上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
熱波がわが国を襲っている。7月23日には埼玉県熊谷市で観測史上最高の41・1度を記録した。東京の青梅市でも40度を超えた。
これは日本に限った現象ではない。共同通信によれば、米国カリフォルニア州デスバレーでは52度、ロサンゼルス近郊のチノでも48・9度を記録。さらに、北欧のノルウェーのバルドゥフォスで33・5度、フィンランドのケボでも33・4度を記録した。スウェーデンでは50カ所の森林火災が確認されているという。近年の地球温暖化はすさまじい。
私が初めて猛暑を実感したのは1994年の夏だった。後に「1994年猛暑」と記録される年だ。この年は、8月3日に東京都千代田区で39・1度を記録し、大分県日田市では22日間連続の猛暑日(最高気温が35度以上の日)を記録した。現在も破られていない日本記録だ。
この年、私は大宮赤十字病院(現さいたま赤十字病院)の2年目の内科研修医だった。7月半ば、私は意識障害で救急搬送されてきた50代の男性患者を受け持った。初診時の診察で体は焼けるように暑かった。正確な体温は覚えていないが40度以上はあったと思う。皮膚は乾いており、心電図モニターをつけると不整脈が頻発していた。血圧は低下しており、集中治療管理となった。
指導医が「典型的な熱中症」と教えてくれた。体外・体内から冷却し、10リットル程度の点滴を続けたが、状態は改善しなかった。やがて、全身に皮下出血が生じた。最終的には腹腔(ふくくう)内出血で死亡した。
この患者は工事現場の労働者で、猛暑の中での作業中に倒れた。熱中症による循環不全が生じ、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群(DIC)という重症合併症を合併した。DICになると出血が止まらなくなる。このため、皮下出血がおこり、腹腔内にも出血する。これが、この患者の命取りとなった。
私は大学時代まで剣道をしていた。真夏でも防具をつけて稽古をしていた。熱射病で死ぬなど、考えたことすらなかった。当時、研修医だった私に、この症例は強烈な印象を残した。
わが国で熱中症への関心が高まるのは、この年からだ。日経新聞が運営する新聞データベース『日経テレコン』を用いて、全国紙、および共同通信、時事通信、NHKニュースで報じられた熱中症に関する記事は、この年、前年の37報から229報に増加した。
厚生労働省も動いた。95年以降、熱中症による死者の統計を公開している。2010年までは5年ごと、2012年以降は毎年だ。
この統計のおかげで、猛暑の年に熱中症の患者が急増することが確認できる。2005年までは年間300例程度だったのが、2010年には1,731例に急増する。「観測史上最も暑い夏」と呼ばれた年だ。
2013年にも猛暑が襲う。この年は1077人が死亡した。この中には22人の10~30代も含まれる。詳細は開示されていないが、基礎疾患があるか、猛暑の中で激しい運動や労働を続けたのだろう。この年、前出の全国紙に掲載された熱中症の記事数は2567報と、過去最多を記録する。本稿を執筆している7月24日現在、今年の熱中症の記事数は2007報。2013年を抜くのは確実だ。