「沖縄ヘイトデマ」についての一考察――「無知と差別」をどう乗り越えるか
2018/07/29
立教大学現代心理学部映像身体学科 香山リカ
Ⅰ.本論の背景、用語の定義、検討対象
近年、沖縄への差別意識に基づいた誹謗中傷やデマの拡散が、しばしばメディアで取り上げられるようになった。
たとえば、2017年12月13日、沖縄県宜野湾市で米軍普天間飛行場に隣接する市立普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリの窓が落下する事故が起きた。そのできごとは教員や保護者が児童の安全を懸念する声とともに報じられたが、直後から同校などに「学校を後から建てたくせに文句を言うな」といった抗議電話が続いた。それを受けて琉球新報は、沖縄国際大教授の佐藤学氏(政治学)の「基地集中を中国の脅威で正当化する誤った正義感がある。一度デマが広がると、事実を提示しても届かない」、ジャーナリストの安田浩一の「沖縄が悪質なデマ、『沖縄ヘイト』の標的になっている。それを日本社会全体の問題として議論すべきだ」というコメントともに検証記事[1]を掲載している。
本論では、最近のネットや保守系雑誌で目につく代表的な「沖縄ヘイト」を喚起する「デマ」を取り上げ、検証するとともにその背景を考えてみたい。取り上げる対象は、いずれも沖縄辺野古での米軍新基地建設、東村高江での米軍ヘリパッド新設に対する抗議活動について述べられたものである。
検証に入る前に、若干、用語の定義をしておきたい。
「沖縄ヘイト」の「ヘイト」とは、「沖縄に対するヘイトスピーチ」の略であり、本論での「ヘイトスピーチ」は、この問題のわが国における第一人者である弁護士の師岡康子が国際人権法などを参照にしてまとめた以下の定義に拠っている。
「人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現でだり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する『差別、敵意又は暴力の煽動』(自由権規約20条)『差別のあらゆる煽動』(人種差別撤廃条約4条本文)であり、表現による暴力、攻撃、迫害である。」[2]
ここで、「沖縄」は「マイノリティの集団」なのかという疑問の声も出るだろうが、それについては後ほど説明を加えたい。
さらに本論では、「沖縄ヘイト」を喚起する目的で発せられ拡散される「デマ」を、「沖縄ヘイトデマ」と呼ぶことにしたい。
この場合の「デマ」とは、心理学者G.W.オルポート らの定義による以下の条件を満たすものである。
1.話の内容が客観的事実(真実)であるかどうかの確認も検証も行われていない。
2.もっともらしさを感じる“パーソナル・コミュニケーション”を介して流布していく。
3.知っている人や権威者・有名人からその話を聞いたなどの理由から、大勢の人々に事実として信じられていく命題である。
さて、次に本論で検討の対象とする「沖縄ヘイトデマ」の典型的な事例をふたつ示したい。これらはいずれも週刊誌のコラム内の記述であるが、その後、ネットで広く拡散された。
①
マスコミ報道を見ていると、沖縄県民が熱心に反対活動をやっているように見えます。
しかし実際には県外からの活動家が大半を占めているといわれていますし、極左暴力集団が入り込んでいることも指摘されています。
②
今回テント村では北朝鮮との関係を匂わせるものを発見しました。それは韓国の朴槿恵前大統領打倒派が使っていたスローガンが書かれた座布団です。『下野しろ』と書かれています。なぜこんなものが沖縄の活動家のテントに…。
続くふたつの章では、上記の①、②それぞれがなぜ「沖縄ヘイトデマ」であるかを検証していくことにする。
Ⅱ.①「県外からの活動家が大半」はなぜ「沖縄ヘイトデマ」なのか
①についての検証は、内容に踏み込まずしても容易である。
