ホクレアの為のカムイノミについては公式ウェブログにも記事が出ましたし、私も取り敢えず写真は出しました。が、もう少し詳しく説明しておいた方が良いかもしれないなと思います。
実はあのカムイノミの実現までには二つの別々の動きがあったのです。一つは私が仲介役になって札幌のアイヌである結城幸司さん(アイヌ・アート・プロジェクト代表)をナイノア氏と繋げようとしたもの。もう一つは関東在住のアイヌ・コミュニティのメンバーであるキサラさんが、何とかエカシによるカムイノミを実現させようと動いたもの。このどちらもが、ギリギリになるまで上手く行くかどうか解らない状況だったので、あの後でキサラさんが言っていたのですが「(このカムイノミの実現は)奇跡みたいなもの」だったのだそうです。
カムイノミで司祭役をされたエカシ(長老)は浦川治造翁。現在は東京アイヌ協会会長で、これまでにも関東におけるアイヌ・コミュニティのリーダーの一人として活動されてきた人物です。だからあのカムイノミは正真正銘、関東のアイヌ・コミュニティの代表者によるものだったんですよ。
http://www.frpac.or.jp/rst/sho/17sho03.html
ちなみに結城幸司さんもまたお祖父様、お父様がいずれもアイヌ・コミュニティのリーダーだったという人物。お父様は結城庄司さんといって、1960年代から80年代にかけての北海道でのアイヌの権利回復運動の中心的な存在だった方です。
そしてあの日はアイヌ・レブルズ代表の酒井美直さんもいらしてました。
アイヌ・レブルズのウェブサイト
http://www.ainupride.com/ainurebels/us.html
酒井美直さんのウェブサイト
http://www.ainupride.com/ap/index.html
酒井美直さんのウェブログにもカムイノミの記事
http://blog.ainupride.com/?eid=576340
こうしてみると、結構ごっついメンバーだったのかもしれませんね。
それで私が面白いなと思ったのは、ホクレアがそうであるように、あのアイヌの方々もまた、血統というよりは縁で集まった方々だったということ。もちろんご両親ともアイヌだという方もおられたのでしょうが、酒井美直さんのお母様はいわゆる和人(日本列島住民のうち最も数が多いエスニック・グループのこと)ですし、酒井さんの旦那様はアメリカ白人と中国人のハーフですから、血統的にはアイヌでは無いわけです。ですがアイヌ・コミュニティの一員としてアイヌの民族衣装を着てカムイノミに参加しておられた。両親とも和人だけれどもアイヌ・コミュニティの一員として来られた方もいらっしゃいましたし、結城さんのサポート役だった藤崎さんや私だって、やはり両親とも和人なわけですよ。現場の整理を買って出てくださったTornos氏も多分そうでしょう。
つまり、あのカムイノミはアイヌの血を引く人々によるものというよりは、何かしらの縁があってあそこに居合わせた、そして今ここでカムイノミが行われることが必要だと考えた人々によるものだったと言えるのです。それはポリネシア航海協会だって同じことで、今回のクルーの中にも先住ハワイアンの血を引かない人はいくらでも居た。
おそらく、これからはこうやって複数の出自を持つ人々が任意のエスニック・グループの伝統文化の継承と実践に関わるのが当たり前、というような時代になっていくのでしょう。そして、特定の伝統文化に集中的に関わるような人間(ナイノア氏やチャド・パイション氏、チャド・バイバイヤン氏など、あるいは浦川治造翁や結城さん、酒井さんなど)と、私のように今回はハワイ、今回はアイヌというように、様々なエスニック・グループの伝統文化実践を裏方的にサポートするような人間の組み合わせによって、個々の実践を担う集団が形成されるのだろうなとも思いました。
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そうか2つの動きがあったんだ。だから始まる前に独特の間のある調整っていうか緊張感があったのかも。今回のカムイノミならず何故これらがホクレアと繋がっているのか。このホクレアらしい受け皿をどうやって育むかはこれからなんだろうね。
で現場の整理っていっても途中からだったから。最初からやってた人たちはホントお疲れさんだったですよ。ホクレアに触れるとかそういうのはなかなか積極的にいけないけど、こういうのは動きやすいです。
[ tornos ]
2007/6/21(木) 午後 6:55
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