激務とストレスによって仕事を辞め、そのときの心情や状況を『逃げろ、そして生き延びろ』とブログにしたため、大きな話題を呼んだ、ブロガーのはせおやさいさん。はせさんが当時のことを改めて振り返り、「あのときの自分に送りたいアドバイス」を言葉にしてもらいました。
社会人デビューして以降、上司からのどう喝に心を閉ざしていた頃
社会人デビューして以降、自分は仕事で存在意義を発揮できていない、と焦るばかりの日々でした。
20代半ば、キャリアアップのために異業種へ転職するも、運悪く入社した会社がブラック企業。土日出社は当たり前で、営業職で入社したわけでもないのに、無理な販売目標を設定され……。「これはおかしい」と思いながらも、それでもその目標に応えられないのは、能力が低いからだ、と自分を責める日が続きました。こうした自責の念から死にものぐるいで働いた結果、心身の不調を訴えて退職。地獄のような休養期間を乗り越えて、今に至ります。
当時の私は確かにまだまだ力不足でした。それでも与えられた目標を達成できないのはすべて自分の責任だったかというと、そうではありませんでした。今振り返ってみれば、「おかしい、こんな方法は不合理だ」と思ったのであれば、反論とまではいかなくても、「なぜ、こうなっているのか」と上司に問い、改善案を提案し、それでもダメなら静かに職場から離れればよかったのです。
当時はそれを「言い訳だ」「逃げるのか」「ここでそれができないならどこに行っても逃げるだけだ」などの煽り言葉に翻弄され、自分の感情を抑え込んでしまっていたのです。これでは健全に働けるはずもありませんし、当時の上司の単なる操り人形になっていただけでした。
しかし、反論しようとすれば言い訳だとどう喝される。そのどう喝に対して心を閉ざして、ただ「もう疲れた、この人の言うことを聞いていればいいんだ」と思考停止してしまい、自分の状況を冷静に考えることなく、ただやみくもに働いていたのです。
私が入った会社がたまたまブラック企業だっただけで、わかりやすく理不尽な出来事が起きていたこともあります。ですが、もしかしたら大なり小なり、仕事をしていく上で、みなさんも理不尽な思いや不満を感じていることがあるかもしれません。また、その不満を言いだせずモヤモヤしていることも。
事実、私もこの会社から転職した後でも「あれ? これはおかしいぞ?」と思ったことは、ゼロではありませんでした。しかし、転職以降は経験を活かして冷静に自分の意見を言えるようになったり、改善の提案ができるようになったりした経緯がありました。そういったことから、今回は、私の経験談を通じて「怒りをエネルギーとして利用し、自分を守る」ということについて書いてみたいと思います。
後ろめたさから自分の価値を低く見積もり過ぎていた
なぜ、自分を俯瞰できなかったのか。今思うと、「まだ十分に実績を出せていないのに」という後ろめたさがあったのかもしれません。席に座り自分たちそれぞれの仕事をしながらも、当時の上司によく言われていたのが「お前ら新人は座っているだけで金がかかる」「実績が出せないうちは存在自体がコストだ」という言葉です。
こうした言葉を100%真に受けて、自分という存在の価値を低く低く見積もってしまっていたと、今感じます。
それはある意味、「自分で自分のできなさは、わかっているから」という自己弁護じみた行動だったかもしれません。実績を出せていない、役に立てていない自覚はあります、と振る舞うことで、できない部分を指摘されるつらさから逃げていたのです。
当然の心の動きなのかもしれませんが、上司の言葉の影響から、自己評価を低く設定し過ぎてしまい、自分の上についた人からの評価がすべてと、とらえ過ぎていたのです。自分の人生なのに、誰かの目を気にしていつも怯えていたような気がします。
やがて私の心と身体はこわれました。
「これはおかしい」と思ったら、何らかのアクションを起こすべきだ。私にこう考えさせるようになったきっかけとなる出来事でした。
心身をこわし仕事を辞め、復帰できるようになるまでは、正直「生き地獄」でした。波のように繰り返しやってくる後悔や反省と毎日戦い、海で溺れた時のように一瞬だけ水面から顔を出せたとしても、その後また大きな波にのみ込まれる。その繰り返しです。自分を殺し、誰かの目に怯えていた期間と同じだけ、いや、それ以上の年月を費やして、やっと自己修復ができた時には、仕事を辞めてから3年がたっていたのです。
あの時もっと早く逃げていたら。少なくとも、自分を自分で守れていたら、と後悔しなかった日はありませんでした。
言われた通りの評価を自分に反映するのではなく、自分なりに「できたこと」「やれるようになったこと」をもっと自己分析して、「自信の積み重ね」をしておけばよかった。その積み重ねでしか、威圧的な指示に対抗できる武器はなかった。激しい後悔を経て、今はこう思います。
「あなたを大切にしない人を、なぜあなたは大切にしようとするのですか?」
かつての私には、「自分を守る」という発想そのものがありませんでした。本当に必要だったのは、相手の言うことに思考停止してやみくもに動くのではなく、自分の実力に適正な自信を持ち、マイナス評価ではなくプラス評価で「できたこと」の積み上げを自分の中にも持っておくこと。
