社会は逸脱者を必要とする(25) まとめ② 〈矯正すべき人物〉/優生学
最後の考察に入ろう。2つのことを考えてみたい。
まず、本書はミシェル・フーコー(1925~1984)が1975年の講義で発した〈矯正すべき人物〉という問題提起を考察の出発点に据えている。フーコーの問題提起の内容を明らかにした上で、現時点で筆者が考えていることを述べる。
次に、連載の中で優生学にたびたび言及してきたが、優生学とは何であり、現在の支援科学とどのような関係を取り結んでいるのかを考察する。
連載全体の内容については必要に応じて「社会は逸脱者を必要とする(24)」をご確認いただきたい。
(1)〈矯正すべき人物〉の後裔たち
19世紀の異常者は、通俗化され色褪せた怪物であると同時に、近代的「訓育」技術の余白に現れた矯正不可能な者たちの後裔でもあるのだ。(フーコー)
フーコーは1975年1月から3月にかけてコレージュ・ド・フランスにおいて「異常者たち」と題する集中講義を行った。集中講義は予定通りに進まなかったのだが、事前にコレージュ・ド・フランスに提出した講義要旨、3回目の講義(1月22日)で講義の予定を聴講者に語っているので、講義全体でフーコーが何を語ろうとしていたのかは把握できる。
講義要旨によれば、ヨーロッパでは19世紀末に人々を不安に陥れることになる〈異常者たち〉の一族が、〈変質〉というカテゴリーにまとめられたとされる。
フーコーは〈異常者たち〉の一族は同時に構成された訳ではない3つの形象から成っているとする。〈怪物的人間〉、〈矯正すべき人物〉、〈自慰する者〉である。このうち、〈自慰する者〉は、本書の考察からは外れるので割愛する。重要なのは、〈怪物的人間〉と〈矯正すべき人物〉である。
まず、〈怪物的人間〉とは現在で言えば精神鑑定の対象になるような〈異常犯罪者〉(例えば、食人鬼、死体愛好者、嗜虐犯罪者など)のことである。フーコーによれば〈怪物的人間〉は自然の法にも社会の法にも反した存在であり、古い時代には半人半獣、両性具有といった特異な身体的特徴で示されることもあった。19世紀後半にモレルらによって〈変質〉論が提唱されると、身体的特徴はそれほど大げさには語られなくなった。モレルは「病理は眼に見えない内部に潜む」と主張したし、ロンブローゾが提唱した〈生得的犯罪者〉の〈変質兆候〉に注目したが、それほど明確な特徴は示されなかった。現在でも理解不能な〈異常犯罪〉が発生すると、人々の脳裡には〈怪物的人間〉のイメージが蘇ってくる。しかし〈異常犯罪者〉が日常的に見かける存在ではないように、〈怪物的人間〉の出現頻度は低い。〈怪物的人間〉は観念上の存在であり、人々にとって日常性を持つ存在ではなかった。
それに対して、〈矯正すべき人物〉は、フーコーによれば軍隊、学校、仕事場、家庭において訓育、あるいは規律の技術が確立した17~18世紀にかけて出現したとされる。出現する空間領域は家庭、学校、職場、街路、街区、小教区、教会、警察などに限られるが、出現頻度は日常的かつ規則的であった。
では、〈矯正すべき人物〉が17~18世紀に出現したにも関わらず、人々に強く認識されるようになったのが19世紀だったのはなぜだろうか。集団訓育の技術は確かに17~18世紀に具現化されていたが、近代軍隊、学校義務教育、工場労働の確立は19世紀に下る。17~18世紀の段階では、訓育の空間は人々にとって日常性を持たなかったのである。そして、学校、軍隊、工場における訓育が日常性を獲得した時にはじめて、〈矯正すべき人物〉の後裔たちは人々にとって日常的で身近な存在となった。その反面、日常性を獲得したがために、後裔たちは〈色褪せた怪物〉になってしまったとも言える。
19世紀の軍隊、学校、工場に共通するのは、画一化された集団訓育技術である。訓育の対象となる人々は決められた時間に通学、あるいは出勤し、少数のスタッフから細かく区切られた時間と空間の中で集団訓育を受けることになる。そして、訓育される者の理解力、学習到達度、本人に合った学習方法などは度外視して集団訓育は実施されるため、ある一定の割合で集団訓育に馴染めず、通常の訓育からこぼれ落ちる者を生み出すことは避けられない。
