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恋のウォータールー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 8月 2日(木)22時12分0秒
  誕生日が4月24日だという方のツイッター。なるほど、4・24に池田先生とともに生まれた人と、逆に死んだ人がいるのですね。8月の24日はもう一つの池田先生の誕生日。私のラッキーナンバーも『24』。
>1999年から2000年にかけて大きな変化が起こった。それは何かというと、第一次自公連立政権です。1999年10月、第一次自公連立政権。その前に、その連立政権に向かう模索があった。さかのぼると、まず宗教法人法の改正で学会がゆすられた。<
>自民党に頭下げて止めさせた。で、自民党に借りを作った。当時、橋本龍太郎が四月会の件で学会に謝ってきたというのは表面上のことで、実は学会が自民党の集票マシーンになるのを条件に追及を止めさせた。それで自公連立が成立した。<
>2003年、イラク戦争が始まった。アフガンへの攻撃が始まった。で、自衛隊を行かせるかどうかの議論になった。あの時に、学会の中も二つに分かれた。自公連立を選ぶ意見と、それを反対する意見があった。その時から、創価学会は、公明党ではなく創価学会内で自民党の主流派とつながっている人が<
>学会の中で発言力を持つようになった。こういう構図になってしまった。代表的なのはS氏です。
(※自公連立の立役者は電柱氏ら報○社一派。いわゆるY氏―T氏・S氏―報○社の悪の三位一体)<
>その頃、先生は、極東諸国の友好関係を築こうとされていた。対中国には日中友好を進める中、第二次大戦で日本が行った筆舌に尽くしがたい蛮行を詫び、対朝鮮半島には文化の大恩人として兄の国と評していた。<
>しかしこれは自民党としては認められないことで、自民党から当時の連立推進派の学会幹部に「池田大作を黙らせろ!」との条件提示がなされた。このとんでもないと思われる条件が、実は、学会執行部にとっては簡単な条件だった。
そうなんですよね<
>先生の意思や本当の言葉なんてこれっぽっちも表に出ない仕組みなんです。
況してやなんの権限も無いし。54年からってか本当は会長になる時から周りは全て敵みたいな状況ですよ。しかも54年の会長辞任に関してサインしてた人物やらよく考えて<

“ウォータールー 逃げたくても逃げられない”
“ウォータールー あなたと一緒にいるのが私の運命”
“ウォータールー ついに直面した 私のウォータールー”
『恋のウォータールー』アバ
https://www.youtube.com/watch?v=Sj_9CiNkkn4
 

こんばんは。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2018年 8月 2日(木)20時51分45秒
  生涯広布様、お久しぶりです。

  あは。単純に邪宗の害毒を断ち切らねばとあらためて、思っただけです。

誰のお題目が云々、他意はありません。(>_<)

とにかくお題目すごいと言いたいだけなのです(笑)。

  昨年家族で折伏した方がずっとお題目あげてるよと言っていたのですが、先日会い、一時は体調もすこぶる悪く入院しっぱなしで八方塞がりだった状況が、様々に護られ退院し本人にとって好条件で新居に移り、以前より元気になってきました。

  勤行なしですが、お題目唱えまくった結果が出てきてます。

あげられない人の分もあげられる人があげるしかないと思ってがんばります。(^o^)/


 

幸せな人さま

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 2日(木)18時58分1秒
編集済
  お久しぶりです。

いや、お恥ずかしいです。

私の上げる題目が云々ではなくて大聖人さまの南無妙法蓮華経がすごいわけですね。

でも、幸せな人さんのお書きなってるように・思い込みや・・

観念でもなく、死相は必ず変わりますね。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2018年 8月 2日(木)17時01分55秒
  人間生命の目的そのものであり、人格の完成、つまり人間が人間らしくあるための第一義的要因であるはずの教育が、常に何ものかに従属し、何ものかの手段に貶められてきたのが、日本に限らず、近代、特に20世紀だったとはいえないでしょうか。  

広布第二章の指針さま & 時事ネタ

 投稿者:末席の弟子  投稿日:2018年 8月 2日(木)14時44分44秒
  貴重な先生のご指導の投稿ありがとうございました。

特に、芥川龍之介の件りは、ここの所プライベートで

思いあぐねていたことで、この指導読んで霧が晴れた

ような気持ちになりました。

数十年たっても先生のご指導は色あせない、

そして生きている―――

本当に私たちの師匠はすごいですね。


///////////////////////////////////////////////
余談:

【日本ボクシング連盟のニュース 】

山ね会長という人
「自分に異論を唱える者は、次々に除名」と関係者証言。

あれ?どこかで聞いたようなことがある(含笑)


     悪は必ず白日のもとに!
 

仏法は理屈ではない。

 投稿者:A  投稿日:2018年 8月 2日(木)13時53分39秒
  みんなが幸せになるのが仏法。
それと同時に、今のこの瞬間を輝けせるのが、日蓮仏法。全てはまぼろし。気付こうよ。

 

唯一の希望!

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2018年 8月 2日(木)13時51分15秒
  法華経の智慧第四巻より。読み返すたびに、“腑に落ちます”・・

池田名誉会長:要するに、小乗も大乗も、釈尊が言い遺した「法と自己を拠りどころとせよ」という心と正反対になってしまった。<中略>

そうだね。宗教の“非人間化”や“現実からの遊離”に抵抗して、原点たる「人間」へと打ち戻し続けていくのが法華経の精神です。

池田名誉会長:それほど、宗教というものは、人間を離れよう、離れようとする傾向がある。そうなると宗教は、一種の権力になってしまう。

須田:本当に怖いことですね。

斎藤:その要因はいろいろ考えられると思いますが、一つには聖職者の堕落、一つには教団組織の硬直化、一つには信仰心の惰性、が挙げられるのではないでしょうか。
それらが重なり合って、宗教が民衆からかけ離れて、権威主義化してしまう。

法華経の智慧全六巻(ワイド版)は、先生が20年前に残して下さった“ご遺言の書”に思えてなりません。21世版、「御義口伝講義」とも言える、“重要な書“であると、小生感じております。

① 寺と別れた今、本部職員は明らかな“聖職者”でしょう。この腐敗・堕落。
② ピラミッドの頂点から発せられる、“打ち出し”を遂行するための機構としての“組織”の硬直化。
③ 心の財第一とする、深き“行学“から遠ざかる、多くのメンバーの、信仰心の惰性。

靖国神社への“供養”に見られる、恐るべき“学会精神の退廃“も、残念ながら、起こるべくして起きているのだろうか?

宿坊に集う、心ある“同志諸氏“に希望を託すばかりです。
 

迫られる判断

 投稿者:ロマン  投稿日:2018年 8月 2日(木)13時01分52秒
  内部告発者に「報復」する社会 法の欠陥、修正できるか
https://news.yahoo.co.jp/feature/1037
 

池田先生非難「オタク」

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 8月 2日(木)12時59分2秒
  宿板ほぼbotの方の、何人かのバカタレが、遂に「俺はこれほど池田先生を嫌っているのだぞ!」と自慢大会を始めている。(笑)まさに、顚倒の極みというヤツだ。

例外がないほどのいつもの事ではあるが、こういう連中はチョット反論されるとすぐに逆上し、自ら自分の本心を白状してくれるのだ。(笑)やはり、どこか抜けているのだろう。円満な知性の持ち主とは、到底思えない。
元学会員という事で、「お情け」で読んでくれている人達もこれで離れるだろう。

コウモリが旗幟鮮明にするなどというのは自殺行為だ。コウモリのストロングポイントは「どっちつかず」という事だが、それを自分から捨てるのだから、バカタレ!という以外ない。

「三代のしてきたことなんて、世の中の何のためにもなっていないんだよ」(阿保丸出し)とか、イラク戦争を「池田名誉会長が黙認した」とか抜かしているが、バカタレもここまで来ると手のつけようもない。

そう思うなら勝手にそう思っていろ、としか言えないな。

ただ、「反池田主義者」としての旗を高々と揚げたのだから、もうコイツらの言う事など、まともな人はスルーだろう。

自分のブログのアクセス数を気にしている俗物のようだが、これでだいぶ減るだろう。ご愁傷様です。チーン。(笑)

退転者が集まるブログなどいっぱいあるのだから、そっちで書いてろ!!

元学会員とか言っているがホントか?
先生のスピーチ原稿を頼まれたとか必死に自慢しているので、そこそこの患部だったのだろうが、そういうエセ患部ほど、逆に最前線を知らないのだ。
しかしこんなヤツがスピーチ原稿とは、世も末だ。採用されなかったらしいが当然だ。

イラク戦争の頃、20人ほどの壮年部員と対話したが、自衛隊派遣に賛成する人は1人しかいなかった。95%以上が反対で、特に、普段は物静かな沖縄出身の人の、公明党に対する凄まじい怒りが印象に残っている。

池田先生が、「色々あるけど応援しよう」と言われたかどうか、そこまでの記憶はないが、もし言われたとしても、それがイラク戦争を黙認する事にどうしてなるのだ!!バカなのかコイツは!
「我田引水」以外の何物でもない。

戦いをやるからには勝たねばならない、というのはその通りで、何もおかしくはない。先生がよく使われる言葉だ。
自衛隊を派遣されるわ、選挙も負けるわ、では、それこそ踏んだり蹴ったりだ。
ダメージを最小限に止めるためには、選挙に勝つことも必要な事だと理解出来るが、それがどうしてイラク戦争を黙認する事になるのだ!

それにイラク派遣は、イラク特措法による派遣だ。一時的な措置だ。
公明党もまだ、今ほどには腐っていなかったのだろう。
恒久的に憲法を変えてしまうなどという今とは、比較にもならない。

池田先生のイラク戦争に対するご本心は「気でも違ったのか!」だと私は今でも思っている。

当然、政府や公明党を直接名指しする事はないのだが、読む人が読めば分かるはずだ。
そういう文章が確かにあった。

米軍のイラク攻撃が始まった時、真っ先にそれを支持する公明党冬柴氏の姿をテレビで観て、「このバカヤローッ!!」と怒鳴った時の怒りは、今も鮮明に蘇る。理屈もクソもない。それが当時の常識だ。

聖教新聞の片隅に、「査問委員会設置」を知らせる小さな記事が出ていたのも、確かその頃だったと記憶している。明らかに何かが蠢き始めていた。

イラク戦争の頃から、より一段と、創価・公明は狂い始めて行ったのだ。
その事に気が付かず、先生を非難するなど「ボケカス・アホンダラ」のする事だ。視野が狭過ぎるから見えないのだ。

池田先生非難を趣味とする「オタク」集団に過ぎない。

昔、F-1のアイルトン・セナの一周ごとのラップタイムを、すべて記憶しているものすごい「オタク」がいて驚いた事があるが、同じ様なものだ。

だが普通の人には、そんな「オタク」的知識など、まったく必要ないのだ。
トットと消えろ!!










