Photo by Gettyimages

人工知能を制作してわかった「人間の条件」

「哲学2.0」の時代
「人工知能は、いつ主観的世界を持ち始めるのか?」――ゲームAIの制作を通じて人工知能を成り立たせるための条件を哲学的に考察し、『人工知能のための哲学塾』『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』などの著作で注目を集める三宅陽一郎氏が、「人間の条件」をめぐる新たな哲学の可能性を探る。

人工知能に必要な哲学

僕はもう17年ほど人工知能を作っています。私の作っている人工知能は、おそらく皆さんが一度は遊んだことのあるデジタルゲーム(TVゲーム)の人工知能です。敵キャラクターやゲーム全体を進行するシステムの中に組み込まれています。

人工知能について話すのですから、まず人工知能について定義をしないといけないわけですが、驚くべきことに人工知能について決まった定義はないのです。つまるところ「知能とは何か?」という問いに答えられる人はいないのですから、人工知能の定義は研究者や開発者それぞれにあって、かつ、それらを統一しようという動きもありません。

「知能とは何か?」という哲学的な問いと向き合うには、人工知能を作りながら、一歩一歩思考を進めていくしかないのです。そして、そうした「人工知能から始める哲学」から、これまでの哲学では捉えられなかった「人間の条件」が見えてくると僕は考えています。

 

自己保持と自己投与

人間には、自分の存在に関わる二つの欲求があります。人間という存在をこの世界の中心に位置づけたいという欲求と、逆に人間という存在を絶対的な存在から相対的な存在にしたいという欲求です。

とても大雑把な議論をすると、前者は西洋的な「世界と対峙する自律した自己の実現」、後者は東洋的な「世界という混沌の中に内包される自己の成立」と言えるかもしれません。とにかく、この二つの欲求を前提に人工知能の話をして行きたいと思います。

まず人工知能を作っていると、知能は環境に対して相対的に形成されるものということを痛感します。というのも、知能は環境から感覚を通じて情報を吸い上げるからです。頭脳だけでなく身体で引き受けることもありますし、ものを食べる、水を飲む、というのも、世界とのゆっくりとした相互作用の一つです。

とにかく、知能は頭脳と身体で世界を知るのです。ゲームキャラクターも同様です。センサーと身体でゲームの内側の世界を認識します。