フーコーは通常の集団訓育が失敗に終わり、こぼれ落ちた者を〈矯正不可能な人物〉と表現した。しかし、〈矯正不可能な者〉は、矯正不可能であるために、逆説的に再度の訓育、矯正のための新たなテクノロジーが集められ特殊な介入を招くことになる。本書で扱った範囲では治療教育、特殊教育、薬物治療、心理検査、心理療法なども特殊な介入の例である。時代背景を無視してフーコーの議論を読んでいると、著者が連載の中で扱った〈発達障害者〉を含めた〈生物的逸脱者〉のことを論じているのではないかという錯覚に囚われてしまう。
フーコー自身が〈矯正すべき人物〉の後裔として想定していたのは、具体的には〈盲目〉、〈聾唖〉、〈痴愚〉、〈知恵遅れ〉、〈神経質〉、〈精神異常〉であった。じっさい19世紀の段階では〈盲目〉、〈聾唖〉が何の配慮もないまま普通学級に放置されているケースもあったので、両者が含まれているのは不思議ではない。しかし、20世紀初頭になると就学時健診、兵役検査、職場健診などが発達し、視覚検査、聴覚検査による〈盲目〉、〈聾唖〉の特定はそれほど難しくなくなった。時代が下るにつれて〈矯正不可能な人物〉は〈われわれ〉と外見が変わらない者たちに絞り込まれていくことになる。
その後も学校、職場に出現する〈矯正すべき人物〉は、その時代に使用された医学、心理検査によって発見され、流行した診断カテゴリーに編成され、解釈され、治療、教育、矯正される対象として位置づけられてきた。発見の技術も解釈も19世紀末とは比べものにはならないほど、進歩しているだろう。しかし、技術的な進歩を取り除いてしまえば、現代人は今なお19世紀末の〈異常者たち〉のカテゴリーに囚われていると言える。一般に言われるように〈矯正すべき人物〉の後裔たちがいるから訓育に新しいテクノロジーが必要なのだろうか。それとも、通常の集団訓育の設計そのものが間違っているから後裔たちが生み出されるのだろうか。逆に通常の集団訓育がうまく機能した結果として、後裔たちが生み出されるのだろうか。
今後もその時代にふさわしい〈矯正すべき人物〉の後裔たちが絶えず生産されていくだろう。支援のための知識や技術が更新されても、議論の枠組み自体は大きく変わらない可能性はある。議論の枠組み自体を変えてしまうような考察が必要なのである。フーコーは〈矯正すべき人物〉という形象を問題提起しながら、考察を中断してしまった。この問題はもうしばらく筆者なりのやり方で考察を続けてみようと思う。
(2)優生学との関係
優生学は19世紀後半の段階では、生殖管理により〈才能〉の高い人間が生まれる確率を高めることを構想しており、〈障害者〉には無関心であった。優生学の知識や技術を支援科学に応用しようとする動きは20世紀初頭のアメリカで見られ、知能検査の実用化がいち早く実現したが、知能検査の開発者たちがみな人種改良学(アメリカ優生学)の担い手であったため、知能検査は断種手術を実施する対象者の特定、移民の入国制限も利用された。優生学は次第に社会防衛のための学問という側面を強めていった。
第一次世界大戦後、アメリカの国際的影響力が増大したため、優生学はヨーロッパの先進国にも波及した。優生学が扱う版図も福祉、医療、保健衛生、司法に拡大した。そして、ナチス・ドイツ政権下では、断種手術が他国とは比べものにならないほどの規模で実施された。なお、ナチス・ドイツ政権末期には安楽死が盛んに行われたが、これは戦局の悪化に伴う口減らしという側面が強く、優生学とは直接関係はない。現に生きている心身に遺伝的疾患を持つとされる者に対しては、子孫を残せない身体にした上で、〈よりよく生かす〉というのが、20世紀以降の優生学の主流的な考え方であった。現在の支援科学との違いは、社会の発展が目的にはならなくなったことと、遺伝的疾患者の生殖の管理が原則的には解除されたことである。
