- 作者: ピーターコンラッド,ジョゼフ・W.シュナイダー,Peter Conrad,Joseph W. Schneider,進藤雄三,近藤正英,杉田聡
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2003/11
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
読書会での議論メモ。
現在のところ逸脱には2つのモデルが存在している。
現在,私達の社会に存在する逸脱行動に対して,唯一の「責任を問わない」モデルは医療モデルである。われわれは,最終的な個人の道徳的責任を想定することなく,かつ責任を免除された人達を「病気」とはみなさないという,新しい形の逸脱のモデルを作る必要がある。現在のととろ,犯罪一有責モデルにとって代わることのできる唯一のものは,医療−無責モデルである。われわれた病人役割に類似した社会的役割を作る必要がある。
- 犯罪……本人に責任有り
- 医療……本人に責任無し
コンラッド=シュナイダーは、「犯罪−有責モデル」「医療−無責モデル」に変わる新しいモデルの構築の必要性を説く。
たとえば「犠牲者役割」という概念によって,個人は生活環境の「犠牲者」とみなすことができる。このような生活環境はある種の逸脱行動を起こす可能性を増加させると同様に原因となることが知られている。しかし,その行動は環境によって「決定される」のではなく,そのような逸脱行動に対する責任はあくまでも個人にあるとする。換言すれば,環境を所与とした上で,個人は一定の状況において選択された行動戦略に対して説明責任を負うということである。
具体的な明確なモデルの提示はないが、一つの見通しとして「犠牲者モデル」が提示されている。
以下は「医療化」の良い点と悪い点。
逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。
- 逸脱をより人道主義的にとらえること
- 逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること
- 医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること
- 逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること
- 医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ
しかし,医療化には「暗い側面」もある。
- 個人の逸脱に対する責任を全く無視してしまうこと
- 医学が道徳的に中立的であると想定してしまうこと
- 専門家支配によって起こる様々な問題
- 社会統制のために使われる強力な医療技術
- 社会に存在する複雑な問題を個人化してしまうこと
- 逸脱行動を脱政治化させてしまうこと
- 悪を排除してしまうこと。
そして、「犯罪−有責モデル」「医療−無責モデル」のオルタナティブとして「犠牲者」モデルを上げる。
- 逸脱の医療化は,事実上の、社会政策として認識されるべきである。
- 逸脱の医療化の程度,ポリティクス,便益,費用などについての調査が,もっとなされなければならない。
- 医療による社会統制に対する一定の「対抗勢力」が創出されねばならない。
- 「犠牲者」モデルという形で,行為に対する責任ほ問うが,責めることは、しないという新しい逸脱モデルが必要である。犯罪か病気かという二分法モデルから脱却する必要がある。
本当ならば具体例が欲しいところだけども、それは後に残された研究課題ということなのだろう。ともあれ、個人的には非常に参考になる提言である。