2018-08-04

試験というもの差別される人間はどうすればいいのか

最近は皆がネットニュースを見て怒り狂う時代なのかという気がする。

ただ、そんなものも呆れて見えてしまう。

最近、ある大学医学部男女差別をやっていた云々とかいう話があった。

普段権力などを批判しない人も挙ってこれには批判している。

まるで、「怒ってもいいよ」と権力者にお墨付きを得たかのような振る舞いだ。

若者SNSを見てもそんな感じだ。権威主義批判しても安全ものだけを批判する。要領よく生きようとする嫌な奴らばかりである

人間というのは巨悪を見逃したりして、小悪を叩くものなのかもしれない。

まぁ、皆の怒り具合を見ていると試験というものは正しいという意識がある。

これは恋愛というものと非常に似ている。

恋愛というのは、容姿やら身体的特徴の性的闘争が基本である

まぁ、優性思想的なものだ。

試験というもの自体も、そのようなものではないか

ただ、それは「合理的差別」とかい言い訳で罷り通るのだ。

そして、試験で選別された人間権利謳歌するとでも言おうか。

常に容姿学力といった闘争で敗北している自分はとても苦しい思いをしてきた。

学校生活を振り返れば、容姿が醜く体育の授業で苦しみ勉強ができないのだ。

差別されてきたといってもいいだろう。

そんな人間から見ると今回の騒動は醒めて見えるものだ。

関関立の底辺学部しか自分が行けないなかで、容姿がよい女が学校生活も授業もうまくやってきた様を見てきた。

様々な正当化された差別自分は苦しめられてきているのだろう。

英語物理化学数学といったもの家庭教師を年間600万円という規模でつけられていた。しかし、定期試験は散々だった。

病院で測ったIQ88の知能には無理だったのだろう。医学部など興味はなかったが、受かることなどないだろう。

人生というのはカードゲームに例えられるものだ。

現代は様々なカードを認めあおうという多様性を掲げているが、実際は社会国家資本ルールガチガチに定めていて良いカードというのが決まっている。

自分容姿も知能も健康も欠けている。ブタだろう。

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この容姿やらを整形で良くしたいが持病や服用薬があるなかで健康リスクや法的リスクを考えなければいけない。

就職活動で親のコネを使おうと思ったが、面接の予定を送っても返信がこない。

留学でも考えて学歴ロンダを考えたりもする。

権威主義的な若者や腐敗する司法行政政治を見るといつか難癖をつけて冤罪やら微罪逮捕してくるのかと思うことがあるのではないかと感じざる得ないこともある。

海外でゆったり暮らして、容姿も良くしたいのかもしれない。

ただ、やり方が分からない。

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