ゴリラズの『The Now Now』は、プログラムされた楽しさに満ちている:Pitchforkレヴュー

アニメキャラによるヴァーチャルバンドとして人気のGorillaz(ゴリラズ)が、アルバム『The Now Now』を世界同時発売した。ブラーのフロントマンを務めるデーモン・アルバーンは、プレイフルなサイケ・ポップの下に独自の問題意識や憂鬱さが隠れた世界を、いかにつくり上げたのか。米国の音楽メディア「Pitchfork」によるレヴュー。

TEXT BY JAZZ MONROE
TRANSLATION BY GALILEO

Pitchfork(US)

Gorillaz

2018年6月15日、「Sonar Festival」に出演したゴリラズ。PHOTO: XAVI TORRENT/WIREIMAGE/GETTY IMAGES

英国を代表するロックバンド、ブラーのフロントマンを務めるデーモン・アルバーンは、50歳になったいまでも「Gorillaz(ゴリラズ)」のために曲を書いている。

ゴリラズは、世界で最も人気のあるカートゥーンバンド、つまりアニメキャラによるヴァーチャルバンドだ。1998年に結成されたこのバンドのためにアルバーンがいまでも曲を書くのは、彼が世界的なチャートに載るグループは世界を変えることができるというロマンティックな発想を信じているからだ。

アニメやマンガは、若者たちにアピールする。共同でゴリラズを立ち上げたコミックアーティストのジェイミー・ヒューレットとともにつくり出した多文化アヴァターたち(2-D、ラッセル・ホブス、ヌードル、“刑務所入り”したマードック・ニカルス、助っ人ベーシストのエース)は、若者たちに向けたトロイの木馬のようなものだ。

アルバーンはそうしたアニメキャラのなかに、政治的な思想を潜り込ませている。人々が大金持ちのミュージシャンからは聞きたくない、と思うかもしれない思想だ。

アルバムの中身は、環境保護を求めるプロテストソングから、ディストピア的なパーティー用のプレイリストまでと幅広い。アルバーンが監督した魅力に溢れ、かすかな計算の臭いもある。まるで、自由奔放でポップカルチャー的なシンクタンクによって製作総指揮されたかのような作品だ。

壮大なコンセプトからは離れたアルバム

アルバーンのような旋律の達人、そして自身の作品に深い愛情を注いでいる人間を嫌うことは難しい。ゴリラズにとっては2017年の『Humanz』に続くこのアルバム『The Now Now』(6月29日世界同時発売)で、アルバーンは徹底的に検討した言葉で、シンプルかつアップビートな曲を書いている。

このアルバムは、バンドのこれまでの壮大なコンセプトからは離れている。ここ数年に出した作品のなかでは、最も野心に乏しく、シンプルに楽しい音楽になっている。ツアー中に書かれ、アルバーンとヒューレットが自身のスタジオで吟味を重ね、録音期間1カ月で制作された。

バンドが語るところによると、これはアルバーンがモデルとなったキャラクター「2-D」のソロアルバムだという。想像力があまり豊かではない人にとっては、ファンクな白昼夢のはけ口、プレイフルなサイケ・ポップのように聞こえる音楽である。滅多にない休日にアルバーンが行く、豪華なディスコの音楽のような感じだ。

ゴリラズのアルバムがいらだたしく聞こえるときがあるとすれば、それは恐らく一種の嫌味が感じられる豪華な雰囲気のせいだろう。まるで彼らは、プールサイドのリクライニングチェアに座って、iPadから目を離そうとしない男性に支配されているかのような感じがある。調子がよいときでさえ、彼ら独特の「ポップ」には、何か奇妙なところがある。

アルバムの1曲目「Humility(謙虚さ)」は、人工知能(AI)が生成したサマーバップのようだ。ベースラインは弾み、シンセサイザーの音がほとばしり、ジョージ・ベンソンのリフがトンボのように浮かれ騒ぐ。

すべてが正しい位置に配置されているが、ほかの多くの曲と同様に、この曲は退屈な気だるい感じも呼び起こす。ようやくビーチに着いたのに、「これだけなの?」と思うような感じだ。そう、これだけなのだ。

