えば、ある森での生態系の頂点に立つモンスターをこちらから出向いて殺したりはしないということだ。そのモンスターを殺すことで生態系が崩れ、その結果として森の外にモンスターが出始めることを忌避するためだ。当然、頂点のモンスターが森の外に出てきて、人の生活圏を犯すというなら話は別だが。
つまり、冒険者は正義の味方にも似たものだと考えると正しいのかもしれない。
ただ、そんな綺麗ごとばかりで話は回るわけが無い。何よりも金が欲しいという者もいるだろう。見返りを求めて危険な仕事を行う者もいるだろう。モンスターを殺すのが好きだというものもいる。
そんな者たち――冒険者としての光の面よりも、影の面を求めた者たち。冒険者のドロップアウト組み。そんな者たちを嘲笑と警戒を込めて『
そして今、道行く彼もその請負人の一員だった。
ふと、彼は道を歩きながら何かに気付いたように顔上げる。周囲の人間達も彼と同じ方向を一瞬だけ伺い、すぐに興味をなくしたいように視線を戻す。中の幾人かは連れとその件を話のネタにしているようだったが。
再び遠くから、風に乗って微かな歓声が聞こえる。その血に飢えた声は、戦いのときに聞こえるものに似ている。
男の視線の先――かなり先だが、そこにあるのは闘技場。
ワーカーである彼は別にそんなところに行かなくても、充分満足するだけの血を見ている。それに金をかけるという行為にも興味が無い彼が、行くことは殆ど無い場所だ。
出てきた答えに興味をなくした男は視線を動かす。少しだけ、今日の闘技場で開催される試合を思い出しながら。
やがて彼は騎士が立って周囲を警戒している4大神の神殿を横目に見ながら、角を曲がる。騎士達の視線が自らの腰に辺りに集まっているのは当然察知しているが、特別な行動は一切取らない。
まぁ、当たり前である。そんな自分から怪しいですよという行動を取るほど、彼は愚かではないのだから。
帝国の騎士とは専業兵士であり、警察機構も兼ね備えた者たちだ。
さらにはある一定以上の任期を努めたものには、軽量化の魔法が掛かった全身鎧と、鋭さを上げた魔法の剣の貸与を許される帝国治安の要である。そんな者たちからすれば複数の武器を所持した男というのは、充分警戒の対象になるのだから。
実際、道を歩けば騎士の多くが彼に注意を払っているのが感じ取れる。時には声をかけられたり、手配書と顔を見比べられたりする時だってあるぐらいだ。視線の1つや2つぐらい大した問題でもない。
彼が道なりに幾つもの店の前を通りながら進んでいくと、やがて見慣れた看板が姿を見せた。
看板には『歌う林檎亭』と書かれていた。
林檎の木から作り出した楽器を使った、そんな吟遊詩人が集まったのが店の始まりとされる、酒場兼宿屋だ。外見は年季の入ったものだが、中は意外にしっかりとしている。隙間風なんかまるで無いし、床は綺麗に磨かれている。確かに宿泊代はそれなりの金額が掛かるが、それでも彼個人としてはオススメの店である。
そして――何より飯が美味い。
そんなのが、彼と――彼の仲間達の滞在する宿屋であった。
彼は本日の夕食のことに思いを馳せながら扉をくぐる。彼の好みの豚肉のシチューが出れば最高だ、と。
宿屋に入った彼の元に飛び込んできた声は、仲間からの労を労う声でもなく、帰還に対する声でもなかった。
「――だから言ってるでしょ! 知らないって!」
「いえいえ、そんなことを言われましてもね」
「別にあの娘の世話人でもなければ、家族でもないんだ。あの娘がどこにいるかなんか知るわけ無いでしょ」
「お仲間じゃないですか。私も知らないと言われて、はいそうですかと引くわけにはいかないんですよ、仕事なもんで」
宿屋の一階部分。酒場兼食堂の真ん中でにらみ合う1組の男女。
女は彼の非常に見知った顔だ。
くすんだ金のような髪は短くばっさりと切られている。目つきの悪い顔には化粧っけというものがまったく無い。そんな彼女の最も目を引くところは、常人よりもはるかに伸びた耳。そう、彼女はハーフエルフという種族である。
森の種族であるエルフは人間よりもほっそりとした生き物だが、彼女もその血を引いているのが一目瞭然な肢体は、全体的にほっそりとしており、胸にも尻にも女性特有のまろやかさというものがまるで無い。鉄板でもはめ込んだようだった。
着ている物はぴっちりとした皮の鎧。腰には短刀を下げている。
近くから見ても、一瞬だけ男にも勘違いしてしまうような、そんな女性だ。
彼女こそ、彼の仲間であるイミーナである。
イミーナに対し、向かい合っている男は彼も知らない人物だ。
男はペコペコと女に対し頭を下げてはいるが、目の中に謝罪の色は一切無い。それどころか、嫌な色が混じっている。ただ、一応は下手に出ているところから判断すると、脳味噌無しではないようだ。
男の腕周りや胸周りにはみっちりと筋肉が詰まっており、前に立たれただけで威圧感を感じさせる外見をしている。しかしそんな暴力を発散させている男だが、ワーカーの一員である彼女に対し、そんな手段にでるほど愚かではない。
なぜならイミーナの外見は華奢だが、多少腕に自身がある程度の単なる男ならば、簡単に殺せるだけの戦闘能力を保有しているのだから。
「だからさっきから言ってるようにね!」
「何をやってるんだ、イミーナ」
彼の声に初めて気付いたようにイミーナが顔を向ける。そして驚きの表情を浮かべた。
イミーナほどの人物が会話に我を忘れて、彼が入ってきたことに気付いてなかったようだった。それは彼女がどれだけ激情していたかを充分に物語っている。
「……なんだい、あんた」
男がどすの効いた声で彼に問いかける。目は鋭いもので、今にも殴りかかってきそうな雰囲気を放つ。無論、凶悪なモンスターと対峙する彼からすると、笑い話程度の雰囲気でしかないが。
