全世界からスマートフォンが消えたのは、まだ初夏の風が少し残った7月の暖かな日だった。
その日はようやく大学の期末試験も終わり、これから過ごすであろう大学二年生の怠惰な夏を物憂げに予想していた時だったような気がする。
「……スマホがない」
枕もとに置かれたはずのスマホが見当たらない。
どうせ寝ている時にベッドの溝にでも落としたのだろうとたかを括っていたが、5分以上探しても見つからない。
「……寝る前にツイッターをやっていたのに」
「無いわけがないんだけどな……」
そういえば今は何時だ?
日差しは明らかに朝の様相を呈してはいないので、もう昼過ぎなのだろう。
正確な時刻を確認しようとしてスマホを取ろうとしたとき、そういえばスマホが無いんだったとおもいだす。
弱ったな……
月35000円を払って得る自分の場所。
貧乏大学生のワンルーム、一人暮らし。
テレビもなければラジオも無い。
四畳半の部屋は30分以上探しても目的のブツを出してくれず、さらに散らかってしまった部屋を見て多少後悔する。
身体を動かしたせいかなんだか蒸し暑い。
窓を開けて外の空気を入れよう。
「……眩し」
初めて目に飛び込む強い光。
……そういえば、朝起きてスマホより先に外の光を浴びることなんかあったっけ。
太陽の光はなんとか脳内物質を増やして健康にいいとか聞くけど、特に光に違いなんてないだろうと正直なところおもう。
でも俺は都合がいい人間なので、とりあえず健康感あると信じ込む。
メールやSNSが使えないことには困るので、ノートパソコンをつける。
……ひとつとして上手くいかない世の中で、今日もまた不自由な一日が始まるんだろう。
ーー今思い返せば”この時の俺はまだ知らなかった”なんて使い古された文句がしっくり来る。
実際知らなかったんだからしょうがない、その日から大変なことになることを。
ーー
「突如消えたスマートフォンの怪異!」
「世界中で混乱、主要工場もデータも消失」
「どの機種でもスマートフォンを現在お持ちの方は政府に連絡を」
裏にリンゴが貼っ付いた、四角形の液晶にはそんな文字だらけ。
全世界中からスマートフォンが突如として消滅。
生産手段も親会社のデータはもちろん、部品の関連工場も停止。
復旧・再生産の見込みは立っていない、とのことだった。
「何だ……これ」
そんなバカな、と思った。
最近流行りのエイプリルフール悪ふざけが頭をよぎったが、すぐに否定された。
日付は何回見ても7月半ばだし、ツイッターもネットニュースもそれ一色だ。
ものが消えてなくなるなんて常識的に考えてありえない。
だが、ニュースの中には目の前で消えるスマホを見た、というものまであった。
事実、自分のスマホも忽然と姿が消えている。
「……」
頭の中をいろいろな思索が駆け巡る。
相当な事態であることは確かだったが、結構日常的なことばかり考えていた。
”友達へのLINEどうしよう”
”地図見れないと困るな”
”あんだけやったソシャゲもパアか~”
なんだ、結構冷静じゃないか。自分も……
冷静というよりは、現実味がないといったほうが適切かもしれない。
「とりあえず、連絡はしないと」
ブラウザでウェブメールを開き、とりあえず母親と友人にメールを送る。
文面は……『そっちは大丈夫か?こっちはいろいろ大変だよもう』でいいか?
まるで大災害にあった人間の安否確認かよ……と思いながら、メールを送信した。
それを終えると、途端にいろいろ不安になってきた。
ベッドに倒れ込みながら、無意識にスマホを探してしまった。
ああ、スマホはもう無いんだった。
あれ……いつもどうやって過ごしてきたんだっけ?