 

(無題)

 投稿者:幸せな人  投稿日:2018年 8月 2日(木)12時42分18秒
  生涯広布様。お題目すごいですね。

わたしも祖父の葬儀の際、坊さんが念仏唱えると祖父の顔が暗くなり、私がお題目を唱えるごとに、顔がピンク色にどんどんなっていく姿を見て、興奮したのを覚えております。目には見えませんが、私も常に他宗はもちろん学会員さんで害毒を持っている方からも染み込まないように、また染み込みそうでもそれ以上に仏のお題目を沸き立たせる様にしています。その一点だけでも、お題目あげるとゾクゾクして生命が綺麗になる実感があるので、お題目たのしくて、気持ちよくなります。

生涯広布さんの投稿を見て、あらためて毒を消す意識を高めようとおもいました。(´Д`)
 

呼ばれたら(バレたら?)返事しなさい!よ

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 8月 2日(木)11時11分33秒
  捜査経験者様が我が質問に答えて言うには

同じ出来ゴト(行動)であっても本性☆性格
によって悪意★か計画的か判断が別れる・・・。

例えば仮面ライダー♪やレインボーマン☆が?
変身!するのは正義☆悪をやっつけるため!

でも暗黒★大魔王や怪人サターン?が変身★
するのは悪事を働き世を混乱させる為~!!

昨今の学会本部の裏行動~靖国神社供養等
一切は善意の解釈☆擁護!する余地なし!

もしもよう護しようとする者は創価の実態
変遷!変質の現況~ありのままの姿が

見抜けず知らず分からずの残念!無念☆な人

https://6027.teacup.com/situation/bbs/87740
 

念仏を唱えても良い??????

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 2日(木)11時10分26秒
編集済
  ・・・心で題目を唱えているから・・・・・」

まさに、昔の法華講・・・

謗法まみれになっているのを良しとしている姿・・

おそらく、昔、きちんと折伏というものをやったことがない幹部でしょう・・

昔、そうですね・・約50年程前、縦線時代の下っ端役職を任命受けた頃です。

九州から父が宇都宮にいる祖父が亡くなったので上京。

私も行くことに・・人生初めて参加する葬儀

隊長にその旨を報告・・

隊長:XX君、その葬儀で絶対に念仏を唱えてはいけない。

   堂々と題目を唱えて、亡くなった祖父を供養しなさい

私:ハイ

隊長:弱々しい声でもいけない

私:ハイ・頑張ります・・と

で、葬儀の時、私の焼香の番

まず、お数珠を取り出して・・揉む・

大きな声で題目三唱・・

一瞬の静寂・・

お寺の坊さん・・声失う

父、驚く・・

終わった後

親戚の人々から・・

「お若いのに感心ですね~」と・・

意気揚々とお寺から帰る途中、父も関心深く・・何か言っていた。

以降・・

私は必ず他宗で行う葬儀には必ず、題目を送ってあげています。

昔ほど、無茶?な大きな声ではやりませんけれど(苦笑)

そうすることで、亡くなった人の死相が一瞬にして微笑んでいるように変化・(事実)

戸田先生は題目3偏で死相が悪く亡くなったメンバーを成仏相に

変化させられたという記述が人革にあったように思います。

御書にも正法に反対する父親が亡くなった後・・

ある日、枕元に現れ・・

息子に

「ありがとう、お前のおかげで苦しい地獄から抜け出ることができた。

今、霊鷲山?に行く途中・・でお前に何としてもお礼を言いたかったので来たと・・」

このような話だったと思います。

本当の供養とは何か・・

これを大聖人は教えになっています。

本当に苦しい時、題目をあげていても

生命の奥深くでは「念仏」を唱えていませんか?

また、諦めの生命が出て来たり、弱気になるのは害毒が生命奥深く

染み込んでいるからです・・(自分の経験)

今、正法の滅亡に追いやる悪を見て、ま、いいや・・上の問題だから

自分は周りとうまくやっているから、良いと思っているメンバーは

毒から知らず、知らずのうちに生命が侵されつつあるのです。

間違いなく・・

せっかく、今世で正しき法と偉大なる三世の師匠と出会っていながら、

知らずに誤った道を歩むことは・・・

これほど悲惨なものはありません。

特に幹部になればなるほど、誤った道から抜け出ることは

難しい。特に現役の幹部は・・可哀想かもしれません
 

スリーダイヤ商会の谷川係長さんへ

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 8月 2日(木)11時08分55秒
編集済
  私は、20歳の時に学生部の方の折伏で御本尊をいただきました。お袋は、やっていましたが私は無視。
家を出て、一人で稼いで間借り生活をしながら、大学に通いました。親の世話にはならない、様々な理由がありましたが、乞食のような生活でした。一日中空腹、着る服も無い。あるのは、貰い受けた作業服と、古本屋から仕入れた本の山。布団は無くて寝袋でした。電気代も無いから、晩の八時まで図書館で勉強する。足はもっぱら自転車。風呂代も無いから、大学体育館のシャワーを浴びる。
昭和五十年代のビンボー学生は、ほとんど肉体労働、剣先スコップの使い方、上手ですよ。今も手の平にタコがある。冬の朝刊配達も数年やってました、当然、生活のためで聖教ボランティアではありません。
この生き方の中で、多くの友人に助けられました。外部の友人です、ほとんどがね。だから六十歳過ぎても交流があるのです。心臓病で若くして亡くなった友もいれば、何度も離婚結婚を繰り返す友もいる。
お互い、盆暮れには必ず集いあって、様々な話題やら涙があるのです。法学部だったので、孤高の司法書士から弁護士、上場企業の役員になっている者もいる。でも、みんな昔の姿(乞食学生)を知っているし、助け合って生きてきたから、分け隔てが無いのです。面白いでしょ?無学も学歴も恥じることなど全く無い。死んだら、何も残らない、問題はどんな生き様をしてきたか?だけです。
人様に迷惑かけて、のうのうとおバカな生き方だけはしないように頑張りましょう!
 

新人間革命の切抜き用

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時58分35秒
  新人間革命の完結9月の8日です。

新人間革命の切抜き用で複数部購読されている方も多いことでしょう。9月はしょうがないとしても、10月からは必要なくなります。そこで9月の中旬前に最寄りの新聞販売店、もしくは組織を通せば減部はできます。しかし、組織を通すと説得される可能性は大なので直に販売店の方をオススメします。

「新人間革命の切抜きが必要になくなったので、10月からは1部でいいです。」
いい機会です。笑
 

広布第2章の指針さんへ

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商会の谷川係長  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時37分18秒
  自分が確かに忘れている事。

人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん。

倦怠期と神経痛は辛ですね。おまけに若い時電気事故で右目をアークで負傷、おまけに眼底出血。
眼鏡使用でも0.7自動車免許更新ギリギリ、会社の健康診断であちこち故障らしい。
椎間板ヘルニア二回。神経性脱毛症で頭は三毛君。

ハズキルーペ掛けて読み始めています。ワハハは。
 

毒気深入

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時27分41秒
  https://6027.teacup.com/situation/bbs/87762

師匠の目の届かないところ、すでに毒が深く入りつつあったんですね・・

恐ろしいこと。

これが、あからさまになってきている今日この頃 ・・

日興上人様が身延離山を決意された頃の地頭の謗法と重なります。

少しづつ、少しづつ、邪教の毒は生命に入りこむ。

入れるのはたやすい、抜くのは大変・・ そうだから邪宗は危険なのである。

そのことは多くの昔の学会員が体験しているところ・・

毒は少しづつ、少しづつ生命の内部深く浸透して行く。

苦難に陥った時、生命は邪教、邪宗の弱気生命が支配

未来部には” 積極的に座談会等に出席させて生命に正法の明るい活力を多く、

体験させれば苦境に当たった時に力強く立ち上がることができる” とは、

過去にあった先生の指導。

助教、邪宗に導く悩乱最高幹部

幹部の顔に騙されるな・・そして頼るな !

今後は自分の脳、先生の指導と御書根本こそまともな信仰の道
 

堤防補強よりダム優先で被害拡大か、問われる自公の河川政策

 投稿者:さいちゃん  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時08分23秒
  「石井国交大臣はギャンブル法案に張り付いて災害復旧対策は二の次」と言われてますが、
前任の太田大臣も自然災害予防には関心が無かったようです。
「権力を監視する」ジャーナリズムの本来の使命を全うする週刊誌です。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/08/01/antena-294/

 

広布第二章の指針さんへ

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商会の谷川係長  投稿日:2018年 8月 2日(木)10時06分10秒
  こんにちは?
あいや~。ご多忙の中当方の為に
長文の書き込み大変に感謝します。

自分は中卒です。無学です。
時間の折に岩波文庫、岩波の世界、中央公論読んだ位のノー味噌しかありません。

貴殿のご返答に何処まで真読出来るか分かりません。

貴殿もしや学園出身の方かもしれませんし、
学士で気分を害されておればご容赦下さい。

創価学園や慶応幼稚舎と聞くだけで抵抗心が湧いてしまう
悪い癖です。

無学者の悲しさ。本能、直感でものを見る、判断する
野蛮の禽獣かも知れません。この哀れ者をお笑い下さい。

以前にも書き込みましたが頭が今でも左巻き、偶然北京で第二次天安門事件の前兆をこの目で見て
社会主義に幻滅した。

創価に平等、協調、慈愛、尊厳を求めたけれど絵に描いた餅だと、
諦めています。

チョット時間下さい。
有難うございます。
 

夏期友好週間もドンドン打出し

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 2日(木)09時40分49秒
編集済
  現場には、打出しが次々きます。
Sカードの数が少ないのか中間報告を出せと。
昨年秋にまさかの600万台に落ち込んだので必死ですね。Sカードにあたり、コンペーパンフを夏から配れば勝てると思っている時点でアウトです。皆さん、特にここ数年のコンペーの変節に呆れ返っているんです。それは内外問わずに。まぁ、ここまでくると来年に歴史的大敗北をしても変わらないでしょうね。笑
 

2010年、信濃町商店振興会主催の夏祭りのエピソード、

 投稿者:神札万歳  投稿日:2018年 8月 2日(木)09時22分17秒
  2010年、信濃町商店振興会主催の夏祭りのエピソード、

町内神輿祭りで、「神輿の中に納める御札をお願いしたい」とのことで当時の担当副会長が

「『広宣流布』としたため御札を神輿に納めました。このように地域貢献できるまで広布は進ん

でいます。凄い事です」と、自慢げに言う馬鹿に腹が立ちました。⇒「信濃町ふる里盆踊り大会」

会場「聖教新聞社の前庭」

このころ首都圏の副会長クラスでは地域貢献・開かれた創価と言う事で、いわゆる他宗の葬儀・

法事に際して、

特別に嫌うことなく対応してほしいとの事、例えば、「念仏宗の法事に招かれた場合等は念仏を

唱えてもいい、心では南無妙法蓮華経だから」と、御書講義を担当した区長が、自分の法事の体

験を通し述べていました。参加者は「へ~え、凄い、変わってきているんだ」と納得!「神札問

題の受ける、受けない」ではなく、いつしか「神札を授ける」立場になっていました。このよう

な変質変貌の現象は千代田・中央・新宿では始まっていたのです。

この件の検証は2010年前後の区長・副会長に上手に確認していただければと思います。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、ホントに「核兵器なき世界」を目指してらっしゃいマスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 8月 2日(木)09時21分21秒
  おはようございます。原田怪鳥様、ネタが無い時の定番、グローバルウオッチ、また2面には、なんと一ヶ月おくれの海外ネタ(笑)

本当に劣化著しい政教珍聞の編集、誠にご苦労様で~す(笑)


さらに4面には、いつもの爆笑創作座談会デスが、原田怪鳥様はホントに「核兵器なき世界」を目指してらっしゃるんデスかぁ~(大爆)

原田怪鳥様からは、核兵器禁止条約の採択から一年を迎えたワリには、公明党も参加しなかったコトに対して何のコメントもありましぇ~ん(笑)