「県外からの活動家が大半」というフレーズ中の「活動家」も「大半」もその根拠がまったく示されておらず、それだけでこれが信頼に値しないことは明らかだからだ。また続く文章の「極左暴力集団」が何を意味するか明らかにされていないが、これが「警察白書」にある定義「暴力革命による共産主義社会の実現を目指している」集団に属する人たちだとしても、それがどの程度の割合なのかは示されていない。
抗議活動には連日、多数の人間が参加しているのであるから、中には「県外からの参加者」「活動家」「極左暴力集団」もいたのかもしれない。しかし、それが何人で、全体の何割にあたるかはまったく示されないまま、それが「大半」とされているのである。
結論にあわせて意図的にサンプルを抽出してあたかも裏付けがあるように語る。これは、「確証バイアス」に基づく誤った一般化、つまりデマである。そして、その裏にあるのは「沖縄に基地を押しつけておきたい」という「沖縄ヘイト」の意識だ。ゆえに、①は「沖縄ヘイトデマ」と言えるのである。
検証じたいはこれで終了なのであるが、ここで実際には沖縄の人たちが米軍基地についてどう考えているか、いくつかのデータを紹介しておきたい。
次に示すのは、NHK放送文化研究所が発行している『放送研究と調査』に掲載された河野啓の「沖縄米軍基地をめぐる意識
沖縄と全国」[3]から転載するグラフである。元になったのは2017年に行われた全国調査の結果である(有効回答数2.517)。これを見ても辺野古基地建設反対は、決して一部の「県外からの活動家」の意思ではなく、沖縄県に限っては民意と呼んでさしつかえないことがわかる。
また2016年に実施され、27年に公表された沖縄県による第9回県民意識調査の結果(有効回答数1.394)[4]の結果を見ても、「米軍基地に関する行政への要望(選択肢から3つを選ぶ形式)」の回答の1位は「基地を返還させる(33.2%)」であり、以下、「日米地位協定を改定する」「米軍人等の犯罪や事故をなくすこと」「米軍機の騒音や住宅地上空の低空飛行訓練をなくすこと」と続き、米軍基地にかかわる実害や懸念が沖縄の人たちの日々の暮らしに大きな影を落としていることがうかがわれる。
このような資料は図書館などにわざわざ足を運ばなくても、インターネットでいくらでもアクセス可能である。それなのに、なぜ①のような「沖縄ヘイトデマ」を語ったり信じたりする人が後を絶たないのだろうか。
その理由のひとつは、「沖縄県外居住者の単なる無知」だろう。先に河野論文からの表を紹介した際、論者は、辺野古移設反対は「沖縄に限っては」民意である、という表現を用いた。同じグラフにある全国の結果では、辺野古建設反対は37%と賛成の47%を下回るからである。この県内と県外との意識の乖離こそが実は申告な問題であり、「沖縄差別」の原因なのであるが、それについては後ほど詳述することにしよう。
また、「無知」は「歴史についての無知」をも意味する。
沖縄基地反対運動には長い歴史がある。東アジア近代史の波平恒男は、「沖縄がつむぐ『非武の安全保障』思想」の中で琉球王国の時代にまでさかのぼり、沖縄人は一貫して「平和」と「自治」を希求してきたことを解き明かし、民法学の星野英一の論文を引用する形でこう言うのである。「沖縄では戦後この方、直接的にはこの地で生活する人々の『人間の安全保障』を求めて、非暴力の抵抗を特徴とした反基地運動が続けられてきた(星野2013)。」[5]
実は、上記で引用された星野の原著論文には「非暴力の抵抗」から一歩だけ踏み込んだことが書かれている。該当箇所を引用しよう。
「人間の安全保障と国家の安全保障が矛盾する場合に、『人間の安全保障』概念が『抵抗の理念』でありうるという大芝の主張に留意しておこう。
憲法記念日の沖縄タイムス社説にはこうある。『憲法という強力な後ろ盾をもたない住民は、人権を守り自治を実現するため、統治者に素手で立ち向かい、はね返され、転んでは起き上がって、コブシを振り上げ続けた。その繰り返しが沖縄の戦後史を形づくったといっていい。』(沖縄タイムス 2012年5月3日)」[6]
