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同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 8月 3日(金)22時59分9秒
  23時に開始です。よろしくお願いします。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。

しかし、靖国への献灯、やること滅茶苦茶ですね。
選挙に勝つことしか考えていないのがバレバレです。
 

このまま完全に邪教化してしまうのか?

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2018年 8月 3日(金)20時52分15秒
編集済
  栃木の久保田です。ヽ(^○^)ノ

靖国神社への献灯には、恐れ入ったヽ(^○^)ノ

お手上げヽ(^○^)ノ

何をやっているのだ┐(´д`)┌執行部

バカでもバカなりに隠したいところは隠すもんだ!

邪教化していることを隠しもしないのか?

会員もなめられたもんだね!

執行部よ!お前らごときに会の法律を変えたり、

教義を変えたり会員を査問したり処分したり┐(´д`)┌

そんな権限が有ると思っているのか?(# ゜Д゜)

勘違いも冗談も顔だけにしとけヽ(^○^)ノ

バカ共(^◇^)


 

あっちも、こっちも・・

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 3日(金)20時50分53秒
  中国にある名門寺院の住職に、女性僧侶へのセクハラと性的暴行の疑いがかかっている。

人民日報系の環球時報が報じた。

スプートニク日本

北京・龍泉寺の女性職員2人は、学誠住職が複数名の女性僧侶にハラスメント行為を行い、

性的行為を強要するため「彼女らの理性をコントロール」したと地元当局に訴えた。

2人はまた、学誠住職がわいせつなメッセージを複数送ったと伝える。

学誠住職はハラスメント行為を仏教の教義を学ぶ一部だと主張していた。

女性らは、ある女性職員が助けを求めてきたことを受けて、独自に調査を開始。

その女性職員は2017年12月に龍安寺を訪れると、

住職が性的メッセージを送ってきた。

訴えを起こした2人は、メッセージを送ったのが確かに学誠住職である確信を得るため、

公安部に向かった。

龍安寺は容疑を全て否定。住職の罪の証拠はないと主張した。

さらに、龍安寺は当局に捜査を行うよう要請し、学誠住職は訴えの写しを中国版ツイッター

「微博(weibo)」に投稿した。住職はコメントを控えているが、

地元当局の取り調べを受け、後に解放されたことが明らかになっている。
 

完結後どうなるのか?

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 3日(金)19時48分52秒
  ますます権力を身につけて進化しそう。笑
直弟子から、永遠の直弟子、最後の一番だし、もとい一番弟子。それとも、私が生身の創価学会仏です。なんて。笑
 

機関紙での説明は?③

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 8月 3日(金)19時06分2秒
  以下引用
信濃町の見解。

「教団としてやってない」

「誰がやったかは調べる必要はない」

それで終止符だそうです。

https://twitter.com/hells_emperor/status/1024512210058403840
引用以上


事実ならありそうな不作為対応です。黙殺であればあるほど疑念は深まるのでは
ないでしょうか。


機関紙での説明は?②   投稿者:新感性   投稿日:2018年 8月 3日(金)09時59分7秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87801
 

ツイッターから。四月会から日本会議と靖國神社。安倍政権を支える提灯持ち創価学会って何で?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 8月 3日(金)17時39分20秒
  四月会のバックボーンになった新興宗教をまとめてるのが日本会議、安倍政権は日本会議と創価学会が支える。まさに戦中のような体制翼賛に。靖国神社に創価学会が献灯したのはまさに宗教界の体制翼賛の流れそのもの。創価学会は権力に伏し四月会に惨敗した。
宗教界の王者は権力の犬に成り下がった。
 

未活壮年様

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 8月 3日(金)15時53分56秒
編集済
  >新感性さんへ   投稿者:未活壮年   投稿日:2018年 8月 3日(金)11時43分56秒

ご指摘ありがとうございます。

自己編集機能にて「実弟」を「従兄弟」に改めさせていただきました。

「社主」も正しくは実質上の聖教新聞社の最高責任者に該当する「代表理事」に改めさせて
いただきました。
 

新アンガールズ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 8月 3日(金)12時56分36秒
  今日もテレビは、日本ボクシング連盟会長、山根明氏の話題で持ちっきりだ。

すべての民放がこの話題という時間帯も多いが、こんなんでいいのか?

山根会長の、なかなか見事な悪役っぷりのせいか、そこそこ視聴率も稼げるのだろう。(失笑)

政治ネタを放送すると、アベ官邸から圧力をかけられるらしいが、この話題ならそんな心配もなく、安心して放送出来るのだろう。

日大の田中英寿理事長との2ショット写真なども話題になっているが、確かにこのお2人は雰囲気がソックリだ。
ヤクザの組長です~と言われれば、私は何の疑問もなく信じるだろう。(笑)

「新アンガールズ」という呼び名も、かなり浸透して来たらしい。

そう言えば、本家アンガールズは、田中卓志氏と山根良顕氏のコンビで、確かに田中・山根コンビだ。上手いこと言うもんだな~と感心。

地位や権力が無くとも、色々な才能を持った国民は多くいるのだ。
そういう才能を結集して、アベ政権を監視すれば相当な事が出来る、と言うか、今ならまだ、国家の行末まで変更出来るはずだ。

しかしこの何日かは、まんまと、攻撃目標をズラされてしまっているようだ。

報道各社トップとアベ首相の会食は、この2年で40回ほども開かれているらしい。
歴代政権と比べても、ダントツに多い回数だ。

それだけ頻繁に会食して、メディアトップはアベといったい何を話しているのだ!
メディア側が言うように、会食しながら首相に対して、厳しく問い正すことなど、本当に出来ているのか?
首相の意を受けて、自社の強権支配を強めているだけなのではないだろうな。
少なくとも私はとても信じられない。

アベ首相の事だから、「その話は置いといて、まあまあ」とか言いながら酒を注いでいる光景が浮かんでしょうがないのだ。(笑)

会食=取材のチャンス、に本当になっているのか?
むしろ、会食=懐柔される危機と捉えるべきなのではないのか?
スシ友・メシ友など、普通はそういうものだ。


諫早湾の水門を開けるかどうかという問題。

2010年の確定判決を、国の意向に寄り添う形で福岡高裁がひっくり返したが、大丈夫なのかこの国の司法は?
メディアへの介入だけでなく、アベ官邸の司法への人事介入は、もうかなり進んで完成間近なのだ。


西日本豪雨の際、広島の方のダムで、流入量以上の水を放出していたらしいが、これも大問題だ。
人の命に直接関わる問題だ。
また国交省か?(呆)

公明党は、「シャイニング・マンデー」などとはしゃいでいる場合ではないだろう。
何が「シャイニング・マンデー」だ。(失笑)

「プレミアム・フライデー」だかなんだかも(私は呼び名すら覚えていなかった)、全然定着していないのに、よくやるものだ。(笑)

こういうところにも、国民との乖離が現れているのだ。
また失敗するぞ。





 

”組織信仰”に喝!

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2018年 8月 3日(金)12時20分53秒
  SaySaySay様ご指摘の下記、
*1999年から2000年にかけて大きな変化が起こった。それは何かというと、第一次自公連立政権です。<中略>
その頃、先生は、極東諸国の友好関係を築こうとされていた。対中国には日中友好を進める中、第二次大戦で日本が行った筆舌に尽くしがたい蛮行を詫び、対朝鮮半島には文化の大恩人として兄の国と評していた。<
>しかしこれは自民党としては認められないことで、自民党から当時の連立推進派の学会幹部に「池田大作を黙らせろ!」との条件提示がなされた。このとんでもないと思われる条件が、実は、学会執行部にとっては簡単な条件だった。*

小生聞き及ぶに、この頃まだ(権限は無いが)ご健在な先生を“黙らせる”為に、悪辣な執行部はどのような手段を用いたのか?
先生の為に動く、善の執筆チームを、人事権を盾に、“根絶やし“にする事で、その目的を遂げようとした。(先生のご本意を、会員に伝える術を奪ったのである・・)
(このような背景の中で、創価学会と公明党とは別の存在であると述べられた、2001年9月25日付、毎日新聞の先生へのインタビュー記事は実現したのではないか?)

以前にも述べましたが、昭和54年問題も、その真相を流れる、淵源は共通ではないのか?
先生御一人を除いて、最高幹部は押しなべて、結果的に国家権力に迎合してしまった。

そして、現在、靖国神社に対し、提灯を奉納するところまで来てしまった。
初代牧口先生を殺したのは誰か?

組織信仰の者達は、機構としての“組織“を守ることを優先する。
不用心な前提だが、“組織“=池田先生と信じる事を、免罪符のように思って。

創価学会が靖国神社に献灯問題した事について問うたところ、「何らかの理由があってやったことではないか」と答えた県幹部が居ました。
創価学会の組織=間違う事はない、という思い込み、信じたい願望から発した言葉だったのでしょう。(執行部はこの心理を利用する・・)

「無慚とも申すばかり無し」である。“組織の”秩序を守ることが、すべてに優先する頭脳。
そうして、気付かないうちに根本の“師匠”を裏切る。
自分とご本尊様。自分と師匠池田先生。これが根本。機構としての組織は“手段”なのである!
 