もちろん日本政府にも、何の提言もされていましぇ~ん(笑)


その反対に、この一年で、公明党議員が堂々と日本会議主催の会合で「憲法改正頑張りましょ~う」なんて檄を飛ばすは、

「学会婦人部は説得できマスッ!」なんて、意味わかんない決意を披露されるは、とても「平和」に向かってるとは思えましぇ~ん(笑)


また原田怪鳥様は、日本会議の代表委員の方と会談されるは、靖国神社への提灯奉納に対して、学会として公式コメントは出されないわと、

原田怪鳥様にとっての「平和」とはナニか? 小生にはサッパリわかりましぇ~ん(大爆)


さらに、「じ・き・で・し」のハズの原田怪鳥様、「先生は」というワリには、師匠の発言の引用がかなり控えめなのはどうしてデスかぁ~(笑)

結局、「核兵器なき世界だっ!」「友情結ぶ対話だっ!」「平和への連帯だっ!」なんてウケのいい言葉を喚き散らしても、

その裏には、「だから公明党に投票してねッ!」という本音が見え見えでぇ~す(大爆)


たとえ創作とはいえ、原田怪鳥様の発言として、「池田先生の一貫した平和哲学、平和行動に学び」なんて仰られていマスので、

是非とも、原田怪鳥様御自身が、率先垂範して実行して頂けマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

靖国神社への献灯とは、謗法への供養です。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 8月 2日(木)08時04分32秒
編集済
  おはようございます。
末席2017様、創価新報の記事のご投稿を頂きまして、誠にありがとうございました。

【今日の創価新報、全部ご自分に返ってきてません?】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87729


創価新報にあるように、『謗法への供養は駄地獄の因』というのが創価学会の指導性です。

靖国神社への献灯(提灯を奉納)とは、神社への供養だと思います。
これは明らかな『謗法への供養』ですね。

謗法を戒めなければ与同罪です。
だからこそ原田会長は、創価学会の責任者として、靖国神社への献灯に対し発言をするべきです。

何よりも、財務を靖国神社への供養には使ってほしくはありません。
池田先生に使って頂きたくて財務をしている会員の真心を、踏みにじらないで頂きたいです。



【靖国神社への献灯問題】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87728


 

昭和52年11月19日 創価学園創立10周年に寄せて メッセージ

 投稿者:広布第二章の指針  投稿日:2018年 8月 2日(木)07時51分26秒
編集済
  青年部(学園生)への長文のメッセージです。心して読んでいきましょう。「意味分からない、意味不明、そんな昔の話出すんじゃないよ!」と文句言う皆さん方はスルーでどうぞ!!

何故、この時期(昭和52年11月)にこんなに長いメッセージ[17ページ]を創価学園生に贈られたのか?何のため、誰のため?
私は今のためだと認識しています。

今、本部に居る学園出身の五十代の大幹部の皆さま、また各方面で大患部をされている皆さま、このメッセージを体して活動していますか?その姿が今、問われているのです。

酒呑みまくって、供養を散財して、会員に迷惑かけて、余計なBJ仕事やり、恫喝・査問・除名をやっている時ではありません。
あの時を思い出して、よく読んでくださいね(笑
手遅れかと思いますが、今の姿が弟子としての実証なのです。

スリーダイヤ商事の谷川係長さんは、よく読んで池田先生がなんで、こんな難しい話を、何の意味があって、当時の創価学園生(ほとんど男子中・高校生)に打ち込もうとしていたのか?理解と感想をどうぞ。けっして文面理解の話では無いのです。時間がかかっても構いません。
肩書、権限のある者には、応分の責任があります。今般のメッセージの通りです。今の執行部は、単なる宗教ゴロ。「信」という言葉を発することができない。何故なら宗教を信じていないからです。この人間特有の精神が無いために、対話拒否で何でもかんでも懐疑的に思い込み、カネを信じて未来を想い描いている。哀れ、臆病者、卑怯者の世界にハマり出れなくなっているのです。
酒乱・インラン・ハレンチな世界を隠蔽することばかりに余念なく、終わりを迎えようとしています。
では、どうすれば良いのか?
メッセージを深読みしましょう。


---------------


昭和52年11月19日  創価学園創立10周年に寄せて ー  メッセージ


"何のため"の原点忘るな


本日は、意義ある創立十周年の記念の集い、まことにおめでとうございます。また本日まで数多くの鳳雛を薫育し、世に送り出してくださった教諭の皆さま、また、それを陰に陽にささえてくださった父兄の皆さまには、創立者として厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

私は、学園寮歌の一節にある「何のため」という響きが、ことのほか、好きであります。
「英知をみがくは何のため」
「情熱燃やすは何のため」
「人を愛すは何のため」等々、
そこには、ともどもに学舎に集いあった青春の原点があるからであります。社会一般では、教育の危機ということが、大きな社会問題にまで発展してきておりますが、私はその最大の原因は、この「何のため」という原点を問う姿勢が失われたところにあると考えます。
ゆえに、ここ武蔵野の一角に、このさわやかな歌声のこだましているかぎり、創価学園は健在であり、教育界に希望の松明を掲げゆくことができると、私は信じております。
どうか、建学の精神を忘れることなく、きょうよりは、さらに次の十年をめざして、新たな伝統を築きゆかれんことを、心よりお願い申し上げます。
その意義を込めて私は、最近、若い人たちに接しながら感じていることの一端を、申し上げてみたいと思う。



真実の友情は生涯の財産

その第一は、友情ということであります。
ドイツの詩人シルレルが「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」と述べているように、真実の友情は、人間としてのかけがえのない宝であります。心を打ち明けることのできる友のいない人生ほど寂しいものはない。とくに青少年時代につちかわれた友情は、生涯にわたって、人生のささえとなっていくものであります。
社会に出てからのつきあいというものは、一部の場合を除いて、ともすれば利害や打算がからんできて、真の心と心の通いあいにまで昇華しない場合が多い。それに比べて、諸君の時代の友情は、全生命を賭けての出会いであります。

諸君がよくごぞんじのように、親や教師にさえ打ち明けられないような悩みごとも、親友同士ならば、ごく気楽に相談できる場合が多々ありましよう。それほど、少年時代、青年時代にもつ友情の意味は大きいのであります。

ところが最近では、こうした青春の証ともいうべき友情が、徐々に崩されつつあるように思えてならないのであります。
学歴社会のなかで、成績も思うようにならず、さりとて喜びや悲しみを分かちあう友ももたず、孤独のなかにのめり込んでいく。その結果、自暴自棄になったり、あげくは、みずからの生命の若い芽をつみとってしまうような場合も、ままみられるのであります。

私は、そうしたニュースに接するたびに、彼らに一人でも心から語りあえる友があったならと、胸の痛みを抑えることができないのであります。

たしかに諸君たちを取り巻く環境は厳しい。受験に偏った現代の教育のあり方に、さまざまな疑問を感ずる場合もあるかもしれない。しかし、そうした矛盾は、多かれ少なかれ、いつの時代にもあったことであります。

私は、前途ある諸君に「嵐に負けるな」と申し上げておきたい。そのためにも、深く強靭なる友情の絆を固めていっていただきたいのであります。


漢文等で習ってごぞんじの諸君も多いでしょうが、中国の「列子」のなかに"管鮑の交わり"の故事が出てまいります。

春秋時代の斉の国に、管仲と鮑叔という二人の青年がおり、大の仲良しであった。鮑叔は、管仲が商売で儲けても、彼の貧乏をよく知っていたので、欲張りとはいわなかった。なんど馘になっても、人生に運、不運はつきものだから、無能呼ばわりはしなかった。また、戦場から逃げかえっても、老母のあるのを知っていたから、卑怯者とは思わなかった。後に大政治家となった管仲は「私を生んでくれたのは父母だが、私を知っている者は鮑君だ」と述べたというのであります。よく、友情は厚いことにたとえられる故事であります。

私は、ここから学ぶべきことは、友を愛し、友を思いやる心が、いかに大切であるかということであろうと思う。もし、これがなくなったならば、学生生活は闇に等しい。真の友情というものは、学問の知識にもまして、諸君の生涯の財産となって輝いていくのであります。

あるいは、なかには、それに値するような友人が見つからないという人が、いるかもしれない。しかし私は、それは大きな考え違いであると申し上げておきたい。なぜならば、人を愛し、人を思いやる心は、相手によって生まれてくるものではなく、まず自分の心のなかに築き上げるものであるからであります。まず自分が、そのような豊かな人間性を身につけるならば、友人は、しぜんとできてくるものであります。たとえば、鏡に向かってお辞儀をするすれば、鏡の自分もお辞儀をするごとく、自分自身のを心が相手の心を呼び醒ましていくことを知ってください。


たしかに、他人の成功を妬み、他人の失敗を喜ぶ醜い心は、だれにでもある。私はちょうど諸君のを年代のころ、芥川龍之介の「鼻」を読んだことを記憶しています。
禅智内供(ぜんちないぐ)というひじように鼻の長い坊さんがいて、人に笑われるのを、いつも苦にしている。あるとき、よい方法を発見し、荒療治をほどこして、鼻を短くすることに成功するのですが、彼の思惑は見事にはずれてしまう。というのも、人々の笑いはいっこうにおさまらず、かえって陰にこもったものになってくる。   ー    ここで芥川龍之介は、次のように述べています。
「    ー   人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。もちろん、だれでも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事ができると、今度はこっちでなんとなく物足りないような心もちがする。少し誇張して言えば、もう一度その人を、同じ不幸におとしいれてみたいような気にさえなる。そうしていつのまにか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対していだくような事になる」
ここに描かれているのは、だれでももっている人間のエゴイズムであります。若い人たちといえども、それと無縁ではない。それどころか、若いだけに、それが鋭く露出されてくる場合も多いわけであります。

私は、若さの特権というものは、そうした人間の醜い感情を敏感に感じとれる点にあると思う。それが、社会の垢に染まっていない若者の純粋さということであります。

どうか諸君は、へんに大人びたり、シラケたりすることなく、自分との厳しい戦いを忘れないでいただきたい。その自己との対決のなかにこそ、友の喜びをわが喜びとし、友の悲しみをわが悲しみとする真実の友情の花が爛漫と咲き誇っていくことを、私は確信しております。




忍耐は人生の力なり

次に私が申し上げたいことは、忍耐ということであります。フランスのある作家の言に「忍耐とは仕事を支えるところの、一種の資本である」とありますが、含蓄の深い至言であると思う。

忍耐は力であり、人生の勝利の凱歌につながっていく。挫折は人生の敗北であり、精神の敗退である。いな、たとえ挫折したとしても、忍耐が貫かれ、不死鳥のごとく立ち上がっていくならば、人間のつねとしての挫折も、たとえそれが何度あったとしても、人生の最後の勝利を勝ちえていくものであります。

諸君は、これからの長い人生をひかえた青春時代であるがゆえに、心の振幅も大きく、挫折もまた決定的とさえ映ずる場合もあることでしょう。しかしそれは、じつは、より大きい自分自身の形成のための試練であり、跳躍台なのであります。その苦難を克服するたびに、忍耐の力は増してゆくことでありましょう。