「……うちのリーダーよ」
「おおお、これはこれは。ヘッケラン・ターマイトさんですね、噂はかねがね」
急激な変化で先ほどの表情から一変して、愛想笑いを浮かべる男に、彼――ヘッケランは少しばかり嫌悪感を催す。
なんの理由で来たのかは知らないが、この宿屋まで男は来たのだ。ヘッケランのことを知らないはずが無いだろう。
恐らくは先ほどのどすの効いた声や雰囲気は、ヘッケランがどの程度の人間か計る意味で行ったに違いない。もし少しでも男の雰囲気にヘッケランが引いたら、その雰囲気のまま――威圧的に話を展開させるつもりだったのだろう。
ヘッケランの好きでは無いタイプの男だ。
確かにビジネスの一環として、そうやった方が上手く話を持っていけるというのはヘッケランも知っている。ヘッケランの同業者であれば、当たり前の交渉テクニックの1つだと判断するだろう。
だが、ヘッケランはそういった交渉は好きではない。裏表無く、直球でのやり取りが好きなのだ。別に面倒くさいとか関係なく。
「……騒がしいな。ここは宿屋なんだよ。他にもお客さんがいるからな、騒がしいことはよして欲しいんだけどよ?」
周りには客の姿は一切見えない。それどころか店の人間もだ。
別に隠れているわけではないだろう。なぜなら、この店に泊まるのは大抵がヘッケランとの同業者。そんな彼らからすればこの程度の騒ぎは酒のつまみにしかならないのだから。姿が見えない理由は、単純に席を離れているだけだろう。
ヘッケランは睨むように男の顔を見つめる。冒険者で言うならAにも匹敵するヘッケランの眼光は男のものとは比べ物にもならない。魔獣を前にしたように、先ほどとは逆に、男が一瞬だけひるんだような姿を取った。
「いや、申し訳ないですがね。そういうわけにも行かないもので」
男が若干声を落としながら、話を続けようという意志を見せる。ヘッケランの眼光を浴びてなお、それだけの行動を取れるということは、確実に力を行使する仕事――特に暴力関係を生業とする仕事についている者だ。
そんな者が一体?
確かにやくざな仕事をしているが、こんな男は全然知らないし、こんな態度に出られる記憶は無い。それに仕事の依頼のようにはまるで思えない。
困惑したヘッケランは眼光を弱め、最も簡単な男の正体を確かめる術を使う。
「……一体、何事だ?」
簡単だ。男に聞けば良い。
「いえね。ターマイトさんのお知り合いのフルトさんにお会いしたいなと思いましてね」
フルトといわれてヘッケランの脳裏に思い浮かぶ人物は1人だけだ。
アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。ヘッケランの仕事仲間であり、優秀なマジックキャスターである彼女だけだ。
そして彼女は、こんな男と縁のある女のようには思えない。幾つも死線を共に潜り抜けた仲間としてヘッケランはそう判断する。ならば厄介ごとと考えても良いだろう。
「アルシェ? あいつがどうかしたのか?」
「アルシェ……。ああ、そうでしたね。フルトさんとしか私達は言ってないものですから、混乱しましたよ。えっとアルシェ・いーぶ・りりっつ・フルトさんですね」
「で?! アルシェがどうしたって?」
「いえいえ、ちょっとお話したいことがありまして……内密の話なんですけど、何時ごろお戻りになるかと――」
「知るか」
ばっさりと話をぶった切るヘッケラン。そのあまりの思いっきりのよさに男は目を白黒させる。
「で、話は終わりか」
「し、仕方ありませんね。この辺で少し待って……」
「失せろ」
ヘッケランは顎で入り口の方向をしゃくる。そんな姿に再び男は目を白黒させた。
「はっきり言う。お前はどうも好きになれねぇ。そんな奴が俺の目の入るところにいるのはどうも我慢できねぇんだ」
「ここは酒場ですし、私が……」
「そうだな。酒場だな。酒を飲んだ奴が良く喧嘩をする場所でもあるもんな」ニヤリとヘッケランは男に笑いかける。「そう警戒しないで安心しろよ。あんたが喧嘩に巻き込まれて大怪我したとしても、こっちには治癒の魔法が使える神官がいる。無料で直してやるよ」
「少しぐらいは金を取った方がいいんじゃない?」
イミーナがニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら、横から口を出す。
「ありがたみが違うってものよ」
「――だってよ」
「脅す気……」
男の言葉は途中で途切れる。目の前のヘッケランの表情が急激に変化していくのを受けて。
ずいっとヘッケランが一歩踏み出し、男との距離を詰める。互いの顔しか視界に入りそうも無い距離だ。
「はぁ? 脅す? 誰が? 酒場で喧嘩ぐらい起こるのは珍しいことじゃねぇよな? おめぇ、親切に忠告してやってる俺に対して、脅すだぁ? 喧嘩……売ってんのかぁ?」
ビキビキと眉間に青筋を立てたヘッケランの形相はまさに、死線を無数に潜り抜けた男のものだった。
気圧された男は一歩後退すると聞こえるように舌打ちをつく。それから男はせかせかと入り口の方に歩きだした。必死に取り繕うとはしているものの、その背景に恐怖があるのは一目瞭然だった。
そして入り口のところまで来ると顔だけで振り返る。そしてヘッケランとイミーナに吐き捨てるように怒鳴る。
「フルトんちの娘に伝えて置けよ! 期限は来てるんだからってな!」
「あぁ?」
ヘッケランの唸り声じみた返答を受け、そのまま慌てるように男は宿屋の外に出て行く。
男が出ていくと、ヘッケランの表情がころりと元に戻る。もはや顔芸の一種だといわれても信じてしまうような変化だ。実際、イミーナがぱちぱちと軽い拍手を行っている。
「それで、何事だ?」
「不明。さっきあなたが聞いていた内容と同じことしか聞いてなかったから」
