2018-07-28

容姿で見える世界は異なるのかもしれない

最近死刑制度の話が気になる。

死刑の是非であるが、自分はいつも反対である

司法行政政治世論というのも何だかんだ容姿が大きく影響するのではないかと考えてしまうからである

人が判断するものばかりだから容姿やらが絡んでくる可能性は十分にあると思うのだ。

自分容姿が醜いゆえに世界はいつでも不公平に見えてきた。

から良い扱いを受けてこなかったと感じている。

さらに知能、運動神経健康にも恵まれなかったから、ありとあらゆるもので酷い目にあってきたと思っている。

就職活動も散々な思いをして、最近やっと何とかなりそうだ。ただ、それも先行きは不透明だったりする。

様々なものに恵まれない故にありとあらゆるものに疑いを持つようになった。

いつか難癖をつけられて冤罪や微罪逮捕されるかもしれないなどと考えたりしてしまう。

腐敗する政治行政司法を見ていると不安は増す。

一方の容姿が良い人間は人々から良い扱いを受けることが多いだろう。

それゆえ、現状の世界が正しく見えるのではないか

もしくは、間違っているところはあるかもしれないが概ねは良いと思っているのではないか

いつか、自分人権制限されるのではないかと思い海外に出ていきたいと思うこともある。

幸い親に小金がある。

教授就職しないでいるならドイツやら留学でもすればいいよとか言ってきた。

それも一つの可能性としてはあるなと思ったが、知能が低い。

関関同立底辺なのだ。そして、172cmの低身長グロメンアジア人は苦労するのだろうなと感じる。

最近祖父母の家に行った。人は老いるというのを思い知らされた。

自分20数年しか生きていないが、これから容姿が醜いままなのだろうかと考えさせられる。

帰りのターミナル駅容姿が悪い小学生くらいの女と父親笑顔でいた。

微笑ましいと感じたが、彼女二次性徴以降に酷く苦しむのだろう。

そして、彼女が大きくなるころには外人結婚して日本を抜けだす女がたくさん出てくるのではないかと感じる。

それも性的魅力の闘争になるのだろう。

どこまでも、自分は醜い容姿世界不公平に見える。

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