私はここで、一人の先人の歩みを紹介してみたい。じつはそれは、私のよく知る日本創作舞踊の功労者である一婦人の祖父にあたる方の話であります。

いまは亡きその祖父は、和井内貞行(わいない さだゆき)という人で、あの有名な十和田湖のヒメマス養殖を成功させたかたであります。

いまでこそ十和田湖はヒメマスの養殖場であるとともに、美しい国立公園として全国にその名を知られていますが、明治初期、和井内氏がヒメマスの養殖を成功させるまでは、一匹の魚も生息しない、ただ大きいというだけで、だれからもかえりみられない湖であった。

湖畔の村々は貧しく、とくに魚介類となると、遠く青森の八戸や秋田の能代あたりまで行かなくては手に入らない状態であった。この村の窮状を見て、和井内氏は「もしこの巨大な湖に魚が育ったら、村人はどんなに助かり、そして地域が発展するだろう」と考えたのであります。
思索を重ね、氏がはじめて湖に鯉を放ったのは、明治十七年、二十六歳のときでありました。なんとか貧しい村の活路を開きたいとの願っての、この最初の試みは、見事に失敗してしまった。
しかも、湖に一匹の魚も住まないことを土俗宗教に結びつけ、神話化していた村人は「それみたことか」とばかり和井内氏の行動を冷笑し、あからさまに批判しはじめたのであります。
しかし、一度の失敗はかえって和井内氏の闘志をかきたてた。研究に研究を重ね、私財をはたいて二度目の放流を試みる。ところが、これも失敗に終わった。
因習深い村人の非難、中傷はますますひどいものとなり、湖畔にたたずむ和井内氏を狂人呼ばわりするようになったのであります。しかし、罵倒されながらも、和井内氏は一言のいいのがれも、いいわけもしなかったというのです。"水がある以上、かならず魚を養殖することができるはずだ。もしそれが成功すれば貧しい村はよみがえる。そのとき、人々はきっとわかってくれるだろう"  ー   この思いを胸にあたためつつ、不死鳥のように己が信ずる道を歩みつづけたわけであります。

目的成就までの途上に、一度や二度の失敗はかならずあるものです。いな、ときには絶望的な厚い壁に直面することだってあります。くわえて世評というものは厳しい。心ない非難の矢が無数に射られてくる。しかし、ほんとうに大事を成そうとする人は、そうした世間の風評に、一つひとつ自己を正当化するような弁を弄しないのがつねではないかと思う。

事実、和井内氏もそうであった。非難、中傷に一喜一憂せず、黙々と己が信条を貫いていったわけであります。もちろん、数々の悪口雑言は、和井内氏の心を傷つけたでありましょう。
忍耐の忍という字は心に刃と書くように、想像を絶する苦しみである場合が多い。ともかく、非難、中傷のなかでの和井内氏の忍耐強い戦いは、二十一年間の長きにわたって続けられたのであります。

そしてついに、明治三十八年、十和田湖でのヒメマス養殖に成功した。氏は四十七歳でありながら、頭髪には老人に見えるほどの白いものがあった。そして、いっさいの私財を使い果たしたその姿は、それこそ乞食のように見えた。しかし、村人のだれひとりとして、和井内氏の姿を笑うことはできなかったというのであります。

世評にこびず、中傷にも耐え、想像を絶する戦いの果てに村人を救った和井内氏の姿は、忍耐という文字にみがきぬかれた、おかしがたい人間としての風格と輝きをつくりあげていたのではないかと思う。目的成就の途上"狂人"と呼ばれたその名は、いま、十和田湖救済の人として語り継がれているわけであります。

私が、なぜこのようなことを訴えるかというと、最近の中学生、高校生のあいだに、この忍耐という気風が、薄れつつあるようにみえるからであります。

新聞紙上をにぎわすティーンエイジャーの自殺などをみても、宿題ができない、成績が思うようにならない、教師に叱られた、受験に失敗した等々、あまりに単純な理由が多すぎる。入学試験など、受験生にとっての大問題を単純というと叱られるかもしれない。しかし、それにしても死を選ぶほどの挫折ではないと思うのであります。

その背景には、よく指摘されるような◯??式教育の弊害も当然あるでありましょう。人生には◯と??しかない   ー  すなわちオール・オブ・ナッシングの考え方であります。まことに単純な生き方という以外になく、学園の諸君はそうしたものに染まってはならないと思う。

一つの目標達成に失敗したからといって、それで人生のすべてが無に帰するようなものではけっしてありません。ほかにいくらでも選択の幅はあるものであります。その"人間いたるところ青山あり"との広い視野を支えるものこそ"忍耐"の二字なのであります。

私は少年時代、アレキサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を愛読いたしました。その最後の一句は、いまだに記憶に焼きついております。それは「待て、そして希望をもて!」というものであります。もとよりこの小説は、自分を陥れたものに対する復讐をテーマにしたものですが、その最後の一句は、仇討ちという暗い印象を超えた、ほのぼのとしたヒューマニズムをたたえており、幼心に忍耐ということの重要性を学んだものであります。

どうか諸君も、これからの長い人生において、つねに希望を失わず、雑草のようにたくましく、そして忍耐強く生きぬき、最後に人生勝利の栄冠をかちとっていくよう、心から祈るものであります。




偉大な使命感に立つ行動を

ともあれ青年時代は、感情の揺れがことさら激しい時代であります。ときには劣等感にとらわれて、前途を悲観するようなこともあるかもしれない。しかし、諸君たちの内部には、自分でも考えられないような偉大な力が秘められていることを忘れてはならない。

江戸時代の中期、信州松代藩の家老に恩田木工(おんだ  もく)という人がいました。彼の事績、人となりについては「日暮硯(ひぐらしすずり)」という書物に詳しく書かれてありますが、藩の財政的窮迫にさいし、弱冠十六歳の藩主・真田幸弘から"勘定奉行"(これは財政整理の奉行という意味ですが)の命をうけ、艱難辛苦のすえに見事、藩政を立て直した人物で、あるいはごぞんじの方もいるかと思う。

彼が活躍した時代は、九代将軍・徳川家重の治下で、前代の吉宗時代にみられた綱紀も年とともにゆるみ、やがてかの田沼意次が頭をもたげはじめようとしたころであります。

松代藩においても、先代真田公が人材登用の道を誤り、その結果として悪臣がばっこし、藩政を私物化していた。加えて地震、洪水等の天災がしきりにつづき、ために財政は極度に窮乏、当時としては珍しい足軽の同盟罷業(もちろん、今様でいえばストライキですが)があったり、百姓一揆なども起こって、藩政は乱れきっていたようであります。

その昔、松代の真田家というのは、富裕な藩として聞こえていた。「貯蔵の黄金の重みで城の櫓下の石垣が傾いた」という言い伝えがあるほどであります。それが役人の乱脈、天災等によって財政が窮迫し"半知御借(はんちおかり)"といって、本来、藩士に支給すべき扶持米(ふちまい)を半分に減らしたり、農民には先へ先へと年貢を繰り上げて徴収する"先納先々納"を強制するまでに落ちぶれてしまった。

こうした窮状を立て直すべく、恩田木工が手がけた第一の改革は、まず自分自身と家族の生活から改めることでありました。一族郎党を集めた席で、彼はまず親類に対し「縁を切らしてもらう」といい、妻に対しては「親元へ帰るように」、子供には「勘当するから、今後は好きにせよ」、そして家来に対しては「暇を出すから、どこなりと奉公先を見つけるように」と、それぞれ言い渡したのであります。

なぜ、彼がこのような冷徹とも思える行為に出たかといえば、人心一新のためには、それまで役人のあいだに横行していた"嘘言"や"変改"を一掃しなければならない。自分にそれはできても、親戚、家族にまで強要することはできない。となれば、いくら自分一人が「ウソはいうまい」と誓っても「身内の者があのとおりなら木工も同じ」と人々が疑うにちがいない。そうなっては、このたびの大任を果たすことができない  ー   ゆえに、さきのような厳しい注文を親戚、家族につきつけたのであります。

ことのしだいを聞いた身内一同は、一人として彼の元を離れようとはせず「ウソをいわない」ばかりか「飯と汁より外は食べない」「木綿より外の衣服は着用しない」ことまで誓うようになるのであります。

第二に彼は、役人や領民に対して、みずからが嘘言を吐いたり、変改したりしないことを誓い、そのうえで藩の窮状をありのまま訴え「自分だけでできる仕事ではないのだから、なんでも気安く相談してほしい」と、領民が心を一つにして財政の立て直しに協力するよう呼びかけた。

そして、彼の人柄が象徴的に表れるのは、悪事の限りを尽くしてきた役人に対する処置であります。横暴な役人に対する領民の不満を書面に書き出させた木工は、死刑にしてもよいほどの役人たちであるにもかかわらず、あえて藩主に処罰の撤回を申し出て、自分の"相役"すなわち、仕事上の相談をする相手の人として遇するのであります。これに感激した彼ら役人は、木工を支えて藩の立て直しに身を粉にして働くようになる  ー   人心の機微をとらえた木工の的確にして懸命な戦いによって、当初の目標である五か年を待たずに、藩の財政が見事に立ち直ったというのであります。

なにぶん、封建時代の話であり、そのまま現在にあてはめるわけにはいかない面もありますが、彼が一人、身を挺して藩の改革に立ち上がり、領民すべての力を結集させて、大事業を見事に成し遂げたという事実は、私どもにも、なにがしかの示唆を与えてくれます。それは、一念を定めた人間の必死の行動が、いかに大きなる結実をするもたらすか、ということであり、一個の人間の偉大さであります。

その偉大な力を生み出したのが、恩田木工の使命感でありました。彼が死んだときは、人々話こぞってその徳をたたえ、漏れる者は一人もなかったとさえ伝えられております。半財政の立て直しという仕事を木工はみずからの使命としたのでありますが、その結果は、それ以上の成果を生み出したのであります。


諸君たち一人ひとりも、これからの人生において、現実社会のなかで、木工に勝るともけっして劣ることのない使命をもっていくはずであります。その使命への強い責任感に立つとき、才能の芽は急速に伸び、偉大な力が発揮されてくるものであります。

どうかそのことを深く自覚し、悔いなき青春桜の道を乱舞していってください。

以上をするもって、私の諸君への贈言とさせていただきます。

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読書嫌いな方(学園出身者含む)は、これ以上は読まないでください。

友情=管鮑の交わり=「管仲と鮑叔」
自己との戦い=芥川龍之介・鼻=「禅智内供」
忍耐=「和井内貞行」
希望=「モンテ・クリスト伯」
使命=「恩田木工」

本を読む気がなければ、興味無いでしょう。

後年の池田先生のスピーチで「学会は貴族仏教になってしまった」「衰亡しますよ」「分裂します」と述べられた時点(2009年)で、既に本部職員の中にも、現今の学会組織の幹部の中には、和井内貞行も恩田木工のような人物も、素地有る者もいなくなったのです。二度と現れることもありません。それは今までに、この数十年間散々、追放、排除、恫喝、査問、除名と気にくわない学会員を追い出してきた結果です。後は終わりを迎えるだけです。残念ですが、これはどうにもならない。

その筋の者(無責任・信心嫌い・傲慢不遜)ばかりが集い(眷属関係)、老若男女関係なく組織の責任者として年中宴会(行事・選挙)をやり続けているのです。365日、歓喜も感動も信心に結びつく活動とは無関係なことばかりを年がら年中やり続けてきた結果です。

お金好き、お酒好き、女好き、男好き、愛人好き、妾好き、恫喝好きな方々は、これらの例を出されると「池田先生は、文学少年だったから」と大学出ていないことを揶揄しながら、小馬鹿にしていましたね。記録を取られていた方も多数います。本当の心根は、卑しい師匠蔑視だった。そして自身の保身しか考えていない。

