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山Pの親だけが観ろ、映画『コード・ブルー』ネタバレなし感想

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3分半でわかる『コード・ブルー』【劇場版7月27日(金)公開】

  

「人の心を失った手術狂・藍沢」「頭ガチガチの面白みゼロ女・白石」「プライドの塊こじらせ干物女・緋山」「明るいだけのバカオブバカ・藤川」「愛嬌を前世に忘れてきたドSナース・冴島」

この人としても医師としても未熟すぎる5人が、もがき苦しみながらも少しずつ成長していく青春群像劇に、一つでも間違えれば人が虫みたいに簡単に死ぬ緊急救命をこれ以上ないくらいギリッギリの絶妙なバランスで組み合わせて成立させてるドラマが『コード・ブルー』だったんですけど、脚本家が変わったせいなのか7年っていう月日のせいなのか登場人物がワラワラと増えたせいなのか、サードシーズンからそのバランスがめちゃくちゃに崩れだしたんですよね。

一人前の医者になった5人の人としての更なる変化を描こうとすると、どうしても「家庭を持つこと」だとか「愛する人ができる」みたいなありがちなモノになるし、加えてセカンドシーズンまでで散々やりつくした「未熟なフェローの成長」も描かなきゃいけない、ってなるともう『医療』の入るスキマって小指サイズぐらいしかなくなっちゃうし、そのせいで色んなところに話がとっ散らかって結局見てもなんも残らんみたいな。

それでも、『コード・ブルー』のなにが面白いかって山下智久、新垣結衣、戸田恵梨香、浅利陽介、比嘉愛未の5人の役に対するアプローチが10年間まったくブレてないっていうところにあって、それこそサードシーズンはセリフだけ見るとファースト、セカンドシーズンじゃ1ミリも考えられないような「藍沢はそんなこと言わない」っていう同人レベルのテキストをバンバン吐かせてくるんですけど、テキストでは「そんなこと言わない」でも実際そのシーンを見てみると誰が見ても「藍沢の言葉」として受け止められるし、今回の映画みたいに違和感バリバリの取って付けたような展開の連続でも5人が画面に映ってるだけでちゃんと『コード・ブルー』になるっていう。

だからこそ、災害現場で患者助けるだとか重病患者とその家族の心情みたいな派手でわかりやすいシーンだけじゃなく、5人の何気ないやりとりから伝わるシリーズ10年をリアルタイムで見てきたファンだからこそ伝わる『空気感』、昼メシのシーンでのそれぞれの座る位置とか、藍沢と藤川、緋山と白石の関係性、冴島のオンとオフの言葉遣い、そういう細かい部分を楽しめる人にこそ今回の映画を観てほしいし、それがわかる人たちはマジで目線が『親』、気分は「息子と娘の卒業式」なので、成長した5人のやりとりを見るだけで「立派になったなぁ……」って涙が蛇口ひねったかの如くジョボジョボ流れますし、5人を育んでくれた人に、街に、太陽に、花に、山に、海に、すべてに感謝したくなります。だから映画っていうか「死ぬほど金かかってるホームビデオ」なんですこれ。

 

でも逆に言えば、5人になんの思い入れもない、関係性も大して知らない、ドラマ未視聴でそれこそ本格的な医療モノをコード・ブルーに望んでる人にはもう「なんで観ようと思った」「なにも知らずに観たお前が悪い」としか言いようがなくて、それって大学生が集まるフットサル場にサッカー経験者のオッサンがイキって来ちゃったみたいなもんで、そりゃ楽しめるわけない。さっきも書いたようにサードシーズンの時点でドラマの舵取りは青春モノ、人間ドラマに大きく傾いてるし、作る側も「ドラマの延長線上」「お涙頂戴」って言われることに対してはたぶん最初っから腹くくってますから「勝手に期待して顔面コードブルーになってるお前の気持ちなんか知らねぇよ」「ここのシーンで泣けないとか人としてどうなの」ってふるいにかけてきますし、そもそもそういう客はお呼びじゃない。だから監督は違うんですけど、内輪でウケてなんぼの福田雄一とか三谷幸喜の作品にちょっと似てる。

そして『宗教法人ミスチル之光 HANABI支部』の方々は映画を観に行かないでください。絶対に、観に行かないでください。これフリじゃねぇからな。俺は忠告したぞ、絶対に観るな。