Decipit exemplar vitiis imitabile 作:ハゲテラス
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『サトル・スルシャーナ』という男性は従者として連れている『キーノ・ファスリス・インベルン』の扱いについて本格的に考えなければならない時期に来たと考えるようになった。
それは仲間を募ったり、依頼をこなして冒険者としての地位を強化している間中――ずっと考えていた事だ。
邪魔になったわけではない。
自分が彼女をどの程度の重要度だと思っているのか、それを検証する為に必要になったからだ。
自分で見つけたものを自分でどうこうしようが他人にどうこう言われる筋合いは無い。
そんな考えが常に自分の中で燻っていた。
サトルにとって大切なものは別にある。そしてそれは今では永遠に失われてしまった――と思っても過言では無いくらいの喪失――
その損失を埋める程の価値ある存在は未だに見当たらないし、見つけられていない。
存在しないかもしれない。
それはそれで当然と言えるほどなので仕方が無いのだが。
それではまるで自分が酷い人間だと言わんばかりだ。
もちろん自覚している。だが、気持ちは簡単には変えられないし、異形種のアバターの影響で風化するどころか、時間経過と共に失ったものへの渇望がどんどん強くなっているような気さえする。
それはとても危険な事だと頭では分かっている。
新しい世界に気持ちを切り替えなければ全てを失ってしまうほどに。
(……だが、どうすればいい)
悶々とした鬱屈する気持ちを晴れさせる方法を。
誰か教えてくれと大声で言いたい。
けれども、ここは異世界だ。
異邦人たるサトルの気持ちを理解出来るのは同じ世界からの来訪者くらいだ。
宿屋で一人キーノの帰りを待っている間に
白骨死体同然のクリーチャー『
肉体部分は一つたりとも存在しない。
それでも喋ったり、動いたりする事に何の抵抗も感じない。
睡眠と飲食不要。高ぶる精神は常に平常まで抑制される。
空腹を感じないのでだれかれ構わず噛み付く厄介な事態には至っていないのが救いか――
キーノであれば吸血衝動が起きるようなものだ。
(この世界にいつまで……)
元世界に戻れば窮屈な仕事が待っている。解散した仲間と再会できる保証は無い。
仮にあっても生き難い世界だ。幸せなどあるものか。
それでもやはり戻るべきなのか――
一年以上は確実に経過した。もし――現実世界の時間が止まったままならまだ――
希望ばかり夢想しても結果が最悪ならばどうしようもない。
そうであるならば少しでも明るい兆しを選ぶべきではないのか。
サトルは自問自答する日々を続けていた。もちろん答えは出ない。
自分が納得するような答えは――
都合のいい解答など出るわけがないのは分かっているけれど、それを待ち望んでしまうのは欲深い人間の心の
元の世界に戻りたい、というよりは往復したい。それが出来れば何の悩みも抱かない。
(都合のいい事ばかり)
自分の事ながら呆れてしまう。
自暴自棄になりそうなものだがキーノの存在が良い抑制剤となっているお陰かもしれない。
そんな彼女を自分は大事に思えないのだから困ってしまう。
サトルは唸り続ける。
確かに精神は平坦を維持している。だから、解消されたわけではない。
燻りが残ったまま苦労は未だ消えず。
こういう時は全て投げ出してみたくなるものだ。
(……そんな事を本当に出来るわけがない)
ここまで慎重に行動し、積み上げた実績を捨てることなど――
比較的自分は物を大事にするタイプだという自負があった。
単なる貧乏性とも言うけれど。
(仲間が居なくなって随分と経つ。だから一人で居ることには慣れている)
ゲームの後半はほぼソロ活動だ。
賑やかだった時代はもう終わった。それをいつまでも引きずっていては精神的に不健康極まりない。
そうだと分かっていながら未だに気持ちが燻っているのは異形種のアバターのせいなのか、それとも――
答えの出ない問答を繰り返すのも気持ち的には悪いかもしれない。
ある程度経ったらすっぱりと考えを切り替える訓練もしなければ。
悩みを共有する仲間が居ないというのは辛いものだと思いつつキーノの帰りを待つ。
お互い飲食も睡眠も必要ないのだが野晒しの場所で野営するのも対外的に悪い気がした。特にキーノに対して。
サトルは別にどこで過ごそうと関係ないのだが、肉体のある彼女はアンデッドだとしても風呂に入って身支度出来る存在だ。
どういう経緯なのかは知らないが、何らかの能力の影響で不死性を得たのは事実だ。