このスピーチは、本の話をしているわけでは無いのです。

人間の生き方を説いています。
こんなことも理解出来ない大人になってしまったのか・・・と嘆くかも知れませんが、それはあなた方が望み、先生を裏切り、その事実を隠蔽して何食わぬ顔をしながら生き続ける道を選んだからです。何も悔やむことは有りません。
その畜生道を正々堂々と歩み続けて、自らの役割を演じ死して永遠の地獄へ堕ちて下さい。それが我々弟子の「悪しき手本」となります。
提婆の末流として「あの人を見よ!あのような弟子になってはいけない」と永遠に語り継がれる有名な人物となります。いかがですか?納得できる説明でしょう。


友人との友情、弱き自己の心との葛藤。
ちょっと前の映画「20世紀少年(三部作)」を私は、思い出しました。「ともだち」は、何故、世界を滅亡しようとしたのか?ケンジの葛藤と相まって良いエンディングでしたね。映像は、エンディングの後のストーリー。今、やらないと一生後悔するぞ~僕は必要?必要じゃない?僕は不必要?20センチュリーボーイ。
今年は、ともだち暦4年でしたか(爆

信心していようが、いまいが、青年時代に苦楽を共にした友達は大事なのです。さまざまな助言をしてくれる。よく観察していてくれて自分では分からなかったことも教えてくれる。
それを無碍にして、「信心しない奴とは絶交だ!」などと成果主義の思考でいっていたら、このスピーチから大きくかけ離れた人生となります。


何度も先生は指導されていますが、若き日に苦闘してこなかった者は、壮年~老年期には益々人間関係が希薄となり、自身の慢心が増長して女房・子供にも嫌われる存在となる。

そして認知、徘徊、施設送り。創価学会組織での肩書きも、御本尊も、先生からいただいた和歌も、書籍も全てゴミに出されてお終い、犬死となるわけです。
こんな終末を誰が分かっていたのでしょうか?先生は分かっていたから、あの昭和52年に敢えて厳しく指導していた。
でもダメ弟子は、それを忘れ記憶を滅却して、意味も分からずに奈落の底へと突き進むのです。

それから、この「友達」は、異性ではない同性ということです。「同棲」でも「オカマ」でも「変態」でもない。
「愛人二号三号」でも「妾ユカコ」でも女房でもない。「ズボン下げて、パンツも下げて、本部別館を歩き回り女子職員を物色する元青年部大患部」の痴態でもありません。(弓笑
住む場所を保障され、食べることも着ることも不自由しなかった青年時代を送った者は、この投稿の意味を理解出来ずにいることでしょう。

逆に、青年時代に困難なところに自らを追いやり、または大病したり、極貧の生活をしてきた者は、先生のスピーチの言わんとする意味が理解出来ます。それだけ人間としての境涯が異なっていると言う話です。

良き友人は、私事に関係なく、率直な話をしてくれます。
それは互いに還暦過ぎても、他者のために動き回っているからです。世の中に支えられている感満載ですよ。

学会の世界だけで生きていてはならない。
幹部の皆さんも、職員の皆さんも、青年部時代から、皆さんコツコツと折伏弘教しているんでしょ?外部の友達たくさんいるのでしょう。

まさか、どこだかで代表されている大患部みたいに、友達は愛人、妾だけとか、学園時代の学会員だけとか、そんな情けない人生を歩んできたわけではないですよね?会員の先頭に立ち、「直弟子」の眷属宣言している。

この指導のままに頑張って来られたのでしょう?だから今があるんですよね。そうじゃなかったら「師弟」なんか言葉にして喋ってはいけません。師弟違背ですから。創価学会の大幹部、金看板を背負っているのですからね。

そうでないなら、サッサと学会辞めて、なんたらの科学とか、楽しい宗教(人生に役立ちませんが)に下って偉い立場でケダモノ生活を満喫していてください。現場・末端の学会員に迷惑かけることになりますから。


 

ツイッターから。勝手に創価の名で靖國に提灯奉納?日本会議と昵懇の原田学会は思想的敗北

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 8月 2日(木)07時50分59秒
  そうなのか。現下の創価学会公式は、どこの馬の骨ともわからない者が勝手に創価学会を名乗って靖國に提灯奉納することを一切不問に付することが出来る程に寛容の精神に溢れているということなのか(笑)。さすがは日本会議と昵懇なだけのことはある。本当に見事なまでのわかりやすい思想的敗北。

https://6027.teacup.com/situation/bbs/85934
 

わが友に贈る 2010年8月2日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 8月 2日(木)07時01分52秒
  仏法を語る人は
皆が「如来の使」だ。
真剣と誠実の心は
必ず相手に伝わる。
その福徳は三世に輝く!
 

”それでいいじゃないですか、自由です”

 投稿者:タイの田舎の猫侍  投稿日:2018年 8月 2日(木)05時24分32秒
編集済
  法華経の心で
南無妙法蓮華経と唱える
そして自分らしく今日を生きようと思う
でも、つまらないことで怒ったり
悲しんだり、悩んだりすることもある
やっぱりダメな凡夫だなと思う
”それでいいじゃないですか自由です”

外に出てみると
風がささやく
大地がささやく
空がささやく
太陽がささやく
月がささやく
星がささやく
南無妙法蓮華経
”それでいいじゃないですか、自由です”

みんな同じ法華経の心ならば
みんな同じ法華経の心でひとつならば
南無妙法蓮華経で生き
南無妙法蓮華経で死んでゆけば
そして南無妙法蓮華経で生まれてくれば
きのうも楽しい
今日も楽しい
明日も楽しい
衆生所遊楽
”それでいいじゃないですか、自由です”

法華経の心とは何だろう?
差別なく苦しむ人を救い
差別なくみんなの幸せを願い
差別なく平和な世界を願う心かな?
”それでいいじゃないですか、自由です”

これは、たしかあのときの先生の言葉
法華経の心でひとつならば
みんなちがって、みんないい
お坊さんのような服を着る必要もなく
お坊さんのような戒律なんか必要もなく
規則なんか何も必要ない
法華経の心でひとつならば
みんなちがって、みんないい
”それでいいじゃないですか、自由です”

絶対的自由ならば、すべて楽しい
人の自由を奪い
人を苦しめ
争いを生む
宗教なんかもういらない
”それでいいじゃないですか、自由です”
先生のあのときの言葉が
永遠に心の中で繰り返されてる
 

(無題)

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商会の谷川係長  投稿日:2018年 8月 2日(木)03時11分26秒
  各位に教えて頂きたいのですが。
私も肩書きに最近気にしません。
かつての職場で東大工学部出身の社長に大変お世話になりました。
やはり東大工科出身だけあり実力と肩書きは同一のものでした。
自分が目先のことに囚われて期待を裏切った形で退職してしまい、
今だ申し訳なく思っています。

以前よりこれも疑問だったのですが創価執行部や中央の連中は、
ズバリ宗教法人職員なのか宗教家なのか、
宗教屋?なのかなんなのでしょうか。

そりゃ時代に相うことは当然であり、大聖人様御在世の鎌倉時代の世相と当たり前ながら違うのだから
王仏冥合や国立戒壇は現代において不要と存じます。
ただ人間の価値観、生命感は普遍の部分もあるので毎日で良いから丁々発止で対話をドンドンすべきです。
ただ
例の信濃町のよく分からない連中が会則や教義解釈をどの様な権限があって都合よく変えるのか、コロコロ、たぬきの◯◯◯◯のようにプ~ラプラ。あの連中が勝手気ままに事をドンドン進めて良いものじゃないはずですよね。
それも一族郎党血で固め出している。
はっきり言えば創価も国家権力に迎合したエセ宗教屋に脱皮しようとしている。
まあ富士の坊主のように血脈相乗でしたっけ、あれも問題だけど。
財務だけはしっかりしているわ~。その代わり
報告なるものは全くのズサンさ、恥ずかしくないのかな~?
天理教も幸福の科学も、在来の宗教もそうなんでしょうかね。
如何でしょうか?



 

コンペー様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 8月 2日(木)00時29分30秒
  同意して頂き、ありがとうございます

先生があれだけ明確に大勢の前で言われても、この状態

目覚めた弟子が澎湃と現れる事が大事だと思います
 

先生ならば許さない

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 2日(木)00時24分50秒
  子路様、その通りだと思います。
先生ならば許さない。たとえ40年近くたった今でも。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 8月 1日(水)23時47分9秒
  今晩は皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生に面従腹背の会長、副会長が真面になります様に
組織悪に物申せない、学会職員方々が真面になります様に
おやすみなさい
 

第十九 毎自作是念の事 ひらがな化を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 8月 1日(水)23時17分32秒
  第十九 毎自作是念の事 ひらがな化を投稿します。

御義口伝講義 下

第十九 毎自作是念の事

まとめ
ポイント

講義より

子供を育てる母親は、子供のことを常に思い、瞬時たりともその念から離れない。これまた毎自
作是念である。
 しかしながら、これらの念々は、大慈悲の念々ではない。仏の毎自作是念は、常にどのように
したら、衆生をして、無常道を得せしめ、速やかに仏身を成就させようかという、大慈悲の念々
なのである。
しかもその念は、決して一時的なものではなく「毎とは三世なり」との仰せのごとく、三世常住
に変わらざる一念なのである。

 この慈悲の念は、決して道徳的な修行で得られるものではない。
意識して、どんなに慈悲の念を起こそうとしても、起こせるものではない。
行動のなかに、心の働きのなかに、無意識に自然に発現するものである。

したがって毎自作是念の作を「此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり」と仰せられているの
である。

 ひるがえって、現今の世の指導者の毎自作是念はいかなるものか。得に、直接、民衆の幸福に
つながる政治の世界における、指導者の毎自作是念はどうか。
 本来ならば、これらの人々こそ、常に民衆の幸福を願った、慈悲の念々による、一切の行動で
なくてはならないはずである。

 だが、悲しいかな、私利私欲の念々で行動している政治家がほとんどである。
どんなに、人々の前で、微笑もうと、大言壮語を口にしようとも、奥底にある念々が、常にどこ
にあるかが問題である。
自己の一身の栄達のみを願い、名利を貪る指導者のもとにある民衆ほど不幸なものはない。
こうした指導者のもとにあっては、民衆は、常に彼らの踏み台となり、利用され、足蹴にされ、
犠牲となり、苦悩に呻吟しなくてはならぬ。
この私利私欲に凝り固まった人間の生命を奥底より変革し、民衆の幸福のために邁進しゆく自覚
を発現するものこそ、仏法なのである。

 政治のみならず、経済も、教育も、文化も、その他あらゆる人間社会の営みは、本来、人間が
幸福になるためのものであり、不幸にするためにあるものではないはずである。

しかし、現状は、必ずしも、人々の幸福と直結せず、むしろ不幸に陥れるような事実のあること
も、残念ながら本当である。
もし、仏法の大慈悲の精神が、これらの営みの上に具現されたならば、皆、本来の姿に立ち戻り、
民衆の幸福のために生き生きと働き出すにちがいない。

・・・・・・・・・・・中略

いま、自己の毎自作是念は、何であるかを、深く反省すべきである。形は、広宣流布のためにた
たかっている姿であっても、奥底の一念は、他の方向に向かっていないかどうか。
名聞名利の毎自作是念ではないかどうか。等々。
 その人の奥底の毎自作是念が大事である。それが一切を決定し、その人の一生をも決めてしま
う。
 たとえ、職場であっても、学校にあっても、国会という舞台にあたっても、またどんなときで
も、奥底の一念は、毎自作是念は、大御本尊を根本にしなくてはならぬ。
 そのうえに、あらゆる分野で、舞台で、大いに活躍していただきたい。新時代の先駆者らしく。



 

続き

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商事の谷川係長  投稿日:2018年 8月 1日(水)23時06分51秒
  古今一枚岩で生き続けて来た組織はあるんでしょうか?
ユダヤ教に目が行くけれど。
何世紀にも渡りラビと信仰者の弛まぬタルムードやユダヤ法典、旧約聖書、丁々発止がもたらした文化人材の副産物。
創価が霞む。
 

機関紙での説明は?

