わたしたち日本人は、英語を使っているときには、頭が悪くなる。
これは「外国語副作用」のなせるわざである。
「外国語副作用」というのは、こういう現象だった ―― 「母語にくらべると、外国語はあまり自由に使いこなせないという場合、その外国語を使っている最中には、一時的に思考力が低下した状態になる」(詳しくは、前回の「英語を使うとき、あなたは頭が悪くなる 〜 『外国語副作用』という難題」を参照)。
たいがいの日本人は、母語である日本語にくらべれば、外国語である英語はうまく使いこなせない。そのため、英語を使っている最中には、一時的に思考力が低下した状態になる。つまり、「頭が悪くなる」のである。
前回は、なぜ「頭が悪くなる」のか、その理由を説明した。今回は、じっさいに「頭が悪くなる」のかどうか、確かめてみることにしよう。
その前に、まず、前回の説明の要点を思い出しておこう。
頭のなかで思考、言語処理といった情報処理をするためには、「注意資源」が必要になる。その注意資源は無尽蔵ではなく、量に限りがある。
使い慣れた日本語なら、聞きとったり、話したりするのに、注意資源はあまり使わずにすむ。
しかし、使い慣れない英語の場合は、英語そのものに注意を集中しなければならず、そちらに大量の注意資源をとられてしまう。
そうすると、並行していろいろなことを考えようとしても、思考には充分な注意資源をふり向けることができない。
その結果、思考がうまくできなくなる。つまり、「頭が悪くなる」のである。
しかし、前回の説明は、「外国語副作用が起こり得る」という説明でしかなかった。「外国語副作用がじっさいに起こる」という説明ではなかった。
なぜか? それは、図1を見るとわかる。
図1:外国語副作用は起こらない可能性も……
この図では、前回の図とおなじく、ひとつの長方形が、使える資源の総量をあらわしている。赤いヨコ縞は、「言語の情報処理」に必要な資源の量をあらわしている。緑のタテ縞は、「思考の情報処理」に必要な資源の量をあらわしている。
前回の図では、赤いヨコ縞と緑の縦縞が重なっていた。つまり、「言語の情報処理」と「思考の情報処理」を同時にやろうとすると、「資源が足りない」という結果になっていた。
今回の図1では、赤いヨコ縞と緑のタテ縞が重なっていない。つまり、「資源が足りない」という結果にはなっていない。
母語にくらべて、外国語は、たしかに多くの資源を使っている(図1を見ると、赤いヨコ縞の部分は、母語の場合より外国語の場合のほうが大きい)。それでも、同時に思考をしたとき、資源が足りなくなるほどの多さではない。
資源は充分にあるのだから、「言語の情報処理」が「思考の情報処理」を邪魔することはない。邪魔されずに思考ができるのなら、「思考力の一時的な低下」は起こらない。つまり、外国語副作用は起こらないことになる。
外国語を使うための情報処理には、どれだけの資源が必要なのか、はたして「思考の情報処理」を邪魔するほど沢山の資源が必要なのか、それは、注意の資源理論からは割り出すことができない。
したがって、じっさいに外国語副作用が起こるかどうかは、調べてみなければわからないのである。