肉体的な損傷は見ている限りでは見つからないし、本人もケガとかはしていないと言っている。――ただし、心臓は完全に停止している、と本人は言っていた。
それでも人間的に思考し、誰かの命令で動いているような気配が無いので自然発生型か、それとも自らが望んでアンデッドになった影響などが考えられる。
ゲームの仕様では該当するようなものは思い至らないけれど。
昼ごろに帰ってきたキーノは人間と同様に手を洗ったり、軽く水浴びしたりする。
飲食については味が変化したりはせず、普通に食べる事が出来ている。――本人談。
サトルの知っている
「心臓が止まっているのに臓器はちゃんと働くんだな」
呼吸も必要としないので窒息する事が無い。ただし、口を塞がれれば魔法を唱える事が出来ないのは変わらない。
発声だけはアンデッドと言えど必要不可欠な概念のようだ。
「そうだね。未消化のまま出てきたりはしないようだよ」
ただ、栄養を摂取できているのかは不明――。いや、出来ているわけがない。
成長が止まっているアンデッドなのだから。
それでも飲食するのは吸血衝動を抑制する為だ。
飢えに似た衝動ならば何かを口にしている状況を維持していればいいのでは、と考えて今まで続けている。そのお陰かは分からないけれど、吸血に関しては今まで何も問題は起きていない。
睡眠に関しては瞑想して時間を潰す。
精神を落ち着かせていけば時間は気にならなくなる、というのは本人の談だ。
成長しないからこそ汗などはかかず、風呂に入ることも本当は必要ない――、筈なので体臭に関して返り血でも浴びない限りは臭くならない、と予想している。――全てサトルの予想に過ぎないし、確認する度胸もない。
キーノに頼んで色々と実験する勇気があればもっと凄い活躍が出来る勇者になれる筈だ。それが出来ていれば――
そう考えた時、ふと疑問が天啓のごとく現われた。
遠慮する必要などどこにある。
サトルの思考に割り込む邪悪な考え――
しかし、それを否定する材料が無い。
仲間ではない。赤の他人――。更には自分が見つけて供にしただけの存在だ。
骸骨の肉体だから如何わしい事は無理だが――。これでも中身は
葛藤というほどのものはない。
サトルの中身は
依頼の無い日は勉強か瞑想で過ごすキーノを観察するサトル。
昼間より夜間の方が活動的になれるけれど人間や亜人達の多くは昼間に活動する事が多い。そして、夜間の活動が必要になるにはまだ自分達は冒険者として未熟であった。
瞑想の日までサトルは地味な活動とキーノに様々な事柄を教えていく。――本当は教わりたい立場だが、戦闘技術はサトルの方が熟達者だったので仕方が無い。
長く共に旅をする仲間として近くに寄った程度で逃げられることはなく、わざと肩とか頭に触れても特に抗議は出なかった。――触れるといっても突き飛ばしたりする事ではない。
随分と信用されているのだな、と改めて気付くサトル。だからといって裸を見せてもらえるとは思っていない。
サトル側は骸骨なので風呂の使用に関しては色々と思うところがあり、どうしようか今も悩んでいた。
汚れを除去する便利な魔法があるので、緊急性は感じなかった。
ここ数日、気安い態度を演じてみて――あまりわざとらしく感じられない程度に――キーノとの距離を詰める。
全ては実験の検証のため――
キーノは瞑想する時、ベッドに乗って壁に背を預けて胡坐をかく。そして、目蓋を閉じたら朝まで静かになる。――呼吸を必要としないので完全に沈黙してしまう。
用件が無い限り、または声をかけるまでは微動だにしないほどだ。
評議国では頭部を晒しているキーノだが、人間の国では頭をすっぽりと覆い、仮面で顔を隠す。
それは今もって疎かにしない習慣のようなもの――
迫害の経験があるのか――または失われた記憶の中で――、それだけは徹底して守り続けていた。
そんなキーノにここしばらく差しさわりの無さそうな魔法を無詠唱でかけて様子を窺ってみた。
アンデッド特有の『完全耐性』が通用するのかどうか。
結果はちゃんと通用した。――正しくは完全耐性によって防がれた、だ。
肉体の無いアンデッドと肉体のあるアンデッドの差異は本当に肉体の有無くらい――
瞑想しているキーノの集中力はとても高く、余程強くでもない限り鼻や耳を触った程度では動じなかった。――さすがに胸とかは突付かない。
そうして適度なスキンシップの効果を確かめるべく、瞑想する彼女に倣い、サトルもベッドの上に乗り壁に背中を預けて胡坐をかく。そして、キーノに両膝の上に乗るように言ってみた。