ナチス政権崩壊後、優生学の評価は地に堕ちたが、少なくとも1970年代まで多くの国で断種手術は続けられた。アメリカの自閉症支援においても、筆者が確認する限り、少なくとも1980年代初頭までは、家族の意向に基づき断種手術は少数だが実施されていたことが確認された。
現在でも時折、挑発的に優生学的主張を展開する人物はいるが、それほど気を揉む必要はないと思う。今さら露骨に表明された優生学的主張に積極的に賛成する人がそれほど多いとも思えないからだ。遺伝子診断、安楽死などの議論は可視化されているので、議論の内容に応じて主張すべきことを主張していけばよい。
〈神経発達障害〉支援の分野で筆者が危惧しているのはむしろ、20世紀初頭以降、優生学によって発展させられた知識や技術が支援科学に溶け込み、目に見えない形で作動してしまうことがあることだ。筆者が知る限り、支援科学で利用される知識と技術のうち、以下に挙げるものは支援科学が優生学から継承した遺産である。
遺伝…家系調査、遺伝的疾患の予防に関する研究、双生児研究
脳…〈天才〉、〈犯罪者〉、外見からは判断しにくい〈障害者〉の脳の解明
出産…遺伝子診断、遺伝子相談、母体保護、性教育
教育…教育アセスメント、〈障害児〉教育、〈ギフテッド〉教育、矯正教育
保健衛生…公衆衛生、精神衛生
現在の〈神経的発達障害〉支援でもおなじみの知識と技術が多く含まれていることは一目瞭然である。20世紀初頭の〈精神薄弱児〉教育を源流とする〈神経的発達障害〉支援の分野では優生学の価値観自体は廃棄されても、優生学が遺した知識と技術は支援科学に溶け込み、〈有効〉に活用され続けた。
もちろん、現在支援科学に従事している人々が優生学者だと言っている訳ではない。関係者の多くは当事者全員に対して断種手術を実施せよという意見に対しては反対するだろう。逆に自らが関わっていた当事者が結婚した、子どもを産んだという話を聞けば心から祝福するだろう。
技術は価値中立的だという説明は一面では真実である。しかし、価値中立であるがために、支援のためにも優生政策のためにも利用できてしまうということを忘れてはならない。
例をいくつか挙げておこう。ナチス政権が優生政策を大規模に実施することができたのは、医療、教育、福祉などの支援体制が整備されていなかったからではない。他の先進国に比べても支援体制が整備されていた帰結として優生政策は実施できたのだ。医療機関、補助学級、福祉施設を通じて、断種手術の対象者を容易に特定することができたからこそ、大規模な優生政策は実現可能になったのである。優生政策とは分けて考える必要があるが、安楽死作戦についても同様のことが言える。
あるいは、優生学の遺産を多く継承したアメリカの特殊教育学において、〈学習障害〉概念の提唱者カークは人種改良学(アメリカ優生学)と民族衛生学(ドイツ優生学)について、その知能観も含めて明確に反対していた。しかし、カークは同時に優生学の遺産である〈測定に基づく教育〉の利用には積極的であり、優生学運動の担い手となった心理学者たちの開発した検査(例えば知能検査)を利用することには抵抗は示さなかった。また、優生学者ターマンが情熱を注いだ優秀児教育に対して高い関心を示していたことも確認できる。特殊教育の担い手の価値観が変化しても、支援科学に溶け込んだ優生学の遺産は着実に生き残り続けている。
そして、1970年代の〈自閉症〉の専門家たちは、それ以前の専門家よりもはるかに家族との連携を重視し、家族に寄り添っていたと言える。しかし、〈自閉症者〉が子どもを産むことに家族が不安を示した場合、遺伝相談を実施し、場合によっては断種手術を実施することを辞さなかった。支援科学に溶け込んだ優生学は家族の不安につけ込み、作動してしまうことがある。