新感性さんへ

 投稿者:未活壮年  投稿日:2018年 8月 3日(金)11時43分56秒
  <ちなみ教新聞社主は会長の実弟ですね。> 正しくは従兄弟ですね。(笑)
 

寺檀制への逃避か

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 8月 3日(金)10時21分41秒
編集済
  >宮川さんのFacebookの代理投稿   投稿者:ドン・キホーテ   投稿日:2018年 8月 1日(水)10時22分58秒
〉昨夜遅く、九州で創価学会の本部長をしている学生時代の友人から、深刻な声で電話がきた。

>直ぐにでも、学会を脱会して、私の寺の信徒になりたい。
>もしも反対するなら女房と別れてもいい。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87732

書かれていることが事実なら、
現役の本部長ともあろう方が明治維新以来いびつな形で存在する寺檀制につかりたいと
切望されたことへは残念な驚きを禁じえませんでした。
きっと一人では何もできない本部長さんなのですね。

保田妙本寺の能化となられた理由への感想   投稿者:新感性   投稿日:2018年 4月21日(土)03時54分3秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/82968
 

機関紙での説明は?②

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 8月 3日(金)09時59分7秒
編集済
  靖国神社への創価学会名義での提灯供養を学会の千代田区長が行ったというのはweb上の巷間情報であって確かなソースから出ているわけではないみたいですね。
もとより同区長に限らず学会幹部あるいは職員が個人として同神社への供養を行うことは不自然に過ぎます。あるとすれば業務としての儀礼供養でしょう。

ただし個人として創価学会の名で供養したのであれば本部は会の名称を勝手に使用したことにおいて、供養人がいずれの幹部あるいは職員であれ、その人物に対して厳重注意以上の懲戒処分が求められます。
もちろん処分は再発防止のためにも聖教紙上にて公開されなければ意味はありません。

本当に区長あるいは幹部、職員による業務としての行動でないのであればなおさら聖教新聞は、学会業務への内外からの誤解を防ぐため、そして学会の幹部が浄財の不適切な支出をしていないことを紙上にて説明することが要されるのではないでしょうか。

提灯供養画像は半永久的な存在であることも忘れてはなりません。週刊誌メディア等もいつかこれを報じるかもしれません。事案を黙殺するという後手後手に回る対応であれば時系列にかかわらず内外からの
不信は強まる一方でしょう。

ただこの供養の承認に本部が関与しているのであれば、もはや黙殺しか方法はできないのでしょうね。決済は事の性質上当然トップまで行くでしょう。
ちなみに聖教新聞社の実質的な社長に該当する「代表理事」職はに就かれている方は会長の従兄弟ですね。
(当初記していた「会長の実弟」は正しくは「会長の従兄弟」であるとの御指摘を「未活壮年」様からいただきましたので、自己編集機能で訂正させていただきました。)


機関紙での説明は?   投稿者:新感性   投稿日:2018年 8月 1日(水)23時06分38秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87745

以下は後編集です。

機関紙での説明は?③   投稿者:新感性   投稿日:2018年 8月 3日(金)19時06分2秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87808
 

フォーエヴァー・マン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 8月 3日(金)09時55分24秒
  「もうしょうがない」猛暑のせいか? アルベアさんの仰る通り
>創価は、教団マネジメントの失敗実例として歴史に残るのです。古今東西の教団と同じ事を繰り返しているのです<

マジック点灯はカープよりも早い。恐らく100周年を祝うことは出来ない。
しかし、シナノ教の動きは横目に見て、時おり牽制球を投げつつ、バッターとの勝負に注力したい。戸田先生は池田先生に、「組織というものはどれも同じ」「優れた企業等から学べ」と言われていたように、そんな例も研究していきたい。それでも令法久住、永遠の師匠を真に永遠ならしめるために。
(ロマンさんの提供も重要ですね。ありがとうございました。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87774

『社員のモチベーションが自動的に上がる「5%理論」』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180802-00175034-diamond-bus_all
>社員がイキイキ働きながら、がっちり儲かっている秘密を<

テレ朝で再ドラマ化された『ハゲタカ』が11年前のNHK版よりも厳しい。どうしてもシナノ教を連想してしまう。
https://tver.jp/episode/47177450
極端なくらいに時代遅れを嫌う池田先生を思い出します。入信した1990年頃、私は池田先生の創価学会の先進的で明るいムードに感動したものでした。その頃よりも今の方が古臭く感じるのはなぜ???

>1999年から2000年にかけて大きな変化が起こった~自民党から当時の連立推進派の学会幹部に「池田大作を黙らせろ!」との条件提示がなされた<
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87785
なるほど、結局そう言うことだったのか、です。

Dekahappyさん、そういう文脈だったか覚えていませんが、池田先生が頭を深く下げられたシーンを見た覚えがあります。その時の文脈は「本当に広宣流布をちゃんとやりたい」「皆に頼むしかない。どうか頼む」といったものだったと記憶しています。公明党のためという文脈で言われた記憶がありません。大阪参院では山下が出ていた頃、「応援してあげてね」と明るく言われた覚えはありますが。
たぶん、「1999年から2000年にかけて大きな変化が起こった」時からは、公明党のためという印象が私には残っていません。そもそも「国籍は世界」と言われるような池田先生に「一宗一派」「一党一派」のためなどという考えはなく、「公明党といえども民衆の敵になってしまったら倒さなければならない」と言われたとのことは、池田先生の思想に一貫性が感じられ、真実と思います。

「秘密」と“隠し事”について、
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87795
第二次宗門問題(私の入信直後)頃、「法水写瓶」か何かの秘密主義に触れ、池田先生は「三大秘法以上の秘密は無い」と言われていたと記憶しています。秘密と言いながら、ぶっちゃけている? と、そのオープンさ「妙とは開く義」を思い、感動したものでした。

池田先生のスピーチも書籍化されていたら虹さんがすぐに見つけ出して下さるでしょうが、映像・音声でしか記録されていないこともたくさんあり、だから同中に意地でも行っていましたが、やはり池田先生の全アーカイブが必要ですね。何とかしなければ。永遠ならしめるために。

“君の永遠の男になろう 永遠の男、終生を誓う”
“君の永遠の男になろう…努力するよ”
『フォーエヴァー・マン』エリック・クラプトン
https://www.youtube.com/watch?v=bt2qBm4qS4w
 

こりゃイカン★あかん!危機感☆一発!

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 8月 3日(金)08時35分42秒
  聞こえてくる☆&聞くところの話では・・・

もう~だいぶ?

後は時を待つ(仏意)のみ・・・

https://6027.teacup.com/situation/bbs/59275

明かせば裏切り者★とたとえ非難されようとも・・・。
 

真理☆は単純!ウソも矛盾ですぐバレる!

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 8月 3日(金)08時18分29秒
  言われてみて?なるほど☆そ~言えば!

やっと気がつく!ようでは遅すぎ★!!

知恵☆の光はウソのヤミ★を照らす!

https://6027.teacup.com/situation/bbs/59603
 

何のために生き、どのように生きるべきか

 投稿者:タイの田舎の猫侍  投稿日:2018年 8月 3日(金)07時32分2秒
編集済
  人は誰でも何のために生き、どのように生きるべきか
そのこたえを探し求めると思います。

そのために哲学、宗教が存在したのでしょう。

そのこたえを見つけることができないと、人は
やがて悩み、苦しみ、絶望して、最後は
自ら命を絶ってしまうか、酒、ギャンブル、薬
などに依存して、生きる屍になるのでは
ないでしょうか。

絶望は死に至る病なのです。

私は幸いなことに池田先生の創価学会
にたどりつき、日蓮大聖人様の仏法、
そして宿命転換、人間革命を知ることが
できました。

入信したとき、地区担のおばちゃんが言った
言葉を覚えています、”これで人生悩んで
自殺しようと思うことなどないでしょう。”

その結果、人生いろんなことがありましたが
今日も明るく元気に楽しく生きています。
だから、みんなにも日蓮大聖人様の仏法、
宿命転換、人間革命を知ってもらいたい
のです。

日本は自殺が特に多い国として知られて
いるそうです。なぜだろうかと思います。
戦後の経済的発展の影響で、
数の上での広宣流布は拡大して
いったように見えますが、本当の意味での
広宣流布はまだまだなのではないでしょうか。

創価学会の原点は、利 善 美
原田学会の原点は、害 悪 醜 あるいは 金 欲 権力
価値を創造するのが創価学会。
原田学会はどんな価値を創造しているのでしょうか。
みんなの生きるための価値を破壊していませんか?
まったくちがう組織のように思えます。

牧口先生の次の言葉をもう一度考えてみることが大切だと思います。

「創価学説の目的とする所は 個人にとっても 社会にとっても
全人類の一人一人が 無上最大の幸福を獲得するにある。その幸福の要素は
すべてが価値の創造である。
人々は 日々 月々 年々にわたって 如何なる価値を獲得し、如何なる
価値を社会に提供できるか、その為にこそ 努力精進しているのが 人生の実相である」




 

わが友に贈る 2018年8月3日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 8月 3日(金)07時04分21秒
  海・川・山での
事故が急増する夏。
天候の変化に注意し
体調管理も万全に。
油断は絶対に禁物だ!
 

「秘密」と“隠し事”!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 8月 3日(金)06時02分57秒
   ひとつの考察です――。なぜ「煩悩即菩提」が可能なのでしょうか。“貪り”“瞋り”“癡か”の三毒・四悪を「秘密」とすることができるからです。「煩悩」そのままでは“隠し事”です。“隠し事”にせざるを得ません。

 「秘密」と“隠し事”とは表裏一体です。三毒・四悪が“姿”を現わせば“貪り”“瞋り”“癡か”となります。それ、そのままでは“隠し事”とせざるを得ません。それを溜めて「秘密」とすれば「神通之力」になるということになります。“溜める”とは「能忍」です。「此の世界をば娑婆と名く 娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる」(四恩抄935ページ)。「煩悩即菩提」の原理です。

 「秘密」とすれば、煩悩がドキドキワクワクする“発動性”と変わります。「秘密」となったわけです。“♪♪真綿色したシクラメンほど清しいものはない(^^♪”を思い出してください(笑い)。「秘密」でなければ“欲望”です。

 “衝動”が人間を突き動かします。腹の底から突き上げる、身体全体で求める、どうしてもそちらに向かってしまう、そんな衝動が一番根強いようです。「妙法蓮華経」に智慧から見れば、突き動かす“衝動”の根源は「法性」です。“貪り”“瞋り”“癡か”がその“塔婆”となるのでしょう。それは、夫が妻を、妻が夫を、子が親を追い求め、親が子を慈しみ、無知が有知に付き従う“衝動”と同じものなのでしょう。“衝動”を「法性」の働きと同じにするのが煩悩即菩提です。

 それは、「明らむ」ことと同じだと読みました。「明らむ」ことが「如実知見」です。

 法華経薬王品第二十三の「離一切苦一切病痛能解一切生死之縛」に対しての御義口伝です。
 「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり、離解の二字は此の説相に背くなり 然るに離の字をば明(あからむ)とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたり 仍つて自受用報身の智慧なり」(御義口伝773㌻)

 「十界本有」で欠かせないのは、地獄を地獄、餓鬼を餓鬼と観る、もうひとつの大きい“自身”があるということです。揺れ動く「心」を師としないということです。大きい“自身”から見るから、「本有の十界」と観ることが可能となります。「明らむ」とは、そのことをいうのではないでしょうか。「十界本有」は、十界個々もさることながら、「互具」の基盤を引き上げる、つまりより大きな「境涯」から見ることなのかも知れません。「境涯」はいつもそこに立ち戻る、蓄積されたその人の「徳」の“大地”でもあるからです。