「あちゃー。ならもう少し話を聞いてからでも良かったか」
しまったと頭を抱える。
「アルシェが帰ってきたら聞けばいいじゃない」
「……だけどさ、あんま首突っ込みたくないんだよな。なんか嫌な話っぽくないか?」
「いや、そりゃ、分かりますけどね。あなたリーダーなんだし、頑張ってよ」
「リーダー権限で、同じ女であるイミーナが聞くってことで」
「勘弁してよ。私もヤダよ」
パタパタと手を振るイミーナも、ヘッケランも思いっきり苦い顔をしている。
冒険者やワーカーに共通認識として、やってはいけない行いというものは幾つもある。
最も有名というか当たり前なのが、互いの過去を調べることや聞き出そうとすること。これは言うまでも無く、何故してはいけないかは理解できるだろう。
次に欲望を晒すこと。
これは欲望を正直に表に出した場合、チームとして機能しなくなる可能性があるからだ。例えば毎日金が欲しいといっている仲間は大金の掛かった仕事や、漏らしてはいけない重要な機密の保持などでどれだけ信用できるのだろうか。異性が欲しいと言っている者と、同じ部屋で眠れるだろうか。別に聖人君子になれというわけではない。要は互いを信用できるように隠すべきところは隠せということだ。
そう意味では変な男が会いに来て、何か揉め事を起こしている雰囲気がある。そんなアルシェは信頼性がぐんと下がった状況だということだ。これは決して、なぁなぁで済ませて良い問題ではない。
ほんの少しでも不安を残すことは、命をかけた仕事をしている彼らにとって許容出来ない。ただでさえヘッケランのチームは微妙なチームだ。これ以上爆弾を抱えることは無理な話だ。
それが充分理解できるヘッケランは頭をぼりぼりとかく。その際はっきりとイヤだという表情を浮かべることを忘れない。
「仕方ないか。帰ってきたら聞くしかないな」
「よろしくー」
笑顔で手を振るイミーナに、ヘッケランは据わった目を向けた。
「何、逃げようとしてるんだ? お前も聞くんだよ」
「ええー」嫌な顔するイミーナだが、ヘッケランの表情がまるで変わらないことに諦める。「仕方ないわね。あんまりどぎつい話にならないと良いんだけど……」
「それで、今どこに行ってるんだっけ?」
「え? ああ、あの仕事の裏を洗いに行ってるわ」
「依頼主のバックだったか?」
「それと目的地近郊の歴史や状況もよ」
「ああ。じゃぁ、いないと思ったらロバーデイクと一緒ってことか」
「そう。2人で色々回ってくるって。それで、あなたのほうはどうだったの?」
「変なところの無い話だな、幾つかのパーティーは受けるという方向で動いているみたいだ。どうもおれたちがこのままじゃ最後になりそうな雰囲気だな」
「ふーん。その前に厄介ごとも持ち上がると」
「……うむー。関係する話じゃないといいんだがなぁ」
2人がそんな話をしていると、扉が開く時にたてる、きしむような音が酒場に響く。大きく開いた扉から、2人分の人影が宿屋の中に入ってきた。
「――ただいま」
「調べてきましたよ」
男女の声。
先に入ってきたのは金髪の痩せぎすな、まだ少女という言葉が相応しいような女性だ。年齢にして10台中ごろから後半にかけてというところか。
艶やかな髪はやはり肩口ぐらいでざっくりと切られ、目鼻立ちは非常に整っている。美人というよりは気品があるという雰囲気での美だ。ただ、表情が硬いというか人形のようなものがそこにはあった。
手には自らの身長ほどもある長い鉄の棒。そこには無数の文字とも記号とも知れないようなものが掘り込まれていた。
着ている物はゆったりとしたローブ。その下には多少の防御効果のある厚手の服。魔法使いとわかる格好だ。
そんな女性に続いて入ってくるのは、こちらはがっしりと着込んだ男だ。
全身鎧を纏い――流石にフルフェイス・ヘルムまでは被ってないが――、その上に聖印の描かれたサーコートを着ている。腰からはモーニングスターを吊るし、首からはサーコートのものと同じ聖印を下げていた。
茶色の髪は刈り上げられ、僅かな髭をたたえたがっしりとした顔立ちには爽やかなもの。外見的な年齢では、30台ぐらいだろうか。この場にいる誰よりも年のいった、年長者としての振る舞いがそこにはあった。
前者の女性がヘッケランの仲間、アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。
後者の男性がロバーデイク・ゴルトロンである。
ヘッケランのチームは男が2人に女が2人で構成されている。これこそがヘッケランのチームが、微妙なチームだという所以だ。
基本的にワーカーのみならず、冒険者のパーティーは性別がどちらか一方で固まるものである。
というのも冒険者として一つ屋根の下で長期に渡って生活したり、危険を潜り抜けていく中で、恋愛感情に結びつく場合が多いからだ。
恋愛関係の生まれたチームは解散する可能性が高い。それは冷静な判断への信頼性が薄れることが1つの要因だ。
例えば戦士と盗賊が恋愛関係になっているとする。モンスターが現れ、後方にいる盗賊と魔術師が襲われた。その際にその戦士は冷静に、場合によっては恋人である盗賊を見捨てて、魔術師を助けるだろうかという疑問が浮かび上がってくるからだ。
冒険者は仲間を信じなくてはならない。それは当然だ。自らよりも強大なモンスターと対峙するのだから。もしそんな不安が生まれて、冒険者の武器の1つであるチームプレイが出来なければ、その冒険者は次の冒険で命を失うだろう。
そのため、基本的には男女別々で構成するか、恋愛禁止。もしカップルが生まれたら解散とするチームは多い。
ヘッケランのチームもそんな爆弾を抱いているのだ。
「おお、お帰り」
あまりにもグッドタイミングというかバッドタイミングというべきか。帰ってきた2人にヘッケランは固い口調で答える。
