HBC 北海道放送

ほっかいどう元気びと

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2015年10月25日のゲスト

石森 秀三さん/
「北海道博物館」館長、文化人類学者
北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授
石森秀三さんの写真

神戸市出身、札幌市在住。70歳。
京都大学人文科学研究所 梅棹忠夫研究室研究員を経て、国立民族学博物館教授、国立民族学博物館研究部長などを歴任。文化人類学から観光学を専門に研究を続ける。2006年、60歳の時に「北海道大学観光学高等研究センター長」として声をかけられたのをきっかけに北海道に移り住む。そして2013年4月から道立北海道開拓記念館長をつとめ、今年4月、北海道博物館のリニューアルオープンに伴い館長に就任した。

村井裕子のインタビュー後記

 9月のシルバーウィーク、雨が降ったり止んだりの休日にこの春リニューアルされた野幌の北海道博物館に出掛けた。蠣崎波響の「夷酋列像」を見ておかなくてはと忙中閑ありのプチ遠出。もう何年ぶりかわからない位久し振りの森林公園だったが、駐車場で車を降りた途端に漂う懐かしいような樹の香り。雨の恵みもまたいいものとフィトンチッドを胸一杯に吸い込みながら森の小道を抜けて博物館に向かう。もうこの時点ですっかり旅気分。博物館の5つのゾーンを廻り、その後で「夷酋列像」を鑑賞したが、自分の住む北海道を改めていろいろな角度から客観的に眺めるということがこんなにも面白いのかと沢山の再発見があった。
 土地の歴史、文化、自然を知ると、その奥に人の営みや考え方なども見えてくる。違う民族や違う生き物を尊重して共に生きる大切さが実感出来てくる。縄文時代からこれまでの年表を見ていると噴火や地震などの自然災害の多さに改めて驚かされ、乗り越えてきた人々の凄さを知る。そして、知れば知るほど、北海道という土地に愛着が湧いてくる・・・そんな思いが深まる場所だった。

石森秀三さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、その北海道博物館の館長である文化人類学者の石森秀三さん 70歳。旧・北海道開拓記念館と道立アイヌ民族文化研究センターを統合してリニューアルした博物館にどんな思いを込めたのかという役割としてのお話も勿論興味深かったが、「元気びと」の真骨頂はその人の歩んできた経験から醸し出される生きる智恵や人生観。お話が進むにつれて石森さんご自身の歴史やそこから培われた信条が溢れてきて、「肩書」の奥にあるお人柄を感じさせていただいた。
 石森さんは神戸市出身。甲南大学の経済学部時代は貿易商社マンになって海外で仕事をしたいと思っていたそうだが、世界の民族を研究する学問に惹かれていき、縁あって民族学者の梅棹忠夫さんに出会ったことで、梅棹さんが作られた「国立民族学博物館」に創設から関わり、研究者としての道を歩んでいく。そして、長年の南太平洋の観光研究から深めた「観光学」の実績が求められて2006年に60歳で北海道大学観光学高等研究センター長へ。そこから北海道と関わって来年で10年になる。
 北海道博物館の構想段階から、もっと来館者が展示品と対話をしながら興味や関心を深められるようにと、展示方法には自ら異も唱え学芸員達と丁々発止の末に作り上げたとのこと。その思いは、「北海道の人は、北海道のほんとうの価値をまだ分かっていない。それはとても勿体無いことだ」という強い確信であり、そのためには北海道の人達こそ自分の住む土地の歴史や文化をもっと知って、より良くするための行動を起こしてほしいという思いがあるからと語る。「誰かがやるだろう。やってくれるだろう」ではなく、ひとりひとりが意志を持って「北海道をこうしていこう」と行動を起こせば何かが変わっていく、と。
 “当事者意識”の大切さが強く伝わってくる。私達道産子ひとりひとりが持たなくてはならない“我が事としてこの地を考える”大切さ。そして、石森さんご自身の中にも、決してこの地での仕事を名誉職では済ませたくはない熱い“当事者意識”があることが感じられた。

石森秀三さん その、潔いまでの“当事者意識”の源がどこにあるのか、収録後の恒例の「あなたの宝ものは何ですか?」の紐解きで浮き彫りになっていった。
 石森さんは、「宝ものはご縁をいただいた人達です」と答え、「すべてが人との出会いで導かれた。梅棹先生に出会っていなければ、今の自分はない。来道後も北海道出身で北大出身の研究者達に出会って、力や智恵を貸していただけた」と続ける。
 ご自身のことを「凡夫(平凡な普通の人間)です」と何度も謙遜されるので、そんな意外なことをと思いさらに話を訊いていくと、石森さんの中の初心がこんな言葉となる。
 「梅棹先生のような天才肌の偉大な学者の元で自分の平凡さを知り、学閥の闘いの中で揉まれながら、自分は自分の為の学問ではなく何か世の中の為、人の為になることに力を注ごうと思い定めてきました」
 梅棹忠夫さんに声を掛けられたものの、そこに集う学閥第一の研究者達の中では自分の出身校は異端であり、孤立無援の状態で多くの葛藤や苦悩も味わったとのこと。そんな中、出会いに引っ張られるように自分の進む道が繋がっていく経験を重ねることで、「すべては天の導き。だからこそ、ただ天命に従うのみ」という思いが深まっていったのだという。
 好きな言葉は、西郷隆盛の遺した「敬天愛人(けいてんあいじん)」。
  「天を敬い、人を愛すること」と思いを込めて語った口調には、目の前に拓かれた道に渾身万力で取り組む信条が込められていた。
 こんなふうにお話を伺う機会が無ければ、石森秀三さんは「北海道博物館の館長」というお立場の石森秀三さんのままである。表面しかわからない。だが、人の中にも数々の歴史があり、困難の中で研磨し熟成されてきた文化がある。それを知ることで、俄然その人間性や魅力が立ち上がってくる。住む土地の歴史や文化を知ることで未来の進むべき道が見えてくるという“博物館の意義”を訊かせていただきながら、ふと、人に対しても“知る”大切さは同じなのかもしれないと腑に落ち、沢山の触発をいただいたインタビューだった。

 石森さんご専門の「文化人類学」とは、「人間というのは皆違う。違うことを前提にして、ではどんな違いがあるのか、なぜそうなのかを考える」学問だという。
 「ほっかいどう元気びと」は、人の中にはどんな力があるかを様々な取り組みをしている方々から紐解かせていただいているが、そう言われてみれば、おひとりおひとり、皆、違っていて、違っているからこそ面白い。インタビューはすでに230人を超えているが、その“違い”を明らかにし、なぜそうなのかを積み重ねていけば、未来に向けて北海道を動かす原動力が浮き彫りになるのではないだろうか。
 「ホッカイドウ・アズ・ナンバーワン」は石森さんの道産子に対する掛け声だが、この番組もまさにそんな思いを旗印に進んでいけばいいのだと、さらに力をいただけた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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