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現代霊性論 (講談社文庫)現代霊性論 (講談社文庫)
(2013/04/12)
内田 樹、釈 徹宗 他

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内田樹・釈徹宗『現代霊性論』講談社文庫,2013年

著者二名による現代における宗教とその背景をなす霊性に関する話題をめぐる対談本。
何がすごいかといえば,これが単なる出版社企画の対談ではなく,大学の授業の記録をもとにしているということ。
講師2名によるかけあい授業ということも異例なら,その授業の名前が「現代霊性論」ということも異例だろう。
話題はシャーマニズムからスピリチュアル・ブームに新興宗教,靖國問題まで出てくるかと思えば,名づけやあいさつ,葬式など,一見宗教とは関係ないと日本人なら考えがちな習俗の背景にある霊性の問題にまで立ち至る。
特定の宗教や祭式といったものではなく,現代人にとっての宗教,あるいは霊的なもの一般とは何だろうかといったことに関心のある人におすすめな感じ。

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このご時世,“霊”なんて子どもだって本気にしないよと思うかもしれない。
しかし,現代人だって霊にはやっぱり敏感なのである。
お葬式を出さないと何となく落ち着かないし,「○○さんが生きていればどう思うだろう」とつい考えてしまう。
こうした感覚は,特殊な一部の人々だけが抱くものではなく,むしろ一般に多くの人々の間で共有され,共通理解の得られるものである。
だから,“霊”という概念は,個人の中で閉じた,他者と共有できないという意味での妄想ではないのである。

さらに,本書では,“霊”と,亡くなった人々ともコミュニケーションができるという話まで飛び出してくる。
なんとなくそういう“もの”がいるとか,そういう感覚があるということは認める人でも,この言い方にはちょっと抵抗を感じるだろう。
しかし,よくよく話を追っていけば,この議論も筋が通ってしまうのである。
話題は,靖國問題とのからみで「正しい弔い方をすれば死者の魂は安らぎ,間違った弔い方をすれば死者は苦しむ」と遺族は信じているという流れから来たものである。

生きているものたちがどうふるまうかによって,死者の「リアクション」が変わるということがほんとうなら,生きている人間たちと死者たちの間にはコミュニケーションが成立しているということになります。(p. 21)


死者が生者に影響を及ぼし,生者が死者に影響を及ぼすのだから,これは確かに相互作用という意味でのコミュニケーションが成り立っているといえるのではないか。

では,そうした“霊”とはいったい何なのか。
内田先生によると「本物の哲学者はみんな死者と幽霊と異界の話をしている」(p. 155)。

でもハイデッガーの『存在と時間』なんて,僕は「霊界の話」だと思う。「霊界」って言っちゃうと哲学にならないから,ぎりぎりのところで踏みとどまってはいますが。フッサール現象学だって,僕は幽霊学だと思っている。「幽霊」って言う代わりに,「間主観性」とか「他我」とか言い換えているだけで。(p.154)


地球上に一人も人間がいなくなってもそこにいる「人」,フッサールはそれを「他我」と呼ぶ。現事実的には存在しないけれど,現象学的には存在する。それを「幽霊」って言うんじゃないんですか?(p. 155)


幽霊学としての現象学。
つまりは,“霊”というのは,他者とか他なるものと異なるものではないのだろう。
何となれば,生きている人々だって“霊”を持っているのだから(“生霊”か?)。
フッサールの間主観性とか,私が他者を構成するとかいった七面倒くさい議論は,いったい何がしたかったのかと思っていたが,実はどうしようもなくリアルに感じられてしまう“霊”の存在を何とか合理的に説明しようとする努力だったのかと考えると妙にすわりがいいような気がしてくる。

2013.05.21 Tue l 文化人類学 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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