 “瞋り”も「生命」の“反発力”です。“貪り”も“渇仰”という「生命」の“反発力”です。“癡か”も“危機”を脱する「生命」の“反発力”です。それはそのまま「生命」の持つ“法性”の発動と見ておかしくはありません。「如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり 本有の生死とみれば無有生死なり 生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり」(御義口伝753㌻)。ただ、その向かうべき“向かい先”だけが異なります。

 「(如来秘密神通之力は)無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり 獄卒の罪人を苛責(かしゃく)する音も皆神通之力なり、生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍つて経に云く『我等当信受仏語』と 信受の二字に意を留む可きなり」(御義口伝752~753㌻)。

 「信」ならびに「信受」とは、「信」という「根本清浄」を胸中に打ち立てることです。「唱題行」です。

 この娑婆は、“貪り”“瞋り”“癡か”の三毒・四悪で充ち満ちています。

 「三悪並びに無間大城に堕ちて其の苦をつぐのひて人中天上には生れたれども其の罪の余残ありてややもすれば正法を謗じ智者を罵り罪つくりやすし、例せば身子は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり、畢陵(ひつりょう=阿羅漢の一人)は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ、難陀(なんだ)は婬欲を断じても女人に交る心あり、煩悩を断じたれども余残あり 何に況や凡夫にをいてをや、されば釈迦如来の御名をば能忍と名けて此の土に入り給うに一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり、此等の秘術は他仏のかけ給へるところなり」(善無畏三蔵抄885㌻)。

 だからこそ、久遠の、「根本清浄」を湧き居出すよりないということです。

 「無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も我が身の上の事なり、然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍(むげ)なり 妙法の六根なれば十界三千の六根皆清浄なり、蓮華所具の六根なれば全く不浄に非ざるなり、此の六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知する時は本来本有の六根清浄なり」(御義口伝800㌻)。



 

2003年の頃

 投稿者:dekahappy  投稿日:2018年 8月 3日(金)05時40分17秒
  以前、先生の同中のご発言の確認でsay say sayさんにフォローを入れて頂きました。

「一度つぶして作り直すか……でもね、これだけのものを作るのは大変なんだよ」
と先生はおっしゃいましたことです。感謝です。


今回は、2003年、イラク戦争の後、時期、場所はゆらいでいるのですが、
2003年10月の総選挙前の名古屋での本幹同中だったかと思います。

先生が、「今回は(公明に)入れてほしい。」(主旨)との話され、頭を弟子に下げられたことです。

今回もご記憶あられる方いらっしゃればフォローお願い致します。

ともあれ、弟子に師匠が頭を下げたお姿。忘れません。
 

永遠の直弟子

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 3日(金)05時30分29秒
編集済
  新人間革命のエンディングを予想。

会憲までいき「私の唯一無二の直弟子の6代会長を守れば、世界広布は間違いない。私の一切を託したのだ。」
こんな感じで、最大限に持ち上げて完結。

そして、9月の本部幹部会のメッセージでさらに権威づけ。

6代会長は「永遠の直弟子」として超特別な存在になったとさ。笑

では、終わりませんよ。
 

魚も組織も頭から腐る⇒ウェブ電通報より2015.

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 8月 3日(金)04時40分40秒
編集済
  魚も組織も頭から腐る⇒ウェブ電通報より2015.⇒電通も腐っています。

日本ボクシング協会の山根氏のワンマン体制は、氷山の一角にしかすぎまぜん。どこの集団・集

合体でも権力者は金により腐敗・堕落を選択してしまうのです。「正義」はしょせん「綺麗事」

に反転してしまうのです。地球上の国々の多種多様な「政治」の現象も同様です。それが、人間

(ヒューマン)が作り上げてきた文明なのです。

なぜならば「自我機能」による「思考・概念」だからです。人格者がリーダーとなるわけではな

いのです。幻想・妄想は条件付けられているのです。山根会長「正」とメディア「反」の構図は

どこでも起きている現象です。

創価の中にも山根会長はウジャウジャいると思えば腐敗・堕落は納得


「魚は頭から腐る」は西洋のことわざですが、企業や組織でも「組織は頭から腐る」という言葉

が使われます。「頭」とは、社長など組織長を示しており、社長の社内での無理な業績要求や、

目標達成を過度に追求する姿勢・発言が、組織(企業)を腐らせることを表現しています。要す

るにこの言葉は、危機管理におけるトップの重要性を訴えている言葉なのです。⇒「思考・概

念」の世界です。

実際に、企業の緊急時広報を支援している現場においても「上からの強い要請があった」「物を

言えない社風が…」などの声が漏れ伝わってきます。

トップの過度なプレッシャーから組織文化が壊れていき、世間の常識と企業の常識にズレを生じ

させ、結果、不正が行われてしまう。こうしたことは、多かれ少なかれメディアを目にしている

企業人であれば感じたことがあると思います。

組織の頭(トップ)というのは、強いリーダーシップがあるものであり、その発言や文章は、自

身が考えている以上に強い影響力があるということを、経営者や危機管理担当者はあらためて強

く認識すべきでしょう。近年はメールやLINEなどでの指示や命令も増えていると思います。しか

しテキストでのコミュニケーションは、淡泊になりがちでニュアンスが伝わらず、高圧的指示に

受け止められやすいコミュニケーション手法であることを、あらためて考慮する必要があると考

えます。「考えても何も変わらない」のが現実

多くの企業・集団のトップは危機管理の実践が伴っていない

電通パブリックリレーションズの企業広報戦略研究所と東京大学大学院情報学環総合防災情報研

究センターと共同で実施した「企業の危機管理に関する調査」では、この「リーダーシップ力」

についても詳しく調査しています。

本調査では、企業に必要な5つの危機管理力の一つに「リーダーシップ力」を掲げ「組織的な危機

管理力向上に対するトップなど経営陣のコミュニケーション・実行力」と定義しています。要す

るに社長やCRO(チーフ・リスクマネジメント・オフィサー)などが、良い組織文化をつくってい

く力を「リーダーシップ力」と考えているのです。

しかし、「トップなど経営陣が率先して組織の危機管理力向上に資する行動・発言を行ってい

る」と聞いた設問では、43.9%の実施率にとどまりました。

この設問は危機管理の専門家が、リーダーシップ力の中でも2番目に重要と答えた設問でしたが、

6割近い企業のトップが危機管理に無頓着ということなのでしょうか。危機管理に資する行動や発

言が行われていないというのが現実なのです。

さらに、ガバナンス改革で注目を浴びる社外取締役との関係性を聞いた設問「社外取締役等に危

機管理について報告・提言している」では、さらに低い25.3%の実施率にとどまっています。い

くら優秀な社外取締役でも適切なインプットがなければ、良い経営判断はできません。

危機管理は重要な経営判断事項であり、危機管理などを担う部門が良い情報も、悪い情報も分か

りやすくまとめて、社内取締役はもちろん社外取締役にも伝えていくことは必要不可欠な企業行

動ではないでしょうか。

一昔前のように、都合の良い取り巻きの意見だけで役員が経営判断を行えば、重大事故・不正が

発生した場合には、「予見可能性」など法的責任を追及される危険性も否定できないことを、経

営者や危機管理担当者は認識しておくべきでしょう。内部通報制度の適切な運用はもちろんのこ

と、その業種・企業の実態に合わせてリスク情報が集まりやすい仕組みを複数構築し、経営に生

かされるようにしておくことが、組織の頭(リーダー)を腐らせないコツなのです。

危機が企業のリーダーシップ力を強化!

今回の調査では、企業に対して28種の危機事象に対する遭遇経験も伺っています。直近2年間で危

機事象への遭遇経験のある企業と、ない企業との「リーダーシップ力」を比較したものです。

危機遭遇経験のある企業は、トップ以外の危機管理担当役員を設け(+24.1)、さらにリスク発生

予測の報告を受け(+22.5)、そしてトップが危機管理力向上に資する発言を行います

(+19.9)。危機に直面した企業の先行事例として、各企業が見習うべきポイントが多くありま

す。

リスクマネジメントは経営トップの責務

これからの時代、経営トップは事件・事故・自然災害にとどまらず、投資や為替・技術開発など

自社に影響を与える可能性のある、あらゆるリスク事象を的確に見積もりマネジメントしていく

仕組みと風土を構築していく義務が強まっていくと考えています。

安全・無難に経営をおこなっているだけでは、古くさい企業としてのレピュテーションが定着

し、顧客や市場、さらには従業員からも見放されていくリスクが高まっていくのです。

リーダーシップ・リーダー教育等の人材育成システムの崩落が起きているのです。

創価は、教団マネジメントの失敗実例として歴史に残るのです。古今東西の教団と同じ

事を繰り返しているのです。

山根会長の電話取材【独自】「これ以上黙っておれない!」 激白! ボクシング山根会長

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180802-00397821-fnn-soci
 

第二十 得入無上道等の事 ひらがな化を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 8月 3日(金)00時40分46秒
編集済
  第二十 得入無上道等の事 ひらがな化を投稿します。

御義口伝講義 下

第二十得入無上道等の事

まとめ
ポイント

講義より

日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経こそ、無上の中の極無上道と仰せられている。
 したがって、これを受持する人も、最高の幸福境涯を会得していけるのである。

この幸福境涯を、無作三身と説かれたのが、この御文である。
 しかして、この無作三身を、わが一身に成就していくためには、信心以外にないのである。
最高の生命力、最高の智慧、最高の福運、これを顕現し、確立するための信心である。

 その根底を確立することが、人生の根本であり、幸福への第一義である。技術等は、その余残
にすぎない。
無作三身の当体を確立することが大地である。

己れの活動する分野で技術を修得し、その分野の権威者となり、なくてはならぬ人材となってい
くのは、その大地より、芽を生じ、やがて、大木となり、葉を茂らせていくのに譬えられる。
 一切の技術を生かし、それを社会のために、偉大なる価値創造に向かわしめる根源は、自身の
内奥にある。
自身の生命を盤石とせずして、何の技術か、たんなる、うわべの荘厳にすぎぬではないか。

 「成就仏身疑無きなり」とは、大聖人の絶対の確信であられる。
これほどまでに、強く、堅く、われわれに約束してくださっているのである。
有難いことではないか。すばらしいことではないか。

