現代社会というのは「多様性」という価値観などで、一見は自分の手札で自由になれると勘違いさせられる。
しかし、それは嘘っぱちで何だかんだ国家やら社会、資本というものがガチガチに固めたルールで無理やりでも勝負せざる得ないものになる。
最近は大学の入試で性差別が行われていたことに対して皆怒っている。
左派の人間だけではない。普段権力の批判やらは一切しない人間も批判している。
彼らは、「これは怒ってもいい」とでも言われたかのように批判しているのが何とも言えない。
まるで、巨悪を見て見ぬふりをして小悪に怒り狂っているようだ。
司法や捜査権を持つ組織、大衆ありとあらゆるものがそんな風になっている気さえする。
ただ、入試制度というもの自体が差別を含んだものであるということを忘れてはいけない。
自分のように普段できの悪い内臓を見てもらっている病院で「バカすぎる」と相談して計測したIQが88だった。
言語性が平均よりも超えていたが、他は80をうろうろだ。全体的に低いとか書かれていたような気もする。
ただそれでも大学受験はしなければいけなくて、受かる学校を探して関関立の色物学部と日大文系学部に受かった。
受験勉強もできずに苦労したし、持病の薬の副作用で吹き出物やら酷いニキビ跡やら醜い容姿で苦労した。
スポーツも学年で一番できない人間だっただろう。体の動きからおかしかった。
無い手札で散々な思いをさせられてきた。そしてそれが入試やらにも響くのだ。
容姿がよく、要領よく勉強できて、スポーツも出来た人間が高偏差値大学に受かるのだ。
その一方で、手札がひどい自分は不合格である ある種の排除されたとでも言おうか。
これは差別ではないのか。
現在の入試制度で出来上がった社会を見てみたら、とても褒められるものではない。
若い人間は権力に媚び媚びで京都学派みたいなことを言い出す輩までいる。どこまでも権威主義だ。
入試制度で強者だった人間が作り上げた行政やら司法やらというのも、ニュースを見るととても褒められるものになっていない。
もし、社会を良くしたいのなら入試という差別性を考えなければいけないはずだろう。
最近、醜い容姿の写真をTwitterに掲載したら、「口が出ている」と言われた。そして肌が恐ろしく汚いし全体的にダメだ。
様々なものをマシにしていきたいと感じるものだ。手札をすこしでも良くしたい。
就職も親のコネで入れてくれそうなところにメールを送るも、返事が来ない。
気にかけてくれて感謝している。
日本の司法や行政、政治の腐敗のニュースを見ていると、いつか難癖をつけて冤罪やら微罪逮捕してくるのかと思うことがあるのではないかとすら感じるものだ。
留学で学歴ロンダできるなら、それもありだができるのだろうか。
いけるところに行きたいものだ。
ただ、やれることがないのでウエルベックの小説を英語で読むくらいしかできない。
そして持病があるが見てくれを良くしたい。
ただ、やり方が分からない。。。。