もちろん、ここで星野は暴力を肯定しようとしているのではないことは言うまでもない。ただ、強大な権力に「素手で立ち向か」うというスタイルの民衆の抵抗の場合、それはときとして穏やかな話し合いには終わらず、怒号が飛び交ったり、場合によっては座り込んだりという形を取らざるをえない。そうやって抵抗することで希求せざるをえない「平和」と「自治」があるのだ、ということを、星野は遺稿となったこの論文の中で言おうとしたのではないだろうか。
この長い抑圧と抵抗の歴史を知らずして、いま起きている基地への抗議活動だけを見て「暴力的だ」「座り込みは違法だ」などと決めつけるのは、まさに「沖縄への差別」そのものなのではないだろうか。
また、「無知」以外にも心理的理由があると考える。それは、現政権が米軍基地新設を推進する立場であることに関係している。推進側について抗議の声を上げる住民を揶揄したり貶めたりすることで、その人は自分も権力サイドにいると錯覚することができる、という「同一化」と呼ばれる心理だ。基地集中や基地新設に伴う沖縄の住民の不安などを想像することもなく、反対する者を誹謗中傷することで溜飲を下げ、力を得たような気になっている人たちは、そうせざるをえないほど、実は自らの内にも将来への不安や自信欠如を抱えているのかもしれない。そうであるなら、「沖縄ヘイトデマ」に拍手喝采し大笑いしたところで、一時の快感は得られるとしても、何ら自らの問題にはつながらないことは言うまでもない。
Ⅲ.②「北朝鮮との関係を匂わせるものを発見」はなぜ「沖縄ヘイトデマ」か
次に、「テント村(論者注・辺野古で抗議活動に参加する人たちの休憩などのために設置されたテントを指すと思われる)」に「韓国の朴槿恵前大統領打倒派が使っていたスローガン」が書かれた座布団があり、それが「北朝鮮との関係を匂わせる」という②について検証してみたい。
これが「ヘイトデマ」であることの論証も容易である。
言うまでもないことだがが、2016年、韓国では朴槿恵大統領(当時)の辞任を求める大規模な集会が繰り返されており、11月にはキャンドルを手にした20万人以上の人びとがソウル市光化門を埋め尽くす、いわゆる「ろうそくデモ」が行われたことは、わが国でも大きく報じられた。そのような中で、大統領の辞任を求めるスローガンが書かれた座布団などの関連用品が多数、製作されたことは想像にかたくない。
そう考えると、辺野古や高江の抗議活動の拠点のテントに「韓国語のスローガンが書かれた座布団」があったとしても、観光で韓国に出かけた沖縄県民を含む日本人のおみやげである、抗議活動に参加した一般の韓国人が持参した、などさまざまな可能性が考えられるだろう。しかし、「北朝鮮との関係」の品である可能性はきわめて低いのではないか。
また、外国人である韓国人が日本国内の抗議活動に参加していることを問題にする声もあるようだが、辺野古や高江での強硬な基地などの建設とそれに対する住民や県内、県外からの応援市民による抗議は海外のメディアでも報じられており、連日、多くの外国人が視察や活動への参加のために現地を訪れていた。論者が高江を訪れた2016年8月末にはアメリカから退役軍人のグループが現地を訪れており、「自分も軍隊にいたときは、基地は必要だと考えていた。でもいまは考えが変わった。米軍基地は沖縄にはいらない」と語るカリフォルニアからの来訪者の声を聴く機会を得た。イタリアやカナダからの来訪者もある、とも聞いた。実際に論者が立ち寄ったテントにも英語で地名などが書かれた地図やアメリカ製の寝袋などもあり、そこでなぜ「韓国語が書かれた座布団」だけを取り上げるのは、これまた前章で述べた「確証バイアス」に基づく過度の一般化と言えよう。
そして、たとえ他国からより韓国からの来訪者が多かったとしても、以下で述べる歴史的背景を踏まえればそれは当然であることがわかる。
米軍基地が全土に展開していることは、周知の事実である。米兵による事件も繰り返し起きており、とくに2002年6月13日には京畿道楊州郡広積面孝村里で米第2歩兵師団工兵隊装甲車による女子中学生2名の死亡事故が発生した際は、全国で一気に反基地感情が高まった。
そのような中、基地問題に取り組む韓国と沖縄の市民団体や非政府組織の交流が、1990年代後半から活発化するようになった。『ルポ 軍事基地と闘う住民たち』にはこうある。