支援科学の中に溶け込んだ優生学の知識と技術がどのように作動するか分からないまま、〈神経的発達障害〉支援は日夜繰り広げられている。支援科学にすがるのではなく、冷静に見つめる姿勢が求められる。
もちろん、このような考え方については「優生学をそれほど特別な価値観だと思わない方がいい。子どもが健康に生まれてほしい、心身に損傷、機能不全を抱えた子どもが生まれるのは辛いという家族の自然な感情まで断罪してはならない。教育者や医療者が子どもの健やかな成長を願うのも当然のことだ」という異論が出されるかもしれない。
決して断罪などするつもりはないのだが、筆者はこれらを素朴な感情とは見なしていない。良心の呵責、恥という感情が何らかの道徳的価値の前提なしには発生しないように、子どもの健康を願う感情、心身の損傷、機能不全を嘆く感情というのも何らかの価値の前提抜きには発生しない。「心身に損傷、機能不全を抱えた子どもが生まれるのは辛い」「子どもが健やかに育ってほしい」という感情の前提には、その感情を抱いた人の〈障害〉観が抜きがたく存在している。その前提となる〈障害〉観を可視化して考察していくことにはそれなりの意義があるだろう。
では、優生学が断種を主張しなければ、筆者は優生学を問題にしなかったのだろうか。いや、仮に優生学が優秀な子孫を残す確率を高めることだけを主張していたとしても、筆者は優生学に反対していただろう。人間が優秀でなければ、あるいは健康でなければ生きていけず成り立たない社会などこの世界に必要はない。優秀でなくても、健康でなくても誰もが持続的な生を実現できる社会こそが、筆者の希望である。素晴らしい優生社会が実現しようと、筆者はそれを謳歌することはないだろう。
長くなったが、以上で考察を終えることにしたい。
【参考文献】
Foucault,Michel,1999,,Les Anormaux:Cours au Collège de France, 1974-1975,Paris,Seuil(=2003,慎改 康之訳,『異常者たち コレージュ・ド・フランス講義 1974-1975年度』,筑摩書房)
まず、本書はミシェル・フーコー(1925~1984)が1975年の講義で発した〈矯正すべき人物〉という問題提起を考察の出発点に据えている。フーコーの問題提起の内容を明らかにした上で、現時点で筆者が考えていることを述べる。
次に、連載の中で優生学にたびたび言及してきたが、優生学とは何であり、現在の支援科学とどのような関係を取り結んでいるのかを考察する。
連載全体の内容については必要に応じて「社会は逸脱者を必要とする(24)」をご確認いただきたい。
(1)〈矯正すべき人物〉の後裔たち
19世紀の異常者は、通俗化され色褪せた怪物であると同時に、近代的「訓育」技術の余白に現れた矯正不可能な者たちの後裔でもあるのだ。(フーコー)
フーコーは1975年1月から3月にかけてコレージュ・ド・フランスにおいて「異常者たち」と題する集中講義を行った。集中講義は予定通りに進まなかったのだが、事前にコレージュ・ド・フランスに提出した講義要旨、3回目の講義(1月22日)で講義の予定を聴講者に語っているので、講義全体でフーコーが何を語ろうとしていたのかは把握できる。
講義要旨によれば、ヨーロッパでは19世紀末に人々を不安に陥れることになる〈異常者たち〉の一族が、〈変質〉というカテゴリーにまとめられたとされる。
フーコーは〈異常者たち〉の一族は同時に構成された訳ではない3つの形象から成っているとする。〈怪物的人間〉、〈矯正すべき人物〉、〈自慰する者〉である。このうち、〈自慰する者〉は、本書の考察からは外れるので割愛する。重要なのは、〈怪物的人間〉と〈矯正すべき人物〉である。
