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2018-08-04

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・昔の時代に生きていた人を、ばかにしちゃいけない。
 大昔の人を、タイムマシンでいまの時代に連れてきて、
 いまの人たちと同じ環境で学習させたら、
 いま生きている人と同じような力を発揮できるはずだ。
 そこをまちがっちゃいけない。
 少しずつ文明は進化してきたかもしれないけれど、
 昔の人間が遅れてたというわけじゃない。

 すぐ近くの過去については、比べることが簡単なので、
 不当に遅れていたかのようにとらえられやすい。
 「昭和っぽい」という言い方があって、
 いまの平成の時代とは、少しずつずいぶんちがっている。
 昭和の人間そのものが遅れていたのではなくて、
 昭和の人の生きている環境がいまとちがっていたために、
 人間の感じ方や考えが、いまとちがっていたのだ。

 「信じられなーい!」と言われるかもしれないが、
 四半世紀前の日本では、かなりの男が喫煙者だった。
 もう少し前だと、映画館のなかでもタバコを吸っていた。
 いまを基準にしたら、悪人だらけに思えるだろうよ。
 公衆便所というものは、ありとあらゆる場所が汚かった。
 汚す人がいて、それを当たり前だと思っている人がいて、
 それを掃除する人もいないし、雇う予算もなかった。
 書くだけで怒られそうなのだけれど、
 「女のくせに」ということばは、あちこちで聞かれた。
 「適齢期」というものを過ぎて結婚しない男女は、
 いろんな場面でからかわれたり心配されたりした。
 「焼き鳥食べれば数ごまかすし」という歌詞もあった。
 大人たちは、賭け麻雀をしていることを公言していた。
 選挙違反は取り締まれないほどあちこちであったらしい。
 すべて、ひとつ前の「昭和」の話である。

 いまの基準で見て、それを裁くことは簡単だ。
 しかしこれは、高潔で清潔な「平成」のあなたたちの、
 善良で優しい父母や曾祖父母の暮らしていた日常だ。
 「信じられない」ではなく「ただの事実」だったのだ。
 もう100年ほど遡ったら、刃物で人を斬り合う時代だって
 事実としてあったということも憶えておこう。
 人間というやつは、「いま」の人間のようにでなく、
 それぞれの時代の人間として生きてきたのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「その時代に生まれてたら、わたしは?」と考えてみる。


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