お父さんへ
今日は2018年6月の10日。
お父さんにはわからないだろうけれど、わたしがお父さんと最後に会えた日から、今日で10年の月日がたちました。
10年前のあの日、2008年6月10日はじっとりと汗ばむほど暑くて、青空が広がっていたね。世界は晴れ渡っていたけど、面会を申し込んでもお父さんと会えないのではないかと、わたしの心は暗かった。
あのころ、もしかしたらお父さんは、遠い意識のどこかで、弁護人や家族が面会に来なくなったと感じていたかもしれない。でも、面会は申し込み続けていたんだ。
あの日、面会申込書を書きながら、わたしは、
(最近、面会を拒否されてばかり。お父さんは元気だろうか。前回会ったとき、体調が悪そうな上に顔がぼろぼろで、ひどい状態だった。もしかして、最近会わせないようにしているのは、病状が更に悪化してきているからなのか)
と考えていた。もしかして二度と会わせてもらえないのだろうか、とも。
一緒に面会に行った弟が、
「今日は会えるかな?」
と、心配そうにつぶやいた。
「どうして会わせてくれないんだろうね……」
と。わからない。わたしも知りたかった。どうして会わせてくれないんだろう、って。お父さんに会いたがる弟を見て、せめて今日は会わせて欲しいと願った。
刑務官が呼びに来たとき、今日は会えるかもしれないと意外に思い、同時にうれしかった。弟もうれしそうだった。それほど、お父さんと会える機会は減っていっていたんだ。
午後3時10分、東京拘置所1階の面会室にわたしたちが入ったあと、いつものように車いすに乗せられたお父さんが運ばれて来た。
お父さんの姿を見て、弟の緊張が一気に高まるのがわかった。目を見開いて息をのみ、助けを求めるようにわたしの顔を見た弟。
お父さんの顔は赤く腫れあがり、皮がむけ、むけ残った皮膚がところどころ顔に張り付いている状態だった。赤くなっているのは、顔ばかりではない。手や肘にでていた赤みは、何が原因だったのだろう。それでも、前回の面会の時よりはまだましだったかもしれない。
だけど、弟は前回一緒に面会をしていない。弟は、ただでさえ壊れた人形のようなお父さんが、皮膚さえぼろぼろになっている様子を見て、衝撃を受けているように見えた。
なぜお父さんの顔は、あんなひどい状態になっていたの? 理由がわからない。あれだけ顔が腫れるほど、日焼けする機会などあるはずがない。ではなぜ? やっぱり、排泄物の中で生活をさせられているから、皮膚が感染症を起こしたのかな。
そんなお父さんの姿を見るのはつらいことだったけど、
「……やっと会えました」
と言ったわたしの言葉は、心からのものだった。
弟は、お父さんが胸のあたりをおさえ、苦しそうな顔をしていたから、心配そうに、
「胸が苦しいんですか?」
「顔も苦しいですか」
と話しかけたね。いつも通り、反応はなかったけど、意識のどこかには届いていたんだろうか。
わたしも、無意味なことはわかっていたけど、言葉を絞り出すように話しかけた。
――黙っていては拘置所が面会を一方的に打ち切り、お父さんが乗せられた車いすを引きずり出してしまうから。
東京拘置所は、お父さんが無意味な音を出し続けているときに、誰かが話しかけ続けていないとだめらしいんだ。
そうしないと、わたしたちの話に、お父さんが相づちを打ちながら話を聞き入っていることにできないからね。東京拘置所も必死だったのだと思う。
でも、1人で「う゛、あ゛あ゛あ゛」という音を出し、口の中でぶつぶつ言っているお父さんに、本当に何を言えばよかったのだろう。何を話しかけても、反応など返ってはこないのに。
話しかけ続けると、お父さんとわたしたちの意思疎通ができると、東京拘置所に嘘をつかれてしまうのに。
弟は、そのあとも、お父さんに一生懸命話かけていたね。
足が痛いのか、風邪を引いているのか、腕が赤いがかぶれでもしたのかと。でもお父さんは、何も応えない。
(わたしは無理でも、弟には応えてあげて。赤ちゃんのときに別れたきりなんだよ。どうかお父さん、現実に戻ってきて。お願いだから。ひと言でいいから、話しかけてあげて)
弟と共にお父さんと面会をするたびに、何度祈ったことだろう。
「あちこち赤いですが、何かかぶれでもしたのですか。それとも、何かに刺されましたか」
弟の心配そうな声が、耳朶を震わせる。
しかしお父さんはまったく反応しない。アクリル板を挟んで、体は数十センチ先にあるのに、心は遠い世界に行ったまま……。
わたしが最後に見たお父さんは、刑務官に車いすをひかれて連れ出される姿だった。荷物のように運ばれてきて、荷物のように運び出されるだけ。
お父さんの意思がまったく介在しない面会だったけれど、ほんとうに姿を見られてよかった。
あの日、面会ができたことで、わたしはお父さんにまた会えると思っていた。でもちがったんだ。あれが、お父さんとわたしが面会ができた、最後の日。家族が面会できた最後の日だった。
あれから10年。
家族も、弁護人も、お父さんに会おうと面会を申し込み続けてきたけれど、会わせてもらえなかった。家庭裁判所の調査官も鑑定医も面会ができなかった。お父さんが外部の目に触れなくなって、丸10年。
果てしなく長い時間が経ちました。
あのひどかった皮膚は治りましたか。
虐待は悪化していませんか。
いま、人として扱われていますか――。