まず、〈怪物的人間〉とは現在で言えば精神鑑定の対象になるような〈異常犯罪者〉(例えば、食人鬼、死体愛好者、嗜虐犯罪者など)のことである。フーコーによれば〈怪物的人間〉は自然の法にも社会の法にも反した存在であり、古い時代には半人半獣、両性具有といった特異な身体的特徴で示されることもあった。19世紀後半にモレルらによって〈変質〉論が提唱されると、身体的特徴はそれほど大げさには語られなくなった。モレルは「病理は眼に見えない内部に潜む」と主張したし、ロンブローゾが提唱した〈生得的犯罪者〉の〈変質兆候〉に注目したが、それほど明確な特徴は示されなかった。現在でも理解不能な〈異常犯罪〉が発生すると、人々の脳裡には〈怪物的人間〉のイメージが蘇ってくる。しかし〈異常犯罪者〉が日常的に見かける存在ではないように、〈怪物的人間〉の出現頻度は低い。〈怪物的人間〉は観念上の存在であり、人々にとって日常性を持つ存在ではなかった。
それに対して、〈矯正すべき人物〉は、フーコーによれば軍隊、学校、仕事場、家庭において訓育、あるいは規律の技術が確立した17~18世紀にかけて出現したとされる。出現する空間領域は家庭、学校、職場、街路、街区、小教区、教会、警察などに限られるが、出現頻度は日常的かつ規則的であった。
では、〈矯正すべき人物〉が17~18世紀に出現したにも関わらず、人々に強く認識されるようになったのが19世紀だったのはなぜだろうか。集団訓育の技術は確かに17~18世紀に具現化されていたが、近代軍隊、学校義務教育、工場労働の確立は19世紀に下る。17~18世紀の段階では、訓育の空間は人々にとって日常性を持たなかったのである。そして、学校、軍隊、工場における訓育が日常性を獲得した時にはじめて、〈矯正すべき人物〉の後裔たちは人々にとって日常的で身近な存在となった。その反面、日常性を獲得したがために、後裔たちは〈色褪せた怪物〉になってしまったとも言える。
19世紀の軍隊、学校、工場に共通するのは、画一化された集団訓育技術である。訓育の対象となる人々は決められた時間に通学、あるいは出勤し、少数のスタッフから細かく区切られた時間と空間の中で集団訓育を受けることになる。そして、訓育される者の理解力、学習到達度、本人に合った学習方法などは度外視して集団訓育は実施されるため、ある一定の割合で集団訓育に馴染めず、通常の訓育からこぼれ落ちる者を生み出すことは避けられない。
フーコーは通常の集団訓育が失敗に終わり、こぼれ落ちた者を〈矯正不可能な人物〉と表現した。しかし、〈矯正不可能な者〉は、矯正不可能であるために、逆説的に再度の訓育、矯正のための新たなテクノロジーが集められ特殊な介入を招くことになる。本書で扱った範囲では治療教育、特殊教育、薬物治療、心理検査、心理療法なども特殊な介入の例である。時代背景を無視してフーコーの議論を読んでいると、著者が連載の中で扱った〈発達障害者〉を含めた〈生物的逸脱者〉のことを論じているのではないかという錯覚に囚われてしまう。
フーコー自身が〈矯正すべき人物〉の後裔として想定していたのは、具体的には〈盲目〉、〈聾唖〉、〈痴愚〉、〈知恵遅れ〉、〈神経質〉、〈精神異常〉であった。じっさい19世紀の段階では〈盲目〉、〈聾唖〉が何の配慮もないまま普通学級に放置されているケースもあったので、両者が含まれているのは不思議ではない。しかし、20世紀初頭になると就学時健診、兵役検査、職場健診などが発達し、視覚検査、聴覚検査による〈盲目〉、〈聾唖〉の特定はそれほど難しくなくなった。時代が下るにつれて〈矯正不可能な人物〉は〈われわれ〉と外見が変わらない者たちに絞り込まれていくことになる。
その後も学校、職場に出現する〈矯正すべき人物〉は、その時代に使用された医学、心理検査によって発見され、流行した診断カテゴリーに編成され、解釈され、治療、教育、矯正される対象として位置づけられてきた。発見の技術も解釈も19世紀末とは比べものにはならないほど、進歩しているだろう。しかし、技術的な進歩を取り除いてしまえば、現代人は今なお19世紀末の〈異常者たち〉のカテゴリーに囚われていると言える。一般に言われるように〈矯正すべき人物〉の後裔たちがいるから訓育に新しいテクノロジーが必要なのだろうか。それとも、通常の集団訓育の設計そのものが間違っているから後裔たちが生み出されるのだろうか。逆に通常の集団訓育がうまく機能した結果として、後裔たちが生み出されるのだろうか。
