谷川九段と藤井七段の師匠が語る
今朝のネット記事の見出しである【「将棋界のこれから」朝日 2018.7.28】。
谷川九段と藤井七段は兄弟弟子ではないが、そのことを分かっている人なら、何の疑問も抱かない見出しである。
ところが、将棋の世界について全く知識のない人だと、谷川九段と藤井七段の共通の師匠が、弟子二人を比較して語るのかと誤解するかもしれない。
誤解のないようにするには、次のいずれかの表現にするしかない。
ただ、①だと、「谷川九段と藤井七段の師匠」まで読んだ時点では、谷川九段と藤井七段が兄弟弟子で、二人の共通の師匠」つまり一人の人のことを指しているように思えてしまう。
その次の、「とが」を読んで、初めて、実は、「(谷川九段)+(藤井七段の師匠)」の二人を指していることが分かるのであり、②の方が、そのような「途中までの誤解」の余地もない点で優れている。
将棋界の序列から言えば、谷川九段を先にすべきところなので、記者は、冒頭の表現をしてしまったのかも知れない。けれども、やはり、「分かりやすさが第一」である。
優先順位は、常に、 分かりやすさ > その他の事情(格式・慣習・厳密さ・お洒落度・・・) である。
なお、どうしても谷川九段の名前を先に出したければ、こんな表現もある。
けれども、こうすると、二人が対等に語る、というのではなく、谷川九段が主体のように思われてしまう。
抽象化すると、こういうことになる。
谷川九段と藤井七段の師匠が語る
谷川九段と藤井七段は兄弟弟子ではないが、そのことを分かっている人なら、何の疑問も抱かない見出しである。
ところが、将棋の世界について全く知識のない人だと、谷川九段と藤井七段の共通の師匠が、弟子二人を比較して語るのかと誤解するかもしれない。
誤解のないようにするには、次のいずれかの表現にするしかない。
① 谷川九段と藤井七段の師匠とが語る
② 藤井七段の師匠と谷川九段が語る
ただ、①だと、「谷川九段と藤井七段の師匠」まで読んだ時点では、谷川九段と藤井七段が兄弟弟子で、二人の共通の師匠」つまり一人の人のことを指しているように思えてしまう。
その次の、「とが」を読んで、初めて、実は、「(谷川九段)+(藤井七段の師匠)」の二人を指していることが分かるのであり、②の方が、そのような「途中までの誤解」の余地もない点で優れている。
将棋界の序列から言えば、谷川九段を先にすべきところなので、記者は、冒頭の表現をしてしまったのかも知れない。けれども、やはり、「分かりやすさが第一」である。
優先順位は、常に、 分かりやすさ > その他の事情(格式・慣習・厳密さ・お洒落度・・・) である。
なお、どうしても谷川九段の名前を先に出したければ、こんな表現もある。
谷川九段が藤井七段の師匠と語る
けれども、こうすると、二人が対等に語る、というのではなく、谷川九段が主体のように思われてしまう。
抽象化すると、こういうことになる。
AとBが語る。 ・・ AB対等
AがBと語る。 ・・ Aが主体
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