ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

就職氷河期世代どうしを分かつ自己責任論|7月31日ラジオに出ます

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TOKYO FMのラジオ番組「Time Line」(月〜木19:00〜19:52)の、今週のSP企画「”おっさん”の居場所について考える」、

何かと良くない話題の中心になることが多い「おっさん」というワード。

「キモくて金のないおっさん」論争に始まり、浮き彫りになりつつある「団塊ジュニア」「ロスジェネ」の苦悩、キャンペーン広告「さよなら、おっさん。」への批判など、「おっさん」に付随する言葉は得てしてネガティブなものが多いのですが・・・
若者でもない、ジジイでもない、微妙な年代の「居場所をなくし社会から取り残されたおっさん」という巨大なマイノリティ。
なぜ今「おっさん」だけに、現代の社会問題が理不尽に押し付けられるのか?
新たな被差別階級としての「おっさん」を通して、今の日本の問題を探っていきます。

【今週のタイムラインは“おっさん”の居場所について考えるSP企画】

このSP企画内の7月31日(火)分に、電話出演します。

7月31日(火)速水健朗●就職氷河期世代同士を分かつ自己責任論と価値観

衝撃を走らせた人気ブロガー、hagex氏の刺殺事件。犯人の無職男性は、はてなブログ上で「低能先生」と呼ばれていました。
奇しくも対照的なロスジェネ≒就職氷河期世代だった二人。
就職氷河期世代の断絶はどこから来るのか?

「自己責任論」についてきちんとした記事をUPしたかったのですが、割と直前に決まったのと体調がよろしくないのとで、明日話すための自分用メモだけ上げておきます。

(私のような「負け組」にメディアでの発言を与えられる機会などもう無いと思うので、「あえて」過激にいきます)

「自己責任」は呪い

就職氷河期のため、非正規雇用にしか就けなかった人に対して、「100%自己責任」というのは正しくない

「自己責任」という言葉は、「個人の責任」と「社会の責任」を混同させ、「個人の責任」だけを無限にする、呪いの言葉だ

「個人の責任」だけをクローズアップすることで、就職氷河期と非正規雇用を生んだ「社会の責任」をも個人に押しつけた

「社会の責任」の追求を、「文句を言う暇があるなら努力しろ」と封殺した

その結果、氷河期世代はだまり続けることしかできなかった

就職氷河期世代における「勝ち組」は、「負け組」をどう見ているか

(このブログでは「勝ち組」「負け組」という言葉をできるだけ使わないようにしておりますが、今回はあえて)

はてなブックマークというSNSで、「世の中に怒っている暇があるなら、まずそこにある競争に勝ち抜け」というコメントが人気を博した

まさに氷河期世代だけど、世の中に怒ってる暇あったらまずそこにある競争に勝ち抜けと思うけどなぁ。もう40代だから少し遅いけど諦めて厭世してても一文にもならん

http://b.hatena.ne.jp/entry/366437420/comment/i196

勝ち組は負け組に対して、「嘆く暇があったら努力をしろ」、つまり「努力不足だ」「文句を言うな」(社会への問題提起の封殺)と思っていることが多い

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負け組を「努力不足」と思わないと、自分の努力が否定されるように感じる

氷河期世代は人口が多いため、生まれた時から競争が激しかった
そのため、「努力は絶対」と教え込まれていることが多い

実際は、裕福な家庭と、貧困家庭に生まれた者とでは、同じ努力をしても同じだけ報われるとは言えない
社会的地位は、努力よりも持って生まれた環境や運に左右されることが統計からも分かっている

だが、氷河期世代の勝ち組は、負け組を「努力不足」と思わないと、自分のこれまでの努力が否定されるように感じるようだ

つまり、負け組と呼ばれる人たちも努力をしていた、という観点が抜けている

人気ブロガーhagex氏刺殺事件の松本容疑者は、九州大学文学部卒だった

彼は「負け組」と呼ばれる立場なのだろうが、18歳時点で彼を「努力不足」だったと批判できる人はどれだけいるのだろうか?

本当の勝ち組は、負け組の存在を認識していない

さらに言えば、本当の勝ち組は、負け組の存在を認識していないのではないか

私の大学の知り合いには、官僚やマスコミ関係者、大企業の役職者や弁護士などが多いが、勝ち組の日常生活には勝ち組しか存在しない

氷河期世代には既に分断が起こっていて、勝ち組は勝ち組、負け組は負け組で分断されている

勝ち組は、負け組の存在を認識せず、何を考えているかなど興味がないのでは

そのため、「勝ち組」である政治家や官僚が、「負け組」を救済できるポジションについても仕組みは作られないのではないか

なぜなら、存在を認識していないということは、「負け組」が発生せざるを得なかった社会に対する問題意識もないと思われるので

「負け組」は、「勝ち組」をどう見ているか

私自身が氷河期世代で、就職はしたものの過労で精神疾患になって退職し、以降ずっと非正規雇用で働いてきた「負け組」である

私自身のことを言えば、「勝ち組」という誰かのことを気にするよりも、「自己責任」という言葉に悩むことの方が多い

「自己責任」は、他人だけではなく、自分にも向けられる、そしてそれが最も痛い、呪いの言葉だ

「負け組」は、わざわざ指摘されずとも、自らを「自己責任」という言葉で日々傷つけ続けている

「負け組」は既に階層化している

氷河期世代は、30代後半〜40代前半くらいである

現在、新卒採用がバブル並みでも、日本の年齢差別のために、その恩恵が氷河期世代にくることはほぼ無い

つまり、就職氷河期の失敗を取り戻すことが難しく、「非正規雇用層」として既に「階層化」してしまっている

「負け組」はこれからどう生きていけばよいのか

私自身がそうだが、自分が幸せかどうか、自分で勝手に決めつけてしまっていることが多い

仮に、「負け組」が階層化していて抜け出すことが困難なら、「稼げるかどうか」を自己評価とする価値観を脱し、稼げなくとも自分なりの評価基準と幸せを追求していくしかない

例えば、日本一有名なニートであるphaさんは、いわゆる「勝ち組」と年収を比較して卑下することなど決してないだろう

自分が何を最優先するか(それは金銭ではない)、自分が何を幸せと思うかが確立されているから

また私は、今後はAIなどによる産業革命的な激震が来ると思っている

その時に生まれるビジネスチャンスに、いかに柔軟な価値観でついていけるかが、いわゆる氷河期世代の「負け組」が幸せになれるチャンスなのでは

(自分用メモなので、たぶんこの後、追加したり修正します)