「どうしました、2人とも?」
ロバーデイクが年長者とは思えないような、丁寧な口調で2人に話しかける。これは彼自身の性格もそうだが、ワーカーとして対等であるというところからも来ている。歳を取っているからえらいというものでは無いということだ。
「アア、イヤ、ナンデモナイヨ」
「マッタク、マッタク」
ヘッケランとイミーナのばたばたと手を振る仕草を、じと目で観察する2人。
「えっと、とりあえずはここで話すのはなんだ。あっちで話すか」
ヘッケランが指差したのは店の奥の丸テーブルだ。その意見に反論が無い、残り3人は即座に頷く。そちらに動きつつも、ヘッケランはアルシェとロバーデイクに視線を送る。
2人でかなりの時間、外を歩き回っただろうと予測されるのだ。特にロバーデイクの格好。せめて飲み物ぐらいは用意してやるか。
そう考えたヘッケランは、初めてあることに気付いた。
「おい、イミーナ。そーいや主人は?」
「買い物。で、私が留守番役ってわけ」
「まじかよ……なら適当に飲むか?」
「――私は大丈夫」
「ああ、私も大丈夫です」
「……そうかい?」
2人がそう言うなら構わないが、遠慮はするなよと言わんばかりのヘッケランの問いかけに、アルシェもロバーデイクも頷くことで答える。ならば良いけど、といいながらテーブルまで来た一行は席に座る。
「うんじゃ、俺達『フォーサイト』の打ち合わせを始めるか」
全員がそれと同時に浮かんでいた表情をかき消す。僅かにテーブルに身を預けつつ、顔を多少寄せる。人がいない酒場でも、どうしてもこんな話し方をしてしまうのは職業病のようなものだ。
「まずは依頼内容の確認だ」
全員の視線が集まったことを確認してから、ヘッケランは言葉を続ける。口調は今までとはころりと変わり、非常にまじめなものとなっている。締めるときはしっかり締める。それはリーダーとして当たり前のことだ。
「今回の依頼者はフェメール伯爵。依頼内容は王国国土にある遺跡――ナザリック大地下墳墓の調査。報酬金額は前1000、後800。さらに調査結果による追加報酬有り。ただしあまり期待するなとのこと。それと今回の依頼においては他のワーカーの参加も予測されている。調査日数は最大で3日。調査の中身としてはどういった遺跡なのかを多角的に調べること。最も重要なものはモンスターがいると思われるが、どのようなものが生息しているか等。まぁ、一般的な遺跡調査だな」
廃棄されたかつての都市跡や遺跡にモンスターが巣くう場合は非常に高い。そのためワーカーの調査といったらほぼ強行偵察と呼ばれる類のものだ。
「発見されたものは金額換算で2割が伯爵の、残りが発見したワーカーチームのものだ。ただ、最優先権は伯爵が有する。この辺も当たり前だな。それで行き帰りの足と滞在中の食料は伯爵側の負担。以上だな。さて、アルシェ、ロバーデイク。調べた内容の発言を」
「――ではまず私。フェメール伯爵の宮廷内の状況はそれほどよくは無い。鮮血帝に無下に扱われているという噂があった。ただ、彼自身無能ではないし、子供も愚かではないとされている。この状況下で犯罪に絡んだ仕事はありえないと思う。それと金銭的に追い詰められていないという情報もあった」
「王国国土にある遺跡の調査ということですが、私とアルシェさんで調べましたがその辺りに遺跡があるという噂も、歴史も確認されませんでした。ナザリック大地下墳墓というからには墓地なんでしょうけど、そんな場所に墓地があるというのが解せないぐらいです。周辺地理的には小さな村がある程度ですね。その村で情報を収集すれば少しは何か掴めるかも知れませんが?」
「無理だ。出来る限り隠密裏の行動を要求されている。目撃者に対して何かする必要はないし、しないで欲しいというのが依頼者側の要望だ」
「――ちなみにその周囲は王国の直轄領。下手な行動は王国、ヴァイセルフ王家を敵に回す」
「つまりは一般的な汚れ仕事ってことだろ?」
「そうですね。ただ、微妙な問題もあるでしょうね」
「まぁね。帝国で働いているワーカーが、王国内で暴れたら色々と問題になるでしょうし、下手したら伯爵にまで飛び火するかもしれないんだから」
「――でもその割には発見したものは持って帰っても良いといっている」
うーんと全員で頭を悩ます。
冒険者なら絶対に回ってこないような仕事だ。こんな他国の遺跡調査なんていうほぼ犯罪に近い仕事は。
「大体、どうやってその遺跡の情報を伯爵は手に入れたんでしょうね? 私達の調査では調べがつかなかったということはあまり知られてなかった墳墓なんでしょうけど……」
「――トブの大森林近くなんでしょ? 森を切り開いた時に発見されたとかはどう?」
「――変。小さな村しかないのに、そんなに森を切り開くとは思えない」
「王国が何か軍事的な意味で行動した結果という可能性が無くもないですが、小さな村しかないそんな場所に立地的な面でのメリットがあるようには思えません」
4人はふむと頭を悩ませる。今回の仕事は本当に受けても良いものかと。
冒険者ギルドという後ろ盾になるものが無いために、仕事に対する詳細な調査は当然必要になってくる。最初にしっかりと依頼人の背後関係を洗い、仕事をする場所を調べる。さらには依頼内容まで調べてようやく仕事を引き受けるのだ。ここまでしても厄介ごとに引っかかる時は多々ある。
仕事には命が掛かっているのだ。それだけ調べてもまだ足りないと思うぐらいでなければ、ワーカーはやっていける仕事ではない。自分達の手に負えないような危険の匂いがするなら、どれだけ好条件でも降りる必要があるのだ。
「……金銭的な面の確認をしたが、前金として渡された――」