 この御文をば、絶対と確信して、さらに、強き信心に進み、師子王が悠々と歩がごとく、威儀
堂々と、人生を闊歩していただきたい。
それは、形式でも、格好でもない。その人の境涯、内奥の確信の発露である。
日本一、否、世界一の幸福者であるとの心をもって、太陽が輝くがごとく、明るく、快活に、希
望に満ちて、共々に新時代を歩んでいきたいと、心より念願するものである。


 

チキショウ、男泣きするぜ

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商会の谷川係長  投稿日:2018年 8月 3日(金)00時14分18秒
  聞いてくれるな、広布第2章の指針先輩。

前々文は半分読んで、前文は先輩の人生経験に男泣きぞな。
同じような境遇の方がまだ創価を案じている。
ここに投稿する有志の諸氏は曲軒闘志満々、権勢になびかず世を憂い、民を憂い、国を憂い、世界を憂う人がまだ大勢いる事に感激するばかりです。

創価の大改革の望みは如何に?
また後ほど。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 8月 2日(木)23時49分22秒
  今晩は皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生に面従腹背の会長、副会長が真面になります様に
組織悪に物申せない、学会職員方々が真面になります様に
大衆扇動する電通、マスコミの方々が真面になります様に
おやすみなさい
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 8月 2日(木)22時55分50秒
  23時に開始します。よろしくお願いいたします。
池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈ります。

暑い日が続きます。皆様、無理をされないでくださいね。
 

会長の「恩赦」で復権した前会長の例もあるが…

 投稿者:親方三色旗  投稿日:2018年 8月 2日(木)22時40分45秒
  皇位継承時の恩赦検討=現行憲法下で11回目-政府

 来年4~5月に予定される天皇陛下の退位と皇太子さまの天皇即位に合わせ、政府が減刑をはじめとする恩赦の実施を検討していることが分かった。政府関係者が2日、明らかにした。国の慶弔時に合わせた恩赦が行われれば、現行憲法下で11回目となる。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080200992&g=ryl


参院選前の政令恩赦となると、選挙違反による公民権停止の与党支援者が野党支援者より多数復権するのだろうか…
 

恋のウォータールー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 8月 2日(木)22時12分0秒
  誕生日が4月24日だという方のツイッター。なるほど、4・24に池田先生とともに生まれた人と、逆に死んだ人がいるのですね。8月の24日はもう一つの池田先生の誕生日。私のラッキーナンバーも『24』。
>1999年から2000年にかけて大きな変化が起こった。それは何かというと、第一次自公連立政権です。1999年10月、第一次自公連立政権。その前に、その連立政権に向かう模索があった。さかのぼると、まず宗教法人法の改正で学会がゆすられた。<
>自民党に頭下げて止めさせた。で、自民党に借りを作った。当時、橋本龍太郎が四月会の件で学会に謝ってきたというのは表面上のことで、実は学会が自民党の集票マシーンになるのを条件に追及を止めさせた。それで自公連立が成立した。<
>2003年、イラク戦争が始まった。アフガンへの攻撃が始まった。で、自衛隊を行かせるかどうかの議論になった。あの時に、学会の中も二つに分かれた。自公連立を選ぶ意見と、それを反対する意見があった。その時から、創価学会は、公明党ではなく創価学会内で自民党の主流派とつながっている人が<
>学会の中で発言力を持つようになった。こういう構図になってしまった。代表的なのはS氏です。
(※自公連立の立役者は電柱氏ら報○社一派。いわゆるY氏―T氏・S氏―報○社の悪の三位一体)<
>その頃、先生は、極東諸国の友好関係を築こうとされていた。対中国には日中友好を進める中、第二次大戦で日本が行った筆舌に尽くしがたい蛮行を詫び、対朝鮮半島には文化の大恩人として兄の国と評していた。<
>しかしこれは自民党としては認められないことで、自民党から当時の連立推進派の学会幹部に「池田大作を黙らせろ!」との条件提示がなされた。このとんでもないと思われる条件が、実は、学会執行部にとっては簡単な条件だった。
そうなんですよね<
>先生の意思や本当の言葉なんてこれっぽっちも表に出ない仕組みなんです。
況してやなんの権限も無いし。54年からってか本当は会長になる時から周りは全て敵みたいな状況ですよ。しかも54年の会長辞任に関してサインしてた人物やらよく考えて<

“ウォータールー 逃げたくても逃げられない”
“ウォータールー あなたと一緒にいるのが私の運命”
“ウォータールー ついに直面した 私のウォータールー”
『恋のウォータールー』アバ
https://www.youtube.com/watch?v=Sj_9CiNkkn4
 

こんばんは。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2018年 8月 2日(木)20時51分45秒
  生涯広布様、お久しぶりです。

  あは。単純に邪宗の害毒を断ち切らねばとあらためて、思っただけです。

誰のお題目が云々、他意はありません。(>_<)

とにかくお題目すごいと言いたいだけなのです(笑)。

  昨年家族で折伏した方がずっとお題目あげてるよと言っていたのですが、先日会い、一時は体調もすこぶる悪く入院しっぱなしで八方塞がりだった状況が、様々に護られ退院し本人にとって好条件で新居に移り、以前より元気になってきました。

  勤行なしですが、お題目唱えまくった結果が出てきてます。

あげられない人の分もあげられる人があげるしかないと思ってがんばります。(^o^)/


 

幸せな人さま

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 2日(木)18時58分1秒
編集済
  お久しぶりです。

いや、お恥ずかしいです。

私の上げる題目が云々ではなくて大聖人さまの南無妙法蓮華経がすごいわけですね。

でも、幸せな人さんのお書きなってるように・思い込みや・・

観念でもなく、死相は必ず変わりますね。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2018年 8月 2日(木)17時01分55秒
  人間生命の目的そのものであり、人格の完成、つまり人間が人間らしくあるための第一義的要因であるはずの教育が、常に何ものかに従属し、何ものかの手段に貶められてきたのが、日本に限らず、近代、特に20世紀だったとはいえないでしょうか。  

広布第二章の指針さま & 時事ネタ

 投稿者:末席の弟子  投稿日:2018年 8月 2日(木)14時44分44秒
  貴重な先生のご指導の投稿ありがとうございました。

特に、芥川龍之介の件りは、ここの所プライベートで

思いあぐねていたことで、この指導読んで霧が晴れた

ような気持ちになりました。

数十年たっても先生のご指導は色あせない、

そして生きている―――

本当に私たちの師匠はすごいですね。


///////////////////////////////////////////////
余談:

【日本ボクシング連盟のニュース 】

山ね会長という人
「自分に異論を唱える者は、次々に除名」と関係者証言。

あれ?どこかで聞いたようなことがある(含笑)


     悪は必ず白日のもとに!
 

仏法は理屈ではない。

 投稿者:A  投稿日:2018年 8月 2日(木)13時53分39秒
  みんなが幸せになるのが仏法。
それと同時に、今のこの瞬間を輝けせるのが、日蓮仏法。全てはまぼろし。気付こうよ。

 

唯一の希望!

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2018年 8月 2日(木)13時51分15秒
  法華経の智慧第四巻より。読み返すたびに、“腑に落ちます”・・

池田名誉会長:要するに、小乗も大乗も、釈尊が言い遺した「法と自己を拠りどころとせよ」という心と正反対になってしまった。<中略>

そうだね。宗教の“非人間化”や“現実からの遊離”に抵抗して、原点たる「人間」へと打ち戻し続けていくのが法華経の精神です。

池田名誉会長:それほど、宗教というものは、人間を離れよう、離れようとする傾向がある。そうなると宗教は、一種の権力になってしまう。

須田:本当に怖いことですね。

斎藤:その要因はいろいろ考えられると思いますが、一つには聖職者の堕落、一つには教団組織の硬直化、一つには信仰心の惰性、が挙げられるのではないでしょうか。
それらが重なり合って、宗教が民衆からかけ離れて、権威主義化してしまう。

法華経の智慧全六巻(ワイド版)は、先生が20年前に残して下さった“ご遺言の書”に思えてなりません。21世版、「御義口伝講義」とも言える、“重要な書“であると、小生感じております。

① 寺と別れた今、本部職員は明らかな“聖職者”でしょう。この腐敗・堕落。
② ピラミッドの頂点から発せられる、“打ち出し”を遂行するための機構としての“組織”の硬直化。
③ 心の財第一とする、深き“行学“から遠ざかる、多くのメンバーの、信仰心の惰性。

靖国神社への“供養”に見られる、恐るべき“学会精神の退廃“も、残念ながら、起こるべくして起きているのだろうか?

宿坊に集う、心ある“同志諸氏“に希望を託すばかりです。
 

迫られる判断

 投稿者:ロマン  投稿日:2018年 8月 2日(木)13時01分52秒
  内部告発者に「報復」する社会 法の欠陥、修正できるか
https://news.yahoo.co.jp/feature/1037
 

池田先生非難「オタク」

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 8月 2日(木)12時59分2秒
  宿板ほぼbotの方の、何人かのバカタレが、遂に「俺はこれほど池田先生を嫌っているのだぞ!」と自慢大会を始めている。(笑)まさに、顚倒の極みというヤツだ。

例外がないほどのいつもの事ではあるが、こういう連中はチョット反論されるとすぐに逆上し、自ら自分の本心を白状してくれるのだ。(笑)やはり、どこか抜けているのだろう。円満な知性の持ち主とは、到底思えない。
元学会員という事で、「お情け」で読んでくれている人達もこれで離れるだろう。

コウモリが旗幟鮮明にするなどというのは自殺行為だ。コウモリのストロングポイントは「どっちつかず」という事だが、それを自分から捨てるのだから、バカタレ!という以外ない。

「三代のしてきたことなんて、世の中の何のためにもなっていないんだよ」(阿保丸出し)とか、イラク戦争を「池田名誉会長が黙認した」とか抜かしているが、バカタレもここまで来ると手のつけようもない。

そう思うなら勝手にそう思っていろ、としか言えないな。

ただ、「反池田主義者」としての旗を高々と揚げたのだから、もうコイツらの言う事など、まともな人はスルーだろう。

自分のブログのアクセス数を気にしている俗物のようだが、これでだいぶ減るだろう。ご愁傷様です。チーン。(笑)

退転者が集まるブログなどいっぱいあるのだから、そっちで書いてろ!!

