くじら糖

Anti-Trench 向坂くじらです ある程度まとまった分量のことをかきます

大学受験だけは裏切らないと信じていた

 

情けないがことばを失っている。

なにを語り、書けばいいのかわからない。

 

「東京医科大 女子受験者の点数を一律10%以上減点の年も」 NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180802/k10011560911000.html

 

東京医科大学の入試で、女子の合格者数を抑制するために、女子の点数を一律減点していた。
受験要項にはその旨は書かれておらず、女医の離職防止策であるという。


わたしは、女性であり、元・大学受験生であり、塾の講師でもある。

 

そのどの立場からも、この問題に関してはげしい感情が噴出してくる。けれど、うまく語ることばをもたない。ただひとえに、大きな無力感がある。
自分が信じ、支えにしてきたものが、一撃で無力化されたような気さえする。

 

しかし一方で、なにかを書かずにはいられない。
いくら声をあげることが無力だとわかっていても、声をあげなければいけないときがあるとしたら、わたしにとってはそれがいまだ。いくらたくさんのひとが既にこの問題を批判していたとしても、わたしはわたしの声をあげなければいけないと思える。

 

だから、ここではただ、自分の個人的な経験だけを、それがいくらかは普遍的な経験であることを祈りながら、書いていくことにする。

 


 


大学受験に救われたと思っている。

 

わたしは慶應義塾大学文学部に現役で合格し、卒業している。
けれど、高校二年生まではいっさい勉強ができず、英語と歴史の偏差値は30台しかなかった。

 

勉強ができなかった理由として、そもそも学校というコミュニティになじめなかったことが大きい。当時のわたしは、友だちもおらず、ときに半ばいじめに遭い、ときに問題行動を起こして親を呼び出され、ついには停学騒ぎになっていた。
学校にいやけがさしているのに、学校の成績をよくしたいと思うわけがない。学力は下がる一方で、国語以外ほとんどの教科が留年寸前だった。


それで、つねにどこかで自分のことをあきらめていた。
いい大学に入りたいとも、そして、生きつづけていたいとも、まるで思っていなかった。

 

受験塾の恩師と出会わなければ、いまでもそのままだったか、あるいはもう生きていなかったかもしれない。大げさに聞こえるかもしれないけれど、自分があのころ命の危機に瀕していた、ということに、わたしははっきりとした実感をもっている。

 

恩師は、いまひとつやる気のないわたしを、

 

「『受験勉強』はもっとも報われやすく、かつ学歴という形でこれからの自分を守ってくれる努力だ」

 

と諭した。

 

「とくに、きみのような社会に適合するのが苦手な人は、受験以外では戦いづらい。でも、受験では戦える。適合しなくていい、勉強すればいいだけだから。いまのうちに勉強して学歴を身につけておかないと、就活で負けて終わりになってしまう」

 

それに納得し、勉強をはじめてみると、そのシンプルさに幾度となく助けられることになった。

受験勉強はひたすら、

 

① 正しく勉強をすると理解していることが増え、
② 理解していることが増えると点数が上がり、
③ 点数が上がると合格する可能性が上がる。

 

という当たり前の積み重ねと検証が大半を占める。


これが非常にわかりやすい。
もちろん、そのシンプルさに苦しめられることも多々あったのだが、それでも学校に通うことにくらべればよほどましだった。
とにかく、誰かの恣意的な評価を押しつけられることを拒み、明確でわかりやすい目標に、自分自身の努力によって、明確にわかりやすく向かっていける、という解放感があった。

 

大学受験はわたしにとって、誰もが同じ基準で戦わせてもらえる唯一のフィールドだった。

 

もしかすると、受かったからそう言えるんだ、と思うかもしれない。

努力が報われた人間だけが努力を肯定する、という構図は、受験以外でもよく見かけるし、だいたいの場合どこか痛々しいものだ。

 

けれど、わたしが受験生として真に得た喜びは、「努力が報われた」ことによるものではない。

あえて言葉にするのであれば、「努力の結果に対し、責任をとる覚悟ができた」ことの喜びだった。

 

実際、どれだけ努力を重ねたとしても、本番の数十分で失敗すれば、すべて水の泡になってしまう。たとえば、使いつぶしたペンの本数や、解き終わった参考書で建てた山の高さは、合格の基準には数えられない。本番の点数がすべてだ。
ある意味で、受験勉強は、努力を容易に裏切りうる場でもあった。

 

