糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
08月03日の「今日のダーリン」
・毎年、暑い夏になると、同じようなことを思います。
特に、カレンダーが8月になると思います。
亡くなった人たちのことや、死ぬということについて。
これには、歴史が教えてくれることや、
伝統や風習が生きていることが大きく関係しています。
8月には、この世にいない知らない人のことを祈ります。
もちろん、知っている人のことは、よく思い出します。
高校野球の放送が聞こえてきたりすると、
条件反射のように、亡くなった人や死ぬことを思う。
眩い青春や情熱の象徴であるかのようなあの大会が、
熱い地面に落とす黒い影は、死であるようにも思います。
ぼくは、なにも不吉なことを言いたいのではなく、
日本の真夏がこういうふうであってよかったなぁと、
しみじみ感じているのです。
戦争と、お盆と、高校野球と、夏休みは、
毎年、同じように強い日差しのなかに描かれています。
明るく熱いものと、そうでないものが、
いっしょに感じられる季節というのは、
とてもいいことなのではないでしょうか。
じぶんの年齢が増して、上手になったことに、
「亡くなった人と話せる」があります。
話せるようになるんです、その、別に、
超常現象というようなことじゃなくね。
この世のことばを話す人じゃないのに、
ちゃんと話し相手になってくれるのです。
うれしいしたのしい時間です、そして緊張感もあります。
死んだ人は死んだあとも静かに生きてますよ。
ほんとはお墓や仏壇でなくても、デスクでもソファでも、
話そうと願えば、かならずやってきてくれます。
報告をしたりね、むだなことだとかも話したりね、
日記をつけることなんかにも似てるかもしれない。
今年は、いつものともだちばかりじゃなくて、
犬のブイヨンとも、よく話してます。
もともと無口なやつだったのですが、目で話します。
あんがいやさしく相手をしてくれるものなんです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
へんなこと書いてると思われたかな。ま、8月だ、許せや。
特に、カレンダーが8月になると思います。
亡くなった人たちのことや、死ぬということについて。
これには、歴史が教えてくれることや、
伝統や風習が生きていることが大きく関係しています。
8月には、この世にいない知らない人のことを祈ります。
もちろん、知っている人のことは、よく思い出します。
高校野球の放送が聞こえてきたりすると、
条件反射のように、亡くなった人や死ぬことを思う。
眩い青春や情熱の象徴であるかのようなあの大会が、
熱い地面に落とす黒い影は、死であるようにも思います。
ぼくは、なにも不吉なことを言いたいのではなく、
日本の真夏がこういうふうであってよかったなぁと、
しみじみ感じているのです。
戦争と、お盆と、高校野球と、夏休みは、
毎年、同じように強い日差しのなかに描かれています。
明るく熱いものと、そうでないものが、
いっしょに感じられる季節というのは、
とてもいいことなのではないでしょうか。
じぶんの年齢が増して、上手になったことに、
「亡くなった人と話せる」があります。
話せるようになるんです、その、別に、
超常現象というようなことじゃなくね。
この世のことばを話す人じゃないのに、
ちゃんと話し相手になってくれるのです。
うれしいしたのしい時間です、そして緊張感もあります。
死んだ人は死んだあとも静かに生きてますよ。
ほんとはお墓や仏壇でなくても、デスクでもソファでも、
話そうと願えば、かならずやってきてくれます。
報告をしたりね、むだなことだとかも話したりね、
日記をつけることなんかにも似てるかもしれない。
今年は、いつものともだちばかりじゃなくて、
犬のブイヨンとも、よく話してます。
もともと無口なやつだったのですが、目で話します。
あんがいやさしく相手をしてくれるものなんです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
へんなこと書いてると思われたかな。ま、8月だ、許せや。