元学会員とか言っているがホントか?
先生のスピーチ原稿を頼まれたとか必死に自慢しているので、そこそこの患部だったのだろうが、そういうエセ患部ほど、逆に最前線を知らないのだ。
しかしこんなヤツがスピーチ原稿とは、世も末だ。採用されなかったらしいが当然だ。

イラク戦争の頃、20人ほどの壮年部員と対話したが、自衛隊派遣に賛成する人は1人しかいなかった。95%以上が反対で、特に、普段は物静かな沖縄出身の人の、公明党に対する凄まじい怒りが印象に残っている。

池田先生が、「色々あるけど応援しよう」と言われたかどうか、そこまでの記憶はないが、もし言われたとしても、それがイラク戦争を黙認する事にどうしてなるのだ!!バカなのかコイツは!
「我田引水」以外の何物でもない。

戦いをやるからには勝たねばならない、というのはその通りで、何もおかしくはない。先生がよく使われる言葉だ。
自衛隊を派遣されるわ、選挙も負けるわ、では、それこそ踏んだり蹴ったりだ。
ダメージを最小限に止めるためには、選挙に勝つことも必要な事だと理解出来るが、それがどうしてイラク戦争を黙認する事になるのだ!

それにイラク派遣は、イラク特措法による派遣だ。一時的な措置だ。
公明党もまだ、今ほどには腐っていなかったのだろう。
恒久的に憲法を変えてしまうなどという今とは、比較にもならない。

池田先生のイラク戦争に対するご本心は「気でも違ったのか!」だと私は今でも思っている。

当然、政府や公明党を直接名指しする事はないのだが、読む人が読めば分かるはずだ。
そういう文章が確かにあった。

米軍のイラク攻撃が始まった時、真っ先にそれを支持する公明党冬柴氏の姿をテレビで観て、「このバカヤローッ!!」と怒鳴った時の怒りは、今も鮮明に蘇る。理屈もクソもない。それが当時の常識だ。

聖教新聞の片隅に、「査問委員会設置」を知らせる小さな記事が出ていたのも、確かその頃だったと記憶している。明らかに何かが蠢き始めていた。

イラク戦争の頃から、より一段と、創価・公明は狂い始めて行ったのだ。
その事に気が付かず、先生を非難するなど「ボケカス・アホンダラ」のする事だ。視野が狭過ぎるから見えないのだ。

池田先生非難を趣味とする「オタク」集団に過ぎない。

昔、F-1のアイルトン・セナの一周ごとのラップタイムを、すべて記憶しているものすごい「オタク」がいて驚いた事があるが、同じ様なものだ。

だが普通の人には、そんな「オタク」的知識など、まったく必要ないのだ。
トットと消えろ!!










 

(無題)

 投稿者:幸せな人  投稿日:2018年 8月 2日(木)12時42分18秒
  生涯広布様。お題目すごいですね。

わたしも祖父の葬儀の際、坊さんが念仏唱えると祖父の顔が暗くなり、私がお題目を唱えるごとに、顔がピンク色にどんどんなっていく姿を見て、興奮したのを覚えております。目には見えませんが、私も常に他宗はもちろん学会員さんで害毒を持っている方からも染み込まないように、また染み込みそうでもそれ以上に仏のお題目を沸き立たせる様にしています。その一点だけでも、お題目あげるとゾクゾクして生命が綺麗になる実感があるので、お題目たのしくて、気持ちよくなります。

生涯広布さんの投稿を見て、あらためて毒を消す意識を高めようとおもいました。(´Д`)
 

呼ばれたら(バレたら?)返事しなさい!よ

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 8月 2日(木)11時11分33秒
  捜査経験者様が我が質問に答えて言うには

同じ出来ゴト(行動)であっても本性☆性格
によって悪意★か計画的か判断が別れる・・・。

例えば仮面ライダー♪やレインボーマン☆が?
変身!するのは正義☆悪をやっつけるため!

でも暗黒★大魔王や怪人サターン?が変身★
するのは悪事を働き世を混乱させる為~!!

昨今の学会本部の裏行動~靖国神社供養等
一切は善意の解釈☆擁護!する余地なし!

もしもよう護しようとする者は創価の実態
変遷!変質の現況~ありのままの姿が

見抜けず知らず分からずの残念!無念☆な人

https://6027.teacup.com/situation/bbs/87740
 

念仏を唱えても良い??????

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 2日(木)11時10分26秒
編集済
  ・・・心で題目を唱えているから・・・・・」

まさに、昔の法華講・・・

謗法まみれになっているのを良しとしている姿・・

おそらく、昔、きちんと折伏というものをやったことがない幹部でしょう・・

昔、そうですね・・約50年程前、縦線時代の下っ端役職を任命受けた頃です。

九州から父が宇都宮にいる祖父が亡くなったので上京。

私も行くことに・・人生初めて参加する葬儀

隊長にその旨を報告・・

隊長:XX君、その葬儀で絶対に念仏を唱えてはいけない。

   堂々と題目を唱えて、亡くなった祖父を供養しなさい

私:ハイ

隊長:弱々しい声でもいけない

私:ハイ・頑張ります・・と

で、葬儀の時、私の焼香の番

まず、お数珠を取り出して・・揉む・

大きな声で題目三唱・・

一瞬の静寂・・

お寺の坊さん・・声失う

父、驚く・・

終わった後

親戚の人々から・・

「お若いのに感心ですね~」と・・

意気揚々とお寺から帰る途中、父も関心深く・・何か言っていた。

以降・・

私は必ず他宗で行う葬儀には必ず、題目を送ってあげています。

昔ほど、無茶?な大きな声ではやりませんけれど(苦笑)

そうすることで、亡くなった人の死相が一瞬にして微笑んでいるように変化・(事実)

戸田先生は題目3偏で死相が悪く亡くなったメンバーを成仏相に

変化させられたという記述が人革にあったように思います。

御書にも正法に反対する父親が亡くなった後・・

ある日、枕元に現れ・・

息子に

「ありがとう、お前のおかげで苦しい地獄から抜け出ることができた。

今、霊鷲山?に行く途中・・でお前に何としてもお礼を言いたかったので来たと・・」

このような話だったと思います。

本当の供養とは何か・・

これを大聖人は教えになっています。

本当に苦しい時、題目をあげていても

生命の奥深くでは「念仏」を唱えていませんか?

また、諦めの生命が出て来たり、弱気になるのは害毒が生命奥深く

染み込んでいるからです・・(自分の経験)

今、正法の滅亡に追いやる悪を見て、ま、いいや・・上の問題だから

自分は周りとうまくやっているから、良いと思っているメンバーは

毒から知らず、知らずのうちに生命が侵されつつあるのです。

間違いなく・・

せっかく、今世で正しき法と偉大なる三世の師匠と出会っていながら、

知らずに誤った道を歩むことは・・・

これほど悲惨なものはありません。

特に幹部になればなるほど、誤った道から抜け出ることは

難しい。特に現役の幹部は・・可哀想かもしれません
 

スリーダイヤ商会の谷川係長さんへ

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 8月 2日(木)11時08分55秒
編集済
  私は、20歳の時に学生部の方の折伏で御本尊をいただきました。お袋は、やっていましたが私は無視。
家を出て、一人で稼いで間借り生活をしながら、大学に通いました。親の世話にはならない、様々な理由がありましたが、乞食のような生活でした。一日中空腹、着る服も無い。あるのは、貰い受けた作業服と、古本屋から仕入れた本の山。布団は無くて寝袋でした。電気代も無いから、晩の八時まで図書館で勉強する。足はもっぱら自転車。風呂代も無いから、大学体育館のシャワーを浴びる。
昭和五十年代のビンボー学生は、ほとんど肉体労働、剣先スコップの使い方、上手ですよ。今も手の平にタコがある。冬の朝刊配達も数年やってました、当然、生活のためで聖教ボランティアではありません。
この生き方の中で、多くの友人に助けられました。外部の友人です、ほとんどがね。だから六十歳過ぎても交流があるのです。心臓病で若くして亡くなった友もいれば、何度も離婚結婚を繰り返す友もいる。
お互い、盆暮れには必ず集いあって、様々な話題やら涙があるのです。法学部だったので、孤高の司法書士から弁護士、上場企業の役員になっている者もいる。でも、みんな昔の姿(乞食学生)を知っているし、助け合って生きてきたから、分け隔てが無いのです。面白いでしょ?無学も学歴も恥じることなど全く無い。死んだら、何も残らない、問題はどんな生き様をしてきたか?だけです。
人様に迷惑かけて、のうのうとおバカな生き方だけはしないように頑張りましょう!
 

新人間革命の切抜き用

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時58分35秒
  新人間革命の完結9月の8日です。

新人間革命の切抜き用で複数部購読されている方も多いことでしょう。9月はしょうがないとしても、10月からは必要なくなります。そこで9月の中旬前に最寄りの新聞販売店、もしくは組織を通せば減部はできます。しかし、組織を通すと説得される可能性は大なので直に販売店の方をオススメします。

「新人間革命の切抜きが必要になくなったので、10月からは1部でいいです。」
いい機会です。笑
 

広布第2章の指針さんへ

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商会の谷川係長  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時37分18秒
  自分が確かに忘れている事。

人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん。

倦怠期と神経痛は辛ですね。おまけに若い時電気事故で右目をアークで負傷、おまけに眼底出血。
眼鏡使用でも0.7自動車免許更新ギリギリ、会社の健康診断であちこち故障らしい。
椎間板ヘルニア二回。神経性脱毛症で頭は三毛君。

ハズキルーペ掛けて読み始めています。ワハハは。
 

毒気深入

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時27分41秒
  https://6027.teacup.com/situation/bbs/87762

師匠の目の届かないところ、すでに毒が深く入りつつあったんですね・・

恐ろしいこと。

これが、あからさまになってきている今日この頃 ・・

日興上人様が身延離山を決意された頃の地頭の謗法と重なります。

少しづつ、少しづつ、邪教の毒は生命に入りこむ。

入れるのはたやすい、抜くのは大変・・ そうだから邪宗は危険なのである。

そのことは多くの昔の学会員が体験しているところ・・

毒は少しづつ、少しづつ生命の内部深く浸透して行く。

苦難に陥った時、生命は邪教、邪宗の弱気生命が支配

未来部には” 積極的に座談会等に出席させて生命に正法の明るい活力を多く、

体験させれば苦境に当たった時に力強く立ち上がることができる” とは、

過去にあった先生の指導。

助教、邪宗に導く悩乱最高幹部

幹部の顔に騙されるな・・そして頼るな !

