2018-08-03

入試という差別

人生というのは、カードゲームに例えられることがある。

自分が持っている手札で勝負せざる得ないと。

現代社会というのは「多様性」という価値観などで、一見自分の手札で自由になれると勘違いさせられる。

しかし、それは嘘っぱちで何だかんだ国家やら社会資本というものガチガチに固めたルールで無理やりでも勝負せざる得ないものになる。

自分の手札を見てみると、ブタなようだ。役なしだ。

容姿も知能も健康にも欠けているようだ。

最近大学入試性差別が行われていたことに対して皆怒っている。

左派人間だけではない。普段権力批判やらは一切しない人間批判している。

彼らは、「これは怒ってもいい」とでも言われたかのように批判しているのが何とも言えない。

まるで、巨悪を見て見ぬふりをして小悪に怒り狂っているようだ。

司法捜査権を持つ組織大衆ありとあらゆるものがそんな風になっている気さえする。

勿論、性差別はいけないことだろう。

ただ、入試制度というもの自体差別を含んだものであるということを忘れてはいけない。

自分のように普段できの悪い内臓を見てもらっている病院で「バカすぎる」と相談して計測したIQが88だった。

言語性が平均よりも超えていたが、他は80をうろうろだ。全体的に低いとか書かれていたような気もする。

ただそれでも大学受験はしなければいけなくて、受かる学校を探して関関立の色物学部日大文系学部に受かった。

受験勉強もできずに苦労したし、持病の薬の副作用で吹き出物やら酷いニキビ跡やら醜い容姿で苦労した。

スポーツも学年で一番できない人間だっただろう。体の動きからおかしかった。

無い手札で散々な思いをさせられてきた。そしてそれが入試やらにも響くのだ。

容姿がよく、要領よく勉強できて、スポーツも出来た人間が高偏差値大学に受かるのだ。

その一方で、手札がひどい自分不合格である ある種の排除されたとでも言おうか。

これは差別ではないのか。

現在入試制度で出来上がった社会を見てみたら、とても褒められるものではない。

若い人間権力に媚び媚びで京都学派みたいなことを言い出す輩までいる。どこまでも権威主義だ。

入試制度強者だった人間が作り上げた行政やら司法やらというのも、ニュースを見るととても褒められるものになっていない。

下手したらダメものと化しているではなしか

もし、社会を良くしたいのなら入試という差別性を考えなければいけないはずだろう。

最近、醜い容姿写真Twitter掲載したら、「口が出ている」と言われた。そして肌が恐ろしく汚いし全体的にダメだ。

様々なものをマシにしていきたいと感じるものだ。手札をすこしでも良くしたい。

就職も親のコネで入れてくれそうなところにメールを送るも、返事が来ない。

教授留学暇つぶししろよという。ドイツとかと。

気にかけてくれて感謝している。

日本司法行政政治の腐敗のニュースを見ていると、いつか難癖をつけて冤罪やら微罪逮捕してくるのかと思うことがあるのではないかとすら感じるものだ。

留学学歴ロンダできるなら、それもありだができるのだろうか。

いけるところに行きたいものだ。

ただ、やれることがないのでウエルベック小説英語で読むくらいしかできない。

そして持病があるが見てくれを良くしたい。

親に小金は今のところはある。カードを良くしたい。

闘争の中で自由になりたい。

ただ、やり方が分からない。。。。

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