そうでありながら同時に、合格に必要なものは自分の努力以外のなにものでもありえない。
わたしは受験勉強に命を救われたと思っているけれど、ではもしもあそこで不合格だったら、やはり努力は報われないのだ、と悲観し、自分のことをあきらめたままだっただろうか?
きっと、そうではなかったと思う。
矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、努力し抜こうと決意していたからこそ、「報われなかったならそれは自分の努力が足りなかったのだ」ということを、わたしはなんらかのかたちで受け入れられたような気がするのだ。

 

これは誇りだ。

努力の結果に責任をとる覚悟をする、ということは、まちがいなく誇りを持つことだった。

自分の人生は自分で進めていくという誇り。他人の恣意的で定性的な評価ではなく、公正で客観的な評価を頼りにするという誇り。

 

わたしは大学受験によって、すこしは自分をあきらめずにすむようになった。

 


 


それで、きのうからずっと、自分が大学受験に落ち、その理由がテストの点数や努力の如何ではなく「性別」だったとわかる、という世界のことを考えている。

 

それは、自分の努力不足で受験に落ちることとは、まったくちがう。正反対だといってもいいくらいだ。

わたしにとって大事だったのは、大学受験が、「誰もが同じ基準で戦わせてもらえるフィールド」であることだった。それがうれしかったし、努力する動機にもなった。

「公正で客観的な評価が行われている」という大前提があってはじめて、誇りをもって自分の努力不足を認めることができる。その結果を引き受け、さらなる努力へと進んでいくこともできる。

 

でも、もし、わたしがあそこで落ちていて、その理由が「自分が女だったから」だとわかったら、そこでどれほど苦しみ、絶望することになっただろう。

 

その事実からは、「お前は公正な評価を受けるに値しない存在、報われるに値しない存在なのだ」というメッセージを受け取らざるをえない。努力しようと決意する誇り、また自分の努力不足を引き受けようとする誇り、なんてものは、そこであっけなくかき消される。そのくらい強烈なメッセージだ。


そして、そこから「お前は希望を持って生きていくのに値しない存在なのだ」というメッセージを読み取るに至るまで、そこまでの飛躍は要さないと思う。

 

それをどれほどくやしく思おうが、自分の身体や戸籍や性自認が女性であることは変えられない。
そうなったとき、わたしは、あのころの、死に瀕していたわたしは、女性でしかいられない人生を、それでも生きつづけることを選べただろうか。

 

またつぎに、逆を考えてみる。
自分の合格が、点数は足りなかったのに、性別を理由にもたらされたものだったとしたら?


それさえも、「お前の努力には(性別ほどの)価値がない」というメッセージに他ならない。合格させてもらえたんだからよかった、ではない。このことが、「下駄を履かせてもらった」側である男子のことをも、性別によって軽んじ、ばかにしているということを忘れてはいけない。

わたしはおそらく、「自分が性別によって下駄を履かされた」ということも受けいれがたかっただろう。

 


わたしの受験はごく個別のケースにすぎないかもしれないけれど、でも、そういう受験生がどこかにいることを想起せずにはおれない。

 


 


受験塾の講師として、医学部受験生を教えたり、話を聞いたりすることもよくあった。医学部にはほかの学部よりも多浪が多い。だから、と何年も浪人して医学部を目指していると、「○浪したのだから医学部じゃないと」と、どんどん退路を断たれていく。

また、親との折り合いでどうしても医学部へ行かなければいけない、という学生とも何人も会った。ときには、家庭教師で受け持っていた小学生の親に、「どうしても医学部に行かせたいんです」と相談されたこともあった。(これを、親の言うことなんて気にしなければいい、と一蹴してしまうわけにはいかない。親の承認を受ける、ということ自体が、受験生自身にとってなにかしら必要なことになっている場合も多い。)

 

「医学部じゃないと」と思いを傾けて医学部を受ける学生は、ほかの学部にくらべて多いような体感がある。もちろん、その中には男の子も、女の子もいた。
去年、東医に落ちた女の子も、知っている。

 


大学受験だけは裏切らないと信じていた。


だからこそ、いままでしてこなかった努力に身を預けることができたし、その結果に対してはっきりと誇りを持つことができた。


くじけそうになる受験生を、「でも、この課題はあなたの力で打破することができるんだよ!」とはげまし、本番で最高のパフォーマンスを発揮することだけを願って受験に送り出すことができた。


いまはただ、ただ、悔しい。