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釜ヶ崎を露天の特区にしたらええんや! こないだの日曜日の朝、南海の東側の道路を歩いていたら、警察官数人が、一人の露天のおっちゃんによってたかっていた。おっちゃんはもう品物をしまい始めていた。向こうにはパトカーが待機していて、そのあとまた制服の警察官が二人自転車できた。えらい物々しい雰囲気で、人だかりができていた。その中の一人が警察官に「お前ら、帰れ。とっとと帰らんか!帰らんのやったら、ずーっとここにいとけ。明日の朝までおれよ。」と、怒鳴っていた。 周囲には、荷物を入れたバックを自転車に乗せて、警察が立ち去るのを待っているおっちゃんが何人かいた。 そのうちに警察は引き上げたが、そんなことが毎日のようにくりかえされている。 何で露天を取り締まる必要があるのか。警察は「違法な商品を売っている」というが、それならそれだけ取り締まればいいだろう。仕事がないおり、露天には生活がかかっている。露天を一掃するというのは貧乏人イジメだ。 むしろ逆に、道路に露天のフリースペースを作って、釜ヶ崎を露天が自由にできる特区にしたらいいのではないか。橋下の言うようなギャンブル特区やサラ金特区より、よほど人のためにもなるし、経済の発展にも役立つだろう。自分の売りたいものがあっても、売る場所がないために金を手にすることができない人はたくさんいる。引越しででるまだ使える家具や電気製品。農家へ行けば、規格外で売れないので畑に捨てられる野菜。こういうのを安く仕入れてきて安く売れば、みんなが助かる。読み終わって捨てられる新聞や雑誌もある。一人一人が汗水流して働いて、そこで得た商品を現金と交換できる原点は、露天ではないのか。 戦後の一番経済の苦しかった時代、多くの人々は露天をやりながら起ち上がったのではなかったか? その経済の原点を一掃してしまって、どうして大阪の経済の再生ができるのか! 大きな店舗の持てるお金持ちの商売人だけの経済が、日本の経済をダメにしたのである。百円ショップのダイソーの社長も、もとは移動販売の露天商だ。露天商を馬鹿にしたらあかん! 橋下は釜ヶ崎に仕事を持って来れないのだったら、せめて誰でも自由に商売できるスペースを作れ!西成署は露天を取り締まるな!貧乏人にも商売をさせろ! (失業労働者H) 石原東京都知事「尖閣買収発言」糾弾! 4/16、石原東京都知事が訪問先のアメリカで「東京都が尖閣諸島を買収する」と爆弾発言をぶちあげた。先の河村名古屋市長に続き、日中正常化40周年の記念すべき年にあてた日中友好をぶち壊す悪意の発言だ。 日本と中国がケンカをしてよろこぶのは、「漁夫の利を得る」アメリカだということは再三指摘してきたことだ。なぜ、訪米中にアメリカの歓心を買おうと中国にケンカを売るようなまねをするのか!?アメリカに対し「ノーと言える日本」と言ったのは石原知事自身ではないのか!?「日中友好」という日本の国益を売り渡してまでアメリカにしっぽを振るなど断じて許されるものではない。直ちに「尖閣買収発言」を撤回せよ。また、買収などと言う小細工で尖閣(釣魚)諸島の中国への帰属の権原が覆るものではない。 尖閣問題は「争いの海」ではなく「友好の海」の精神で解決をはかるべき問題だ。日中友好なくして日本の未来はない。ここから出発して問題解決にあたるべきだ。 日本人民委員会 伊関 金日成主席生誕100周年記念祝賀宴盛大に挙行される。 さる4/20、朝鮮総連大阪府本部主催による金日成主席生誕100周年記念祝賀宴がヒルトンホテルにて盛大に挙行された。祝賀宴には中国をはじめ各国領事や、日本側からも各界人士が参席し在日朝鮮人のみなさんとともに金日成主席生誕100周年を祝った。 日本人民委員会、1%の底力、平和の糧、東アジアユースキャンプからもそれぞれの会を代表し祝賀宴に出席者を送った。 冒頭、「金日成将軍の歌」のBGMが流れるなか金日成主席の革命闘争の生涯を記録した映像が上映され、また「インターナショナル」のBGMが流れるなか金日成主席が各国人士を接見する記録映像が上映された。