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 8月 1日(水)23時06分38秒
  以下引用
靖国神社への献灯問題   投稿者:虹と創価家族   投稿日:2018年 8月 1日(水)08時14分53秒   編集済

   ■みたままつりとは?

国のために尊い命を捧げられた英霊を慰める行事として、昭和22年(1947年)に始まり、毎年開催されてます。
(千代田区観光協会ホームページより)

~~~~~~~~
引用以上

①創価学会の字の提灯供養は今年だけだったのですかね?

②「学会の千代田区長が勝手に行ったこと」というのは腑に落ちません。信仰の根幹にもかかわる学会の名前での他宗教への供養行為を彼が独断で行ったというのは到底信じがたいことだと思いますね。

いずれにせよ聖教紙面での事情説明が要されてきましょう。


 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 8月 1日(水)22時57分53秒
  23時に開始致します。よろしくお願いします。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。
 

コンペー様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 8月 1日(水)22時46分3秒
編集済
  池田先生ご自身が同時放送で明確に
「◯◯は提婆達多!」と言われました
それでも「復権」します
「復権」させたのは、弟子の責任です
「復権」させてからの学会に、先生は一切責任はないと思います
全て弟子の責任です

本来ならば
職員が勇気を持って団結し、目連と舎利弗のように提婆達多を攻めて欲しいですが、全く期待できない今、
会員が、聡明になることが大事だと思います

その為の「気付き」を提供してくれているのが
宿板だと思います

管理人様はじめ投稿者の皆さん
ありがとうございます

先生は、なぜこのような状態を許されているのか?
不思議に思っていた事が明白になりました

先生は、決して許しておられない
許しているのは、利害で繋がった人達

その人達が、会員に時には、「先生不信」を起こさせています

宿板に出会い
先生不信になりそうなモヤモヤが霧が晴れたようにスッキリしました
先生の素晴らしさを「気付かせて」頂いた事が沢山あります
本当にありがとうございます

宿板を読み、両方の「気付き」を得ることが出来ます
有難いです

まさに
悪を滅し、善を生じています
 

広布第二章の指針さんへ

 投稿者:丸の内スリーダイヤ商事の谷川係長  投稿日:2018年 8月 1日(水)22時44分11秒
  こんばんは。
先日は当方の書き込みを読んで頂き有難うございました。
当件はまだ二十代前半のことでしたが、
あのマシュマロの右手の感触は約二十数年超えても、忘れませんね。
仕事がペンチやスパナの世界でしょう。時間との闘い。危険と隣り合わせ。
自分の豆をこしらえた両手を見ればまさに石川啄木のあの詩の如くですよ。
あの当時の支部男子部長はゾーントップで聖教啓蒙したので小躍りしていました。
そのご褒美です。それと記念写真撮り、白黒の四つ切り。
特段谷川君と握手したからと感激した訳じゃ有りません。全く有りませんでした。
肩書きに実績が加わらないと自分はついて行きません。
簡単、ペーパー免許保持者が必ずしもプロとは限らないじゃないですか。
創価高校から東京大学、卒業後三菱商事に就職したようですね。
確かに辣腕だと思うし、表裏人脈も蜘蛛の巣の様に張り巡らしているでしょう。
だが宗教家に大切な眼に見えない辛酸舐めた人間がかれの心には多分、形而上には存在しても
形而下の現実には多分残念ながら存在しないんでしょう。
創価学園の教育も卒業者の何人かが話してくれました。
この学園ぼ内情です。
谷川は所詮机上教育の天才、その谷川を創価インテリゲンチャとして育て上げる為教員も俗世の点取り虫だったんでしょう。
教育は国家百年の計であるけれど、
創価学園も教育に失敗しましたね。
牧口、戸田先生の人類の悲惨をなくす第一の手段は教育の心はないんですよ。
無学の自分が言うのも何だけれど。

 

おーい!中村く~ん♪♪ 君のことが話題になってるよ~ w w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2018年 8月 1日(水)21時31分32秒
  おーい、中村く~ん♪
掲示板監視しているか~♪ w w
例の写真を投稿してもいいんだぞ~ w w w w w

>宿坊ほぼbotのトップツイートを発表!! ?投稿者:紺碧オフ会(^_^)/ <

>宿板のトレンドを読み解く一つのよすがになりますね!<

https://twitter.com/Shukubo_hobo/status/1023424636317360129

>「1位は、創価学会の靖国献灯事件(14854)!!

>注目は、

>会長の弱み握る中村伸一郎関連!! 」<

https://6027.teacup.com/situation/bbs/87677
 

「基地の外」の人に

 投稿者:苦言  投稿日:2018年 8月 1日(水)21時02分30秒
  >>投稿者:原田信濃町四人組邪教を壊滅  投稿日:2018年 8月 1日(水)20時55分6秒


何度でも言ってあげるよ。

宿坊板に書き込むより先に貴方のやるべきことは「病院に行きなさい。」
 

ご家族

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 1日(水)20時17分17秒
編集済
  先生のご家族のどなたかが「今の執行部がおかしい」と言えれば全て終わるのに。

ほとんどの会員は支持します。
 

ミネルヴァの梟様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 8月 1日(水)17時45分44秒
  全面的に賛成致します

自分が幹部に褒められたいが為に、
会員に無理強いする人間に限って、
先生亡き後、無理無駄な事をやらされたと
先生を批判するのではないか?と自分は危惧します

先生は会員の幸福第一の方です
無理無駄な事を強いた事は、ありません
それを強いるのは、いつの時代も「成果」が欲しい保身の幹部です

それらの人に騙され、煽られ、そして、気に入られたいが為に無理無駄な事をする会員が少しでも減っていくことは、大事な事と思います

会員が先生直結の信心、人生を送ることが出来るように…

もっともっと自分も勉強し、声を上げて行きたいと思います
 

大誓堂に行った時の話

 投稿者:ギター弾きメール  投稿日:2018年 8月 1日(水)15時14分4秒
  生まれて初めて広宣流布大誓堂に行かせて頂いた時の話をします。

昨年2月20日。池田先生から僕宛に近くの会館へ贈り物が届いたという夢をみました。幼少の頃より時折第六感が鋭い事がありましたので、これもなにか良い知らせかな?と思いました。(第六感については意思みたいなものを受信して強いイメージとなったり、私が強く思うと相手にもダイレクトに伝わったりする、というような感じです。)
するとその日の晩に男子部の部長から「来月、広宣流布に大誓堂に行けるかもしれませんが、ご都合はどうですか?」という話を頂き、即座に「行かせて下さい!」と返答しました。生まれて初めて本部の御本尊様のところへ行ける事が嬉しくてたまりませんでした。そして、夢の内容がこれを指していた事にも気がつきました。

それから本部に行くまでの一ヶ月間、不思議な事もありました。自分の進むべき道はそれで合っているよ!とのメッセージ性を感じる出来事がありましたが、ここでは割愛させて頂きます。

そして3月24日。聖教新聞では新・人間革命で「雌伏」の章が始まった日でした。広宣流布大誓堂内での勤行が始まる少し前は時間がありましたので、私はお題目を唱えていました。すると、悲しい事があるわけでもないし、思いつめていたわけでもないのに自然と涙がとめどめなく溢れ出てきて、遂にはお題目を唱えられなくなってしまいました。きっと私の生命が歓喜していたんだと思います。
涙目やら鼻水やらが出てきてお題目を中断せざるを得なかった僕ですが、そんな僕の様子を察したのか、右隣に座られていた婦人部の方がお題目を唱え始めると、とにかく暖かい気持ちが伝わってきたのをよく覚えています。少しすると僕も涙が止まり、お題目を再開する事ができました。

この仏法は本当に凄い。そして、池田先生はいつも弟子である私達の事を想い、お題目を送って下さっている。
私が広宣流布大誓堂に行く事が決まった日に夢を見たのも、池田先生からの気持ちを少し受信したからなんだと思います。

この仏法は本当に凄い。凄いのは超能力じみたことではなくて、生命を解き明かした法の一部分を感じさせて頂いてる事です。
創価学会がいつも正しき団体でありますように。
 

ダーハラ創価と同類

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 8月 1日(水)13時00分6秒
  宿板ほぼbotの方に、ダーハラ創価を非難した後、返す刀で池田先生にまで斬りつける阿呆が何人もいるが、結局何も分かっていないのだ。
先生を利用するか非難するかが違うだけで、本質的にはダーハラ創価と同類なのに、何を思い上がっているのだ。

S.54の会長辞任事件もそうだが、あまりにも多勢に無勢である時は、どんな英雄であれ、出来る事は限られて来るのだ。
あの時は、全国壮年部長以下全幹部が、先生に辞任要求を突き付けたのだからどうにもならないだろう。クーデターの様なものだ。

こういう時は、最高幹部ではなく、もっと下の幹部や役職を持たない一般会員が戦わなければならなかったのだ。大きなうねりを起こさなければ勝てないのだ。あの後先生が、全国の最前線の功労者宅を、しらみつぶしに回られたのを見れば明らかな事だ。
そういう戦いが出来なかった責任を、先生に押し付けているだけの責任逃れ野郎共が、今頃になって何を抜かしているのだ。


アレキサンダー大王が東方遠征で、連戦連勝破竹の快進撃を続ける中、突然戦いをやめ、反転して国に帰ってしまったのは何故だ?

それは多くの将軍達が戦いに倦み、それ以上戦う事を拒否したからに他ならない。
どんな英雄でも、自分1人では戦う事は出来ない。当たり前の事だ。S54年の会長辞任の時も同じことだ。

そもそも、裏切った将軍達が戦いを始めた理由は、地位や富などの世俗的な栄光のためだったのだ。
それらを十分手に入れた後は、それ以上戦う理由など、彼らにはどこにもないのだ。戦う目的が最初から違っていたのだ。
ダーハラ創価の幹部達も同じことだ。

アレキサンダーの世界制覇の夢など、そもそも最初から理解していない俗物達だったというだけの話だ。

今もまた、「永遠の生命」や「成仏の境涯」など、どうでもいい 、金と地位に目が眩んだ、今が良ければそれでいいという、死んだ後のことを考えない俗物達が、創価丸の操舵室を占拠しているのだが、今回は2回目だ。

さすがに2回も、まんまと騙されるなどという事は無い。「靖国提灯事件」等、次々にボロが吹き出して来ている。
既にS54年に予行演習は終わっていて、今回が本番なのだ。

マキャベリの「君主論」。
マキャベリは君主制を擁護しているように、表面的には見えるがとんでもない。彼はまごう事なき共和主義者だ。それを読み取れない阿呆では話にならない。

本心を述べれば必ず潰されると分かっている時は、こうするしかないのだ。
華々しく玉砕して、後は知らないというのは、厳しく言えば、「ただの自己満足」に過ぎない。
玉砕して死ぬのは、ある意味楽な選択だと、先生は言われていた。

そうは言ってもダーハラ執行部や公明党を擁護しているのではない。
ヤツらは完全に「黒」だ。この辺の判断が最も難しいのだが、分かる人には分かるはずだ。


イラク戦争当時、先生は何度もアレキサンダー大王や、ナポレオンを裏切った将軍の話を聖教に投稿されていたし、安保法制の頃も、それこそ10回ほど、神札を受けなかった牧口先生の話を投稿されていたではないか。

それに正しく反応出来なかったのは、弟子の責任に他ならないのだ。
これぐらいの事で師匠を批判する側に回るようなヤツらは、師弟不二どころか、弟子でもなければ「法華経の信者」ですらない。「法華経の行者」になど、とてもなれないだろう。

それでなくても法華経は、最上かつ、「難信難解」で有名な経典だ。
批判している連中は、多分「人法一箇」の法である事も分かっていないのだろう。

それでは、簡単にフルイにかけられて脱落するに決まっている。

先生の著作物の読み込み方が、全然足りていないのだ。
それでは多分、御本尊様も信じられないはずだ。



 

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 8月 1日(水)10時22分58秒
  「 一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外(ほか)の遊楽なきなり。
経に云く衆生所遊楽 云々 」

( 四条金吾殿御返事 1143頁 )