破壊された関係というサブプロット

『The Now Now』が見せるのは、プログラムされた楽しさだ。思わず身を引きたくなるような威圧感は一切なく、気さくな感じがする。だがそこに感じる違和感には抗いがたく、ゴリラズが器用に築き上げた世界の一部になっている。

『The Now Now』がうまくいっている点のひとつとして、17年にリリースした詰め込み過ぎの『Humanz』に比べてゲストが少なかったことが挙げられる(「Hollywood」で、スヌープ・ドッグとジェイミー・プリンシプルがヴォーカルとして参加しているだけだ)。このアルバムを定義づけているのは、“孤独への誘惑”だ(アルバーンはホテルのペントハウスで曲を書き上げたという)。そうしたモチーフは、現代政治やテクノロジーといったアルバーンのテーマとも一致する。

アルバムは、「ひとりきりの場所から世界に呼びかけてる(Calling the world from isolation)」というフレーズから始まる。このマントラは次第にかたちを変え、ブレグジット(英国のEU離脱)や銃規制法、その他の政治不安をほのめかしていく。

アルバーンの軽いタッチのもと、こうしたテーマはほとんどすべてが互いに入れ替え可能だ。これらはのちに、「破壊された関係」というサブプロットと絡み合っていく。

「Fire Flies」で、アルバーンはこう嘆き悲しむ。「ベイビー、俺は生き延びて、酔っ払って、悲しい。俺はきみを失おうとしているのか?」。これは、恋人とよりを戻そうと懇願する歌のようでもあり、深夜にEUに宛てて後悔のメールを送信する英国人の姿を歌ったようにも聞こえる。

自らを観察するような悲嘆を際限なく繰り返したあとで、この曲は少しだけ明るさの感じられる盛り上がりを見せる。ただしそうした盛り上がりも、遅々として進まないスペースファンクなリズムによって弱められている。後悔した語り手と比べると、こうしたリズムのほうが勝っているのだ。

アルバーンのソロ以上のソロ作品

アルバーンは、マリやコンゴ民主共和国の音楽に傾倒している。そこから考えると、彼がどこにでもありそうなポップ・ハウスやブーム・バップのビートを多用し続けていることは、とても興味深い。

ゴリラズは、プロデューサー兼ミュージシャンのディプロによって音楽がよりよくなりうる、世界唯一のバンドかもしれない。彼らのリズミカルな均質性は(アルバーンのすでに陰気なヴォーカルにかけられた宇宙ステーション風のフィルターと相まって)、それ以外は見事で甘美なポップ作品を、地に足の着いたものにし続けている。

それらは、アルバーンの14年のソロLP『Everyday Robots』へのフォローアップなのかもしれない。ただしこちらには、おとぎ話のきらめきのような感覚がある。つまり、すべてを一瞬で、素晴らしく魔法に満ちたものに変える感覚。ゴリラズによる最も終末論的な作品であっても、それらすべてに生気を与えるような質感だ。

アルバーンは、彼にとってはキャリア後半に初めて出すことになったソロアルバム『Everyday Robots』で、気だるいバラードの復権に挑戦していた。『Everyday Robots』は、アルバーンの憂鬱をストレートに表現した作品だった。

ゴリラズのこのアルバムは、夏のポップ音楽のプレイリスト、あるいはアーバン・アウトフィッターズの店内で聴く者の不意を突き、心をとらえることができる。奇妙なやり方ではあるが、そのことがこのプロジェクトをアルバーン自身のきちんとしたソロ作品よりも、アルバーンにとってよりふさわしいソロ作品にしている。

アルバーンはいま、独自の路線を進んでいる。ディレッタント(好事家)でも博識家でもない路線だ。誰とも比べられない存在として、ばかげたことにも少年のような目を向け、ほとんどすべてのことに関心をもち続けている。

一見、チープに見えるかもしれない。だが『The Now Now』は、リアルな魅力をもっていることが感じられる、レアな商業的プロダクトなのだ。

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