ヘッケランはテーブルの上に一枚の金属板を置いた。そこには色々な文字が細かく掘り込まれている。
「――金券板を帝国銀行で確認したが全額払い込み済み。いつでも現金化可能だ」
金券板は帝国が運営している銀行が保証する、小切手のようなものだ。
かなり細かな作りをしているのは偽造されないためである。
手続きに時間が掛かるということと、手数料が取られるというデメリットはあるものの、メリットは計り知れないほどある。
例えば金貨は1枚10g。1000枚にもなれば10kg。かなり嵩張るためにこういったものを使って、取引を楽に済ませるものは多い。特に貴族や商人、そして冒険者のような高額な取引を行う存在たちが。
諸国では通常は冒険者ギルドがこういった業務を行う場合があるのだが、帝国の場合は帝国自身が保証して行っているのだ。
「罠っていうことも無いんだ……。まぁ、この金券板を渡してきた時点で本気だとは思ったけど」
イミーナは手を伸ばし、テーブルに置かれた金券板を取ると、外から入り込む明かりに透かすように見る。金券板に細かな文字が浮かぶ。
裏切るつもりのある相手は大抵が前金を払わないパターンだ。
イミーナからすると金貨1000枚を支払ってまで罠にはめるなんてことをされるほど、聞いたことも無い貴族に恨まれた記憶は無い。ならば信頼しても良いのではという思いが浮かぶ。
「私は――」
「ストップ。イミーナ、まだ終わってないんだ。もう少し頭を柔らかくしておいてほしい」
「はいはい。じゃぁ聞かせて。何で急ぎの仕事だと思う?」
「――不明。伯爵の関係者等になにか非常事態が起きているという話は無い。数日内に何かイベントがあるという話も無かった。遺跡内部から何かを持ち出せという依頼でも無い」
「王国の方でも特別動いているという話は無いみたいです。まぁ、ちょっと前の情報になるとは思いますが」
今回の仕事は本日の早朝依頼内容を聞かされたと思ったら、出発は明日早朝。その時間までに返事が無かった場合は断ったと考える、というものだ。
確かに急ぎの仕事というのは珍しいものではない。フォーサイトの一行だってそんな仕事をしたことだってある。ただ、問題は今回の仕事は1パーティーでのものではなく、複数のパーティーを雇っての仕事だということだ。
「――他のパーティーは?」
「受けるという方向が3つ。断るのが1つ」
「そちらから特別な情報は手に入らなかったので?」
「隠していたのか。それとも何も手に入らなかったのか。何も」
お手上げという風にヘッケランは肩をすくめる。
「――なら可能性は対立する者がいる」
「ありえますね。そうなら急ぐ理由も多くの者を雇う理由も出てきます」
「もしそうだと仮定するなら……私達レベルのチームのうち3つが雇われたということは……ワーカーはさほど問題ないとして、冒険者の動きをチェックしないと不味いみたいね」
「それよりは注意すべきは、埋伏だな。目的を果たしたと思ったら寝首をかかれるなんてゴメンだ」
「埋伏か冒険者。確かにまだ冒険者の方が良いですね。彼らならまともな交渉が効くし、酷いことにはならない」
「ワーカーの場合はマジで殺し合いになるからね」
「――リーダーどうするの?」
大体意見は出し尽くした。あとは推測とか予測の類の話だ。
「決める前に1つ言っておく必要がある事があった」
隣に座るイミーナが僅かに息を呑む。
「アルシェ。お前に会いに変な男が来たんだ」
アルシェの作り物のようにも思える感情の乏しい表情。その眉がぴくりと動いた。その反応を見て、知っている人物かとヘッケランは了解する。
「そいつは最後にこう言った。……なんだったっけ?」
ヘッケランはイミーナに問いかけると、何を言ってんの、という視線が迎え撃った。やがて本気で覚えてないということを理解すると、疲れきった声で答える。
「『フルトんちの娘に伝えて置けよ。期限は来てるんだからってな』」
「だ、そうだ」
皆の視線はアルシェに向けられる。
一呼吸。大きく息を吐き出し、アルシェは口を開く。
「――借金がある」
「借金?!」
ヘッケランは思わず驚きの声を上げてしまう。無論、ヘッケランだけではない。イミーナもロバーデイクも驚きの表情を浮かべていた。ワーカーとしてどれだけの報酬を得たかは、等割にしている関係上、互いに知っているのだ。自分の懐に入った金額を考えれば、借金なんてありえないような話だ。
「一体いくらなんです?」
「――金貨400枚」
そのアルシェの答えに、再び互いの顔を見合わせる。
安い金額ではない。それどころか通常の人間で考えるなら破格な額だ。一般職人の給料が1月3金貨。つまりは133か月分の給料に匹敵する額だ。
彼らクラスのワーカーでもこの金額は、1回では稼げるかどうか微妙なラインだ。
彼らのチームはワーカーでもかなり上位。冒険者ならAクラスに匹敵する能力を保有するパーティーだ。そんなクラスでも1回では稼げない可能性があるほど大金。それほどの借金を一体どうして作ったというのか。
その疑惑に満ちた目の含むところを察知したのだろう。アルシェは顔を暗いものとする。
本心からすると、当然言いたくは無い。しかし、言わないわけにもいかない。ここで話を打ち切ることはパーティーの輪を考えたら、追い出されてもおかしくは無い状況だと理解できるからだ。
決意したアルシェは口を開く。
「――家の恥になるから言えなかった。――私の家は鮮血帝に貴族位を奪われた家系」
鮮血帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。
その異名の通り、己の両手を血で染め上げた皇帝だ。
父である前皇帝を不慮の事故で失って即位。直後、当時5大貴族と呼ばれていた自らの母方の父――祖父が長をしていた貴族家を、皇帝暗殺の容疑で断絶。さらには自らの兄弟も次々に葬った人物だ。その中、母に当たる人物も不慮の事故で亡くなっている。