「基地問題の課題を共有し、平和、人権、環境を軸に解決策を模索するネットワークが強まっている。95年の米兵少女乱暴事件をきっかけにした『沖縄の異議申し立て』は、韓国の市民団体に大きな影響を与えた。一方、沖縄側も米軍を厳しく監視する韓国側の活動に刺激を受けている。」[7]
つまり、辺野古、高江の住民抗議活動の場には、世界中から応援の人たちが集まっているが、もしその中でも韓国から来訪する人の割合が多かったとしても、上述のような長い交流が背景にあってのことなので、「韓国から来るのはおかしい」とするのは無知や恣意的解釈に基づく誤りである。
Ⅳ.おわりに――「『沖縄差別』はない」という差別とその超克を目指して
ここまでで「沖縄ヘイトデマ」の検証は終了したが、最後に少しだけ私見を述べることをお許し願いたい。
Ⅰ章でヘイトスピーチの定義を示しながら、「沖縄」は社会的マイノリティなのか、という疑問を呈しておいた。それへの答えを以下で述べたい。
ここで私たちは目の前の現実から離れ、遠い時間のかなたに目を向けてみる必要がある。沖縄は、琉球王国が近代に入り日本の国家に併合され、本土への同化を強要され、太平洋戦争末期には沖縄戦の戦場となり、敗戦後は長きにわたってアメリカの統治下に置かれ、という抑圧と苦難の歴史をたどることを余儀なくされてきたのだ。
たとえば、全国で標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した児童に懲罰的に首から「方言札」という札をぶら下げさせたという報告は全国にあるが、とりわけそれが長期間、厳しく行われたのは沖縄においてである。
それは明治末から始まり、実に第二次大戦後もしばらく続いていたといわれるが、沖縄の「方言札」の研究の第一人者である教育史の近藤健一郎(北海道大学)がこのような事例を紹介している。
「沖縄戦における『ひめゆり学徒隊』の引率教員として、また沖縄語学の研究者として著名な仲宗根政善(1907 − 1995)は 、新崎盛暉によるインタビューにおいて次のように語っ ている。
――方言札は、大正3年に小学校に入られるときには、もうさかんに使われていたんですか。
仲宗根 ええ、それはもう。どこかで誰かが私を狙っていると…そういう状態でした。兼次校の校庭は青い芝生でしきつめられて実にきれいでしたが、休み時問になると、もう誰か
がどこかに狙っているんです。ゆううつでしたね。」[8]
このような強制的な同化政策を経て、名実ともに沖縄が「日本の一自治体」になったというならまだよい。しかし、実際には苦難と抑圧の歴史を経て、いまなお沖縄は日本の中で圧倒的な不平等を被っているのである。
その最大の不平等こそ、「国土面積のわずか0.6%にすぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約74%に及ぶ広大な面積の米軍基地」という米軍基地の一極集中といえる。
1995年、米兵による少女暴行事件が起きたにもかかわらず、容疑者の米兵の身柄の引渡しを米軍が拒んだとき、当時の沖縄県知事だった大田昌秀は激怒して上京し、外相だった河野洋平氏に容疑者の身柄引きわたしと捜査を阻む日米地位協定の見直しを迫る。しかし、河野大臣は「議論が走りすぎている」と沖縄県の要請を一蹴したのだ。
それから大田は、この沖縄への基地偏在が「沖縄差別」だと気づいた、と国際政治学の前泊博盛は述べる。
「米軍基地問題に関する大田知事の姿勢は強硬で『日米安保は必要だといいながら、その負担は沖縄に全部押しつけ、安保が必要だという国会議員たちは、誰一人として自分の選挙区に米軍基地を誘致しようとしない。都合の悪いことは全て立場の弱い者に押しつけ、平気な顔をしている。これが日本の民主主義の現実です』と激しく糾弾しました。そして『安保のために必要というなら、全国で平等に負担すべきだ』と訴えました。」[9]
こういった訴えにもかかわらず、この不平等、もっと言えば「沖縄差別」の状態はいっこうに解決していない。それどころか、この状態を「沖縄差別」だと思うかという問いに対しても、沖縄と全国では大きな乖離が生じているのだ。