昨夜遅く、九州で創価学会の本部長をしている学生時代の友人から、深刻な声で電話がきた。

「 自分は今まで、本当に必死に信心をして来た。

勤行、唱題、組織活動、公明党支援活動、新聞や財務も、

出来る限りやってきた。

今、その全てが虚しい 」と。


そして、

「 今は、
お題目も上がらないし、
勤行さえも苦痛である 。

どうしたら、題目が上がるのか? 教えて欲しい 」と。

かつて、
宗門問題の時は、

「 創価学会の救世主 」

「 宗門攻撃、法華講破折の急先鋒、将軍 !」とまで讃えられてた私が、

師匠反逆の大幹部の悪を攻めた途端に、悪逆非道のクソ坊主と罵られているのを、

知らない筈は無かろうに、

それでも、すがりつくように、助けて欲しい!と、

悲痛な声で電話を掛けてきた友に、

丑寅勤行の時間を過ぎても激励を続けた。

長い対話の中で、彼は、

「 いつの間にか、池田先生の存在を完全に幹部の姿に映し替えていた事 」

「 御本尊ではなく、組織と言う魔性を本尊としていた 」
自己の誤りに気付いた。

直ぐにでも、学会を脱会して、私の寺の信徒になりたい。
もしも反対するなら女房と別れてもいい。

と言う彼を、私は必死になだめた。

そして、3つの事を約束させた。

1).「 絶対に創価学会を辞めてはいけない!」

2).「 創価学会をお造り下さった初代、二代、そして三代の池田先生の教えに殉じて行く!」

3).「 師匠、池田先生の教えに反すると思う事があったら、勇気を持って、
はっきり言って行く!」

この3点を約束して、電話を切った。

昨夜の彼の様に、
最近、
「 勤行が苦痛である。
お題目が上がらない 」

そういう人からの相談が多い。

全ての業(ごう)は、身口意(しん・く・い)の3つで造る。

善悪、共にである。

最高の大善業である唱題。

1.身は御本尊様の御前にて端座合掌し、( 身 )

2.口には、妙法を唱え奉り、( 口 )

3.心は御本尊様を恋い慕い、( 意 )

3番目の心があって、身や口が動くのであるが、

心が動かないなら、口を動かせ!身体を縛り付けろ!と、

私は、勤行唱題が苦痛であると嘆く彼に言った。

お題目の唱え方について、

総本山第59世、堀 日亨(ほり・にちこう)上人の御指南を話す事が多い。

心が動かないならば、形から入るように、と。

堀上人、云く、

 「 お題目の唱え方は、

身に油断怠りなきよう、

意(こころ)に余念雑念なきようにありたい。

口より出す声は早口であったり、粘口であったりしてはならぬ。

落着いて確固(しっかり)と尻強(しりごわ)に中音に唱えねばならぬ。

唱える数には定まりがない。

多くとも少なくとも其の人の都合であるが、

身体の方は両の指掌を合わせて指先が鼻の下に向くように、

眼は確かに御本尊に向かうように、

其して身体中が歓喜で踊踊(ぞくぞく)するようにありたい。

御本尊と吾等と一体不二に成るまで励まねばならぬ 」

( 日蓮正宗綱要 134頁 )

ーー  ーー  ーー  ーー  ーー

一文一文見ていこう。

☆「 身に油断怠りなきよう 」

牧口初代会長は、勤行の際には、紋付袴を着用なされたと聞く。

我々僧侶も袈裟衣を着用する。


☆「 意に余念雑念なきようにありたい 」

兎に角、その様に務めるのである。

怒りが出て来ても、発狂しそうになっても、余念、雑念を打ちはらう自己との闘争、死闘なのである。

信心は心の世界である事を知らねばならない。

☆「 口よりい出す声は、
早口であったり、粘り口であってはならぬ 」

早口の禁止。

粘り口の禁止。

眼前の御本尊(大聖人様の生命)に向かい奉り、

我が生命奥底に眠る仏界生命を、

感応妙と言う、不思議のリズムに依って呼び出す儀式が唱題行である。


☆「 しっかりと、尻強(しりごわ)に、

中音で唱えねばならぬ 」

南無    妙法   蓮華   経

この、1つ1つを御義口伝を通して、説き明かせは、もう感極まって泣き伏す程の喜びが湧くのだが、その楽しみは後に譲る。

しっかり唱える。

尻強(しりごわ)とは、御本尊を拝すると判るが、

南無の南と蓮華経の経は、経の方が大きく、末広がりに書かれている。

南無妙法蓮華経と気持ち的に末広がりに強くなるのである。

寺院で唱題を引導する太鼓でも、南無は小さく叩き、妙法蓮華経と段々と強く打つ。

良く見られる、クセのある唱題に南無は極端に大きく、妙法蓮華経と、段々と尻すぼみに唱える人がいる。

尻強とは、心持ち強くなる事を意識する事を教えている。

中音である。

☆「 唱える数には定まりはない。
多くとも、少なくとも、その人の都合であるが 」

お題目は、強制すべきものではない。

しかし、題目が上がらない。
上げたくない時は、自己の魔との死闘であるが故に、
強制も必要である。

☆「 身体の方は両の指掌を合わせて指先が鼻の下に向くように 」

合掌の形とは、帰命の形、いわゆる対象に命を捧げると言う印である。

人に借金する時に手を合わせて頼む姿は、貴方に命を捧げますよ、と言う印である。

その合掌すべき手を膝に置いたり、指先を相手に向けたり、ブラブラしたりする事の禁止である。

☆「 眼は確かに御本尊に向かうように 」

ここは、重要な一点である。
話をする時に、相手の目を見るように、

南無妙法蓮華経の妙法辺りをしっかり見つめる事が重要である。

目を閉じたり、目を逸らしたりせず、御本尊様を真っ直ぐに拝する。

この形から入るのである。

そして、
次が唱題の醍醐味である。

☆「 其して身体中が歓喜で踊踊(ぞくぞく)するようにありたい。

御本尊と吾等と一体不二に成るまで励まねばならぬ 」

これが結論である。

身体中が喜びでゾクゾクする境地。

これこそが、大聖人が弟子四条金吾に仰せの、

「 一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるよりほかの遊楽なきなり」

いわゆる、唱題行の究極、
法悦境に至る、歓喜の中の大歓喜の唱題による刹那成道の極意である。

無限無数の生命がある中に人間界に生をうけ、

更に、遭い難き仏法に巡り遭い、その中に、偉大な文底独一本門の日蓮大聖人の法を持った三世の、

主・師・親の三徳を御所持遊ばされた池田先生の弟子となる事が出来た。

嗚呼、これ程の喜びはない!

もう自分の事など、どうでも良い!

この身を法華経に捧げ、仏の為、全民衆救済の為に尽くすのだ、との生命本来の姿を現した喜び、

それが唱題行の究極、心の財の目録を垣間見た喜び、

一眼の亀が浮木に遭うより難しい人間界の最大の喜びである。

しかし、これは、まだまだ
「 心の財の目録 」

素晴らしい料理のメニューを見たに過ぎない。

これから、その料理を食べる飛び上がる程の、

舞をも舞いぬべし、と言う超大歓喜の世界へ誘(いざな)ってくれるのである。

最後に、御書を拝したい。

「 夫れ人身をうくる事は稀なるなり、
已に稀なる人身を受けたり、

又、あいがたきは仏法・是も又あへり、

同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句、題目の行者となれり、

誠に誠に、過去十万億の諸仏を供養する者なり 」

( 寂日坊御書 902頁 )
 

情けない状況が始まってる?

 投稿者:ひかり  投稿日:2018年 8月 1日(水)09時23分47秒
  今から三か月半ほど前のことである。

「4月18日、公明党の山口那津男代表は自民党岸田派のパーティーに出席した。」と報じられた。

岸田派は、このパーティーで自身の派閥の政策集パンフレットを配布。

安倍総理が日米首脳会談で留守にしている間のことである。

このことは、マスコミにも、また、その動きを聞いた者にも、

「公明党は、アベを見限った?」「来年の選挙へ先手の布石?」「協力の矛先を岸田派に照準?」

このような思惑をいだかせるのに十分な出来事であった。



しかし、その後、最近になって岸田氏は総裁選を降りた。

岸田派周辺の落胆ぶりも伝えられている。

支援する人々や、岸田派の人々は、せめて狼煙を上げるくらいしてほしかったようである。

アベの「そういうところばかりに肥大した能力」「ずるくて無責任でオツムテンテンだが冷酷なボンボン」

その総がかり的な牙むき出しの「恐怖の圧力」は、岸田氏に無念の退歩を強いたと、想像している。



(なにしろ、恐ろしいことをする人達ですからね。

排除し消すことに、ためらい無し、ですよ。 まるで何かとクリソツです。

どうみても病気。 御自分たちでは何とも思っていない、同類同病サイコパス的な?やり方だと思います。)



というワケで、ますます迷走、アベから逃げられなくなった? 選択肢消えた公明党?

アベ&怖いお友達&いわゆる巧言令色な政治屋二階の住人とかガースとかに、

ガーッチリ尻尾を捕まれて、身動きできないのではアリマセンカ?



けど、選挙だって何だって、学会員とりわけ高齢化した女子集団に動いてもらうしかないのが実態。

もともと自分ら執行部も幹部も国会議員も、声だけ番長?

汗流してドブ板なんてできやしない「ヤワ」なんです、すみません事実のようなんで。



人間には寿命というものがあって、F票は年々鬼籍に消え、認知の館に消え。



で、結局どうするんですか(笑)

まあ、むなしい掛け声でもかけて、ハッパかけてみたら?

聖○のタイトルみたいに、「○○せよ!」「語れ!」「動きに動け!」

きっと、むなしいような反応が、義理堅く返ってきてくれる気がします、2%になったやつ。









 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、青年部が行学練磨の前進とのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 8月 1日(水)09時06分44秒
  おはようございます。原田怪鳥様、青年部が9月の青年教学試験1級へ全力とのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

「御書根本」で人材を拡大とのコトですが、「御書根本」というよりも、「原田怪鳥様根本」となってる様では、

「集票根本」に変わってるんじゃないデスかぁ~(笑)


まあ原田怪鳥様、以前にも指摘させて頂きマスたが、いい加減に「日顕宗を破す」は止めたらいかがデスかぁ~(笑)

そもそも「日蓮正宗」も「創価学会」も独立した宗教団体なのデスから、口だしするのも谷川主任伏怪鳥様の発言と事後相違になりマスし、

創価珍報においては、元職員3名の方々を誹謗中傷するのがなんだかメインになってる気がするのデスが、原田怪鳥様いかがデスかぁ~(笑)

いっそのこと、「元職員3名を破す」なんてされたら、大勢の方がどちらが正論なのか? 学ぶコトができていいんじゃないデスかぁ~(大爆)


教学試験も昔は論文式で、受験者の力量が測れるものでありマスたが、今ではカケラもありましぇ~ん(笑)

原田怪鳥様、提案なのデスが、今回の1級試験は論文形式に戻して頂いて、課題はこんな風にされたらいかがデスかぁ~(笑)

「日蓮正宗」の管主と「創価学会」の会長との類似点について述べよ。

「靖国神社」への奉灯は「謗法」か「地域友好」かについて述べよ。

「公明党」の自立について、創価学会の集票活動は是か非かを「御書」を通して述べよ。


なんてお題デスたら、受験者の皆さんもアタマを捻りながら文章も綴られマスし、力量がわかっていいんじゃないデスかぁ~(大爆)

まあ、そのトップが「師がナイ」男子部長さんデスから、あまり期待もできないのデスが、

少なくとも、靖国神社への奉灯が是か非かくらいは判断できるくらいのモノになってマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

今日の創価新報、全部ご自分に返ってきてません?

 投稿者:末席2017  投稿日:2018年 8月 1日(水)08時58分5秒
  謗法の...への供養は墜地獄とか...どの口が言うの?

御供養と言って信者を金儲けの道具にし、何の贅沢に使ったのか...まさしく「遊戯雑談」の極みであり、「腐った精神」の「あまりにも情けない奴」そのものではないか。聖職者として言語道断である。って書いてありますがなんか自虐ネタにしか聞こえないのですが。

マナー違反にお手上げって記事。そりゃ間違ったことは言ってませんが残念なことに学会員さん、特に幹部と言われる人々のマナー違反もひどい状況じゃないですか?世間の平均値より悪いっていうのが創価班時代の実感なんですが自分の足もとへきちんと通達出したほうが良くないですか?まあ何を言っても自分たち幹部は別って思ってやりたい放題の皆さんの通達じゃ宗門以上に効果なさそうですが。
 

靖国神社への献灯問題

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 8月 1日(水)08時14分53秒
編集済
  ■みたままつりとは?

国のために尊い命を捧げられた英霊を慰める行事として、昭和22年(1947年)に始まり、毎年開催されてます。
(千代田区観光協会ホームページより)