今後は自分の脳、先生の指導と御書根本こそまともな信仰の道
 

堤防補強よりダム優先で被害拡大か、問われる自公の河川政策

 投稿者:さいちゃん  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時08分23秒
  「石井国交大臣はギャンブル法案に張り付いて災害復旧対策は二の次」と言われてますが、
前任の太田大臣も自然災害予防には関心が無かったようです。
「権力を監視する」ジャーナリズムの本来の使命を全うする週刊誌です。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/08/01/antena-294/

 

広布第二章の指針さんへ

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商会の谷川係長  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時06分10秒
  こんにちは?
あいや~。ご多忙の中当方の為に
長文の書き込み大変に感謝します。

自分は中卒です。無学です。
時間の折に岩波文庫、岩波の世界、中央公論読んだ位のノー味噌しかありません。

貴殿のご返答に何処まで真読出来るか分かりません。

貴殿もしや学園出身の方かもしれませんし、
学士で気分を害されておればご容赦下さい。

創価学園や慶応幼稚舎と聞くだけで抵抗心が湧いてしまう
悪い癖です。

無学者の悲しさ。本能、直感でものを見る、判断する
野蛮の禽獣かも知れません。この哀れ者をお笑い下さい。

以前にも書き込みましたが頭が今でも左巻き、偶然北京で第二次天安門事件の前兆をこの目で見て
社会主義に幻滅した。

創価に平等、協調、慈愛、尊厳を求めたけれど絵に描いた餅だと、
諦めています。

チョット時間下さい。
有難うございます。
 

夏期友好週間もドンドン打出し

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 2日(木)09時40分49秒
編集済
  現場には、打出しが次々きます。
Sカードの数が少ないのか中間報告を出せと。
昨年秋にまさかの600万台に落ち込んだので必死ですね。Sカードにあたり、コンペーパンフを夏から配れば勝てると思っている時点でアウトです。皆さん、特にここ数年のコンペーの変節に呆れ返っているんです。それは内外問わずに。まぁ、ここまでくると来年に歴史的大敗北をしても変わらないでしょうね。笑
 

2010年、信濃町商店振興会主催の夏祭りのエピソード、

 投稿者:神札万歳  投稿日:2018年 8月 2日(木)09時22分17秒
  2010年、信濃町商店振興会主催の夏祭りのエピソード、

町内神輿祭りで、「神輿の中に納める御札をお願いしたい」とのことで当時の担当副会長が

「『広宣流布』としたため御札を神輿に納めました。このように地域貢献できるまで広布は進ん

でいます。凄い事です」と、自慢げに言う馬鹿に腹が立ちました。⇒「信濃町ふる里盆踊り大会」

会場「聖教新聞社の前庭」

このころ首都圏の副会長クラスでは地域貢献・開かれた創価と言う事で、いわゆる他宗の葬儀・

法事に際して、

特別に嫌うことなく対応してほしいとの事、例えば、「念仏宗の法事に招かれた場合等は念仏を

唱えてもいい、心では南無妙法蓮華経だから」と、御書講義を担当した区長が、自分の法事の体

験を通し述べていました。参加者は「へ~え、凄い、変わってきているんだ」と納得!「神札問

題の受ける、受けない」ではなく、いつしか「神札を授ける」立場になっていました。このよう

な変質変貌の現象は千代田・中央・新宿では始まっていたのです。

この件の検証は2010年前後の区長・副会長に上手に確認していただければと思います。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、ホントに「核兵器なき世界」を目指してらっしゃいマスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 8月 2日(木)09時21分21秒
  おはようございます。原田怪鳥様、ネタが無い時の定番、グローバルウオッチ、また2面には、なんと一ヶ月おくれの海外ネタ(笑)

本当に劣化著しい政教珍聞の編集、誠にご苦労様で~す(笑)


さらに4面には、いつもの爆笑創作座談会デスが、原田怪鳥様はホントに「核兵器なき世界」を目指してらっしゃるんデスかぁ~(大爆)

原田怪鳥様からは、核兵器禁止条約の採択から一年を迎えたワリには、公明党も参加しなかったコトに対して何のコメントもありましぇ~ん(笑)

もちろん日本政府にも、何の提言もされていましぇ~ん(笑)


その反対に、この一年で、公明党議員が堂々と日本会議主催の会合で「憲法改正頑張りましょ~う」なんて檄を飛ばすは、

「学会婦人部は説得できマスッ!」なんて、意味わかんない決意を披露されるは、とても「平和」に向かってるとは思えましぇ~ん(笑)


また原田怪鳥様は、日本会議の代表委員の方と会談されるは、靖国神社への提灯奉納に対して、学会として公式コメントは出されないわと、

原田怪鳥様にとっての「平和」とはナニか? 小生にはサッパリわかりましぇ~ん(大爆)


さらに、「じ・き・で・し」のハズの原田怪鳥様、「先生は」というワリには、師匠の発言の引用がかなり控えめなのはどうしてデスかぁ~(笑)

結局、「核兵器なき世界だっ!」「友情結ぶ対話だっ!」「平和への連帯だっ!」なんてウケのいい言葉を喚き散らしても、

その裏には、「だから公明党に投票してねッ!」という本音が見え見えでぇ~す(大爆)


たとえ創作とはいえ、原田怪鳥様の発言として、「池田先生の一貫した平和哲学、平和行動に学び」なんて仰られていマスので、

是非とも、原田怪鳥様御自身が、率先垂範して実行して頂けマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

靖国神社への献灯とは、謗法への供養です。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 8月 2日(木)08時04分32秒
編集済
  おはようございます。
末席2017様、創価新報の記事のご投稿を頂きまして、誠にありがとうございました。

【今日の創価新報、全部ご自分に返ってきてません?】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87729


創価新報にあるように、『謗法への供養は駄地獄の因』というのが創価学会の指導性です。

靖国神社への献灯(提灯を奉納)とは、神社への供養だと思います。
これは明らかな『謗法への供養』ですね。

謗法を戒めなければ与同罪です。
だからこそ原田会長は、創価学会の責任者として、靖国神社への献灯に対し発言をするべきです。

何よりも、財務を靖国神社への供養には使ってほしくはありません。
池田先生に使って頂きたくて財務をしている会員の真心を、踏みにじらないで頂きたいです。



【靖国神社への献灯問題】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87728


 

昭和52年11月19日 創価学園創立10周年に寄せて メッセージ

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 8月 2日(木)07時51分26秒
編集済
  青年部(学園生)への長文のメッセージです。心して読んでいきましょう。「意味分からない、意味不明、そんな昔の話出すんじゃないよ!」と文句言う皆さん方はスルーでどうぞ!!

何故、この時期(昭和52年11月)にこんなに長いメッセージ[17ページ]を創価学園生に贈られたのか?何のため、誰のため?
私は今のためだと認識しています。

今、本部に居る学園出身の五十代の大幹部の皆さま、また各方面で大患部をされている皆さま、このメッセージを体して活動していますか?その姿が今、問われているのです。

酒呑みまくって、供養を散財して、会員に迷惑かけて、余計なBJ仕事やり、恫喝・査問・除名をやっている時ではありません。
あの時を思い出して、よく読んでくださいね(笑
手遅れかと思いますが、今の姿が弟子としての実証なのです。

スリーダイヤ商事の谷川係長さんは、よく読んで池田先生がなんで、こんな難しい話を、何の意味があって、当時の創価学園生(ほとんど男子中・高校生)に打ち込もうとしていたのか?理解と感想をどうぞ。けっして文面理解の話では無いのです。時間がかかっても構いません。
肩書、権限のある者には、応分の責任があります。今般のメッセージの通りです。今の執行部は、単なる宗教ゴロ。「信」という言葉を発することができない。何故なら宗教を信じていないからです。この人間特有の精神が無いために、対話拒否で何でもかんでも懐疑的に思い込み、カネを信じて未来を想い描いている。哀れ、臆病者、卑怯者の世界にハマり出れなくなっているのです。
酒乱・インラン・ハレンチな世界を隠蔽することばかりに余念なく、終わりを迎えようとしています。
では、どうすれば良いのか?
メッセージを深読みしましょう。


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昭和52年11月19日  創価学園創立10周年に寄せて ー  メッセージ


"何のため"の原点忘るな


本日は、意義ある創立十周年の記念の集い、まことにおめでとうございます。また本日まで数多くの鳳雛を薫育し、世に送り出してくださった教諭の皆さま、また、それを陰に陽にささえてくださった父兄の皆さまには、創立者として厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

私は、学園寮歌の一節にある「何のため」という響きが、ことのほか、好きであります。
「英知をみがくは何のため」
「情熱燃やすは何のため」
「人を愛すは何のため」等々、
そこには、ともどもに学舎に集いあった青春の原点があるからであります。社会一般では、教育の危機ということが、大きな社会問題にまで発展してきておりますが、私はその最大の原因は、この「何のため」という原点を問う姿勢が失われたところにあると考えます。
ゆえに、ここ武蔵野の一角に、このさわやかな歌声のこだましているかぎり、創価学園は健在であり、教育界に希望の松明を掲げゆくことができると、私は信じております。
どうか、建学の精神を忘れることなく、きょうよりは、さらに次の十年をめざして、新たな伝統を築きゆかれんことを、心よりお願い申し上げます。
その意義を込めて私は、最近、若い人たちに接しながら感じていることの一端を、申し上げてみたいと思う。



真実の友情は生涯の財産

その第一は、友情ということであります。
ドイツの詩人シルレルが「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」と述べているように、真実の友情は、人間としてのかけがえのない宝であります。心を打ち明けることのできる友のいない人生ほど寂しいものはない。とくに青少年時代につちかわれた友情は、生涯にわたって、人生のささえとなっていくものであります。
社会に出てからのつきあいというものは、一部の場合を除いて、ともすれば利害や打算がからんできて、真の心と心の通いあいにまで昇華しない場合が多い。それに比べて、諸君の時代の友情は、全生命を賭けての出会いであります。

諸君がよくごぞんじのように、親や教師にさえ打ち明けられないような悩みごとも、親友同士ならば、ごく気楽に相談できる場合が多々ありましよう。それほど、少年時代、青年時代にもつ友情の意味は大きいのであります。

ところが最近では、こうした青春の証ともいうべき友情が、徐々に崩されつつあるように思えてならないのであります。
学歴社会のなかで、成績も思うようにならず、さりとて喜びや悲しみを分かちあう友ももたず、孤独のなかにのめり込んでいく。その結果、自暴自棄になったり、あげくは、みずからの生命の若い芽をつみとってしまうような場合も、ままみられるのであります。