両親を早くに亡くしたサトルにとっては大人の対応はよく理解していない。だが、知らないわけではない。
様々な映像記録を思い出して試してみる事にした。
父親が娘を膝に抱くように――
「え~。……恥ずかしいな」
「俺も瞑想するから……。それとも……隣りに並ぶほうがいいか?」
無理に乗らなくてもいいか、と自分で納得した。出来れば乗ってほしい、という淡い期待を込めて。
エロゲーは一通りプレイ済みだ。――アンデッド同士だからどうしようもないけれど。
今回の目的はキーノの胸を触ろうとかは思っていない。というか未発達のままだし、もう少し巨乳であれば考えないことも無い。
サトルはアンデッドだから、というのを思い出したのか意外にも――仕方ないな、と呟きつつ――許可を出してくれた。
時間をかけて好感度とか高めた甲斐がある、
――姿は人間の男性に偽装したままだが――早速キーノの気が変わらないうちに膝上に乗るように膝を叩いてアピールする。
日本人としては靴を脱ぐのが正しいのだが、この世界は欧米的で靴を履いたままベッドに乗るのが主流のようで、足が臭くならないものかと疑問に思うのだが、そこは色々と解決策があるらしい。
水を浴びるだけでも長く時間をかけたり、靴を念入りに洗ったり――
清潔にするところはちゃんとする。――場合によれば防臭剤で済ませることもあるとか。
汗をかかないアンデッドの肉体だからキーノは服を着たままでも体臭が臭くならないらしい。女の子の身だしなみとして風呂にはちゃんと入るようにしている。というか風呂付きの宿をせがまれたからだ。
もしサトルだけならば魔法で解決し、お金を節約するところだ。
「お邪魔します」
「どうぞ、遠慮なく」
偽装しているので実際は骨の肉体である。
キーノの柔らかい尻の感触が伝わってくるとしても股間は無反応。文字通り
少し座りにくそうにしながらサトルの膝上に乗るキーノ。その後、彼の胸に自身の背中を預ける。
直に肋骨が当たる不思議な感触にキーノは苦笑する。
(本当に無警戒に身体を預けるとは……)
(サトルの身体に身を預けるようになるとは……。元々が骨だから枯れ木に触っているみたい。……折れないと思うけれど……)
それぞれ似たような感情を抱き、しばし気まずさを感じる。だが、既に体勢は整った。いまさら拒否する気はどちらとも起きなかった。
相手に伝える必要は無いのでキーノは精神を落ち着かせる為に瞑想に入る。
(瞑想に入ったのかな)
と、思いつつ彼女の両肩を押さえるようにする。すると軽く頭が動いたのみで何も言い返してこなかった。
それはつまり瞑想に入った合図だ。――その後、背後から抱き締めるような無粋な真似は当然しない。
無抵抗なキーノに対して失望はしない。そういう風に誘導し、餌にかかった程度の意識しか持たなかった。だからといって対抗策を説明する気にはならない。――次の機会を失う結果になるのは自明だから。
淡白な気持ちになれる――この時ばかりは――アンデッドの身体に感謝する。そうでなければ赤面もので朝まで緊張しっぱなしになっているところだ。しかも当初の予定は当然ご破算。
(キーノには悪いが餌食になってもらおうか)
さすがに一日で全てが済むとは思っていない。まずは軽い小手調べから。
時間はたっぷりあるし、
それでも得られるものは少ないと頭の中で
言葉による誘導は意外と不得手な部分だが、卑猥にならないように気をつけつつ――
社会人として――サラリーマン時代の交渉術を思い出しながら――
「……そのままの状態で過去を思い出してみてくれ。俺と出会う少し前の事を……」
「……少し前?」
「頭の中に映像……風景だけでもいい。……または……俺と出会った時の記憶とか、無理に遡る事はしなくていい」
瞑想しつつサトルに言われるままキーノは過去を思い出そうとする。
キーノが覚えているのはサトルと出会った時から、くらいだ。それより前はおぼろげで自分の名前くらいしか分かっていなかった。
(私は何処から来たのか……。キーノという自分が生まれた場所は……)
サトルに言われなければ過去をじっくりと思い出すような事は無かったかもしれない。
嫌な事から逃げてきた自分が今更――という思いがある。だが、いずれは過去と向き合わなければならない時が来る。
自分という存在は自然発生したのか、それとも――
「………」
深く集中している為にキーノが何も言わなくなった。それはそれで好都合なのでサトルは準備を整える。――といっても自分に活を入れるようなものだが。
この時の為に時間は作っている。宿屋の主人が邪魔にしに来る事も無い。
