菜の花。両親がこの花の名前を与えてくれたことに、今でも感謝をしている。


 幾重にも重なる家族の生きてきた証を、勝手に二分し、どちらかを切り捨てろと迫るものはなんだろうか。

 私の父はかつて、兄を認知していなかった。それだけ書くと冷徹な親だと思われるかもしれない。それが父の兄に対する、彼なりの愛情だと気がついたのはずっと後になってからだ。

 父親は在日韓国人として生を受けた、いわゆる在日二世だった。そんな父の長男として兄が生まれたとき、今とは国籍法が違っていた。生まれた子どもは父親の国籍となる。韓国籍として生まれるか、それとも認知を受けない子どもとして生まれるのか、どちらがこの社会の中で幸せに生きられるだろう。父の中でこの二つを天秤にかけたとき、後者が勝ったのだった。

 父が「在日」として、どんな厳しい経験を経てその決断に至ったのかは分からない。気がつくのが遅すぎた、と悔やむことがある。死者に尋ねることはもうできない。戸籍に残された痕跡に、どんな想いが託されたのか。その宿題と向き合う日々は続く。

 戸籍は彼の、遺書だった。

ヨルダン、シリアの子どもたちの合同の教室。国籍を超え、共に生きる実感を、子どもたちから重ねていくことで、未来が一つ、拓けるかもしれない。