無論、反旗を翻したものはいる。だが、既に前皇帝の頃から、騎士という力を握りつつあった鮮血帝にとっては敵ではなかった。圧倒的軍事力で立て続けに有力貴族の掃討を開始。数年で自らに忠誠を尽くすものだけが残るという結果となったのだ。
さらには無能はいらない、という発言と共に、多くの貴族の位を剥奪していった。
そして有能であれば平民でも取り立てるという行為が、一気に皇帝の権力を絶大なものとしていったのだ。大きな反乱となる前――国土が荒れないように行っていった、敵対貴族の掃討はまさに見事としかいえないものだった。そしてそれが当時、10代前半の少年が行ったものだと信じられる者がいないほどに。
そんな人物のおかげで没落した貴族は珍しくは無い。ただ――。
「――でも両親は今だ、貴族のような生活をしている。無論、そんなお金があるわけが無い。だから少し性質の悪いところから金を借りて、そんなことに当てている」
3人は互いの顔を見比べる。
うまく隠してはいるが、互いに苛立ち、不機嫌、怒りの感情が透けて見えた。
アルシェが最初に仲間になったときの発言『――魔法の腕に自信がある。仲間に入れて欲しい』。ほっそりとした子供が、自分の身長よりも高い杖を両手で持って、そんなことを言ってきたのだ。そのときの互いの顔を思い出そうとすれば思い出せる。そんな驚きだった。そしてその後のアルシェの魔法の実力を知ったときの顔も。
それから2年以上、幾つもの冒険――1歩間違えれば死ぬようなものを超えて、かなりの金を得ても、アルシェの装備が大きく変わったようには見えなかった。
その理由が今、ようやくわかって。
「マジかよ。いっちょガツンと言ってやろうか?」
「神の言葉を言ってきかすべきですね。いやいや、神の拳が先ですかね」
「耳に穴開いてないかもしれないから、まずは穴を開けるところからはじめない?」
いやいや、これはどうだと互いのアイデアを言い合う仲間達に、アルシェは声を投げる。
「――まって欲しい。ここまで来た以上、私から言う。場合によっては妹達は連れ出す」
「妹がいるのか?」
こくりと頷くアルシェに、残る3人は顔を見合わせる。言葉には出さないが、この仕事を辞めさせたほうがいいんじゃないかという思いからだ。
ワーカーは確かに金を稼げる仕事だ。それは冒険者よりも。しかし、その反面、非常に危険度の高い仕事でもある。安全を確認した上で仕事を選んでいるつもりだが、それでも予期せぬ出来事というのは珍しくは無い。
下手すれば妹を残して死ぬ事だって考えられる。だが、ここから先は余計なお世話だというのが、皆の心にあった。
「そうか……。ならひとまずはアルシェの問題は了解したとしよう。で、その件の解決は任せるとして……今回の仕事を請けるかどうかだ」
ヘッケランはそこまで言うと、アルシェに冷たい視線を送る。
「アルシェ。悪いがお前の決定権は無い」
「――悪くなんか無い。問題ない。金銭に絡む問題を持っている私では、正しい答えは出せないとの判断だということぐらい理解している」
金に目がくらんで、という奴である。
「――正直、このチームを追い出されないだけマシ」
「何を言ってるんだか。お前さんみたいな腕の立つスペルキャスターが仲間に入ってくれたことは、俺達にとってもラッキーなことだぜ」
素に返り、ヘッケランはアルシェに言う。これはお世辞でもなんでもない。事実だ。
特に彼女の生まれ持った才能。奇跡的に与えられたその目は、ヘッケランたちフォーサイトにとって非常に役立つ働きをしたことが幾度と無くある。
魔法使いは魔法力と称される魔法のオーラのようなものを、体の周囲に張り巡らしている。魔法の使う腕が高まれば高まるほど、それを感知する能力も高まる。しかしながらこれはなかなか感知するのが難しく、する方が珍しいぐらいである。
しかし様々な才能を持って生まれてくる子供の中で、時折この魔法力の感知に長け、ほぼぴたりと当てられる子が存在する。
アルシェ・イーブ・リリッツ・フルトは、まさにそんな力を持って生まれた者だ。そして同じ力を持つ者はヘッケランたちが知る中では、帝国にもう1人しかいないほどの貴重な。
「しかし魔法学院もこれほど優秀な子を良く外に出したわよね」
「全くです。この歳で私と同格の位階まで使いこなせるのですから。もしかすると第6位階まで到達できるかもしれませんよ」
「――それは難しいと思う。実のところこの目だけでも食べてはいけるとは思う。でもそんなに稼げないから」
少しばかり砕けた空気が戻ってきた辺りで、ヘッケランは1つ手を叩く。その乾いた音が全員の視線を集めた。
「さて、今回の依頼は受けるか、どうか? ――ロバーデイク」
「構わないと思います」
「イミーナは?」
「いいんじゃない? 久方ぶりの仕事だしね」
ワーカーの仕事だってそう頻繁にあるものでもない。特にこんな高額の仕事はそうだ。
基本的に安い仕事をこなしたり、2月ほど仕事が無かったりはざらなのだ。実際、この1月、まともな仕事は無かった。犯罪に関わる仕事はあったが、フォーサイトとしてはゴメン被るものばかりだ。そのため、ここらでドカンと稼ぎたい気持ちは十分に分かる。
「なら――」
「――私に気を使ってるなら、それは遠慮したい。もし今回の仕事を請けなくても他にも手はある」
3人の視線が交わり、そしてイミーナがニヤリと笑う。
「まっさかー。考えてもみなよ、悪い仕事じゃないって分かるでしょ?」
「そういうことです。あなたのためではないですよ」
「だってよ」
「――感謝する」
ペコリと頭を下げたアルシェに、3人は互いに目配せをしあい笑いかける。