~~~~~~~~

創価学会が靖国神社の『みたままつり』に献灯(提灯を奉納)したことが、SNSで話題になっています。

靖国神社への献灯とは、『神社への供養』という謗法を犯していると感じた。
これを黙認・放置しては、自分が『宗教の乱れ』を起こしてしまうと、師の言葉を求めました。

池田先生と松下幸之助氏との往復書簡『人生問答』には靖国問題について書かれていました。
それを読み、『思想の乱れ』という視点からも、靖国神社献灯問題を考える事が大切だと感じるようになりました。


【人生問答① ■靖国法案について】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87606

【人生問答② ■国難に殉じた人をいかに祭るか】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87607


創価学会も地域交流を考え、盆踊りや夏祭りなどを、地域イベントとして協賛する寛容さを持つようになりました。
これは決して悪い事ではないと思います。

仮に百歩譲って、靖国神社への献灯を、『不戦を誓い、戦没者の英霊を供養するため』と考えることもできる。
また、『地域交流のイベント』として協賛する考えもあると思う。


しかし、人生問答の言葉から、池田先生の痛みが伝わってくる。
この痛みと悲しみを抑えることは出来ませんでした。

【とくに神道(しんとう)が国家宗教として国民の思想統一の号令に用いられ、戦争へ突入するために精神的準備に利用された思い出は、忘れようとしても忘れることのできない悲しい現実・・・】

そして自分は、牧口先生の獄死の原因を忘れる事はありません。


8月が来るたびに、国家神道の犠牲者に想いを馳せる。
それが、戦争を知らない世代の自分が出来ること。

その痛みと悲しみを想うからこそ、創価学会の靖国神社献灯問題について、真剣に向き合いたいと思っています。



 

8月に思う

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 8月 1日(水)07時04分2秒
  今の組織の大半は、何もわからない会員、おとなしい会員。保身の幹部と信濃町の関係者の皆さん。
あと一部の先生を叫ぶ会員。

あれだけいた池田門下はどこにいったのだろう。




 

わが友に贈る 2018年8月1日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 8月 1日(水)07時00分45秒
  日々の目標を明確に
今日の課題に全力を!
着実な「一歩」が
険難の道を踏破する力。
自身の最高峰に挑め!
 

「生命」

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 8月 1日(水)06時52分27秒
   「思い通りにならない」というのがまた、「仏法」の一面なのでしょう。「万人」にはそれぞれの「一念三千」があります。「万象」にも各々の因と果があります。それを「個」の「思い通り」にしようとするのは、おおよそ“無理”があるというものです。それは“第六天の魔王”の反映です。「万人」と「万象」の“共通”とも“基盤”とも言える「一法」を探し当て、あるいは編み出し、それを基準に考え、動くことが「仏法」に根差す生き方とは言えないでしょうか。それは、「生命」の“実相”に基づくものです。

 「法華経」(文底)で説かれる「生命」の“実相”は一体、どのようなものなのでしょうか。私なりに記してみました。基軸になる言葉は「妙法蓮華経」と「一念三千」です。

 その中核は、根本清浄の「妙法蓮華経」という「法」と、「南無妙法蓮華経」という「人」です。「妙法蓮華経」はこの宇宙の究極の「法」の名であり、「南無妙法蓮華経」はそれを体現した「仏」の名です(一生成仏抄講義から)。その「法」と「人(=事)」は「十界」の変化相を見せ、「十界」はさらにその基盤とする境涯の位置と、刻々と変化する変化相そのものの位置とで「互具」し、“環境”(依報)としての「三世間」とにより「三千」を起こし、元々の「妙法蓮華経」をも抱きかかえていることから、「一念三千」の“集合”(円融円満)の実相となります。

 もう一度、法華初心成仏抄の一節を拝します。

 「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」(法華初心成仏抄557㌻)。

 「仏性」とは「法性」です。「妙法蓮華経」の名でもあります。

 「夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり 仏性とは法性なり 法性とは菩提なり」(聖愚問答抄498㌻)。

 地に額(ぬか)ずき、天を仰いだ衆生の、その仰ぎ見る「心」も、世の指導者と言える梵王・帝釈等、二乗、三乗の舎利弗・目連等、文殊・弥勒等の仏性も、三世の諸仏の解(さとり)の「妙法」も、「理」としては「妙法蓮華経」と同じものです。その、あると言えばある、ないと言えばない「妙法蓮華経」を「本尊」と「崇め奉れば」(信受)、「我が己心」の「仏性」が「南無妙法蓮華経」と呼び呼ばれて「顕れ給う」というのです。その「顕れ給う」ことをもって「仏」といいます。他の何も「いらない」ということになります。あっても“枝葉”です。

 その「妙法蓮華経」という“知見”から見れば、「十界」も「三千」も、その変化相の“塔婆”だというのです。

 「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり、十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり 己の心を見るは三千具足の仏を見るなり」(御義口伝797㌻)。

 「妙法蓮華経」(=妙法蓮華)の知見から見れば、十界の衆生も、三千の群類も、それは皆、「妙法蓮華経」の塔婆を見るに等しく、十界の異なりはありはするものの、「己が身」を見るのは三千が具足する「塔」を見るようなものであり、「己の心」を見るのは三千が具足する「仏」を見るようなものである、と読み開けます。「身」と「心」では、「塔」と「仏」の違いがあります。

 「身」は「色心(しきしん)」の「色(しき)」です。色(いろ)、形(かたち)です。「心(しん)」は「心法」です。

 さらに続けましょう。

 「円(圓)とは諸法実相なり、円(圓)とは釈に云く円(圓)を円融円満に名くと 円融は迹門 円満は本門なり又は止観の二法なり 又は我等が色心の二法なり」(御義口伝714㌻)。「円融」と「円満」の違いがあります。

 「身意泰然とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、身とは生死即涅槃なり 意とは煩悩即菩提なり 従仏とは日蓮に従う類い等の事なり 口の喜とは南無妙法蓮華経なり 意の喜とは無明の惑障無き故なり、爰を以て之を思うに此の文は一心三観一念三千我等が即身成仏なり」(御義口伝723㌻)。「身とは生死即涅槃なり 心とは煩悩即菩提なり」と仰せのように、「生死即涅槃」と「煩悩即菩提」では明確にその所在に違いがあることが解ります。

 「(心遍歓喜の)身とは生死即涅槃なり心とは煩悩即菩提なり、遍とは十界同時なり 歓喜とは法界同時の歓喜なり、此の歓喜の内には三世諸仏の歓喜納まるなり」(御義口伝735㌻)。

 “合集”にも二通りあります。「個」が入り混じあって一体となる「円融」と、「個」はそのままに集まる「円満」です。「円融」はヒトゲノムを見ればよく分かります。一体化です。「仏」は「円満」であり、「個」がそのままその中に残るものと言えます。また、“合集”には、姿としていろんな形があります。類が友を呼ぶもの、反発して真逆になるもの、類似するもの、やがて染まるもの、独自性を保つもの……その“合集”が「生命」であるということです。「円満」の「生命」はその意味でも「調和体」です。これが「十界本有」の姿と言えるのでしょう。

 また、こうも仰せです。
 「二求とは求男求女なり、求女とは世間の果報・求男とは出世の果報・仍つて現世安穏は求女の徳なり 後生善処は求男の徳なり、求女は竜女が成仏・生死即涅槃を顕すなり 求男は提婆が成仏・煩悩即菩提を顕すなり 我等が即身成仏を顕すなり」(御義口伝777㌻)。「求女」を「竜女」、「求男」を「提婆」と当てられて、さらに「竜女」を「生死即涅槃」に、「提婆」を「煩悩即菩提」と充てられています。

 あえて、御文に登場する言葉と、それに密接に関係する語句を「群」に分け、列記してみました。

 「生死即涅槃」群――竜女、身法、妙法、生死、三千具足の塔、円融、迹門
 「煩悩即菩提」群――提婆、心法、蓮華、因果、三千具足の仏、円満、本門

 何か、仰せの指し示すものが浮かんでは来ないでしょうか……。「身」の成仏と、「心」の成仏とでは異なりがあるということでしょうか。この娑婆で、「身」を養うにはそれなりの「智慧」が必要ということになります。「智慧」も、「食材」も、天からは降って来ません。ただ、「天」の喜びには、人も、物も集まってきます。自らを化して喜ぶ「化楽天」の例もあります。「天」は、実は、“高き”にあるのではなく、“低き”にあるやにも知れません。「南無」とは、自身の上に何かを置くものです。


 

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