本当の自分ならば興奮の息遣いで目の前の少女に気味悪がれるところだ。アンデッドなので呼吸を必要としない。それゆえにとても静かに過ごせる。
(それと心臓バクバクものに今は……ならないのはありがたい)
気持ち的にはとても緊張している。あまりに酷いと強制的に抑制される。――それが今は頼もしい。
それと羞恥心もあまり感じないので胸でも触らない限りは女性の身体の大部分は触れられそうだ。――服の上ならば、という条件がつく。
サトルは静かになったキーノの側頭部を挟む様に指を当てる。
少し乱れ気味の金髪。アンデッドになってから何度手入れしても綺麗にまとまらなくなったと言っていた。
そんな髪を間近でじっくりと見る事は滅多にない事だ。
かつての仲間達が作り上げた
気がついた時は自分の拠点である『ナザリック地下大墳墓』は掻き消えていた。
意識の間隙を突かれたように一瞬で世界が挿げ変わってしまった。
思えば外に出なければ良かった、と今は後悔している。――それが正しかったかどうかは判断できないけれど。
(自分も過去と向き合う時がいずれは来るんだろうな。では、そろそろ始めるか)
覚悟を決めたサトルはとある魔法を唱える。
〈
第十位階の魔法で時間経過によってMPがどんどん減ってしまう燃費の悪さが玉に
相手の過去を覗き見る事が出来るのだが、これがまた厄介な仕様となっていた。
常に状態をリセットされるので今日はここまで、という保存機能が備わっていない。だから、毎回同じ時間だけ過去を辿る事になる。
それを解決するには同意相手にある程度の過去を事前に用意してもらう必要がある。
これが敵ならほぼ無理な話だ。
キーノに頼んだのは信頼関係を築いたお陰だ。そうでなければ――赤の他人の言葉など聞くわけがないし、自分ならば決して従わない自身がある。――つい口がすべる事はあるけれど。
「………」
視点は相手が見たものしか映さないので分からない部分が多くなるのは致し方ない。
高い位階魔法によるMP減少は蛇口を捻るように激しいものとなっている。
そう何度もかけ直せないので出来れば一回で済ませたい。
記憶の本流を辿り、キーノという少女の人生が垣間見える。既に本人が覚えていないという領域に入っている。
瞑想している彼女は多少の違和感しか感じていない。それどころか過去を覗かれている感触は無い筈だ。
サトルが見た範囲では何処かの貴族令嬢だった彼女が何らかの儀式の影響で今に至る。――端的に言えばそうなる。
詳しい事は書面に書き残してからでないと何とも言えないのが正直な印象だった。
生きとし生けるもの者は何かしら様々な秘密を抱えているものだ。それをいちいち尋ねて聞きだす事は難しい。
(……ありふれた不幸話か? 最近のことなのか昔の事なのか……)
キーノは旅の目的を持っていない。昔の事だと割り切っているのであればサトルもどうしようもない。いや、どうにかしたいと思っているのか、という疑問がある。
彼女が拘っていないのであればそれでいいはずだ。
愛着が湧かないのだから、それで話は仕舞いだ。
過去の探訪といっても映像の分析は得意ではないので一度や二度では理解するには至らない。しかし、時間は有限だとしても挑戦は何度でも出来る。
それとこの魔法はただ記憶を覗き見るだけに留まらない。
(向かい合わせだったら可愛い顔を見つめていられる素敵な時間として過ごせたんだろうな)
大人しいキーノの顔をじっくりと眺める事が出来る特権を自分は持っている。そして、それを有効活用できない自分は世の男性陣から見れば失笑ものだ。
だが、頭では分かっていても精神の部分は実に淡白だ。
思考はとても鮮明だが、自分の根底にある部分がクリーチャーに染まっている。またはそれこそが自分の本音とも言える。
所詮、キーノはゲームのキャラクターだ。
本当は違うのだが、そう思い込んでいる自分が居る。
ここが異世界だから、ということもある。
現実にこんなに可愛い女の子が目の前に居るシチュエーションなどあるわけがないと――
映像を見ながら余計な雑念が入るのは如何ともしがたい。
行けるところまで遡り、今回は諦める事にする。何度も繰り返せば色々と分かることもある。
(それとは別に俺の都合を押し付ける
見ず知らずの相手に気を許すなどサトルには到底出来ない事だ。そして、その精神は徹底されている。
それはそれで非人間的だと感じるのだが、淡白なせいで改善しようがない。
こんな生活をいつまで続けるつもりだ、という別の自分が叱責してくる。そして、その言葉にいずれは負ける気がする。
おそらくその時が――