今後もその時代にふさわしい〈矯正すべき人物〉の後裔たちが絶えず生産されていくだろう。支援のための知識や技術が更新されても、議論の枠組み自体は大きく変わらない可能性はある。議論の枠組み自体を変えてしまうような考察が必要なのである。フーコーは〈矯正すべき人物〉という形象を問題提起しながら、考察を中断してしまった。この問題はもうしばらく筆者なりのやり方で考察を続けてみようと思う。
(2)優生学との関係
優生学は19世紀後半の段階では、生殖管理により〈才能〉の高い人間が生まれる確率を高めることを構想しており、〈障害者〉には無関心であった。優生学の知識や技術を支援科学に応用しようとする動きは20世紀初頭のアメリカで見られ、知能検査の実用化がいち早く実現したが、知能検査の開発者たちがみな人種改良学(アメリカ優生学)の担い手であったため、知能検査は断種手術を実施する対象者の特定、移民の入国制限も利用された。優生学は次第に社会防衛のための学問という側面を強めていった。
第一次世界大戦後、アメリカの国際的影響力が増大したため、優生学はヨーロッパの先進国にも波及した。優生学が扱う版図も福祉、医療、保健衛生、司法に拡大した。そして、ナチス・ドイツ政権下では、断種手術が他国とは比べものにならないほどの規模で実施された。なお、ナチス・ドイツ政権末期には安楽死が盛んに行われたが、これは戦局の悪化に伴う口減らしという側面が強く、優生学とは直接関係はない。現に生きている心身に遺伝的疾患を持つとされる者に対しては、子孫を残せない身体にした上で、〈よりよく生かす〉というのが、20世紀以降の優生学の主流的な考え方であった。現在の支援科学との違いは、社会の発展が目的にはならなくなったことと、遺伝的疾患者の生殖の管理が原則的には解除されたことである。
ナチス政権崩壊後、優生学の評価は地に堕ちたが、少なくとも1970年代まで多くの国で断種手術は続けられた。アメリカの自閉症支援においても、筆者が確認する限り、少なくとも1980年代初頭までは、家族の意向に基づき断種手術は少数だが実施されていたことが確認された。
現在でも時折、挑発的に優生学的主張を展開する人物はいるが、それほど気を揉む必要はないと思う。今さら露骨に表明された優生学的主張に積極的に賛成する人がそれほど多いとも思えないからだ。遺伝子診断、安楽死などの議論は可視化されているので、議論の内容に応じて主張すべきことを主張していけばよい。
〈神経発達障害〉支援の分野で筆者が危惧しているのはむしろ、20世紀初頭以降、優生学によって発展させられた知識や技術が支援科学に溶け込み、目に見えない形で作動してしまうことがあることだ。筆者が知る限り、支援科学で利用される知識と技術のうち、以下に挙げるものは支援科学が優生学から継承した遺産である。
遺伝…家系調査、遺伝的疾患の予防に関する研究、双生児研究
脳…〈天才〉、〈犯罪者〉、外見からは判断しにくい〈障害者〉の脳の解明
出産…遺伝子診断、遺伝子相談、母体保護、性教育
教育…教育アセスメント、〈障害児〉教育、〈ギフテッド〉教育、矯正教育
保健衛生…公衆衛生、精神衛生
現在の〈神経的発達障害〉支援でもおなじみの知識と技術が多く含まれていることは一目瞭然である。20世紀初頭の〈精神薄弱児〉教育を源流とする〈神経的発達障害〉支援の分野では優生学の価値観自体は廃棄されても、優生学が遺した知識と技術は支援科学に溶け込み、〈有効〉に活用され続けた。
もちろん、現在支援科学に従事している人々が優生学者だと言っている訳ではない。関係者の多くは当事者全員に対して断種手術を実施せよという意見に対しては反対するだろう。逆に自らが関わっていた当事者が結婚した、子どもを産んだという話を聞けば心から祝福するだろう。
