チェコ好きの日記

だいたい木曜日の22時に更新されるブログ

あなたの知らない顔

直近1週間の日記です。

2018.7.27 やっぱり書くことがない2.0

書くことがない。しかし、正確にいうとこれは「ブログに書くことがない」という意味である。つまり、ブログ以外なら書くことはある。noteならある。AMの連載*1ならある。あと、小説は6〜7月の2ヶ月間で10万字書いた。これについてはもう少しで何かしらの発表ができるかもしれない。


小説は全然上手く書けないし、正直、今後また書くかどうかもわからないのだけど、とりあえず今年、挑戦してみて本当に良かったなあと思っている。私には、実は言いたいことがいっぱいある。書きたいこともいっぱいある。でも、もうそれらは「私の意見」「私の体験」として伝えるのは限界みたいだ。具体画を描くのに限界を感じて、抽象画を描き始めたというわけである。が、抽象画難しすぎて全然無理……と、なっているのが今。


小説は何がいいかって、嘘をついてもいいところ。ブログに「私は幼少時代カルト宗教の尊師と公園で一騎打ちしたことがあって……」とか書いたら虚言癖野郎になってしまうが、小説の中でならどんな嘘をついたっていい。なるほど、だから人は小説を書くんだなあ〜と感心している。カート・ヴォネガットは、自身の戦争体験を『スローターハウス5』という小説にした。それはやっぱり、エッセイではだめだったのだと思う。トラルファマドール星人とかいうわけのわからない存在を介在させないと、表現しきれなかったのだと思う。お前とヴォネガットを同じ地平で語るなよという話だけど。


どんな真実より真実らしい嘘をつけたら、最高なのにな。

2018.7.28 住めば都体質

東京の人は生きるスピードが早い。どんどん決断して、どんどん環境を変え、先に進んでいってしまう。一方の私はあまり何も変わらず、置いてきぼり感が……と、いうわけでもなく、確かに私はとてもゆっくりしているのだが、そこにあまり焦燥感はないのだった。なぜこんなに肝が据わっているのか。茶柱野郎だからか。


そういえば私、前の職場は5年勤めた。よっぽど居心地がよかったのかというと、全然そんなことはなく、今思うとわりと最悪な職場だったのだけど、勤めている最中は「いいところだなあ」と思っていた。何かをすごく我慢して、嫌な気持ちを押さえつけていたのかというとそうでもなく、わりと本気で「いいところだなあ」と思っていた。出てみて初めて、「別にいいところというほどでもなかった」と気付いた。


おそらく、私は悪い意味でどこにでも馴染んでしまうというか、「住めば都体質」が過ぎるのではないか。たぶんだけど、私、アフリカとかフィリピンのスラム街とか住めると思うんだよね。もちろん最初は不潔だ寝れない怖いと言って泣いてるだろうけど、二ヶ月くらい経ったらケロっとした顔で現地に馴染んでそう。それで、「いいところだなあ」って思ってそう。住めばどこでも都にしてしまう能力……いらねえええ。

2018.7.29 男と女、どっちが好き?

なんとなく、人を見ていて、「あ、この人は『男』が好きなんだなあ」とか、「『女』が好きなんだなあ」とかって思う瞬間がある。LGBTQの話をしているのではない。ヘテロセクシャルの男でも「この人は『男』が好きなんだなあ」って思う人はいるし、同様にヘテロセクシャルの女でも「この人は『女』が好きなんだなあ」って思う人はいる。


お、あなた今、「このアホはいったい何の話をしてやがるんだ」って思ってるね? いや、もうちょっと続けさせてくれ。


かつて、私はとある人の岡崎京子評にいたく感動したことがある。氏いわく、岡崎京子のマンガに出てくる女たちというのは、ヘテロセクシャルではあっても、「女」が好きなのだ。「男と恋愛する」ことよりも、「男と恋愛した話を女同士でする」のが好きなのだ。女同士でする話のネタのために、男と恋愛するのである*2


同じような世界観をベースにしている作品はいくつかあって、代表的なのは『Sex and the City』などではないかと思われる。岡崎京子とSATC全然ちがうだろ! といわれるとまあそうなのだけど、なんか彼女たち、男の隣にいるよりも、女同士でいるほうが楽しそうなんだよね。もちろん、これは自己肯定感とかコンプレックスとはまったく関係ない。恋愛が上手くいかないから、モテないから女同士でつるんでるわけじゃなくて、恋愛なんて全然できるの、なんならめっちゃモテてるの、でも女同士でいるほうが楽しいの。そういう世界観なのである。