私は、そうしたニュースに接するたびに、彼らに一人でも心から語りあえる友があったならと、胸の痛みを抑えることができないのであります。

たしかに諸君たちを取り巻く環境は厳しい。受験に偏った現代の教育のあり方に、さまざまな疑問を感ずる場合もあるかもしれない。しかし、そうした矛盾は、多かれ少なかれ、いつの時代にもあったことであります。

私は、前途ある諸君に「嵐に負けるな」と申し上げておきたい。そのためにも、深く強靭なる友情の絆を固めていっていただきたいのであります。


漢文等で習ってごぞんじの諸君も多いでしょうが、中国の「列子」のなかに"管鮑の交わり"の故事が出てまいります。

春秋時代の斉の国に、管仲と鮑叔という二人の青年がおり、大の仲良しであった。鮑叔は、管仲が商売で儲けても、彼の貧乏をよく知っていたので、欲張りとはいわなかった。なんど馘になっても、人生に運、不運はつきものだから、無能呼ばわりはしなかった。また、戦場から逃げかえっても、老母のあるのを知っていたから、卑怯者とは思わなかった。後に大政治家となった管仲は「私を生んでくれたのは父母だが、私を知っている者は鮑君だ」と述べたというのであります。よく、友情は厚いことにたとえられる故事であります。

私は、ここから学ぶべきことは、友を愛し、友を思いやる心が、いかに大切であるかということであろうと思う。もし、これがなくなったならば、学生生活は闇に等しい。真の友情というものは、学問の知識にもまして、諸君の生涯の財産となって輝いていくのであります。

あるいは、なかには、それに値するような友人が見つからないという人が、いるかもしれない。しかし私は、それは大きな考え違いであると申し上げておきたい。なぜならば、人を愛し、人を思いやる心は、相手によって生まれてくるものではなく、まず自分の心のなかに築き上げるものであるからであります。まず自分が、そのような豊かな人間性を身につけるならば、友人は、しぜんとできてくるものであります。たとえば、鏡に向かってお辞儀をするすれば、鏡の自分もお辞儀をするごとく、自分自身のを心が相手の心を呼び醒ましていくことを知ってください。


たしかに、他人の成功を妬み、他人の失敗を喜ぶ醜い心は、だれにでもある。私はちょうど諸君のを年代のころ、芥川龍之介の「鼻」を読んだことを記憶しています。
禅智内供(ぜんちないぐ)というひじように鼻の長い坊さんがいて、人に笑われるのを、いつも苦にしている。あるとき、よい方法を発見し、荒療治をほどこして、鼻を短くすることに成功するのですが、彼の思惑は見事にはずれてしまう。というのも、人々の笑いはいっこうにおさまらず、かえって陰にこもったものになってくる。   ー    ここで芥川龍之介は、次のように述べています。
「    ー   人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。もちろん、だれでも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事ができると、今度はこっちでなんとなく物足りないような心もちがする。少し誇張して言えば、もう一度その人を、同じ不幸におとしいれてみたいような気にさえなる。そうしていつのまにか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対していだくような事になる」
ここに描かれているのは、だれでももっている人間のエゴイズムであります。若い人たちといえども、それと無縁ではない。それどころか、若いだけに、それが鋭く露出されてくる場合も多いわけであります。

私は、若さの特権というものは、そうした人間の醜い感情を敏感に感じとれる点にあると思う。それが、社会の垢に染まっていない若者の純粋さということであります。

どうか諸君は、へんに大人びたり、シラケたりすることなく、自分との厳しい戦いを忘れないでいただきたい。その自己との対決のなかにこそ、友の喜びをわが喜びとし、友の悲しみをわが悲しみとする真実の友情の花が爛漫と咲き誇っていくことを、私は確信しております。




忍耐は人生の力なり

次に私が申し上げたいことは、忍耐ということであります。フランスのある作家の言に「忍耐とは仕事を支えるところの、一種の資本である」とありますが、含蓄の深い至言であると思う。

忍耐は力であり、人生の勝利の凱歌につながっていく。挫折は人生の敗北であり、精神の敗退である。いな、たとえ挫折したとしても、忍耐が貫かれ、不死鳥のごとく立ち上がっていくならば、人間のつねとしての挫折も、たとえそれが何度あったとしても、人生の最後の勝利を勝ちえていくものであります。

諸君は、これからの長い人生をひかえた青春時代であるがゆえに、心の振幅も大きく、挫折もまた決定的とさえ映ずる場合もあることでしょう。しかしそれは、じつは、より大きい自分自身の形成のための試練であり、跳躍台なのであります。その苦難を克服するたびに、忍耐の力は増してゆくことでありましょう。



私はここで、一人の先人の歩みを紹介してみたい。じつはそれは、私のよく知る日本創作舞踊の功労者である一婦人の祖父にあたる方の話であります。

いまは亡きその祖父は、和井内貞行(わいない さだゆき)という人で、あの有名な十和田湖のヒメマス養殖を成功させたかたであります。

いまでこそ十和田湖はヒメマスの養殖場であるとともに、美しい国立公園として全国にその名を知られていますが、明治初期、和井内氏がヒメマスの養殖を成功させるまでは、一匹の魚も生息しない、ただ大きいというだけで、だれからもかえりみられない湖であった。

湖畔の村々は貧しく、とくに魚介類となると、遠く青森の八戸や秋田の能代あたりまで行かなくては手に入らない状態であった。この村の窮状を見て、和井内氏は「もしこの巨大な湖に魚が育ったら、村人はどんなに助かり、そして地域が発展するだろう」と考えたのであります。
思索を重ね、氏がはじめて湖に鯉を放ったのは、明治十七年、二十六歳のときでありました。なんとか貧しい村の活路を開きたいとの願っての、この最初の試みは、見事に失敗してしまった。
しかも、湖に一匹の魚も住まないことを土俗宗教に結びつけ、神話化していた村人は「それみたことか」とばかり和井内氏の行動を冷笑し、あからさまに批判しはじめたのであります。
しかし、一度の失敗はかえって和井内氏の闘志をかきたてた。研究に研究を重ね、私財をはたいて二度目の放流を試みる。ところが、これも失敗に終わった。
因習深い村人の非難、中傷はますますひどいものとなり、湖畔にたたずむ和井内氏を狂人呼ばわりするようになったのであります。しかし、罵倒されながらも、和井内氏は一言のいいのがれも、いいわけもしなかったというのです。"水がある以上、かならず魚を養殖することができるはずだ。もしそれが成功すれば貧しい村はよみがえる。そのとき、人々はきっとわかってくれるだろう"  ー   この思いを胸にあたためつつ、不死鳥のように己が信ずる道を歩みつづけたわけであります。

目的成就までの途上に、一度や二度の失敗はかならずあるものです。いな、ときには絶望的な厚い壁に直面することだってあります。くわえて世評というものは厳しい。心ない非難の矢が無数に射られてくる。しかし、ほんとうに大事を成そうとする人は、そうした世間の風評に、一つひとつ自己を正当化するような弁を弄しないのがつねではないかと思う。

事実、和井内氏もそうであった。非難、中傷に一喜一憂せず、黙々と己が信条を貫いていったわけであります。もちろん、数々の悪口雑言は、和井内氏の心を傷つけたでありましょう。
忍耐の忍という字は心に刃と書くように、想像を絶する苦しみである場合が多い。ともかく、非難、中傷のなかでの和井内氏の忍耐強い戦いは、二十一年間の長きにわたって続けられたのであります。

そしてついに、明治三十八年、十和田湖でのヒメマス養殖に成功した。氏は四十七歳でありながら、頭髪には老人に見えるほどの白いものがあった。そして、いっさいの私財を使い果たしたその姿は、それこそ乞食のように見えた。しかし、村人のだれひとりとして、和井内氏の姿を笑うことはできなかったというのであります。

世評にこびず、中傷にも耐え、想像を絶する戦いの果てに村人を救った和井内氏の姿は、忍耐という文字にみがきぬかれた、おかしがたい人間としての風格と輝きをつくりあげていたのではないかと思う。目的成就の途上"狂人"と呼ばれたその名は、いま、十和田湖救済の人として語り継がれているわけであります。

私が、なぜこのようなことを訴えるかというと、最近の中学生、高校生のあいだに、この忍耐という気風が、薄れつつあるようにみえるからであります。

新聞紙上をにぎわすティーンエイジャーの自殺などをみても、宿題ができない、成績が思うようにならない、教師に叱られた、受験に失敗した等々、あまりに単純な理由が多すぎる。入学試験など、受験生にとっての大問題を単純というと叱られるかもしれない。しかし、それにしても死を選ぶほどの挫折ではないと思うのであります。

その背景には、よく指摘されるような◯??式教育の弊害も当然あるでありましょう。人生には◯と??しかない   ー  すなわちオール・オブ・ナッシングの考え方であります。まことに単純な生き方という以外になく、学園の諸君はそうしたものに染まってはならないと思う。

一つの目標達成に失敗したからといって、それで人生のすべてが無に帰するようなものではけっしてありません。ほかにいくらでも選択の幅はあるものであります。その"人間いたるところ青山あり"との広い視野を支えるものこそ"忍耐"の二字なのであります。

私は少年時代、アレキサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を愛読いたしました。その最後の一句は、いまだに記憶に焼きついております。それは「待て、そして希望をもて!」というものであります。もとよりこの小説は、自分を陥れたものに対する復讐をテーマにしたものですが、その最後の一句は、仇討ちという暗い印象を超えた、ほのぼのとしたヒューマニズムをたたえており、幼心に忍耐ということの重要性を学んだものであります。

どうか諸君も、これからの長い人生において、つねに希望を失わず、雑草のようにたくましく、そして忍耐強く生きぬき、最後に人生勝利の栄冠をかちとっていくよう、心から祈るものであります。




偉大な使命感に立つ行動を

ともあれ青年時代は、感情の揺れがことさら激しい時代であります。ときには劣等感にとらわれて、前途を悲観するようなこともあるかもしれない。しかし、諸君たちの内部には、自分でも考えられないような偉大な力が秘められていることを忘れてはならない。

江戸時代の中期、信州松代藩の家老に恩田木工(おんだ  もく)という人がいました。彼の事績、人となりについては「日暮硯(ひぐらしすずり)」という書物に詳しく書かれてありますが、藩の財政的窮迫にさいし、弱冠十六歳の藩主・真田幸弘から"勘定奉行"(これは財政整理の奉行という意味ですが)の命をうけ、艱難辛苦のすえに見事、藩政を立て直した人物で、あるいはごぞんじの方もいるかと思う。

