今月、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定していた7人(26日には残りのオウム死刑囚6名)の死刑が執行されたことをきっかけに、一見それとは全く結びつかない、ある「死刑問題」に関する記事がツイッター上で浮上した。
それは、同性愛行為により死刑に処せられることに関する問題だ。
昨年9月、国連人権委員会で、同性愛行為が死刑の対象になることへの非難を含む決議案が出された。現在、同性愛が死刑になる可能性のある国は少なくとも7ヵ国あり、それらの国々へ圧力をかける決議だ。
投票の結果、賛成27ヵ国、反対13ヵ国、棄権7ヵ国となり、このテーマでは画期的な、国連の場での非難決議の成立となった。
昨年、その非難決議がおこなわれたときも、インターネット上で話題になった。しかし、その理由は、それが画期的だったからではない。
その決議案に対して、日本が反対票を投じたからだ。そのため、「日本は同性愛行為への死刑を認めるのか!?」という驚きと批判の声があがった。
そして、今月の異例な死刑執行をきっかけに、以前のニュースや記事が出回った。それにより初めて知った人も少なくなかったようで、また怒りや戸惑いの言葉が語られることとなった。
しかし、前回も今回も、強く批判する言葉も流れながらも、その声がソーシャルメディア上で大きなうねりとなることはなかった。
それは、前回、批判が流れたときに外務省の担当者が、反対票を投じた理由を語り、それがネットメディアに掲載されていたことが大きいだろう。
それは、その理由が説得力あるかどうかさておき(のちに示すように、それは理由にならないという批判もある)、そこで語られていることが、同性愛行為に対する差別と死刑の存続をめぐる人権問題に関して、日本が国際社会と逆の立場をとっていることを示しているからである。