スマホが無いだけなのに、こんなに手持ち無沙汰になるなんて。
出先でスマホの充電が切れた時の、何もない手持ち無沙汰感が思い出される。
「やること無いな」
ポツリとつぶやく。
独り言が激しいのは小さい頃からの癖だ。
ロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーは、独り言をひとの発達の段階の中で、思考の道具として言葉を扱えるようになるためのものだと言っていた。
独り言のくせが抜けないのは、まだ俺が発達の段階にあるからだろうか。
なんだか情けない。
独り言は誰もいない四畳半に虚しく響いて、何かを描くような残響を落とす。
音楽でもかけよう。
その勇壮なメロディが、きっとこのいわれない孤独を打ち消してくれる。
そこまで思って、またスマホが無いことに気付く。
「……くそ」
クソほど不便だ。
音楽ひとつかけるにも、パソコンを付けなきゃいけない。
まだパソコンがあるだけ、マシと思うことにする。
スピーカーが演奏する交響曲を聞きながら、半ば現実逃避に二度寝を決め込んだ。
ーー
それから3日が過ぎた。
まだ騒動のほとぼりは冷めず、連日の報道は世界的に加熱している。
株価が急落したり、原因追求を求めるデモが起きたり、携帯会社が臨時会見を開いたり、なんだか色々起きているらしい。
だが末端の一学生である俺にとっては、目の前にある不便が一番の敵であって、正直そういう話はどこか遠くのものだと思ってしまう。
数年前の地震のときも、ミサイル警報のときも、同じような感覚を味わった気がする。
自分もまた無関係ではないはずなのに、無関係でいるような錯覚。
世界が遠くに見え、自分は当惑しているだけ。
あのときはまだスマホがあったから、外出先でもすぐに警報とニュースが入ってきた。
ツイッターのタイムラインはざあざあと流れ続けて、ネットを通して世界に触れつづけていたから、今よりはその感覚は薄かったかもしれない。
この3日間を一言で表せば、「不便」よりも「孤独」と「手持ち無沙汰」がいちばん当てはまる。
孤独。
地元から出てきて、大学にもあまり馴染めず、東京の友達なんてほとんどいない。
別に孤独を強く感じるタイプではないが、今までの自分がいかにスマホで孤独を紛らわせてきたかがありありと分かってしまった。
前までスマートフォンを開けば、無意識にツイッターやラインアプリの青と緑のアイコンを押してしまいがちだった。
ネットには結構古くから浸かっている人間なので、ネットにはそこそこ友達がいる。
だからツイッターを開いて中身のないリプライを送れば、同じように中身のないメッセージが返ってきて。
顔も名前も知らないバーチャルなコミュニケーションだけれど、正直な所それで俺は満足していた。孤独感はいい具合に紛らわせていた。
ブログやホームページはつまるところリアルタイムな人の言葉だし、それを読むことで人に触れている錯覚は味わえた。
でもスマホが無くなった今、頻繁にSNSに張り付くことは出来なくなってしまった。
この孤独感はそういうものに起因しているんだろう。
手持ち無沙汰。
もう一つ強く感じたのはそれだった。
最初の一日はパソコンでしか出来ないゲームをしたりアニメを見たり、SNSでネット友達と会話したりして時間を潰せたが、二日目はもう飽きてしまった。
もちろんバイトに行ったり、大学に行ったりはしたが、その移動時間も圧倒的に手持ち無沙汰だった。
俺の部屋はクソみたいに暑くなるので、特に用事がない日も外に出るが、やることもあまり思いつかず、結局ブックオフやゲームセンターで時間を潰すしかない。あまり熱中する方ではないから、これも一通りのゲームをやると飽きた。
え、勉強?