自信が積み重なっていけば、理不尽な指示や物言いに対して、自分を守るために「怒る」ことができたのかもしれません。「怒り」について知れたのは心身を壊し、退職後、カウンセリングに通い始めてからのことです。当時のことについて話していた際、カウンセラーからもらった言葉に、こんなものがありました。
「その時のあなたは、あなたを大切にしない人の言うことを、どうして大切にしようとしていたのですか?」
言われた瞬間、ハッとしました。体調を崩そうとも、何度退職を申し出ても、医師の診断書を提出しても、状況を改善してくれなかった、「私を大切にしない上司」の命令を守ろうと当時の私は必死でした。言うことさえ守っていれば、とりあえず怒鳴られないですむ。どんなことを言われてもただうなずいていればいい。反論しようと思うことすら苦痛で、自分が傷ついていたほうがマシ、とすら考えていたのです。
その状況から脱することができたきっかけは、当時の身近な人からの「それ、洗脳されているんじゃない?」というアドバイスでした。そのアドバイスを聞いた時、今まで見ないようにしていた部分が浮き彫りとなり、自分の状況がクリアになりました。初めて会社の都合を無視して、自分を守るため、退職届と診断書を提出し、そのまま会社に行かなくなる、という強行突破を行いました。そうしてやっと、ブラック企業から逃げ出すことができたのです。
自分で自分を守るために、もっと怒ってよかった
当時の私は、「自分を守るために怒る」ということが理解できず、その方法すらわかっていませんでした。特に上司がよく怒る人だったので、自分が怒りを表明することに積極的になれなかったせいもあるかもしれません。
しかし、本来必要だったのは、「怒る」という単語そのままに感情を爆発させるのではなく、「怒り」はあくまで二次的な感情として、その根底にある感情を見つめること。「なんでこんなことを言われなければいけないんだろう」「さすがにそれはおかしいのではないか」と相手に対して怒りの感情を持ったその理由を探ることでした。
「怒り」という感情は時としてネガティブにとらえられます。しかし、怒りそのものがネガティブなのではなく、怒りをそのまま発露したり、その感情のまま暴走してしまうことがネガティブなだけなのです。「怒り」という感情の働き自体はごくごく自然なものだと思い、「怒り」を何らかの二次的な感情であることを自覚して、「あ、今、自分は怒っているな」と感じたら、その根底にある感情を冷静に探ってみるきっかけにもなります。
怒りの根底には「恐怖」であったり「不愉快だ」「不安だ」「理不尽だ」などもっと細かい感情があるはずで、そのネガティブな感情をさらに分析してみるともっと細かな「原因や理由」があったりします。そして原因さえ分かれば、相手に提案や交渉がしやすくなっていただろう、と今になって思うのです。
もちろん、「自分を大切にしてくれない人」と交渉をするのは怖いです。しかし、「怒り」という感情が生み出す爆発的なエネルギーは、こうした怖さを乗り越えるために背中を押してくれるものでもあると思います。
当時は怒りを感じても、「それでも自分には実績がまだないから」という後ろめたさが勝ち、怒りの感情を封じ込めていたのですが、もっと心の動きに向き合うべきだった。怒りに身を任せるのではなく、「今、自分は怒りを感じているな」と感じたら、その原因を探り、解決策がないか考えてみるべきでした。「怒り」はきっかけであり、利用すべきエネルギーだったのです。
これは理不尽だ、私の責任ではない、状況がおかしい、と思う自分の感情を素直に認めればよかったと、今になって思います。
怒りのエネルギーを利用して、自分の心を守ろう
ここにお伝えしたことは簡単ではないですし、勇気も必要です。また、ややもすれば「自分のことを棚に上げて」しまうことになりかねません。それでも心身をこわしたりするよりはよっぽどマシです。心身をこわし身動きがとれなくなるよりは、「怒り」の感情に敏感になり、言いたいことを相手に伝える努力をする方が、よっぽど建設的ではないでしょうか。
「怒り」を感じた時、感情を把握し、なぜそれが起きているのかを考えることが何より大切だと、私は実感しています。
そして「怒り」の原因、つまり、現状と自分の認識の差がどこにあるのかを考え、改善案や相手に訴えたい意見をまとめたら、「怒り」のエネルギーを借りて自分の意見として相手に伝えること。しかも、なるべくすぐに。そして手短に。もちろん、伝わらない時もあるかもしれません。伝えても、聞き入れてもらえないときだってあるかもしれません。
それでも、自分の意見をしっかり伝えられた、という事実が自信になり、自分の尊厳をしっかりと守ってくれるのではないでしょうか。
この記事を書いた人
はせおやさい
会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログに綴っています。
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