以下に提示するのは、2017年に朝日新聞社、沖縄タイムス社、琉球朝日放送とが合同で行ったアンケートの結果をグラフ化したものだ(2637回答)。朝日新聞のホームページから引用させてもらおう。県内では半数が基地集中をはっきりと「沖縄差別」と認識しているのに対して、全国ではそれは3割以下。6割は「そうは思わない」と回答している。この「差別とさえ思わない」という人たちにとっては、沖縄での基地反対運動や「『沖縄差別』を解消してほしい」といった声はまったく理解することができず、「一部の過激派の陰謀だ」とか「北朝鮮の指示だ」といった荒唐無稽な発想が出てくるのも、この「無知と差別」の端的なあらわれといえよう。
では、私たちはその状態をどのようにして乗り越えていけばよいのだろう。
そのためには「世界の潮流の変化」を知るしかない、と考える。いつの時代も沖縄を日本の「捨て石」として、何ごともなかったかのように安穏としていられる時代は終わったのだ。
いま、北朝鮮の変化を中心として、世界の安全保障の情勢が大きく変わろうとしている。日本全体、東アジア全体、さらには世界全体といった大きな視野で状況をとらえることなく、「基地は沖縄にまかせておけばよい」と思考停止に陥ったり「抵抗運動は北朝鮮の陰謀だ」などといった差別的な妄想に逃げたりすることは、沖縄への不平等の解消や県民の幸福につながらないどころか、沖縄以外の日本全体にとっても未来を閉じ、滅びの道へと歩ませるものでしかないことは明らかではないだろうか。
一刻も早く、私たちは有害かつ無意味な「沖縄ヘイトデマ」を言論空間から一掃し、沖縄への「無知と差別」を乗り越えて、沖縄を東アジアの平和のひとつの拠点とする新しい日本のかたちを考えなければならない。
最後に、大きな話題となった書、『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』の一章から抜粋しながら引用し、この小論を閉じたい。
「小指の痛みを、全身の痛みと感じてほしいのです」
これは、祖国復帰協議会会長の喜屋武真栄さんが1969年2月、衆院予算委員会の公聴会で語った言葉です。
これはけっして、たんに同情してくれというメッセージではありません。小指が傷ついているのをほうっておいたら、やがて全身が腐ってしまいますよという警告なのです。体の一部がこれほど傷ついているのに、その痛みを感じないというのは、神経がやられているのではないですか、という実にまっとうな問いかけなのです。
「小指の痛みを、全身の痛みと感じてほしいのです」
われわれ本土の人間が、いま沖縄から学ぶべき一番のことは、おそらくこの言葉なのでしょう。[10]
(文中、敬称は略させていただきました)
[1] 「『文句言うな…』被害小学校に続く中傷」,琉球新報,2017年12月25日.
[2] 師岡康子(2013)『ヘイト・スピーチとは何か』,岩波新書.
[3] 河野啓(2017)「沖縄米軍基地をめぐる意識
沖縄と全国」,『放送調査と研究』2017年8月,NHK放送文化研究所.
[4] 「第9回県民意識調査報告書 くらしについてのアンケート結果」(2016),沖縄県ホームページ
[5] 波平恒男(2015),「沖縄がつむぐ『非武の安全保障』思想」,『シリーズ日本の安全保障4
沖縄が問う日本の安全保障』,岩波書店.
[6] 星野英一(2013),「沖縄の米軍基地問題と人間の安全保障」,『政策科学・国際関係論集』15号
[7] 松本剛ら(2003)『ルポ 軍事基地と闘う住民たち
日本・海外の現場から』,琉球新報社
[8] 近藤健一郎(2005),「近代沖縄における方言札の実態 : 禁じられた言葉(<特集>シンポジウム「はっする言葉」)」, 愛知県立大学文学部論集 国文学科編 53.
[9] 前泊博盛(2011)『沖縄と米軍基地』,角川書店
[10] 矢部宏治他(2011)『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』,書籍情報社.