糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

08月01日の「今日のダーリン」

・じぶんの考えていることが、
 すべて正しいとかは思ってはいない。
 正しいかどうかどころか、
 これを言うとうれしくない人がいるかもしれない、
 と思っていることさえ、考えている。

 言いやすい例で言えば、
 今日のぼくは、巨人が勝ってうれしいとか言いそうだ。
 しかし、ベイスターズファンの彼や彼女は、
 そのことに愉快でないものを感じるだろう。
 それでも言う、こともあるし、言わないこともある。
 逆に、ベイスターズファンの彼や彼女も、
 ぼくに対して、そういうふうにしてくれている。
 でも言ってもいいのだ、言ってはいけないわけじゃない。
 仲のいい人どうしなら、どっちでもなんとかなるのだ。

 15年前まで札付きの喫煙者であったぼくは、
 ひっきりなしにタバコを吸っていた。
 迷惑をかけないように気をつけていたかといえば、
 それについて、まったく自信はない。
 そのころのふるまいは、悪行のように語られそうだ。
 いま、吸わなくなってからわかることはたくさんある。
 タバコを吸うことについての考えも、やっと安定した。
 吸わないほうがいいことばかりだとも思っている。
 ただ、喫煙者のことを悪人だとは思わないし、
 過去のタバコにまつわるカルチャーが、
 すべて否定されるようなことだとも思わない。
 それと同時にぼく自身は喫煙可の店には行かなくなった。

 白か黒かで、すっきり分けられるものじゃない、と、
 ほんとに多くの人が語っているのだけれど、
 いろんな場面で白か黒かを分けたがる風潮になっている。
 これ、このままどこまでもその方向に行くのかなぁ。
 もし、そういうほうにどんどん進むのだとしたら、
 ぼくの生きる意欲は、かなりしぼんでしまうだろう
 ‥‥と言うだけで、「あなたは悪を許すのか」とかね、
 「いい加減にしているから世の中が悪くなる」とか、
 言われちゃうんじゃないかな。
 聖書の時代から、ずっとこういうことは続いてきたけど、
 もしかしたら、動乱期のほうが緩かったのかもしれない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「平和でヒマだからだよ」と、ある老人が言ったけど‥‥ね。