大学生が勉強なんてするわけないじゃん。
人はやることがないと途端に不安になる。
それを「自由」といえば聞こえは良いが、自由はそれと同時に行動への責任と、クリエイティビティを要求する。
例えば。今日からあなたは自由です!仕事や学校に行く必要はありません!育児も家事も自分の分だけで大丈夫!と言われたら、大抵の人は喜ぶと思う。
しかし2週間、3週間、1ヶ月、そして1年と過ぎるうちに、今度はありあまる自分の時間や、飽きたコンテンツに嫌気が差す。
熱中している趣味があれば、楽しい時間は少し長引くかもしれない。
ファッション、釣り、絵画、製作、音楽、読書、その他もろもろにずっと時間を費やせるなら、ずっとやっていたい!と言う人もいると思う。
しかし彼らの大半は、いずれ同じ道に至る。今までは”趣味”として余暇の時間の中でやっていたものが、全ての時間を費やせる”本気”になった途端に「責任」が発生するからだ。
自分の活動の限度を知ってしまった時、それが”趣味”であるなら「まあ、本気でやってるわけじゃないし!」と自分に言い訳が出来る。
こうした活動のほとんどが”より高みを目指すもの”であるがゆえに、ひとは限界に当たってしまうことが怖くなって活動から離れてしまう。
(よっぽど頭が悪いか、自己満足だと完全に割り切れる人間なら話は別だが)
また、明確な趣味がない人間にとって、ありあまる自由な時間はより苦痛なものとなる。
これは単純な話で、暇をつぶせなくなるのだ。
まとめサイトやツイッターを、ソシャゲやアニメを、ずっと、ずっと、毎日12時間も13時間もポチポチと出来るだろうか?
時間の使い方はクリエイティビティ(創意性)が必要なのだ。
「ずっと自分はこんなことやってていいんだろうか?」という無為に時間を過ごすことへの不安は、ときたまグワ~とやってきて、人々を行動に駆り立ててしまう。
だからそういう点でニートっていうのはスゴイと思う。
将来の不安について何も厭うことなしにひたすら”何もしない”が出来るのは一種の才能だと思う。
じゃあニート才能も熱中する趣味も持たない人々は、この場合どうするのか?
自由の責任から逃げて、権力や思想、宗教にハマる。
それらは簡単に「やること」を与えてくれる。「生きる意味」を与えてくれるからだ。
時間の使い方とは端的に言えば自分の生の使い方だ。
エーリヒ・フロムという心理学者は、こうした「自由」から逃げ、巨大な権力や新興宗教のようなものに逃げてしまう人々の心理を「自由からの逃走」という著書で如実に表し、こう綴っている。
人間が自由となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである
彼いわく、20世紀のドイツで起きたナチス・ファシズムへの傾倒は、人々が与えられた「自由」を、それに付随する責任と孤独を理解しないまま受け取ったからだと言う。
そういう意味で、俺は自由が嫌いだった。
中学生のときも高校生のときも、”流れ”に逆らわないように生きた。
自由に生きてその責任や孤独を背負い込むより、流れにまかせていた方が安心だからだ。
大学生になって1年ほど経ったが、与えられてしまった自由の使い方を見いだせず、ソシャゲやアルバイトをしてなんとか焦燥から目をそらしている。
ネットもその手段のひとつだ。
そんな事を思いながら、冷食づくめの夕飯を済ませて、パソコンに向かっている。
パソコンをいじりながらも頭の片隅で「何をやればいいんだろ?」と思いながらGoogleのトップ画面でぼーっとしていることに気づいた時、自分は重症だな、と気付いた。
スマホが無くなって、たった3日でこんなに手持ち無沙汰になるとは。
何か熱中するものを見つけなれけばなあ。
このままだと焦りと不安に殺されかねない。
「スマホないとなんもやることないな ぼっちなので」とツイートする。
……我ながら情報量のないクソみたいなツイートだ。
「♪」
