『植民地支配』と『併合』の違いについての誤解
日本が韓国を『植民地支配』したか、或いは『併合』したのか、これだけの議論でもずいぶん誤解がある。『植民地支配』が住民にとって残酷な一方的搾取であり、『併合』が軍による侵攻と関係の無い平和的な合併であるかのような誤解は、無知を基にしているのではないだろうか。特に植民地支配が搾取の一方であり、住民の奴隷化を意味するかのような誤解は、あまりにも事実とかけ離れている。
実は、『植民地支配』と『併合統治』の違いは、形式以外殆どない。
『併合』における一応の最終的目票は、併合された土地の住民の権利を本国住民の権利と同等にする事にあり、併合された土地の『独立』を約束するものではない。原則的に、併合された土地の住民は、本国の住民の所持する権利と同等の権利を与えられると約束されるが、多くの場合はこれに即してはいない。
例えばアメリカがフィリピンを植民地化した時、将来的なフィリピンの独立を約束していたし、一方 日本が朝鮮住民に対して約束していたのは、日本本土の住民と同等の権利の将来的付与だ。
因みに日本が朝鮮半島を『併合』した際に、朝鮮人には日本人と同等の権利が完全には与えられていなかった。朝鮮総督は、歴代の陸海軍大将現役や予備役が歴任している。朝鮮総督府の枢要なポストは日本人が握り、韓国人は下位のポストを占めていた。こういった 日本統治の形に最も近い支配は、実はイギリスによるインド植民地政策であるし、日本はイギリスの統治を真似て朝鮮半島を支配しようとしていたのだ。
選挙権についても書こう。
日本本土は、1889年に大日本帝国憲法及び衆議院議員選挙法が公布され、「一定以上の財産」を持つ「25歳以上の男子」に選挙権が与えられ、また 改正を経て、1925年に「25歳以上の男子全員」に選挙権が与えられているが、朝鮮半島の住民に対して国政選挙権が付与されたのは1945年になってからだ。4月3日、 改正衆議院選挙法と改正貴族院令が発令されたが、戦局の悪化の為、朝鮮人の貴族院議員は日本に渡航し貴族院に登院する事ができなかった。また衆議院選挙は1946年に実施される筈であったから、 1910年4月から1945年9月までの日本統治時代に、朝鮮半島の住民にとって実質的な選挙権が与えられた記憶が無いのは仕方がない。
『併合』が意味するのは、それが本土の一部として付加される事だけである。併合された土地は住民がいない場合もある。それが軍事侵攻によるか否かには関係が無いが、勿論、多くの併合された土地には住民が住んでおり、ロシアによるクリミア併合では軍事侵攻によっての併合がなされており、併合が平和的統一を意味する事はない。
同様に、植民地支配が意味するのは、『天然資源などの搾取』や『現地住民の奴隷化』などは全く関係ない。『植民地』とは、植民地化した土地に共同体をつくる為に「本国」から入植者を送り作られたものだ。 事実、アメリカはイギリスの植民地であったが、アメリカ人がイギリスの奴隷であったことは無いし、アメリカがイギリスから天然資源を搾取された事実もない。
因みに植民の歴史は古く、古代ギリシャ帝国にまで遡る。古代ギリシャでは、ギリシャ人らは自分の国から遠い土地に都市を作り、この新しい土地を植民地と呼び、入植者たちを送った。植民地に対する近代的な考えが発達し、征服という形や、全く関係のない住民を支配する要素が生まれたのは、19世紀に入ってのことだ。しかしそれでも、資源の搾取が植民地支配の目的であるかのような考えは、無知やマルクス主義者が流したプロパガンダがもととなっているようだ。
南米の殆どの植民地は、以下のように作られている。まず第一に個人の入植者らが、働ける土地や金、貿易、或いは布教の為に遠い土地に移住する。そして入植地を建設する。もしそこで先住民やその他の国からの入植者との間に諍いが起きた場合には、本国からの支援を要求する。最後に、これらの『本国』は、しばし消極的に、これらの地に軍や総督を派遣し、植民地が出来る。大抵時間が経つに従って、入植者たちは『本国』から送られてくる総督による支配に嫌気がさし、反逆を起こす。そして独立を勝ち取る。本質的に、これがラテン・アメリカ諸国が作られた経過である。
第一にエルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロのような探検家は、個人としてすでに国が築かれていた南米大陸を征服した。この後、スペイン王はスペイン軍を入植地に派遣するよう説得されている。ピサロのような初期の入植者らの何人かはスペイン政府に反対した為、投獄や処刑の憂き目に遭っている。これらの植民地はスペインからの征服者によって統治され、多くの人々がスペインから渡ってきた。これらのスペイン人は先住民と雑婚し、新たな混血の人種となった。最終的には彼らはスペインに抵抗し、『本国』相手に激しい戦いを戦った。ブラジルやメキシコは一時期皇帝を戴き、新たな帝国を築いている。南米の国々は全て、スペインかポルトガルの植民地であったし、人種もスペイン人かポルトガル人の血と原住民と連れてこられた黒人の血が混ざっている。 スペイン人やポルトガル人は雑婚をしていったのだから、原住民を奴隷化した事実はない。 勿論、探検家らはこれらの新世界に金が多くあることを期待して出かけて行っただろうが、 『搾取』とも全く関係が無い。
因みに、アメリカの先住民が新たな入植者によって虐殺され、絶滅したかのような誤解があるが、これは事実を基にしていない。勿論アメリカ先住民が入植者との戦いで殺害された事実はあるが、まず先住民同士の部族間の戦いで多くが死んでいる事実もある。ヨーロッパ人の入植によって死んだアメリカ先住民の8割から9割は、戦闘による死亡ではなく、入植者が持ち込んだ腺ペスト、天然痘や麻疹、チフスなどの病気に罹った事が死因とされている。
American Indians and European Diseases | Native American Netroots
日本人の間に、アメリカ先住民とヨーロッパ入植者との関係に誤解がある一方、アイヌ先住民を事実上奴隷として使用していた歴史について、日本ではあまり知られていない。かつては本州にも『倭人』と同じくらい住んでいたアイヌが、現在では北海道に僅かばかりとなった理由は何だろう。勿論『倭人』との雑婚により、同化したアイヌもいくらかはいるだろう。『倭人』との戦闘によって死亡したアイヌも多くある。しかしアイヌの死の殆どは、天然痘や麻疹など『倭人』の持ち込んだ伝染病に罹った事が原因にある。
『植民地支配』や『併合』、『先住民』との問題にせよ、欧米諸国のした事はすべて悪で、日本のした事だけは潔白であったと考える事は、思い込みに根差した誤りである。政治的動機を持ち込まずに学問的探究心から歴史を学ぶのでなければ、客観的な判断は、いくら学んでも出来ないと思われる。余りにも政治的主観が行き過ぎれば、学んだ結果はプロパガンダとしかならないだろう。