music is music デヴィッド・ボウイ論 (前編)

音楽プロデューサー牧村憲一、マスヤマコムによる「良質の音楽を届ける」ことを目的とした音楽制作プロジェクト「music is music」。
こちらで定期的に行われているレクチャーシリーズに、本サイトでもおなじみ細馬宏通さんが登壇されました。
今回のお題はズバリ「デヴィッド・ボウイ論」。
彼の初期の名曲である『STARMAN』と『Life on Mars?』の2曲を取り上げ、摩訶不思議な歌詞の世界をひもときます。
これまでなんとなく曲を聴き流していたという人も、この解釈を知ると、曲の印象がガラリと変わるかもしれません。

今日は90分間デヴィッド・ボウイの話をしようと思って来ました。

僕は割と1曲をネチネチと考えるタイプなので、デヴィッド・ボウイの人生などの話にはならないかと思います。少なくとも2曲分の解説をやろうと思っていて、ひとつは『STARMAN』、もうひとつは『Life on Mars?』、どっちのも初期の曲です。

今回、初期の曲を選んだのには理由がありまして、この2曲には割とデヴィッド・ボウイの言いたいことがいろいろと詰まっている気がしているからなんです。ただ、この2曲だけ取り上げると、その後のベルリン三部作はどうだとか、2010年代の『The Next Day』はどうなんだって話になると思うので、その辺も少しだけ触れることができたらなと思っています。

今日、この講義をやる気になったのは、1月に哲学者のクリッチリーによる『ボウイ—その生と死に』(翻訳 田中純)という新曜社から出た本がきっかけです。これは原稿も翻訳も大変素晴らしくて、これを読むと「長年ボウイを聴いてきた人は、何を考えてもボウイの声が頭に飛んでくるのかな」って(笑)、でも「この感じだよね」って思っちゃったんですよね。

ボウイの曲って哲学や精神分析的によく語られることが多いのですが、それよりなにより、考え事しているとボウイが突然訴えかけてくるという……ちょっと“電波系”な感じを出したいので、今日はそういうノリで話をしたいと思います。

『STARMAN』

それではまず『STARMAN』から。

当時イギリスにいた人たちはどのようにしてデヴィッド・ボウイの『STARMAN』を知ったかというと、BBCでやっていた歌番組「Top of the pops」に出演したのがきっかけです。それについては、いろんな人が語っていて、当時、小学生か中学生だった人たちはみんなその番組を見てデヴィッド・ボウイにやられた感じだったんですね。

まずはそのときの映像をお見せしたいと思います。これは、デヴィッド・ボウイのDVDにも入っていますし、iTunesでも見ることができます。

『STARMAN』

はい、というわけで『STARMAN』でした。何度見ても素晴らしいですね。僕はこれを見過ぎて、目のつけどころがおかしくなってしまい、ボウイとミック・ロンソンの後ろで見え隠れしている子に目がいってしまって(笑)この子なんですけど。

この子の表情が超いいんですよ! せっかく目の前でデヴィッド・ボウイが歌っているのに、完全にスタジオの上の方に目線がいってて「何なの?何なの?」って感じなんですね。まるでスターマンに取り憑かれた奴みたいな感じなんですよ。ずっと「こいつ誰なんだろう?」って思ってましたが、なんと僕と同じくこの子のことが気になっている人がほかにもいたようで。Facebookで“あのボーダーのタンクトップ少年は誰だ?”というページが作られていて(笑)世の中にはいろんな人がいるんだなと思ったわけですけど、それはまぁ置いておきますね。
『STARMAN』って、ひとことで言うと子どもが取り憑かれちゃう歌なんですよ。しかもBBCの映像の、一番最初で取り憑かれると思うんですよ。

ボウイはイントロでなんと歌っているのか?

まず、曲の冒頭にソフトフォーカスで青いものが見えてきます。それが「何かな?」と思って注意して見つづけていると、それが青いギターだとわかるんです。

その後、デヴィッド・ボウイが映し出されて何か歌っているようですが、口元を見てもなんて言ってるかわからないですよね。まるで腹話術のように唇の動きとその時に言ってる声とがちゃんと合ってない。「この人はいったい誰?」「この人が本当に出している声なの?」って感じの言い方なんです。この“何を言ってるのかわからない”ところがとても重要だと僕は思うんですね。

ところがGoogle PLAY や Spotifyで『STARMAN』を再生すると、この意味不明な部分にも歌詞がついてきます。それがどういう歌詞かというと「Hey my Love、Goodbye Love」と出てきます。

僕はこの歌詞を見て「いや、デヴィッド・ボウイはそんなこと歌ってないだろう」って驚愕しました。でも、この歌詞を知ってから先ほどのシーンを見るとそんな気がしてくるんです(笑) 空耳アワーのような感じで。

みなさんも「Hey my Love、Goodbye Love」だと思ってもう一度さっきの「STARMAN」を見てみてください。

でしょ!? 空耳アワーみたいでしょ? 実は Google PLAY や Spotify の歌詞というのは、正式な歌詞ではなくて、ボランティアの誰かが打ち込んだ歌詞を利用しているんですね。だから最初はコアなデビッド・ボウイのファンが、勝手に自分の思い入れでこの歌詞を作ったんじゃないかって思ったんです。

でも、さらに検索をかけていくうちに「これには元ネタがある」ということに気がつきました。それは『ウォーク・ハード』です。
この『STARMAN』という曲は、いろんな人にカバーされていて、そのなかでも私が考えうる“最も酷いカバー”とういうのが 『ウォーク・ハード ロックへの階段』という映画のものです。

この映画は日本で上映されてない作品ですがDVDが出てます。実は観るとなかなか面白い作品なので、興味のある人は是非ご覧になるといいと思います。

あらすじを簡単に言いますと、子どもの頃にお兄さんをナタで真っ二つにしてしまったトラウマを持つ男が、後にロックンローラーになるんですね。お約束通りのセックス&ドラッグ&ロックンロールといった感じで、酒と女に溺れて身を持ち崩してしまい、70年代でダメになってしまった。80年代に入ると「あいつはどこに?」という感じで、テレビ番組に拾われ、流行に迎合した極めて世俗的な曲を歌うようになるという……そこで主人公が『STARMAN』を熱唱するんですが、それがもうファン悶絶のカバーなのでぜひ観てください。

楽しそうでしょ。振り付けがまたいいんです。歌詞の意味を理解するとこの振り付けが完璧に楽しく見えてくるんです。例えば「スターマンが僕たちに会いにくるよ!」っていうときに、バックダンサーたちが「会いに来る!」って感じで握手してるところが超絶楽しいですね(笑)。

そういうことも味わえるように、今日は『STARMAN』が一体どういう曲なのかをみなさんと一緒に考えたいと思います。

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ロゴ:平松るい / 文 : 細馬宏通

        
細馬宏通
細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。現在、滋賀県立大学人間文化学部教授。 専門は日常会話の身体動作研究とメディア史。介護、手話会話、演劇、ゲームなどさまざまな場面で人の動作について考える一方で、明治期以降の塔や絵はがきの果たした役割について論考しています。著書に『浅草十二階』『絵はがきの時代』(青土社)。バンド「かえる目」では、ボーカルと作詞・作曲担当。 ブログ:http://12kai.com/wp/ かえる目:http://12kai.com/kaerumoku/