唐突にデスクトップ通知の音が耳に飛び込んでくる。
リプライだ。
送り元は『ありさ』。
3年ほど前からのネットの知り合いで、結構付き合いは長い。
アニメとゴスロリと文学が好きで、眼帯をした黒髪の女の子がプロフィール画の典型的”イタいオタク”だが、話は合うのでなんだかんだ長い付き合いをしている。
名前も顔も性別も知らないけど。
『私も暇でしかたない~~~自分がいかにスマホ依存だったか気づいたよ(;;)』
返事を打つ。
「一緒にしてもらわないでいただけるか?俺はスマホ依存症なんかじゃないんだが?」
『その割にはいつもリプライ一瞬だよなぁ?』
「アッ言い返せない……でもさすがに今は夜しか見てないわ」
『それは私もだw大学ひまだ~』
「友達作れよ、ぼっちか?カワイソウにw」
『ブーメランだぞ?高校からぼっちのくせにな?』
「草、もう泣くわ」
……我ながら中身のない会話だ。
ネットはみんなそうだが、こいつとの会話は特に中身がない。
だけどそういう会話は結構心地が良い。
何も考えず返せるし、自分の深いところに突き刺さらずに済む。
ネットの関係の何がいいって、そういう安心感だろう。
切ろうと思えばいつでも切れる。後腐れなんてない。
人付き合いのリスクを極力排除しながら、孤独感だけ拭い取れる。
『な~に言ってんだ私がいるだろ?』
「や、俺の友達基準は高いんで……」
『そうなの?どのくらい?』
「少なくともサシでメシ食うくらい」
『ご飯食えば晴れてあーちゃんの友達?』
俺のハンドルネームは『あうる』なので、アリサは『あーちゃん』と俺のことを呼ぶ。
「うん、だけど俺とサシオフした奴はみんな死んだ」
『そりゃ人なんだから死ぬでしょ。いつ遊ぶ?』
おい、サシオフするつもり満々かよ。
別に嫌なわけじゃないけど……
ネットの人間とサシオフしたことは1回くらいしかない。相手男だったし。
女とサシオフか……
相手がありさじゃなければもっと期待していくんだけどな。
なまじ仲がいいし、昔のネトゲー時代からいろいろ雑なやつだからあまり期待できない。
……そもそもこいつ女なのか?
少し逡巡してから、ま、暇だしいいかと思ってキーボードを叩く。
「本気で言ってんのかよ、じゃ明日か明後日の1時に藤沢駅改札前」
からかいの可能性も含めて、サラッと無理な注文をしてみる。
『藤沢駅?おっけ~!じゃ明日ね』
思いの外すぐに返事が来た。快諾かよ。
東京に住んでるのは知ってるが……あいつどこに住んでるんだ?
「まじ~~??とりあえずDMで詳細な」
『あい~』
その後、ダイレクトメッセージで集合場所の詳細と目印を伝えた。
騙したりするなよって何度も言われたが、それはこっちも同じ思いだ。
サシで人と遊ぶのなんて何日ぶりだろう?
女と遊ぶなんて何年振りのレベルだぞ……
高校の時の彼女と別れてから、女の子とも全く関わりがないから多少は緊張する。
いや、まだ女と決まったわけじゃないけど。
人と遊ぶのは、たとえ相手が気心の知れた仲でも緊張する。
無意識な自分の発言や行動が、その後の相手に残ることを考えると一挙手一投足を意識してしまうからだ。
相手はたぶん気に留めていないとわかっていても、自意識過剰なので緊張する。
だから人付き合いは苦手だ。
性格が悪いから友達が出来ないんじゃなくて、避けてしまう自分の性格のせいなんだろう。
そういうことにしたい。
しかしとんとん拍子でことが決まってしまったなあ。
相手がアリサとは言え、緊張することに変わりはない。
「ネットの人間だし、いいか」
ま、ただちょっと下心とかはある。
あいつ結構俺のこと好きだし、頼めば胸くらい触らせてくれんじゃないかな?
「……ネットの女なんてブスしかいねーし、期待してもしゃーないな」
時計を見ると深夜2時。
「寝るか」
胸の中には3割の期待、3割の面倒臭さ、4割の緊張。
ネットの人間とサシオフする時の心情なんてこんなものだろう。
その夜は案外涼しく、さらりと寝付けた。