竹内源造記念館(後編)

金沢 曇り、台風の影響で曇っており、若干涼しいです。

海の日に富山へ遠征し「竹内源造記念館」を見てきました、「鏝絵」の展示は、一同に見れておもしろかったのですが、蔵の壁に残っているを見るのが最高です。

おわび→誤字をたまたま発見し、「源蔵」となっており、正しい「源造」に、過去の記事も修正しました(笑)

【撮影場所 竹内源造記念館:2018年07月16日 OLYMPUS E-PL6】

【掲示板引用】竹内源蔵は、小杉町の左官であった竹内勘吉(平右衛門)・ふさ夫妻の5男として三ヶ上新町(射水市三ヶ)で生まれました。勘吉は左官数十人を抱える竹内組と呼ばれる左官会社を率いていました。源造も家業を継ぎ、15歳で帝国ホテル(東京)の工事に携わり、25歳で一休漆喰彫刻士の坂句を得ました。30歳で父が他界すると竹内組を率い、富山県西部をはじめ、遠く旧朝鮮銀行大連支店(中国大連市)の大型建設工事にも腕を振いました

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