実に感動的であった。 また、主催者挨拶に続き、日本側から本祝賀宴日本側実行委員長であり日朝市民連帯共同代表の有元幹明氏が、4/15(主席誕生日)をはさみ9日間にわたり訪朝してきたことの報告をおこなった。金正恩第一書記のたもとのひな壇で壮大勇壮な閲兵式典に臨席したこと、白頭山での国際連帯の会議出席の際、バスの故障で6キロにわたり雪の降りしきる白頭山で「苦難の行軍」(会場から笑い)をおこない往時のパルチザン闘争に思いをはせた話など、日本での朝鮮バッシング報道などどこ吹く風の朝鮮の様子が報告された。 そのあと、舞台では金剛歌舞団の歌や踊りが披露されるなど祝宴は大盛会のうちにまたたく間に時間が過ぎた。 報告 日本人民委員会 伊関要 忘れられない仕事20 港の荷役作業 橘安純 今年62歳になる、ずっと日雇労働者として働いてきた。今は特掃に行きながら気ままに野宿生活している。 最初は横浜寿町で働いていた。当時は港湾荷役の仕事が多かったし労働条件も良かったので、その日暮らしの生活をエンジョイしていた。しばらく港湾の仕事がなくなると、飯場に入り土木建築の仕事をしたりしていた。 でも私は仕事師ではなかったので、貯えができると仕事に行かなかった。だから仕事を覚えなかった。 そんな中で唯一、体に染み着いているのは、冷蔵倉庫の荷役作業である。本船から倉庫に運ばれてきた、魚やエビ等を人手によって仕分け、パレット積みすることが最大の仕事だった。 コンテナーできた品物を下したり仕分けしたり、本船から下ろした品物をトラックに載せることもあった。 私は1989年に大阪に移住した。新今宮のセンターからO水産へもよく仕事に行った。本船が入るとセンターに大型バスで求人にきた。そして南港の水産埠頭まで送り迎えしてくれる。 常用である船内荷役の人が船倉で品物をパレット積む、船のクレーンで岸壁に下ろす。それをフォークリフトで岸壁の仕分け場に運ぶ。 中央にその荷を下ろし、そのパレットに日雇いの人々が群がり、仕分けしながら回りに並べた別のパレットに積んでいった。その後、仕分けられたパレットはフォークリフトで岸壁に隣接する冷蔵倉庫に入庫するのだった。 仕分けは種類、等級、大きさなど細かく細分化されている。ふだん土木建築にしか行かない人はバクバクだと言ったが、私にとっては慣れた仕事だった。 その仕分け作業をしなければ倉庫に入れられないので、一時に多くの日雇労働者が雇われ仕分け作業にあたった。本船の入港待ちや、雨で荷揚げができなかったりの待ち時間もあった。多くの人が集まりお祭りのような気分でもあった。 そのうち、待ち時間には別の仕事をさせるようになった。その後はさらに仕分けの人を減らし、仕分けできない品物はそのまま冷蔵庫にいれるようになった。そして普段のコンテナー下ろしやトラック積みの合間ができると、その未仕分けの品物を出し仕分けをするようになった。 そのように合理化は進んで行った。センターからの求人の他に安く使える派遣の人を使うようにもなり、労働強化はどんどん進んだ。 O水産の求人は朝が早い、仕事が少なくなると集まる求職者が増え、人の選別が困難になるからか、益々朝が早くなる。午前3時前はあたりまえだ。そうして人が集まると真っ暗な南港水産埠頭の事務所まで連れていかれる。そこで労働者は仮眠しながら朝を待つことになる。 ベテランは手配師を通し早朝のセンターに行かず、現場に直行することもできた。 景気の関係で土木建築の仕事が無いときには私をはじめ多くの人が冷蔵倉庫の仕事を当てにしていた。私が仕事に行っていたのは10年以上前の話だから今はどうなっているか分からない。でもこの前、夜中にセンター前にそれらしい求人車が停まっていた。 |
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釜ヶ崎は、通天閣にも |
たかせそうのせっけん 2012/04/25 11:09 |
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