彼が活躍した時代は、九代将軍・徳川家重の治下で、前代の吉宗時代にみられた綱紀も年とともにゆるみ、やがてかの田沼意次が頭をもたげはじめようとしたころであります。

松代藩においても、先代真田公が人材登用の道を誤り、その結果として悪臣がばっこし、藩政を私物化していた。加えて地震、洪水等の天災がしきりにつづき、ために財政は極度に窮乏、当時としては珍しい足軽の同盟罷業(もちろん、今様でいえばストライキですが)があったり、百姓一揆なども起こって、藩政は乱れきっていたようであります。

その昔、松代の真田家というのは、富裕な藩として聞こえていた。「貯蔵の黄金の重みで城の櫓下の石垣が傾いた」という言い伝えがあるほどであります。それが役人の乱脈、天災等によって財政が窮迫し"半知御借(はんちおかり)"といって、本来、藩士に支給すべき扶持米(ふちまい)を半分に減らしたり、農民には先へ先へと年貢を繰り上げて徴収する"先納先々納"を強制するまでに落ちぶれてしまった。

こうした窮状を立て直すべく、恩田木工が手がけた第一の改革は、まず自分自身と家族の生活から改めることでありました。一族郎党を集めた席で、彼はまず親類に対し「縁を切らしてもらう」といい、妻に対しては「親元へ帰るように」、子供には「勘当するから、今後は好きにせよ」、そして家来に対しては「暇を出すから、どこなりと奉公先を見つけるように」と、それぞれ言い渡したのであります。

なぜ、彼がこのような冷徹とも思える行為に出たかといえば、人心一新のためには、それまで役人のあいだに横行していた"嘘言"や"変改"を一掃しなければならない。自分にそれはできても、親戚、家族にまで強要することはできない。となれば、いくら自分一人が「ウソはいうまい」と誓っても「身内の者があのとおりなら木工も同じ」と人々が疑うにちがいない。そうなっては、このたびの大任を果たすことができない  ー   ゆえに、さきのような厳しい注文を親戚、家族につきつけたのであります。

ことのしだいを聞いた身内一同は、一人として彼の元を離れようとはせず「ウソをいわない」ばかりか「飯と汁より外は食べない」「木綿より外の衣服は着用しない」ことまで誓うようになるのであります。

第二に彼は、役人や領民に対して、みずからが嘘言を吐いたり、変改したりしないことを誓い、そのうえで藩の窮状をありのまま訴え「自分だけでできる仕事ではないのだから、なんでも気安く相談してほしい」と、領民が心を一つにして財政の立て直しに協力するよう呼びかけた。

そして、彼の人柄が象徴的に表れるのは、悪事の限りを尽くしてきた役人に対する処置であります。横暴な役人に対する領民の不満を書面に書き出させた木工は、死刑にしてもよいほどの役人たちであるにもかかわらず、あえて藩主に処罰の撤回を申し出て、自分の"相役"すなわち、仕事上の相談をする相手の人として遇するのであります。これに感激した彼ら役人は、木工を支えて藩の立て直しに身を粉にして働くようになる  ー   人心の機微をとらえた木工の的確にして懸命な戦いによって、当初の目標である五か年を待たずに、藩の財政が見事に立ち直ったというのであります。

なにぶん、封建時代の話であり、そのまま現在にあてはめるわけにはいかない面もありますが、彼が一人、身を挺して藩の改革に立ち上がり、領民すべての力を結集させて、大事業を見事に成し遂げたという事実は、私どもにも、なにがしかの示唆を与えてくれます。それは、一念を定めた人間の必死の行動が、いかに大きなる結実をするもたらすか、ということであり、一個の人間の偉大さであります。

その偉大な力を生み出したのが、恩田木工の使命感でありました。彼が死んだときは、人々話こぞってその徳をたたえ、漏れる者は一人もなかったとさえ伝えられております。半財政の立て直しという仕事を木工はみずからの使命としたのでありますが、その結果は、それ以上の成果を生み出したのであります。


諸君たち一人ひとりも、これからの人生において、現実社会のなかで、木工に勝るともけっして劣ることのない使命をもっていくはずであります。その使命への強い責任感に立つとき、才能の芽は急速に伸び、偉大な力が発揮されてくるものであります。

どうかそのことを深く自覚し、悔いなき青春桜の道を乱舞していってください。

以上をもって、私の諸君への贈言とさせていただきます。

--------------


読書嫌いな方(学園出身者含む)は、これ以上は読まないでください。

友情=管鮑の交わり=「管仲と鮑叔」
自己との戦い=芥川龍之介・鼻=「禅智内供」
忍耐=「和井内貞行」
希望=「モンテ・クリスト伯」
使命=「恩田木工」

本を読む気がなければ、興味無いでしょう。

後年の池田先生のスピーチで「学会は貴族仏教になってしまった」「衰亡しますよ」「分裂します」と述べられた時点(2009年)で、既に本部職員の中にも、現今の学会組織の幹部の中には、和井内貞行も恩田木工のような人物も、素地有る者もいなくなったのです。二度と現れることもありません。それは今までに、この数十年間散々、追放、排除、恫喝、査問、除名と気にくわない学会員を追い出してきた結果です。後は終わりを迎えるだけです。残念ですが、これはどうにもならない。

その筋の者(無責任・信心嫌い・傲慢不遜)ばかりが集い(眷属関係)、老若男女関係なく組織の責任者として年中宴会(行事・選挙)をやり続けているのです。365日、歓喜も感動も信心に結びつく活動とは無関係なことばかりを年がら年中やり続けてきた結果です。

お金好き、お酒好き、女好き、男好き、愛人好き、妾好き、恫喝好きな方々は、これらの例を出されると「池田先生は、文学少年だったから」と大学出ていないことを揶揄しながら、小馬鹿にしていましたね。記録を取られていた方も多数います。本当の心根は、卑しい師匠蔑視だった。そして自身の保身しか考えていない。

このスピーチは、本の話をしているわけでは無いのです。

人間の生き方を説いています。
こんなことも理解出来ない大人になってしまったのか・・・と嘆くかも知れませんが、それはあなた方が望み、先生を裏切り、その事実を隠蔽して何食わぬ顔をしながら生き続ける道を選んだからです。何も悔やむことは有りません。
その畜生道を正々堂々と歩み続けて、自らの役割を演じ死して永遠の地獄へ堕ちて下さい。それが我々弟子の「悪しき手本」となります。
提婆の末流として「あの人を見よ!あのような弟子になってはいけない」と永遠に語り継がれる有名な人物となります。いかがですか?納得できる説明でしょう。


友人との友情、弱き自己の心との葛藤。
ちょっと前の映画「20世紀少年(三部作)」を私は、思い出しました。「ともだち」は、何故、世界を滅亡しようとしたのか?ケンジの葛藤と相まって良いエンディングでしたね。映像は、エンディングの後のストーリー。今、やらないと一生後悔するぞ~僕は必要?必要じゃない?僕は不必要?20センチュリーボーイ。
今年は、ともだち暦4年でしたか(爆

信心していようが、いまいが、青年時代に苦楽を共にした友達は大事なのです。さまざまな助言をしてくれる。よく観察していてくれて自分では分からなかったことも教えてくれる。
それを無碍にして、「信心しない奴とは絶交だ!」などと成果主義の思考でいっていたら、このスピーチから大きくかけ離れた人生となります。


何度も先生は指導されていますが、若き日に苦闘してこなかった者は、壮年~老年期には益々人間関係が希薄となり、自身の慢心が増長して女房・子供にも嫌われる存在となる。

そして認知、徘徊、施設送り。創価学会組織での肩書きも、御本尊も、先生からいただいた和歌も、書籍も全てゴミに出されてお終い、犬死となるわけです。
こんな終末を誰が分かっていたのでしょうか?先生は分かっていたから、あの昭和52年に敢えて厳しく指導していた。
でもダメ弟子は、それを忘れ記憶を滅却して、意味も分からずに奈落の底へと突き進むのです。

それから、この「友達」は、異性ではない同性ということです。「同棲」でも「オカマ」でも「変態」でもない。
「愛人二号三号」でも「妾ユカコ」でも女房でもない。「ズボン下げて、パンツも下げて、本部別館を歩き回り女子職員を物色する元青年部大患部」の痴態でもありません。(弓笑
住む場所を保障され、食べることも着ることも不自由しなかった青年時代を送った者は、この投稿の意味を理解出来ずにいることでしょう。

逆に、青年時代に困難なところに自らを追いやり、または大病したり、極貧の生活をしてきた者は、先生のスピーチの言わんとする意味が理解出来ます。それだけ人間としての境涯が異なっていると言う話です。

良き友人は、私事に関係なく、率直な話をしてくれます。
それは互いに還暦過ぎても、他者のために動き回っているからです。世の中に支えられている感満載ですよ。

学会の世界だけで生きていてはならない。
幹部の皆さんも、職員の皆さんも、青年部時代から、皆さんコツコツと折伏弘教しているんでしょ?外部の友達たくさんいるのでしょう。

まさか、どこだかで代表されている大患部みたいに、友達は愛人、妾だけとか、学園時代の学会員だけとか、そんな情けない人生を歩んできたわけではないですよね?会員の先頭に立ち、「直弟子」の眷属宣言している。

この指導のままに頑張って来られたのでしょう?だから今があるんですよね。そうじゃなかったら「師弟」なんか言葉にして喋ってはいけません。師弟違背ですから。創価学会の大幹部、金看板を背負っているのですからね。

そうでないなら、サッサと学会辞めて、なんたらの科学とか、楽しい宗教(人生に役立ちませんが)に下って偉い立場でケダモノ生活を満喫していてください。現場・末端の学会員に迷惑かけることになりますから。


 

ツイッターから。勝手に創価の名で靖國に提灯奉納?日本会議と昵懇の原田学会は思想的敗北

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 8月 2日(木)07時50分59秒
  そうなのか。現下の創価学会公式は、どこの馬の骨ともわからない者が勝手に創価学会を名乗って靖國に提灯奉納することを一切不問に付することが出来る程に寛容の精神に溢れているということなのか(笑)。さすがは日本会議と昵懇なだけのことはある。本当に見事なまでのわかりやすい思想的敗北。

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