技術は価値中立的だという説明は一面では真実である。しかし、価値中立であるがために、支援のためにも優生政策のためにも利用できてしまうということを忘れてはならない。
例をいくつか挙げておこう。ナチス政権が優生政策を大規模に実施することができたのは、医療、教育、福祉などの支援体制が整備されていなかったからではない。他の先進国に比べても支援体制が整備されていた帰結として優生政策は実施できたのだ。医療機関、補助学級、福祉施設を通じて、断種手術の対象者を容易に特定することができたからこそ、大規模な優生政策は実現可能になったのである。優生政策とは分けて考える必要があるが、安楽死作戦についても同様のことが言える。
あるいは、優生学の遺産を多く継承したアメリカの特殊教育学において、〈学習障害〉概念の提唱者カークは人種改良学(アメリカ優生学)と民族衛生学(ドイツ優生学)について、その知能観も含めて明確に反対していた。しかし、カークは同時に優生学の遺産である〈測定に基づく教育〉の利用には積極的であり、優生学運動の担い手となった心理学者たちの開発した検査(例えば知能検査)を利用することには抵抗は示さなかった。また、優生学者ターマンが情熱を注いだ優秀児教育に対して高い関心を示していたことも確認できる。特殊教育の担い手の価値観が変化しても、支援科学に溶け込んだ優生学の遺産は着実に生き残り続けている。
そして、1970年代の〈自閉症〉の専門家たちは、それ以前の専門家よりもはるかに家族との連携を重視し、家族に寄り添っていたと言える。しかし、〈自閉症者〉が子どもを産むことに家族が不安を示した場合、遺伝相談を実施し、場合によっては断種手術を実施することを辞さなかった。支援科学に溶け込んだ優生学は家族の不安につけ込み、作動してしまうことがある。
支援科学の中に溶け込んだ優生学の知識と技術がどのように作動するか分からないまま、〈神経的発達障害〉支援は日夜繰り広げられている。支援科学にすがるのではなく、冷静に見つめる姿勢が求められる。
もちろん、このような考え方については「優生学をそれほど特別な価値観だと思わない方がいい。子どもが健康に生まれてほしい、心身に損傷、機能不全を抱えた子どもが生まれるのは辛いという家族の自然な感情まで断罪してはならない。教育者や医療者が子どもの健やかな成長を願うのも当然のことだ」という異論が出されるかもしれない。
決して断罪などするつもりはないのだが、筆者はこれらを素朴な感情とは見なしていない。良心の呵責、恥という感情が何らかの道徳的価値の前提なしには発生しないように、子どもの健康を願う感情、心身の損傷、機能不全を嘆く感情というのも何らかの価値の前提抜きには発生しない。「心身に損傷、機能不全を抱えた子どもが生まれるのは辛い」「子どもが健やかに育ってほしい」という感情の前提には、その感情を抱いた人の〈障害〉観が抜きがたく存在している。その前提となる〈障害〉観を可視化して考察していくことにはそれなりの意義があるだろう。
では、優生学が断種を主張しなければ、筆者は優生学を問題にしなかったのだろうか。いや、仮に優生学が優秀な子孫を残す確率を高めることだけを主張していたとしても、筆者は優生学に反対していただろう。人間が優秀でなければ、あるいは健康でなければ生きていけず成り立たない社会などこの世界に必要はない。優秀でなくても、健康でなくても誰もが持続的な生を実現できる社会こそが、筆者の希望である。素晴らしい優生社会が実現しようと、筆者はそれを謳歌することはないだろう。
長くなったが、以上で考察を終えることにしたい。
【参考文献】
Foucault,Michel,1999,,Les Anormaux:Cours au Collège de France, 1974-1975,Paris,Seuil(=2003,慎改 康之訳,『異常者たち コレージュ・ド・フランス講義 1974-1975年度』,筑摩書房)