私の個人ブログで「地方のCDレンタル店に見るエンタメ業界の現状」というタイトルの記事がバズったのは、もう5年前の話になる。
時はまだAKB48のシングル作品が200万枚近いセールスを記録している頃、しかしそれでも「エンタメ市場がいよいよやばいんじゃないか」という声は各所から頻繁に上がりつつあり、その中でこの国の最果ての地にある地方CDレンタル店の現状を、私は北海道の小さな町に住んでいる一市民として、見たままインターネットに書き綴ったのだった。
〈二〇一三年当時の主な主張〉
・地方のコミュニティでは、未だ優先順位の高い消費コンテンツとして「CDレンタル」が君臨し続けている
・しかし音楽業界においてトップクラスのCDセールスを誇るアイドルジャンルは、これだけアイドル文化が浸透を遂げたように見える時代においても、地方CDレンタル店ではあまり存在感がない
・逆に地方においてコンテンツの根をしっかり伸ばしているのはインターネットのまとめコンテンツと同じく手軽に売れ線だけを押さえることができるオムニバスCDや、やはりネットから広がったボーカロイドなどの音楽である
・ネットやSNSの発展により日々拡大を続けているはずの音楽市場は、実はエンタメコンテンツの終着地、地方においてその見え方が東京などの都市部とまったく異なってきている
・その現状の上で、エンタメ不況のこのご時世、そして今後に向けて、エンタメ業界ができることはもうちょっと残っているのではないか
それから数年が経ち、自著の出版を機に執筆業となった私は、北海道に住んだまま津軽海峡を越え、遠い東京で出版社やレコード会社に勤める人たちに会うようになった。
初めての挨拶の際には自己紹介を兼ね、いつも個人ブログのアドレスも併せて伝えるようにしているのだが、ここ最近、思わぬ“困りごと”がある。
それはブログを読んでくれた仕事相手、東京でエンターテインメントの明日を担っているど真ん中の業種の人々が、後日良かったと揃って口にするのがいつもあの二〇一三年の「地方のCDレンタル店に見るエンタメ業界の現状」なのだ。
正直、私はそのタイトルを聞くことに、だんだんうんざりしてきてしまっている。
なぜなら「東京にない視点で興味深かったです」とエンターテインメントの中心地で言われる5年の間に、私が暮らす小さな町のCDレンタル店はもう、とっくに死期を迎えつつあったからだ。
変化の始まりは入口の自動ドアに貼られた、営業時間短縮の小さな張り紙だった。
それから店は日を置かず改装され、次に行ってみるともう、正面玄関に向いていたCD棚は目立つその場からすっかり姿を消していた。
CDの代わりに一等地に並んだのは天井まで高く伸びた、巨大なレンタルコミックの棚である。
追い出された形のCDコーナーはというと店の中央で肩をすぼめて小さくなっていた。
本当に小さくなっていた。
この町のランドマークでもあった店の一等地を追い出されたタイミングで、音楽CDは存在そのものが、一気に棚4面ほど影も形もなく消滅していたのだ。
地方のCDレンタル店で真っ先に削られたのは、J-POPの棚だった。
あの記事の公開と同じ二〇一三年にAKB48が自身最高のCDセールス記録を樹立した後、CDというパッケージの中でアイドル以外の新たなスターをとうとう作り出せなかった音楽業界は、ライブも握手会もない地方の町で急激に求心力を失っていった。
数年前まで地方民の娯楽にCDレンタルが欠かせなかった大きな理由は、少子高齢化にのまれた各地域からはとっくに映画館が無くなっていて、近くの書店やCDショップも年々売り場面積や存在そのものが無くなってきている、という日々の現実があったからだろう。
「ぜひ劇場でご覧ください」や「町の本屋さん」といったおなじみのセリフから零れてしまった人間たちにとって、CDレンタル店の活況は文化の灯がまだこの町に生きているという貴重な証明であり、それは文化が日常性を備え続けているという、ある種、文化そのものにとっての幸福の証明でもあった。
しかし今や地方のCDレンタル店は、もはや自らのアイデンティティさえ忘れ、地方の風景の中で力なく漂っている。
音楽に限らず、現在の地方は「無くなること」「失うこと」がいつも自分のそばにあり続ける世界だ。
そしてそれがどんなに大切なものであっても、受け入れなければこの場所では前に進めないということを、若い人ほどよく知っている。
彼らにはまだ未来があるからだ。
地方の彼らの未来というのは、人口が確実に減っていき、きっとまだ当分止まらないであろうコミュニティの疲弊の上にあって、しかしそのどうしようもない喪失を受け入れたとき、若い彼らは初めて未来に「光」を見る。
正岡子規の有名な言葉ではないが”平気で死ぬことではなく平気で生きること”を知ったときに、初めて何も持たない彼らの足元から、その先へと道は開けていくのである。
思うにJ-POPの新作広告が毎週いくつも重ねられている東京の「光」と、文化そのものさえハイスピードで行き場を失いつつある地方の「光」は、その意味がもうだいぶ違ってきている。
しかしかつて身近だったはずの音楽は、いつからか特典の豪華さやライブ・フェスという非日常空間での鮮度を競うばかりになり、失うことを受け入れる地方の彼らの覚悟に、いつまでたっても寄り添うことはなかった。
エンターテインメントのファースト・コンタクトがこれからさらにスマートフォンへと移っていく時代、東京から流れ込む音楽とアップデートの止まった地方の風景には、現状ですらあまりにも距離ができていることが、その中心地には今、ちゃんと届いているのだろうか。
喪失の中でもがく若者がここで何を喰らい、何を捨てて生きているのか、SpotifyにもApple Musicにもきっとその痕跡が残ることはない。
日々画面に溢れていくプレイリストは東京の歩き方は教えてくれても、疲弊していく故郷での生き方も、死に方も決して教えてはくれない。
いつも東京で、思い出す風景がある。
北海道には平成の始め頃まで炭鉱街というものが存在していたが、地域を支えながらもやがて時代の流れに抗えなくなったその街々は炭鉱閉山とともに人口が流出し、跡には暮らしの抜け殻だけが残った。
「廃墟」と書くとミステリアスで聞こえはいいが、当地に暮らすものにとってそれは目の背けられない事実である。かつて同じ時代を生きていたはずのその建物は、色褪せた映画のポスターや剥がれかけた化粧品の広告で、過ぎた時間とここにあったいくつもの生活を生々しく教えている。
人生を励ました主人公たちの躍動も、日々を彩った美しい微笑みも、コミュニティの中で日常性を失ってしまえばその瞬間に自ら息を止め、風景の中でそのまま一気に腐り落ちてしまう。
そしてそこにあったのは地方に人生の根を張った者にとって、歌声も名声も一切残らない緑の中の、もうひとりの自分の屍であったのだ。
今地方にいる若い人間は、そしてその中の一人でもある30代の私は、おそらく近いうちに、町々のCDレンタル店の最期を看取る役目になってしまうのだろうと思っている。
そしてそんな私たちが音楽に触れていた日常の景色やそこで感じた愛情、今も抱いているそれぞれの「光」の輝度はというと、この瞬間も東京の安寧がシステマティックに振り分けられたスマートフォンの中で屍にもなれずに、再生回数の泡となって静かにはじけている。