インタビュー

話題の映画『カメラを止めるな!』上田監督 借金まみれホームレス同然からの大逆転

  • 2018年7月28日

  

6月23日の公開以来、常に満席状態が続いている映画『カメラを止めるな!』。公開当初は2館のみの上映だったが、口コミやSNSでたちまち話題となり、今後全国で100館以上での上映が決定している(7月28日現在)。

37分のワンカット・ゾンビサバイバルから始まる本作。しかし、ただのゾンビ映画ではない。「おもしろすぎてネタバレしたくない」「とにかく観に行くべき」と絶賛するコメントが投稿されているように、綿密に張り巡らされた伏線と、テンポのいい笑いのエッセンスが巧みにちりばめられたエンターテインメント作品なのである。

口コミでじわじわ広がった映画『カメラを止めるな!』は、ただのゾンビ映画ではなかった!? ©ENBUゼミナール

メガホンをとったのは、本作が長編映画デビューとなる上田慎一郎監督。脚本、編集も手掛け、「現実が夢を追い越していく日々。喜びをかみしめる暇もありません」と語る彼に、これまでの軌跡をインタビューした。

「無名×低予算なのに……」ではなく“だからこそ”できた傑作

血のりがついた衣装は監督の自宅ベランダで制作したそう©ENBUゼミナール

監督・俳優養成スクール「ENBUゼミナール」のシネマプロジェクト作品として制作された『カメラを止めるな!』。制作費300万円という低予算、さらにキャスト全員がまだ無名の俳優だ。“34歳の新人監督”は、「みんな無名だったからこそ、この映画は出来上がった」と断言する。

「キャストはオーディションで選んだ12人。経験も少ないし、技術面も完璧じゃない人ばかり。だったら演技と本来の自分との境目をなくしてしまえと思って、彼らの個性そのものをあてがきにして脚本を書きました。それに無名なキャストだからこそ、先の展開が読めないし、観ている人に親近感を持ってもらえたのかなって。だって広瀬すずさんや菅田将暉さんが出てたら『あ、どうせ最後まで生き残るだろうな』って気持ちで見ちゃうし、遠い世界の出来事のようで自分事化しにくいでしょ(笑)」(上田監督)

低予算で撮影時間も限られている。そんな厳しい条件下で臨んだ冒頭シーンの撮影は、無謀ともいえる37分ワンカット。撮影はトラブル続きだったそうだ。

全力で挑んで手が届くか届かないかギリギリのところを攻めなきゃ、という思いがありました。カメラを回しているときも“ガチのトラブル”はたくさん起こりましたけど、それがいいライブ感となり、もう2度と撮ることができない特別なものになったと思っています」

37分のワンカットは、6テイク目で成功した©ENBUゼミナール

シネマプロジェクト始動から約半年後、ようやく完成までこぎつけた上田監督。関係者向けの試写会で確かな手ごたえを感じていたと振り返る。

「こういった試写はキャストや制作陣が集まるので、客観的に見られないし、どこか自己批判的に見るところがあるので、反応が良くないことが多いです。にもかかわらず本作の関係者向け試写では笑いも拍手も起こって……。この瞬間、この作品となら『遠くまで行けるかも』って思えました。おそらく作品に携わった全員も同じように感じたと思います。だって試写後は、みんなで4次会まで行って12時間飲み続けたんですから(笑)」

その後の6日間限定のお披露目上映でもチケットはソールドアウト。この時点ですでに映画好きや業界の人の間で話題となっており、都内2館での劇場公開も決定した。まさに“異常事態”ではあり、そんな中でキャストとスタッフの本作への思いはどんどん大きなものになっていったそう。

「公開前からみんなでビラ配りをしていたし、公開後はキャストの誰かしらが必ず舞台あいさつに立っているんです。しかも1日も欠かすことなく……。今まで短編作品を中心に作ってきましたが、僕は監督としてものすごい熱量でキャストやスタッフを引っ張っていこうと必死にやってきました。でも本作に関しては、僕が引っ張るまでもなくみんながついてきてくれたし、時には僕を追い越していくこともありました」

人は本作の大成功を「奇跡」と言うが、おそらく奇跡ではない。上田監督をはじめとしたキャスト、スタッフみんなで地道に積み上げた努力、そして作品への愛情と、なにより出来栄えに対する「手応え」があったからこそ、必然的にこの快進撃が生まれたのだ。

「最悪な事態だってコメディーにすれば最高なものに」

ハリウッド映画のかっこいいシーンに憧れて、遊び感覚で映画を撮り始めたという上田監督

少年時代から映画やマンガなど、たくさんのエンターテインメント作品に触れてきたという上田監督。中学生のときから自主映画を撮り始めたものの、20歳を超えたあたりにそれが止まってしまう。

いずれハリウッドに行くことになるだろうと、地元の滋賀を出て大阪にある語学の専門学校に通い始めたんですけど、3カ月くらいで中退してしまって。だったら次は東京に行くしかない! と思ってヒッチハイクで東に向かったんです。金髪姿で『宇宙一の映画監督になる』と掲げたボードを持ってね。今から14年前、20歳のときのことです」

宇宙一の映画監督になるため意気揚々と上京した上田監督。しかし、東京で詐欺に遭ってしまい、借金もかさんで、一時期はホームレス同然の生活を送っていたという。。

「ねずみ講みたいなのにだまされて200万円の借金ができました。素直すぎなのか『これやったら映画が作れるよ』みたいな言葉にひっかかりやすかったんですよねぇ(苦笑)。当時はどん底だったか? いや、そうでもないです。僕自身、めちゃくちゃ楽天的で、こういう出来事もブログに書いて笑いのネタにしていましたし、だれかに楽しんでもらえたらそれでいいと思っていました。最悪な事態だって視点を変えればコメディーに変えられるって、この時に学んだのかもしれません」

上京後の20歳から25歳ごろまで、上田監督は映画制作から遠ざかっていた。ある夜、「なんのために東京に来たんだろう」と自問し、もう一度映画だけに集中しようと映画制作を再開する。そんな時、心の支えのひとつとなったのがある女性との出会いだった。

「後に妻になる人なのですが、彼女が人生を変えてくれました。たとえどんなに嫌なことがあっても、自分ひとりでは抱えきれないことでも、彼女に話せばすべてを笑いに変えられる。気づけば思い悩む夜がなくなったんです。妻に出会ったことで、外で思いっきり戦えるようになった。そこから生活のすべてを映画にかけられるようになりました」

ちなみに上田監督の妻は映画監督でありアニメーター。本作でも衣装制作やデザイン絵を担当している。

監督やキャスト、スタッフの映画熱がたっぷり込められた作品に仕上がった©ENBUゼミナール

さて最後に気は早いが、次回作以降のプランについて聞いてみた。

「次の作品もすでにいくつか動いていますが、まだまだお話しできませんよ(笑)。今後についてはどうなるかわかりませんが、初期衝動と情熱がこもりまくったこの作品が、ずっと僕の背中を押し続けてくれると思います。なんせタイトルで『カメラを止めるな!』と言ってしまっているので、この先も監督をやめるわけにいかないですよね」

  

(取材・文・写真/船橋麻貴)

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