「じゃぁ、アルシェは俺と金券板を換金。残る2人で冒険の道具の準備に入ってくれ」
冒険に使うための道具、ロープや油、魔法の道具などのチェックを怠ることは出来ない。几帳面なロバーデイクと盗賊としての技術を持つイミーナに適した仕事だ。いや、ヘッケランが向いていないということもあるのだが。
「さて、行動を開始するんだが……アルシェ」
何と言うように頭を傾げるアルシェに、ヘッケランは疑問に思ったことを口にする。
「なぁ、報酬は今のところ全額で1800枚。借金を返すには足りない額だぜ?」
確かに4人で割れば450枚。借金は返せる額だろう。しかしながらフォーサイトの場合は報酬を貰った場合は5で割ることとしている。この4が各員の報酬で、残る1がパーティー管理の運営費用だ。この1からポーションやスクロール等の消耗品代及び宿代等の雑費が出されることとなるのだ。
つまりは今回の仕事の報酬は1人360金貨ということだ。
「――問題ない。それだけ支払えばまた少し待ってもらえる」
「残り40枚ぐらいなら貸してあげるよ」
「そうですね。この次の報酬で返してもらえればよいわけですから」
決して上げるとは言わないのがパーティーとして当然の行為である。お互いが対等なのだから、
「――それは遠慮する。もう、いい加減親が返すべき。せめてもの親孝行で時間だけあげる」
「そりゃ当然だわ」
4人で顔を見合わせ、笑い声を上げると各自すべき仕事に取り掛かっていた。
■
帝都の一区画。そこには無数の立派な邸宅が立ち並んでいた。高級住宅街。主に貴族達の邸宅が並ぶ、帝都でも最も治安の良い区画の1つだ。
古いながらもしっかりかつ豪華な作りをした邸宅は、数十年以上、主人を変えることなく過ごしてきた。
しかしながら現在は鮮血帝によって、中の住人が変わっていれば、空になった所もあった。
貴族──の邸宅というのは1つのステータスシンボルである。金が勿体ないからといって、邸宅を飾らない存在というのは貴族階級では嘲笑の対象だ。これは貴族であるという力を内外にアピールするための物であると同時に、相手を迎え入れるための場所として使うからだ。
貧しい邸宅と豪華な邸宅。招かれたとき、力を感じるのはどちらかと言えば理解しやすいだろう。
金を持ちながらも邸宅を飾らない存在というのは、自分を良く見せようとする意思を持たないと判断されるのだ。
そのため邸宅に金をかけるのは正しい行為なのだが、それはそれに相応しい力を持つものの場合だ。
立ち並ぶ邸宅の1つ。そこは未だ住人をその内に入れた館であった。
そこの応接間。
硬い表情で室内に入ったアルシェを出迎えたのは彼女の両親だ。貴族とはこういうものだという品の良い顔で、仕立ての良い服を着ている。
「おお、お帰りアルシェ」
「お帰りなさい」
2人の挨拶に答えるよりも、アルシェの視線が向けられた先になるのはテーブルの上に乗ったガラス細工だ。非常に細やかに彫刻の施された杯を形取ったもので、それなりの値段を感じさせる。
アルシェが頬を引きつらせるのは、それが今まで家の中で見たことが無いものだからだ。
「──それは?」
「おお、これはかの芸術家ジャン──」
「──そんなことは聞いてない。それは今までうちに無かった。何故そんなものがある?」
「それはね、これを買ったからだよ」
気軽な──今日の天気を話すような口ぶりでの父親の言葉に、ぐらりとアルシェの体が揺れる。
「──幾らで?」
「ふむ……確か交金貨25枚だったかな? 安かろう?」
がっくりとアルシェが肩を落とす。今回の報酬で借金を返してきたら、更に借金が増える原因を見せられれば誰だってこうしたくもなるだろう。
「──何故買った?」
「貴族たるもの、こういったものに金をかけなければ笑われてしまうものだよ」
自慢げに笑う父親に、流石のアルシェも敵意を感じる目で見てしまう。
「──もう、うちは貴族ではない」
父親の表情が硬くなり、赤くなる。
「違う!」父親はダンとテーブルを強く叩く。応接間の分厚いテーブルであったため、ガラス製の杯がまるで動かなかったのは幸運か。「あの糞っ垂れな愚か者が死ねば、我が家はすぐに貴族として復活するのだ! 我が家は代々帝国の貴族として存在してきた歴史ある家。それを断絶することが許されるだろうか!」
「これはそのための投資だ! それにこうやって力があることを見せることで、あの愚か者にも我が家は屈しないということを見せ付けるのだ!」
愚かだ。アルシェは興奮し鼻息の荒い父親をそう評価する。あの愚か者とは鮮血帝のことだろうが、アルシェの家程度なんとも思ってもいないだろう。だいたい、そんなことを考えずに、もっと別の手段で見返させるべきではないだろうか。
世界が見えていない。アルシェはそう判断し、力なく頭を振る。
「2人とも喧嘩はやめて頂戴」
のんびりとした母親の口調に、アルシェと父親の睨みあいは止む。無論確執を残しつつも、第三者の顔を立てるという意味での一時中止でしかないが。
母親は立ち上がると、アルシェに小さな小瓶を差し出した。
「アルシェ。あなたに香水を買ったのよ」
「──幾ら?」
「金貨5枚よ」
「そう……ありがとう」
アルシェは母親に礼を言うと、大した量の入ってない小瓶を受け取り、それをしっかりとしたポケットの中にしまいこむ。
アルシェからすると、母は冷たい目で見ることが難しい。というのも化粧品のようなものは確かに賢い考え方だといえるからだ。
身なりを整え、良いパーティーに出席し、力ある貴族に見初められる。女の幸せは結婚にあるというそんな考えは、貴族の観点からするとかなり正しい考えだ。そのための投資として化粧品を買うことは間違ってはいない。
しかし、それでも今のこの家の状態で香水は無いだろうという思いも浮かぶ。