同様に、「ホモソーシャル」という単語はネガティブな意味で使われることが多いけれど、男同士が好きなんだろうなあっていう男もやっぱりいて、ただし私の知っているそれは必ずしもムキムキマッチョの体育会系ではない。むしろ、文系インテリ紳士系だったりする。なんとなくだけど、彼らはただ純粋に、無邪気にワイワイやりたいんだろうなと思う。女がいると気を遣うし、酔った勢いでポリコレ問題発言とかしちゃったら申し訳なくて凹んじゃうし、色恋沙汰になるとめんどくさいし……みたいな。作品でいうと、ちょっとこっちはすぐに思いつかないんだけど。


まあ、「だから何?」といわれると特にオチはないんだけど、男好きの男、女好きの女っているよな〜って、最近思ったのでした。

2018.7.30 あなたの知らない顔

もちろん一概にはいえないけど、「男といるときの女の顔」と「女といるときの女の顔」はどちらが美しくて可愛いらしいか? って考えたとき、もしかしたら後者なんじゃないかなと思う瞬間が私にはある。


最初にそう思ったのは某キャバクラの待機席*3なんだけど、無警戒で女同士でしゃべっているときの女の子ってのは、本当に子供みたいだ。男の前に出るとその子供らしさはどこかへ吹っ飛んでしまって、お金やら色恋やらいろいろなものの駆け引きが始まってしまうんだけど、私がキャバクラの女の子を可愛いなと思ったのは、男の前で接客しているときではなくて、待機席でくだらないスマホゲームの話をして女の子同士で笑っているときだった。


女の子同士で笑っているときの顔というのは、彼氏といるときの顔とも、たぶん少しちがう。だから、男はどうひっくり返ってもこの子たちのこの可愛い姿は見られないのだ。そう考えると、ちょっとだけ得した気分になる。


しかし、世の中は平等である。たぶん、ホモソーシャルな空間でしか見られない男の顔というのもあるのだろう。この人は男同士だとこんなふうに笑うんだって顔が、きっと。そして私は、それを見ることは叶わないのだ、一生。


なんだか下手なBLか百合を書いている気分になってきたので、この話はこのへんにしておくか……

2018.7.31 みんな怒っている

なんか最近、みんな怒ってない?」という話をブログでもリアルでもしたところ、それなりに賛同を得られることが多く、どうやら完全なる思い過ごしというわけでもなかったらしい。


すごく複雑な話なのだけど、私は、「いつも何かに怒ってる人」と「いつも全然なんにも怒らない人」と、二極化しているような気がして、それは私にとってあまり心地いい環境ではない。ただ、怒りたい人に「怒らないで」というのも変だし、怒っていない人に「もっと怒ってよ!」と頼むわけにもいかない。なので、困っている。ただ個人的に困っている。それによって生じる可能性のある問題を懸念しているとかじゃなく、単純に私が、途方に暮れている。

2018.8.1 陰謀とパラノイア

今日から8月。


詳しくは触れられないが、まったく関係のないAという事柄と、Bという事柄を勝手に関連づけて、「これは陰謀ではないか? 何か裏があるのではないか?」と疑っている人をTwitterで見つけてしまった。たまたまだけど、私はAとBは本当にまったく関係ないと知っている。


だけど、その人にリプライで「それはまったくの誤解ですよ。そんな事実はありませんよ」なんて伝えるわけにもいかないので、おそらくその人は今後もずっと、AとBによる陰謀があるとしてこの世界を生きていくのだろう。ある場所でそれをいえば、賛同者だって得られるかもしれない。それは「真実より真実らしい嘘」として出回り、いつか本当に真実を超えてしまうかもしれない。


この世界には小さな疑念がたくさんある。どうして私だけがこんな目に合うのか。誰かが何かを操作して、自分を不利にしているのではないか。どこかに不正があるのではないか。


統合失調症の人の世界が味わえるVR動画みたいなのをネットで見たことがあるのだけど、統合失調症の患者の中には、自分が国家に命を狙われている、監視されている、と思っている人がいる。もちろん、そんな事実はない。でも、そう思えてしまう。「そんな事実はない」と言っている人は、嘘をついている。自分を騙そうとしている。


私もあなたも、きっとそんなパラノイアと無縁ではない。この世界全体が、統合失調症にかかっている。冗談抜きで、トマス・ピンチョンの小説みたい、と思った。


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(※これは春にパレルモで撮った噴水です)

*1:そういえばブログではまったく触れていなかったけど、SOLOの連載はAMに移行したよ! チェコ好きさんの記事一覧|AM

*2:これは『ヘルタースケルター』などの作品には多分当てはまらないので、『チワワちゃん』とかの作品を連想するとわかりやすい

*3:体験入店したときね