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熊野市井戸町から神川町へ抜ける県道34号を走って行くと、途中県営林道一の水線があります。
この林道は舗装されていて熊野市育生町赤倉へと行くことが出来る道になっています。
林道を走ると峠には「一の水トンネル(全長487m、巾4m、高さ4.5m)」が掘られています。(1990年9月)
しかし、このトンネルが掘られる前の、1815年(文化12年)に、旅人の安全を願って道路を石畳に改修しています。ここは熊野古道の一つです。
一之水峠の「道路供養塔」は熊野市指定文化財 民俗文化財 有形民族文化財に指定されており、道路供養塔の説明看板には「この供養塔は、文化12年(1815)赤倉村榎本利兵衛門らが本宮街道沿の尾川村田本辰右衛門 粉所村南孫一郎 同村吉田与左衛門 平谷村大井沢右衛門が力を合せ、赤倉側の橋の谷から峠までの道路を石畳に改修し、旅人の安全を願って立てたものです。道端には道標 地蔵が多く立っていますが、このように古くて特殊な石造品はこの地方では大変珍しく、庶民文化を知る貴重な作例であります。指定 平成4年2月28日 熊野市教育委員会」と書かれています。
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一の水峠にある「髪梳地蔵」。
写真右側に見えるのが熊野市井戸町瀬戸の集落。
この峠には、悲恋物語が残っています。
昔、瀬戸の青年と池川の娘が、丁度中間地点となる一の水峠で度々会っていました。ある日、青年が村の山刈りで遅くなり、峠で待っていた娘は木に登って青年を待っていたそうです。木の上で娘が髪を梳くために櫛を口へくわえたところに、鉄砲撃ちが通りかかり、ふと木の上を見上げたとき髪を梳く娘を化け物(妖怪)と思い撃ってしまいました。哀れに思った瀬戸と池川の村人は、そこに地蔵を建てたといわれています。
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2008年5月の一の水峠、石畳の美しい熊野古道だが、木の伐採によってかなり荒れてしまっています。
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写真↑が「髪梳地蔵」。やさしい顔をしています。
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上の写真は、今も残る石畳。両側に木々がある時に撮影したかったと思います。
現在では、木の伐採時に石畳が埋もれてしまった箇所もあり、無惨な姿となっている所も。
また丸坊主になった山に大雨が降ると古道が埋もれてしまったり、流されてしまう危険もあります。
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一の水峠から赤倉側へと降りる石畳の保存状態は良く、途中には湧き水が出ている場所があり、そこに「水呑地蔵」と「道路供養塔」があります。(上の写真2点)
「道路供養塔」は熊野市指定文化財 民俗文化財 有形民族文化財に指定されていますが、周りが荒れてしまって今後残っていくか心配です。
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