「──何度も言ってる通り無駄使いはするべきではない。最低限の生活に必要な分だけ消費すべき」
「だから、言っているだろう! これは必要な消費だと!」
憤怒のため顔がまだらに染まっている父親を疲れたようにアルシェは見る。幾度となく繰り返し、なぁなぁで終わってきた問題だ。こうまでなってしまったのはアルシェの所為でもある。もっと早く、何らかの力技を使っていればこうはならなかったかもしれない。そして『フォーサイト』の面々に迷惑をかけることも無かっただろう。
「──私はもう家にお金を入れない。妹達と家を出て暮らす」
その静かな声に激昂したのは父親だ。事実この家に金を入れている人物がいなくなるのはまずいという程度の考えは浮かぶ。
「今の今まで暮らして来れたのは誰のお陰だと思っている!」
「──もう恩は返した」
アルシェは言い切る。この数年で渡した金額は安い額ではない。そしてこの金は冒険で得た、仲間と共に強くなるための費用だ。確かに報酬の個人の取り分の使い道は各員それぞれだ。
ただ、暗黙の了解として、大半が自らを強化することに使われるのが当然だ。いつまでも武装をより良いものにしない仲間を見て、どう思うだろうか。
武装を強化しないということは、下手すると1人だけ弱い状態でいる可能性だってあるのだ。
だが、ヘッケランたちフォーサイトの面々は決してアルシェに対し、何か言おうとはしなかった。それに甘えすぎていたのだ。
アルシェは強く睨む。その強靭な意志を感じさせる視線を受け、父親はひるんだように目をそらした。当たり前だ。死線を潜り抜けてきているアルシェが、単なる愚かな貴族に負けるはずが無い。
何も言わなくなった父親を一瞥するとアルシェは部屋を出た。
「お嬢様」
部屋を出たアルシェに、見慣れた顔が恐る恐るという感じで声をかけてくる。
「──ジャイムスどうした?」
長年仕えた執事のジャイムスだ。その皺の多い顔は緊張感を漂わせた硬いものだ。即座にその理由に思い至る。それは父親が貴族でなくなった頃から時折見る顔だからだ。
「このようなことをお嬢様に言うのは心苦しいのですが……」
アルシェは手を上げることで、これ以上言わせまいと言葉を遮る。応接室の前で行うべき会話ではないと判断し、2人で少しばかり離れる。
アルシェは懐から小さな皮袋を取り出し、それを開いた。中かには様々な種類の輝きがあった。最も多いのは銀の輝きだ。ついで銅。最も少ないのが金だ。
「──これでどうにかなるだろうか?」
皮袋を受け取り、中身を覗き込んだジャイムスの顔がわずかばかりに緩む。
「給金、および商人への返済……何とかなると思います、お嬢様」
「──良かった」
アルシェも安堵の息を漏らす。自転車操業だが、まだ何とかなると知って。
「──父に買わせない様に出来なかった?」
「無理です。お知り合いの貴族の方を伴って来られました。途中幾度か旦那様には言ったのですが……」
「──そう」
2人で揃ってため息をつく。
「──少し聞きたい。もし今雇っている者たちを全員解雇した場合、最低限どれだけの金額を用意したほうが良い?」
ジャイムスの目が少しばかり開き、寂しそうに微笑む。
「畏まりました。おおよその金額を計算し、お持ちしたいと思います」
「──宜しく頼む」
そのときタッタッタっという軽いものがそこそこの速さで移動してくる音が響く。それもアルシェに向かって。避けることは簡単だが、流石に避けるわけにはいかないだろう。
振り向いたアルシェに向かって走ってくる影が1つ。そして速度を緩めることなくアルシェにぶつかってきた。体重の軽いアルシェよりももっと軽い体躯だ。正面から受けとけることは容易いが、そういうわけにも行かない。受けると同時に、後ろに下がり、その勢いを殺そうとする。
胸の辺りに飛び込んできたのは、身長は110センチほどの少女だ。年齢は5歳ぐらいだろうか。目元の辺りが非常にアルシェに似ている。そんな少女はぶぅと不満げにピンク色の頬を膨らませた
「かたーい」
これは飛び込んだアルシェの胸が平坦だといっているのではない。
冒険者用の皮を多分に使った服は防御能力にも長けている。それはつまり胸部から腹部にかけては、硬質な皮を使ったりしていること。そこに飛び込んだのだ。潰れるような思いだったことだろう。
「──大丈夫だった?」
少女の顔を触り、頭を撫でる。
「うん、大丈夫。お姉さま!」
ニコリと少女は楽しげに笑う。自らの妹にアルシェも笑いかける。
「……では私はこれで」
2人の邪魔をしまいと離れていく執事に目礼を送ると、アルシェは自らの妹の頭を撫で回す。
「ウレイ……走るのは……」
そこまで言おうとして、アルシェは口ごもる。貴族の令嬢が廊下を走るというのは不味い行為だ。しかし、父親に言ったようにもはやアルシェたちは貴族ではない。ならば走っても良いのではないか。そんな考えが浮かぶ。
その間もアルシェの手は止まらず、結果、頭がぐしゃぐしゃに撫で回され、少女は屈託も無い笑い声を上げる。アルシェは周囲を見渡し、もう1人がいないのを確認する。
「──クーデは?」
「お部屋!」
「そうなの……少し話したいことがあるの。一緒に行きましょ」
「うん」
妹の朗らかな笑顔。これを守るのは自分だ。そう強く感じ、アルシェは妹の小さな手を握る。
アルシェの小さな手でもすっぽり収まるより小さな手から、暖かな体温が伝わってくる。
「お姉さまのおてて硬いよね」
アルシャは空いている手を見る。冒険によって幾度となく切れ、硬くなった手はもはや貴族の令嬢の手ではない。だが、それに後悔は無い。この手は当たり前の手だ。いや、この手だからこそ、友──フォーサイトの仲間たちと共に生きた証なのだから。
「でも大好き!」
妹の両手でぎゅっとアルシェの手が握られる。アルシャは微笑んだ。
「ありがと」